輪廻の始点

鴎暦841年 冷の月 3日

 トレイと共に戦場へと戻ったユリヤは、もう恐怖や絶望といった負の感情に襲われる事はなかった。審判者ミューリアの姿を視界に捉えると、0組を筆頭に多くの候補生たちが抗戦していた。中には血を流して倒れる候補生もおり、戦闘が長引けば長引くほど、命を落とす者が増え、ますます苦しい戦いを強いられる事は明白であった。

 せめてミューリアだけであれば、全候補生で総攻撃を掛ける事が出来るものの、ルルサスの戦士が蠢き、無差別に攻撃している以上、それにも応戦しなければならない。
 状況が好転しているとは思えないものの、ここで候補生が諦めてしまえば、このオリエンスという世界は『フィニス』によって間違いなく消滅する。
 伝承を信じるのであれば、朱雀の候補生たちが審判者を倒す事が出来れば、フィニスを阻止する事が出来る。即ち、救世主『アギト』になれるのだ。
 その為にアギト候補生たちは、魔導院で切磋琢磨し、そして戦場で戦いに明け暮れていた。
 己たちはフィニスを阻止する為に、ここにいる。候補生たちの心は、間違いなく一つになっていた。



「ユリヤさん、今は私の指示に従ってください。ユリヤさん自身の意思を軽んずるようで心苦しいですが……どうか私の事を信じて頂けますか?」
「勿論です。トレイさんが戦場を俯瞰し、適切な判断が出来るのは分かっています。私が闇雲に動くより、指示に従う方がより勝利に近付くのは当然です」
「ありがとうございます。本当に、ユリヤさんは素直で理解が早くて助かります。あなたと0組で共に学べなかった事を悔いていますよ」

 0組編入への誘いを断ってしまったのはユリヤ自身であり、トレイにはその時何も出来なかった事は本人も分かっている事である。ユリヤはあの時のチャンスを棒に振り、保身に回ってしまった事を今になって後悔した。例え己が0組に入ったとしても、当然このフィニスは訪れたであろう。白虎に戦争で勝利する未来もなく、己の存在が戦力になると断言出来るわけでもない。
 ただ、トレイと一緒にいたかった。もっと長い時間、長い期間、一日でも多く。
 後悔したところで過去を変える事は出来ない。ならば――

「……では、この戦いが終わったら、0組への編入を志願させて頂きますね」

 ユリヤはそう答え、精一杯の笑みを浮かべてみせた。仮にミューリアを倒し、世界を救ったとしても、魔導院が存続するかは定かではない。最早どの国も壊滅状態である以上、まずはこのオリエンス全土の復興が最優先である。
 けれど、今だけは夢を見させて欲しい――そんなささやかな願いに、トレイは優しく頷いて、ユリヤの手を握った。

「ええ。0組の教室でユリヤさんと共に学び、共に過ごしたいと私も心から思います。ですから、絶対に勝ちましょう。私たちの未来の為に」



 ユリヤはトレイの指示に従い、適切なタイミングでホーリーを発動し、ルルサスの戦士を倒していった。トレイも同様に、窮地に陥る候補生を助ける為に遥か遠くまで弓矢を放ち、時にはホーリーで応戦する。他の主戦力となる0組以外の候補生たちもホーリーを習得し終え、徐々にルルサスの戦士が増殖するより早い速度で討伐出来るようになっていった。

「トレイさん、これならきっと……」
「はい、まさに今が審判者を倒す絶好の機会です。――エース!」

 ミューリアと一番対峙していたであろう、最前線で戦うエースに向かってトレイが叫ぶと、何を言わんとするのかすぐに察し、頷いて見せた。

「――皆、力を貸してくれ! 今が総代を……審判者ミューリアを倒すチャンスだ!」

 エースの声に、全ての候補生が湧き立った。そして皆ホーリーの詠唱を始め、聖属性魔法が使えない候補生は守備に徹し、ルルサスの戦士に邪魔されないよう必死で足止めした。例え自身の命を犠牲にする事になったとしても、このチャンスを逃せば、世界は終わり、全てが消滅する。恐怖心と戦いながら、誰もが必死に運命に立ち向かった。

 そして、ミューリアに向かって一斉にホーリーが放たれた。
 ユリヤたち候補生は反動による衝撃波に絶えつつ、これで全ての戦いが終わる事を願った。
 暫しの間を置いて、ユリヤの視界が元に戻る。眩しい光が消え、視線の先にあったのは――巨大な軍神は消滅し、かつてミユウ・カギロヒだった少女が地に伏し、倒れている姿であった。

 候補生たちの活躍により、世界を滅ぼす審判者ミューリアはついに討ち果たされたのだった。



「トレイさん……私たち、これで審判者を倒せたんでしょうか……」
「ええ、恐らくは……この目で見て確かめない事には断言出来ませんが」

 ユリヤとトレイは互いに見つめ合い、どちらともなく頷けば、手を繋いだまま歩を進めた。ミューリアの亡骸を確認するまでは、フィニスを阻止し、この戦いに終止符を打てたと判断するのは危険だからだ。

 既にミューリアの傍にはエースや他の0組の面々がいた。近付いても危険ではないと分かり、ユリヤはトレイと共にミューリアミユウ・カギロヒの傍へ歩み寄った。
 すると、ミューリアは僅かに目を開けて、ユリヤとトレイの姿を認識すれば、苦しそうに口を開いた。

「……ああ。ユリヤ、トレイ、君たちの勝ちだ……君たちがいてくれて、よかった。人は審判に合格し、そして時の螺旋が始まる……」

 ユリヤはその言い回しから、今目の前にいる少女は審判者ではない、ミユウ・カギロヒであると感じた。審判者とやらに身体を乗っ取られ、操られていたのかと思ったものの、その言葉に違和感を覚えた。

「時の、螺旋……?」
「待ってください、それは一体どういう意味ですか!?」

 時の螺旋とは何なのか。ユリヤだけでなく、トレイですら聞き覚えのない単語であったらしく、珍しく声を荒げる。トレイの問いに、ミユウはか細い声で答える。

「……君たちは、やり直す権利を得られたということだ」
「やり直す……?」

 その言葉の意味を考えるより先に、ユリヤは怪訝そうに呟いた。やり直すとは、結局この戦いは終わらないという事なのか。一体何をやり直すのか。困惑するユリヤたちに、ミユウは言葉を続けた。

「僕を倒したところで、じきに世界は終わりを迎える……終末を避けることは、今の君たちには出来ない……君たちはそのための『解』を、見つけられなかった……『アギト』になることは、出来なかったから……」
「アギトに、なれなかった……!?」

 ユリヤだけでなく、この場にいる0組の面々も驚愕の声を上げた。アギトに到れなかったという事は、例え審判者を倒しても『フィニス』が訪れ、この世界は滅亡する。
 ミユウが嘘を言っているようには思えず、ユリヤは絶望に襲われその場に倒れ込みそうになったが、トレイが慌てて手を回して支える。そして、ミユウに向かって声を上げた。

「我々には何かが足りなかったというのですか!? 一体どうすればアギトに……どうすれば、世界を救うことが……」
「……その方法は、君たちが自らの手で見つけるしかない。君たちには、無限の可能性がある……今回は失敗だとしても、希望は見えた」

 ミユウの表情は悲観的なものではなく、逆に言葉通り、希望に満ち溢れているような笑みを浮かべていた。『今回』は失敗という事は、またフィニスを阻止出来るチャンスが訪れるという意味にも取れるが、先程の言葉では終末を避けられなかった以上、この世界は滅びると言っていた。
 皆が抱いている疑問を察し、ミユウは必死で言葉を紡ぐ。

「だが、時を遡れば、君たちは今生の記憶を失い……そして再び、戦いの日々を送ることになるだろう」
「『やり直す権利』というのは、時を遡る事……今生の記憶を失うという事は、私たちが生まれる前に……違う、まさか……このオリエンスという世界が生まれた時からやり直すという事ですか?」

 ユリヤはミユウの言葉を脳内で思い返しながら、恐る恐る訊ねた。自分でもあまりにも突飛な考えだと思ったものの、誰もユリヤを咎める者はおらず、それどころかミユウはユリヤの言葉にゆっくりと頷いた。

「それでも君たちは、救いの日を目指すか? まだ見ぬ解を、探し続けることを願うか……?」

 まるで希望に縋るようなミユウの眼差しに、ユリヤは何も考えられなかった。やり直す事を拒否したところで、この世界は消滅する。それならば――やり直す権利が与えられたというのなら、それを受け容れるしかなかった。次こそはフィニスを阻止する為に。
 ユリヤはミユウの問いに、真っ直ぐな瞳で頷いた。

「……願います」
「ええ、何度でもやり直します。そしていつか、ユリヤさんと……皆と共に、『アギト』になってみせます」

 ユリヤに倣ってトレイもそう答え、他の0組の面々も次々に同じ事を口にした。

「……ありがとう。その言葉が、聞けてよかった。君たちならきっと、解に辿り着ける……新たに生まれる世界でも、その意思を貫いてくれ……」

 ミューリアはそう告げて、静かに息を引き取った。
 そして次の瞬間、大地が揺れ、この世界すべてのものが音を立て崩れ始めた。
 終末を暗示する赤い空が青空に戻る事はなく、本当にこの世界は崩壊してしまうのだと、誰もが思わざるを得なかった。

「……トレイさん。これって……この世界が、消滅し始めたという事ですか?」
「ええ……。今までの世界が終わり、新しい世界が始まるのでしょう」
「すべて、消えてなくなってしまうんですね。私たちの記憶も、存在も、全てが……折角ここまで来たのに……」

 ミユウの前では気丈に振る舞ったユリヤであったが、ここまで来てフィニスを阻止出来ず、全てが無駄な行為であったと思うと、己の無力さに涙を溢れさせた。自分一人が辛いわけではなく、候補生全員が、ずっと最前線で戦い続けた0組全員が、皆同じ気持ちだと分かっているというのに、込み上げて来る涙を止める事が出来ずにいた。

 そんなユリヤを、トレイは優しく抱き締めて髪を撫でた。無力さに打ちひしがれているのはトレイとて同じであるものの、せめて最期の瞬間は後悔のないように、ユリヤに寄り添うと心に決めたのだった。

「……ユリヤさん。これまで、様々な事がありましたね。戦争の日々だったというのに、今となっては楽しい記憶ばかりが思い返されます」
「私も……私も、トレイさんと出逢えて幸せでした。初めて私を助けてくれた時から、ずっと……トレイさんがいたから、私、ここまで来れたんです」

 ユリヤもトレイの気遣いを汲み取り、せめて最期は笑顔でいようと、涙を拭えば必死で言葉を紡いだ。
 死ぬのは怖い。世界が消滅し、己たちの生きた証も、何もかもが失われてしまう。けれど、ミユウの言う事を信じるならば、またもう一度やり直す事が出来る。全ての記憶を失っても、この世界はまた一から生まれ変わり、フィニスに向かって時を刻んでいくのだろう。
 僅かでも希望は残されている。ユリヤは恐怖心を振り払い、顔を上げてトレイを見つめ、笑みを作ってきっぱりと告げた。

「トレイさん。私、あなたと一緒なら、もう何も怖くないです。でも……全ての記憶がなくなって、トレイさんの事も忘れてしまうのは、やっぱりとても悲しいです」

 最後は前向きな言葉だけ言おうとしたものの、どうしても弱音が出てしまい、ユリヤの声は涙声へと変わっていた。ユリヤ自身も自分の声の変化に気付き、申し訳なさそうに再度口角を上げる。

「駄目ですね、私……結局最後まで弱いままで……」

 トレイは決して不快に思う事もなく、ユリヤのいじらしい姿に自然と笑みを零した。

「……ユリヤさん、私は信じていますよ。『次』の世界でも、またあなたに巡り逢えると」
「……はい……! 絶対また逢えると信じます……! 全てを忘れてしまっても、私はまたトレイさんの事を好きになると思います。いえ、絶対に……」

 最後の瞬間は寄り添い、笑顔で――二人は崩壊する世界で抱き合い、そして、候補生たちの意識は徐々に途切れていった。





鴎暦842年 熱の月

 オリエンスから人々の声が消えた。全てが一度消滅し、そして、再び創り直される。次の世界が始まる日まで、世界は過去の時を巡っていく。

「――戦いの果てに、人は審判者に勝利した。私たちの予想を超える結果ね」

 オリエンスに住まう人々も消滅した筈であったが、ただ一人だけ、消滅した世界とは別次元の場所にいた。
 魔導院の魔法局局長、アレシア・アルラシア。これはあくまでオリエンスに現界する為の姿であり、その正体は、人ならざる存在――すなわち神のひとりであった。

「人には滅びに抗う意思と、力がある。生きるためにあがき続け、新たな可能性を見せる。この方法で繰り返せば、いつかは私の望む『解』に至れそう。そしてこの方法は、あなたの望みとも合致する――そうでしょう?」

 神々の雑談によって、オリエンスという世界はもう一度生まれ変わる。一体彼らが何を目的とし、人間に試練を与えるのか、当の本人達には知らされる事もなく。

「そう……ならばそれぞれの使命に従い、時の輪を回しましょう。いつか、人が望まぬ終末を乗り越え、真の答えに辿り着くまで――」





 千年の永きに渡り、戦乱が続く世界『オリエンス』。
 人々は四つのクリスタルを巡り、争い続けてきた。
 その果てに訪れる終末的大戦。
 湧き上がる戦火の中で、人々は救世主の誕生を望んだ。
 アギトとなる事を目指して、集結した少年少女たち『アギト候補生』。
 彼らは戦乱の時代を終わらせる為、自ら戦場に身を投じる――

2020/10/31

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