モジュール77奪還作戦


 エールゼクスはまず現状を乗り越える為、もぬけの殻になった格納庫を出て、己が切り殺した兵士の元へ戻った。死体は先程と何も変わっておらず、まだ誰にも気付かれていない事が分かる。この兵士には申し訳ないが、危機を乗り越える為に利用させて貰う――エールゼクスは心を鬼にして、その場で叫んだ。

「誰か! 誰か来て!!」

 自分で逃がしておいてどの口が言っているのかと自嘲したくなる位だが、もう手段は選んでいられなかった。あのまま格納庫に残っていても、流木野サキの脱走が見つかるのは時間の問題だ。あの場で易々と逃がしたと分かれば、最悪の結末に陥る。
 ならば、せめてこの場だけでも騙し切ってみせなければ。時間稼ぎをしている間、アードライがイクスサインとクーフィアを説得出来れば、もう迷う事は何もない。

「エールゼクス大尉、何事だ!? そ、それは……」
「流木野サキにやられたの!」
「何だと!? おい、お前ら! 捕虜が逃げたぞ!!」

 エールゼクスは己が殺した兵士を抱えながら、さも自分が介抱しているかのように見せて、駆け付けた軍人に訴えた。他の兵士も駆け付けて、直ちに格納庫へ向かうようだ。

「大尉は怪我人を医務室へ!」
「分かりました」

 エールゼクスは素直に頷くと、軍人たちの群れは大きな足音を立ててこの場を後にした。尤も、今から追い掛けても、既にヴァルヴレイヴに搭乗して宇宙に出た流木野サキに追い付く事は叶わないとは思うが。

 一先ず今は凌ぐことが出来た。エールゼクスは軽く安堵の溜息を吐いて、屍と化した兵士の重い死体を担ぎ、形だけではあるが医務室へ向かおうとした。
 その瞬間、通信端末が着信を告げた。
 このタイミングで己にわざわざ連絡する人物は限られている。クリムヒルトから、流木野サキが無事時縞ハルト達に合流出来たという知らせだろうか。エールゼクスは液晶も見ずに通信を受信した。
 だが、イヤホンジャックを通して聞こえたのは、久々に聞く元仲間の声であった。

『聞こえるか、エールゼクス』
「エルエルフ!」
『ミッション、ご苦労だった。流木野サキは無事だ』
「良かった……!」

 エルエルフの声を聞いた瞬間、エールゼクスは周りに人がいないのを良い事に声を上げ、慌てて端末を覗き込んだ。発信元は不明だが、間違いなくエルエルフの声であった。まさかこんなに早くエルエルフと連絡が取れるとは思わず、エールゼクスの胸の鼓動が自然と高鳴る。

『新たなミッションだ』

 エルエルフの声に、エールゼクスは息を呑んだ。

『俺は今負傷したドルシア兵に扮して、ランメルスベルグへ輸送されている』
「ちょうど良かった。私もちょうど医務室に行くところ」
『ならば話は早い。後は言わなくても分かるな?』
「当然でしょ」

 声だけではあるが、エルエルフが不敵な笑みを浮かべたような気がして、エールゼクスも口角を上げてみせた。
 エルエルフがいれば絶対に大丈夫だ。エールゼクスにはもう不安など一切なく、絶対にこのミッションは成功する――そう確信していた。



 医務室に辿り着くと、そこには同じように負傷した兵士を抱えた軍人達がいた。

「エールゼクス大尉! 一体どうされたんですか!?」
「流木野サキにやられた。他の皆が追ってくれてるから、私は怪我人を連れてこっちに来たんだけど……」

 エールゼクスが背負う兵士はとうに屍と化しており、恐らく助からないのは誰が見ても一目瞭然であった。

「大尉、我々は月面で負傷した兵士を救出しました。彼の応急措置を手伝って頂けますか」
「分かった」

 軍人の一人がそう言うと、一部の兵士を残して後は皆医務室を後にした。
 手薄になった今。この瞬間を待っていたとばかりに、負傷した兵士が起き上がる。
 これが合図だ――エールゼクスはそう察した。
 次の瞬間、負傷した兵士は間髪入れずに傍にいた兵士の背後へ襲い掛かり、瞬く間に複数の兵士達を気絶させる。
 エールゼクスが動こうとした時には、全てが終わっていた。

「エルエルフ、早過ぎ!」
「まだまだ鍛錬が足りんぞ。演技力は申し分ないが、軍人としての練度評価はCが妥当と言ったところか」
「ちょっと、流木野サキみたいな事言わないでよ」
「あの女にそんな事を言われたのか? まさかそこまで打ち解けるとは、運命とは不思議なものだな」

 どういう運命だ、とエールゼクスは毒づいたが、倒れる兵士から軍服を奪い取り手早く着替えるエルエルフが視界に入り、まるでパーフェクツォン・アミーとして、仲間として戻って来たような気がしてならなかった。

「俺に見惚れている暇があったら次の作戦を練るぞ」
「は!? 見惚れてませんけど!?」
「俺の着替える姿を凝視して見惚れていたように見えたが」
「そんなわけないでしょ。戻って来てくれた気がして嬉しいって思ってただけなのに……」

 からかうように目を細めて口角を上げてそう告げるエルエルフに、エールゼクスは苦虫を噛み潰したような表情をわざとらしく浮かべてみせた。
 こんな遣り取りも懐かしく、もう二度と以前のように話せないと思っていただけに、エールゼクスは胸にこみ上げるものがあった。
 だが、感傷に浸っていた瞬間。人の気配を感じて、エールゼクスは即座に顔を向けた。

「負傷した兵士のふりをして、内部侵入を果たす……ニューギニア紛争でお前が使った手だ、エルエルフ」

 そこにはエルエルフに銃を向けるアードライの姿があった。
 エールゼクスはエルエルフに視線を遣る。警戒している様子だが、アードライは分かってくれている筈だ。流木野サキの拘束を先に解いたのはアードライだ。この世界が間違っている事、己達がこれから為すべき事。全て一致している筈だと、エールゼクスはアードライを信じていた。

「この傷をつけたのは、お前ではない……なぜ言わなかった」

 アードライが前髪をかき上げ、エルエルフに撃たれて義眼となった左目と、肌に残った傷跡を見せる。エルエルフは少し間を置いた後、言葉を返した。

「……言ったら信じてくれたのか」
「もはや恨みはない。だが、お前はこの国の敵だ」

 エルエルフは視線だけをエールゼクスへ移す。本当にアードライがドルシアに忠誠を誓ったままであれば、この先和解する道はない。エールゼクスが王党派に協力しているのはエルエルフもクリムヒルトから聞いており、流木野サキを逃がした事といい、今頃になって己を裏切るとは思えない。
 つまり、現状は窮地と言っていい。それなのに、エールゼクスは顔色ひとつ変えなかった。今まで見せた事のない自信に満ち溢れた、余裕のある笑みを浮かべながら、エルエルフへ目配せしている。まるで「信じろ」と言っているかのように。

「――しかし今、私の愛する祖国は、密かに化け物に侵食されている」

 アードライから放たれた言葉に、エルエルフは目を見開いた。

「だから、エルエルフ。我々のミッションに手を貸せ」
「……作戦目標は?」
「カイン大佐及び、その関係者の排除」
「利害は一致したな」

 そういう事か、とエルエルフは笑みを浮かべた。エールゼクスとて闇雲に動いているのではなく、根拠のもと堅実に行動しているのだと悟った。カルルスタイン機関にいた頃もドルシア軍に入隊してからも、常に誰かの後ろで、周囲の顔色を伺い、自分を押し殺して行動するエールゼクスに、エルエルフはいつも苛立っていたのだが、漸く自分の意思で行動する事が出来るようになったかと、まるで雛の巣立ちを見届けたような不思議な感覚を覚えていた。

「エルエルフ特務大尉。現時刻をもって、原隊復帰を認める」

 そう宣言するアードライに、エルエルフは不敵な笑みを湛えて答えた。

「ブリッツゥン・デーゲン」

 やっと二人の蟠りが解けた事に、エールゼクスは心から安堵した。あの日から止まっていた時計の針が動き出し、やっと、未来へ進む事が出来るのだと。



「ところで、エールゼクス」
「は、はい!」

 一息吐いたのも束の間、アードライに声を掛けられエールゼクスは思わず背筋を伸ばして答えた。その声は若干怒気を帯びているように聞こえ、先程の自分の失礼な言動を思い出し、身構えた。

「その表情を見る限り、反省はしているようだな」
「お叱りはご尤もです、叱責はいくらでも受け容れます……」
「言いたい事は山のようにあるが、事は一刻を争う。説教は全てが終わってからだ。それと、君の気持ちに対する返答も」
「私の……気持ち?」

 アードライが何を言っているのか、一瞬本気で分からなかったエールゼクスであったが、流木野サキがあの窮地を脱する為に己の恋心を代弁した事を思い出し、一気に頬を紅潮させた。

「いや! あの! あれは! 無理に返事しなくていいから!」
「俺がジオールで戦っている間に、お前は呑気にアードライに告白していたのか」
「ちょっと! エルエルフには関係ないでしょ!?」
「関係あるだろう。仲間だからな」

 まさかエルエルフからそんな言葉が出て来るとは夢にも思っていなかったエールゼクスは、恥ずかしさで混乱していた脳内が真っ白になった。

「何かおかしい事を言ったか?」
「ううん。エルエルフ、変わったね」
「……そう見えるのか。だとしたら、あの人のお陰かも知れんな」

 エルエルフもまた愛する人を想い続け、その人を助ける為に戦い続けていた事を、『あの人』が誰を指しているのか分からないエールゼクスには知る由もなかった。それを知るのは全てが終わった後であった。

「話は纏まったようだな」

 絶妙なタイミングで新たに医務室に来たのは、イクスアインであった。
 銃を向けることなく、微笑すら湛えている様子から、アードライが説得に成功したのだとエールゼクスは察した。

「イクス!」
「エルゼ、すまない。私がアードライを守れなどと余計な事を言ったばかりに、辛い思いをさせてしまっていたようだ」
「そんな事ない、イクスが分かってくれて……ハーノも一番喜んでると思う」

 亡き仲間の名前を口にした瞬間、イクスアインは悲しそうに笑みを浮かべてみせた。そして、エールゼクスのすぐ傍まで歩み寄り、耳元でハーノインの形見であるピアスを折り曲げる。かちりと音がした瞬間、音声が流れた。

『いつも遅刻の君にしては珍しいな。一人で来たのか?』

『どんな時も、背中を預ける友は必要だよ、ハーノイン』
『……あなたらしくない物言いですね』
『……そうか……この男はそんな事を言ったのか……』

『儀式に必要な大量のルーン、手に入れるのは容易ではなかったが……あの船は良い働きをしてくれた。今日も大量に到着する』

『喜べハーノイン。イクスアインの肉体は、まもなく我が同胞のものとなる』

『――だから、私がこの体を奪った』

 その声は紛れもなく、カインとハーノインの声であった。
 ハーノインは王党派に協力していた事が判明して処刑されたのではない。
 カインに――違う。カインの身体を乗っ取り、成り済ましたマギウスに殺されたのだ。
 カインの言う『あの船』が、ジオールを貶める為に使われた『ファントム』――大量の人間が保管された不気味な船であると考えれば、全ての辻褄が合う。

「そんな……ハーノは処刑されたんじゃなくて、こんな理由で殺されたなんて……」
「ハーノは私の身代わりになって殺されたんだ。本来、この場には私だけが呼ばれていた」
「違う、イクスのせいじゃない! こんなの……こんなの間違ってる!」
「ありがとう、エルゼがそう言って貰えて少しだけ気が楽になった。だが、私はこの手で仇を討つまでは自分を許せそうにない」

 再生を止めたピアスを固く握り締め、イクスアインが声を震わせる。エールゼクスはその手を取って、迷いのないまっすぐな瞳で見上げた。

「一緒に、戦おう! パーフェクツォン・アミーの皆で!」

 エールゼクスの言葉に、イクスアインだけでなく、エルエルフとアードライも頷いてみせた。だがクーフィアだけが見当たらない事がエールゼクスは気掛かりであった。聞けば、ヴァルヴレイヴを駆逐する為に我先にと宇宙に出たのだという。
 まさかエールゼクスは二度とクーフィアと対面することが叶わなくなるなど、この時はまるで思っておらず、また以前の六人に戻れる――そう信じて疑わなかった。



 残された四人で企てたミッションは、ドルシア軍がジオールから奪い取ったモジュール77を取り戻す作戦であった。
 これからドルシア総統とARUSの大統領にてモジュール77で行われる平和記念式典に乱入し、ヴァルヴレイヴのパイロット、連坊小路アキラのハッキング能力を利用して全てを明らかにするという段取りだ。

 絶対に失敗は許されない。だが、ハーノインの仇を討つ為に、このドルシアという国を、この世界を革命する為に、己達が為さねばならない。己達にしか出来ない事だ。エルエルフが戻ったパーフェクツォン・アミーに敵は存在しない。エールゼクスは不安も恐れもなく、生まれて初めてと言っても過言ではない程、高揚感に溢れていた。

 突入の合図は、エルエルフから指示を受けている時縞ハルトからの連絡だ。流木野サキといい、ずっと敵対していたヴァルヴレイヴのパイロット達と共闘する事に奇妙な感覚を覚えつつも、エールゼクス達は式典会場まで駆け走った。

 式典が始まって間もなく、エルエルフの通信端末が鳴る。四人一斉にそれぞれ顔を見合わせて頷き、エルエルフが静かな声で、けれど意志の強い声で告げた。

「――これより、モジュール77奪還作戦を開始する」

2020/03/12

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