ラウンド・アンド・ラウンド

「ねえ悠ちゃん、どうなった?」
「何が?」
「竜ヶ崎くんと! 何か進展あった?」

 夏祭の喧騒の中、友達がそんなことを耳打ちしてくるものだから、ついさっきまで二人きりだったことを思い出して、今更ながら恥ずかしくなってきてしまった。

「……あったの?」

 恐る恐る訊ねる友達に、私は首を横に振った。いくら未だ夢心地の状態とはいえ、さすがにそこはしっかりと否定しなければ。怜くんの為にも。

「だから、怜くんは私のことなんて何とも思ってないってば」
「何とも思ってなかったら、二人きりで抜け出したりなんてしないじゃん」
「さっきのはそういう変な意味じゃないって!」

 最初は小声で話していたけれど、徐々に声が大きくなってしまい、一緒に行動している江ちゃんの耳にも入ってしまったようだ。江ちゃんの友達の千種ちゃんと共に、興味深そうな顔で私を見遣れば、何を思ったのか満面の笑みを浮かべてみせた。

「あたしは、怜くんが悠ちゃんのこと何とも思ってないとは思わないけどな」
「江ちゃん……特に私への気遣いは不要だから……」

 江ちゃんの笑顔とは対照的に苦笑して、そう答えるに留まった。私としては特に怜くんとこれ以上進展がなくても良くて、ただ近くにいられるだけで充分嬉しいし、さっきみたいに二人きりになれる状況も偶にで良いのだ。これ以上望むのは贅沢だし、それに怜くんの負担になってしまうだろうから。

 これで話は終わりと思ったけれど、友達はどうも納得がいかないらしくて、江ちゃん達と共に屋台を見て回っている途中、私の耳元でこっそりと耳打ちしてきた。

「『変な意味じゃない』って言うなら、じゃあ二人で何してたの?」
「えっ!? そ、それは……」
「それは?」
「……実は私もよく分かんなくて……」

 江ちゃんがすぐ傍にいる手前、まさか本当に凛さんを尾行していたなんて言えるわけがないし、そもそも怜くんが何故凛さんを尾行していたのかすら分かっていないので、説明のしようがないのだ。
 葉月くんからは「怜くんを追い掛けて!」とメールが来て、つい反射神経で理由も聞かずに本当に追い掛けてしまったのだけれど、合流してひと段落した後、当の怜くんからは追及もせずに行動しないよう釘を刺されてしまったし、多分、馬鹿な女子だと思われてしまったに違いない。進展どころか、後退している気がするのだけれど。
 と、若干ネガティブ思考になっている私の脳内など友達は知る由もなく、不機嫌そうな顔で口を開いた。

「ふーん、私には言えない話って事?」
「そうじゃないって! 本当によく分かんないまま追い掛けていって、怜くんにも窘められたし……」
「えっ、本当に良い雰囲気になってないの?」
「だからなってないって! 葉月くんもなんでこんな事したんだろう」
「なんでって、二人に『そういう仲』になって欲しいからじゃないの?」

『そういう仲』ってどういう意味……なんて聞くほど呆けてはいないつもりだ。確かに、水泳部の中でも葉月くんや江ちゃんはなんとなく後押ししてくれている感じがするけれど、別に本当に恋仲にさせる為に画策しているわけではないと言い切れる。今回は、今日みたいな大きなお祭りは年に一回とかだし、夏休みの良い思い出になればいい、くらいの気持ちで二人きりにさせてくれたのだろうと思う。

 という訳で、そろそろ話を逸らさないと。私と怜くんに脈がない以上、これ以上の恋話は蛇足でしかないし、それ以上に気になっていることもあるから、一応確認しておかないと。

「それより、江ちゃんに話してないよね? 怜くんが江ちゃんのお兄さんを尾行してたって」
「うん。さすがにそこは空気読むよ」
「良かった……」
「でもなんで尾行してたの?」
「あ、そういえば聞きそびれちゃった」
「もう、悠ちゃんってば、あまりに流され過ぎてて不安になるよ」

 今回だけでなく、過去にも怜くんに同じことを言われているので、反論も何も思い付いたものではなかった。怜くんが複数回指摘するということは、付き合いの長い友達であれば尚更気付くというものだ。

「そうだね……さすがにもうちょっとしっかり生きようと思う」
「いやいや、そこまで大袈裟に考えなくても」
「怜くんにも同じ事言われたし」
「へえ〜、何もないと言いながらもちゃんと悠ちゃんのこと見てるんだね」
「いや、深い付き合いじゃなくても分かるくらい、私がふわふわした生き方をしてるんだと思う……」
「でもそういう子のほうが、守ってあげたいって思うんじゃないの?」

 別に怜くんがそんな風に私を思っているわけじゃないし、というか絶対に思ってるわけがないのに、自分でもはっきりと分かるくらい顔が熱くなった。今が屋外の夜で良かった、私が今の発言で紅潮してしまった事を友達に知られることもないから。

「悠ちゃん、どうしたの?」
「なんでもない」
「声が上ずってるけど」
「本当に! なんでもない!」

 まあ、長い付き合いだし顔色が見えなくても分かってしまうものなのだろうけど。
 そうしているうちに、いつの間にか別行動になっていた江ちゃんと千種ちゃんが私達の元に来て、話は切り上げる事となった。

「二人ともごめんね! ちょっと金魚すくいしに行ってたの」
「ううん、謝らなくていいよ江ちゃん」
「ありがと。なんか秘密のお話してたみたいだし、席外した方がいいのかな?って思っちゃってね」
「江ちゃん! だからそういう気は遣わなくていいから〜!」




 夏祭りが終わった後、水泳部の皆は八月の地方大会に向けて猛特訓に励む日々を送っていた。私に出来る事といったら応援の言葉を掛けるくらい――以前はそう思っていたけれど、今はそれ以上の事を、具体的に言うならば確実に皆の役に立つことをしないといけないと思うようになった。
 そんなわけで、夏休みに入って数日が経った後、バイトと勉強以外の空いた時間の有効活用について色々と考えた結果、江ちゃんに相談してお弁当を作って差し入れするようになった。県大会の時に冗談交じりに話していたことが実現してしまったのだけれど、決して下心があったわけではない。私はただ単に少しでも怜くんのためになりたいと思っただけで、決して更に距離を縮めようだとか、そういう邪なことは断じて――

「悠さん」
「ひえっ」

 ――断じて、邪なことは考えていない。筈なのだけれど、正式な部員でもないのにこうして水泳部の練習を見に来て、好きな人にお弁当の差し入れをするなんて、下心がある以外の何なんだろう、と思わなくもない。

「お弁当、ご馳走様でした」

 怜くんは笑顔でそう言って、空になったお弁当箱を私に差し出してきた。最初に差し入れした時は、怜くんに洗って返すなんて言われて、それだとかえって迷惑を掛けていることになってしまい本末転倒なので、頑なに断ったのだけれど。というか、お弁当を差し入れすること自体が、怜くんに変な気を遣わせてしまっているんじゃないかと今更ながら気付いてしまった。

「……あの、怜くん。差し入れ、迷惑じゃない?」
「え!? 凄く嬉しいですよ! どうしてそんな事言うんですか?」

 純粋に驚いている怜くんを見て、こういう発言こそが気を遣わせてしまうのだとただただ反省せざるを得なかった。大切な大会を控えているのに、陰で支える立場に徹しなくてどうするのか。これだと逆に足を引っ張っている。

「ごめん、私が勝手に余計なことして、怜くんに気を遣わせてたら申し訳ないなって思ったんだけど……こういう発言こそ気を遣わせちゃうって今更気付いた」

 怜くんは反省する私に呆れるでも窘めるでもなく、なんだ、そんな事かとでも言いたげに笑ってみせた。

「悠さんこそ気を遣いすぎですよ。僕たちは全然気を遣っていませんし、皆好きにやってますからね。見ての通り」

 そう言われて、ふと周りを見回した。確かに、葉月くんも橘先輩も七瀬先輩も自由にやっているように見える。勿論、誰もが全く気を遣わないわけではないだろうけど、誰かひとりだけが余計な気を遣う関係ではないのはよく分かる。チームとはそういうものだ。誰かが我慢しなければならないようであれば、チームワークはいずれ破綻するだろう。皆個人種目ならともかく、リレーを泳ぐのだから、信頼関係が成り立たなければ結果は出せない。

 それなら、私がもし本当に迷惑なことをしていたとしたら、誰かが指摘してくれるだろう。特に年上の橘先輩や七瀬先輩は、きっとそういう事をしっかり出来るタイプだ。とはいえ、人に言われるまで気付かないというのも困りものだけど。
 どうにも最近マイナス思考になりがちだけれど、怜くんが迷惑に思っていないなら大丈夫だ。『凄く嬉しい』というのは流石にお世辞だと思うけど、少なくとも嫌ではないと受け取ることにしよう。私はひとまず、怜くんの言葉を信じることにした。

 誰かが我慢しなければならないようであれば、チームワークはいずれ破綻する。
 水泳部の皆はどんなことがあってもそんな事態にはならない、そう思っていたけれど、実際は少し亀裂が入り始めていたなんて、この時の私は夢にも思っていなかった。




 七月も間もなく終わろうとしている、ある日の夜。
 七瀬先輩の家で鍋パーティーをすることになった水泳部の皆に紛れて、私までお邪魔することになってしまった。この真夏の夜に、冷房機器を扇風機しか稼働させていない部屋で、正式に皆のコーチとなった笹部さんも交えて計八人で鍋を囲うなんて、正気の沙汰ではない。一体どうしてこんな事になったのかさっぱり分からないまま、汗だくで意識が若干朦朧とする私に、江ちゃんがこっそり耳打ちしてきた。

「悠ちゃん、ごめんね……こんな事になって」
「謝らないで、江ちゃん。これも何か意味があるんだよね?」
「いや、多分ないと思う……」
「ええっ」

 そう言って溜息を吐く江ちゃんに驚いたのだけれど、冷静に考えればこの我慢大会のようなものが、水泳の特訓に役立つとは到底思えない。そんな事も瞬時に分からないくらい、私の頭はまともに働いていないらしい。

「でも、すごく美味しい! そういえば鍋なんて久し振りかも」
「真夏に鍋食べる人自体稀でしょうしねぇ……」
「あ、それもそうだね」

 江ちゃんに突っ込まれて、またしても頭が働いていないことが露呈してしまった。最早反省する余裕もないほど暑さで思考がまとまらない。まあ、こうして皆で集まってわいわい騒ぐのも友好を深めるうえではいいのかな、と思う事にした。七瀬先輩と橘先輩が仲が良いのは普段見ていて分かるけれど、葉月くんと怜くんは一学年下だから、先輩方と部活以外でゆっくり話す機会はあまりないかもしれないし。そう考えると、この真夏の鍋パーティーにも意味があるのだろう。……いや、鍋である必要は結局分からないけれど。美味しいからいいか、なんてこの時の私は馬鹿な感想を抱くに留まった。



 鍋もすっかり完食し、皆で縁側に出て花火を始めることにして、漸くぼうっとしていた意識が徐々に明瞭になって来た気がする。喉元過ぎればなんとやらで、今では心地よい夜風に当たりながら夏の風物詩を楽しむなんて、やっと夏休みの思い出っぽくなってきた、なんてお気楽なことを考えていた。怜くんと葉月くんが楽しそうにしているのを眺めつつ、線香花火を楽しんでいたけれど、すぐ傍で七瀬先輩と橘先輩も同じく線香花火をしていて、ふと顔を向けた瞬間に橘先輩と目が合った。

「悠ちゃん、ごめんね。暑い思いさせちゃって……」
「いえ、とても美味しかったです! ご馳走様でした」
「美味しかったといえば……悠ちゃん、いつもお弁当ありがとう」
「いえいえ、江ちゃんに協力して貰ってますし、というかほぼ江ちゃんの功績で……」

 橘先輩に改めてそう言われて、気恥ずかしさで素直に受け取ることが出来なかった。橘先輩も私が怜くんに片想いしていることを知っているし、お弁当を作って来る経緯だってその場にいたのだから知っている。七瀬先輩はどうか分からないけれど。

「悠、お前がいると江も動きやすいと思う。ありがとう」
「い、いえ! 私なんて何の役にも立ってない……というか、江ちゃんの邪魔してないか不安なくらいですし」

 まさか七瀬先輩からもお礼を言われるなんて思っていなくて、つい弱音が出てしまった。あまり言わないよう心掛けているつもりなのだけれど、うっかり出てしまうというのは、それだけ、打ち解けたといったらおかしいけれど、この環境に慣れたという事なのかもしれない。

「邪魔なわけないじゃない! 邪魔だったら今日だって誘ったりしないわよ」
「江ちゃん」

 後ろから声を掛けられて、振り向いた先にはアルバムを持った江ちゃんがそこにいた。ほんの少しだけ怒っている、かもしれない。江ちゃんの言うことは尤もで、本当に迷惑だったらそもそも七瀬先輩の家に呼ばないだろうし、部員の誰かが反対してるに違いない。そんな事も分からずに、失礼なことを言ってしまった。

「江ちゃん、ごめんね」
「謝る程のことじゃないけどね。まあ、正式な部員じゃないから遠慮しちゃうのも分かるしね」
「ありがとう、江ちゃんの言う通り、私がここまで介入しちゃっていいのかな、っていう気持ちはある……」

 自然と口をついた言葉なのだけれど、これが本音なのだと気付いた。部員じゃないのに、ただ怜くんが好きだという気持ちだけで、ここまで深く入り込んでしまっている事に対して、今更戸惑っているのだ。関わることを決めたのは自分なのだし、本当に今更という感じだけれど。

「大丈夫だから一緒にいるのよ」

 そう言った江ちゃんは微笑を湛えていて、もう怒っていないと感じ取れた。やっぱり、不安なままでいるよりも、自分の気持ちを吐露して良かった。常に一緒というわけではないし、今くらいの距離感なら皆に余計な気を遣わせることもなくて良いのかもしれない。そう気付いてだいぶ気が楽になった。残りの夏休みはすっきりした気持ちで思い出を作っていこう。

 悩んでいるのは私だけではないと、この時の私は全く気付けていなかった。花火を終えて、昔のアルバムを見ながら皆が過去の想い出話に花を咲かせているのを、怜くんがどこか複雑な顔で見ていることすら気付けていなかった。翌日、怜くんが水泳部の練習を始めて休んで、漸く私は自分が何も見えていなかったこと、そして怜くんの気持ちを知ろうとすらしていなかったことを自覚させられたのだった。

2019/02/16
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