Gypsy Dance



 こんな事になると初めから分かっていたら、仮病だろうと何だろうと適当に理由を付けて、この会場に来る事はなかっただろう。弓弦がわざわざ英智さまの息のかかった旅館を手配し、あんず達が氷鷹くんの両親にまで助けを求めるような異常な状況下で、秀越学園の生徒たちの言いなりになる私など、自ら罠に嵌りに行ったも同然なのだ。今後どれだけ夢ノ咲から追及されても、言い逃れなど出来るわけがなかった。



「樹里さんも、行こう!」

 出番まであと一分。アイドルのユニット衣装に袖を通し、化粧道具を借りて簡単に顔を整えた私に、秀越学園の女生徒たちが声を掛ける。全て仕組まれた罠だと分かり切っているのに、まるでずっと一緒に苦楽を共にしてきた仲間同然の笑顔を向けられて、私は困惑するばかりだった。

「このステージだけでいいから、アイドルを演じ切って欲しいんだ」
「……言われなくても、やるけど。やるしかないでしょ」
「本当にごめんね。フォローはちゃんとするから」

 ステージに立つだけでいい、なんて言っても、言葉通り本当にただ突っ立っているわけにはいかない。彼女たちと一緒にパフォーマンスを披露しなければならないのだ。

 ヘッドマイクも渡されているけれど、パート分けが元のメンバーで予め決まっているし、私が歌う必要はない。ぶっつけ本番で割り振りを変えればミスに繋がるのは、皆分かっている事だ。
 だから、シンプルに彼女たちの後ろで踊るだけでいい。この一週間、彼女たちにびっちり付き合った事で、振り付けは自然と覚えた。

 この半年以上、完全にダンスから離れていたわけではなく、夢ノ咲の生徒たちにアドバイスする為にも自己レッスンを怠った事はない。さっきもたった数分ではあるけれど、一通り振り付け確認をしてみた。バックダンサーを演じるくらいなら、恐らく大丈夫だ。メインは彼女たちなのだから、私にスポットライトが当たる事はない。

「どういう魂胆か知らないけど、『こうなった』経緯は後でじっくり聞かせて貰うから」
「本当にありがとう、樹里さん」

 ユニットのリーダーである女生徒が、私の手を握る。何もかもが分からないけれど、きっと彼女たちは『誰か』に命令されてやっている。「そうしないとお前たちを降格させる」と脅しを受けて。
 とにかく、全てが終わった後に何もかもを聞かせて貰おう。そうでなければ、夢ノ咲の皆に合わせる顔がない。





『続いてのユニットは――』

 秀越学園のアナウンスを合図に、私たちは無言で頷き合って、一斉にステージへと飛び出した。
 湧き上がる歓声に身の毛がよだつ。ただ、当然私に向けられたものではなく、秀越学園の生徒たちへの歓声という事が初めから分かっているだけに、思っていたより落ち着いた気持ちでいられた。
 秀越学園内の生徒や、外部から来たお客様のうち彼女たちを知っている人なら、一人多いと気付くだろうけど、その他のお客様はそんな事は知る由もないだろう。
 私は空気だ、そう思うと良い感じに肩の力が抜けた。

 フォーメーションにやや変更はあるものの、私は端っこに立ち、移動する時も私の横の女生徒に合わせて動くだけだ。本番に強いと言うべきか、「なんとかなる」という謎の自信が私を支配していた。

 アナウンスでユニットの紹介がされた後、それぞれ決められたポジションに立つ。当たり前だけど私の話は出なかった。して欲しいんじゃなくて逆に無視して貰わないと困るから、これで良い。

 大音量で流れる楽曲のイントロ。この一週間のレッスンで何度も繰り返し聴いた曲だ。
 そもそも私はアイドルとしてここに立つ為に来たわけじゃないのだから、多少間違えたって仕方ない。酷い出来だったとしても、それは私をこのステージに引きずり出した人間に文句を言って欲しいくらいだ。

 サビの終わりまでは問題なく進行している。今のところトラブルもなく、私自身も振りを間違ってはいない。このまま乗り切ればとりあえずこの場は誤魔化せそうだ。そう思った矢先――

 本来聞こえる筈の歌声が、一切聞こえない。音楽だけが流れている。
 考えなくても分かる。メンバーの一人のマイクが何らかのトラブルで入らなくなったのだ。
 音響トラブル。これは口パクじゃない限り、ごくまれに起こり得る。

 こういう時は裏方が代わりのマイクを持って来てくれる筈だ。ステージ裏へ視線を遣ると、何やらバタバタしているようだ。いざという時にすぐに動けなくて、何の為の裏方かと苛立ってしまった。
 とにかく、代わりのマイクが来るまで、誰かが彼女のパートを歌わないといけない。ダンスを続けつつ彼女に視線を送ると、その口が何かを言おうと動いた。

「たすけて」

 彼女の口の動きは、そう言っていた。マイクが使えない今、彼女の声は届かないが、残念ながら何を言いたいのか分かってしまった。ついでに、彼女が私にどうして欲しいのかも。

 冗談じゃない。私は無理矢理ここに立たされただけなのに。大体、ダンスは付け焼刃で少し練習出来たけど、発声練習なんて今日は一切していない。

 どうして私なのか。どうして今までずっと一緒にやって来た仲間たちに助けを求めないのか。
 そう思った瞬間、謎が解けた。
 これさえも、きっと仕組まれているのだ。代わりのマイクを用意するのに時間がかかっているのも、誰ひとりとして彼女を助けないのも、当の彼女は私に助けを求めているのも、全て。

 自分がヘッドマイクを外して彼女に手渡すのも考えたけれど、踊りながらではそんな余裕もないし、間もなく彼女のパートが来る。
 もう迷っている暇はなかった。

 発声練習も何もしていない、私の細い声がマイクを通して会場に響く。
 最悪だ。これが前の学校でアイドル候補生だった時に、こんな情けない歌声を披露しようものなら、数日かけて反省会を行うレベルだ。
 準備不足なのは当たり前だ。こんな事になると想定していないのだから。
 けれど、この時の私は、こんな事態に陥った事を嘆くよりも、ステージ上で最善のパフォーマンスを魅せる事が出来なかった自分に対して怒りを覚えていた。

 結局、全ての曲が終わるまで、彼女の代わりのマイクが来る事はなかった。
 最後の方では私の声もすっかり通るようになっていたけれど、さすがに全てが終わった後は、私の怒りの方向は自分自身からこの茶番に対してへと変わっていた。

 この時の仏頂面が、会場の巨大スクリーンに映し出されている事なんて、当然この時の私は考える余裕すらなかったのだった。





「本当に信じられない! 本番にマイクが壊れても誰も助けないわ、代わりのマイクは来ないわ、秀越って一体どうなってるの!?」

 どうせ全てシナリオ通りの茶番だ。マイクが壊れたんじゃなくて、意図的に遠隔操作でオフにされたのだろう。確信犯でやっているのだから、当然代替品だって来ない。
 分かってはいつつも、とにかく怒らないと気が済まない。怒り狂う私に、皆は神妙な面持ちで俯いていた。

「……本当に、ごめんなさい」
「謝罪はいいから、それより一体誰がこんな事やらせたの!? あなた達も本番であんな茶番演じさせられて、本当のパフォーマンスも見せる事が出来なくて、悔しいって思わないわけ!?」

 怒りのあまりつい本音が出てしまって、さすがに俯いていた彼女たちも顔を上げた。

「……悔しいに決まってます! でも、こうしないと私たち、特待生から降格してしまうんです!」
「そもそも、それは一体誰の指示? あなた達にとってどうでもいい他校の一般生徒を貶める事が、秀越にとって何の利益があるか知らないけど。それが分からない限り、私はあなた達を追及し続けるから」

 肝心の黒幕が彼女たちの口から零れる気配がなくて、私の感情は怒りから苛立ちへと変わっていく。とにかくこんな事を仕組んだ人間とその目的が分からなければ、私だってこのまま夢ノ咲には戻れない。
 私が秀越の生徒としてステージに立ってしまった事が知られるのは、これだけ観客がいれば時間の問題だ。英智さまと顔を合わせるまでには、しっかり経緯を説明出来ていないといけない。あの写真の入手ルートも含めて。

 お互い譲らないまま時間が過ぎていくなか、突然、控室の扉が大きな音を立てて開かれた。

「ノックもなしに入って申し訳ありませんが、遠矢さんの声、外まで漏れてますので、もう少しボリュームを抑えて頂ければと……」
「七種くん! あなた、一体何を企んでるの!? 答えるまで返さないから!」

 呑気に片手をひらひらと上げながら控室に入って来た『Adam』の七種茨の姿が視界に入るや否や、私は絶対に逃がさないとばかりに駆け寄って強引に腕を掴んだ。

「あ!? いや、自分これから出番なので、込み入った話はオータムライブが終わった後にして頂きたいんですが……」
「あなたの都合なんか知った事じゃない! こっちは嵌められて夢ノ咲を裏切った女に仕立て上げられたっていうのに!」
「嵌められて、とは心外ですね! ステージに立たれたのは、紛れもなく遠矢さんご自身の意思だと思いますが」
「男子と二人きりで映ってる写真で脅しといてよく言うよね」
「は?」

 私の追及に、七種くんはぽかんと口を開いて間の抜けた声を出せば、私の後ろにいる女生徒たちに視線を移した。

「どういう事ですか?」
「七種様、すみません。樹里さんが従わなければこの写真を使えと指示が……」
「写真? 誰の指示です?」

 女生徒のひとりがスマートフォンを手に七種くんの傍に来て、そっと画面を見せる。その瞬間、七種くんは目を見開いて驚愕の表情を浮かべる。女生徒は誰の指示か、という質問には答えないまま、仲間たちの傍へと足早に戻る。
 七種くんの呆然とした顔が、再び私の方へ向く。

「……遠矢さん、伏見弓弦とそんな関係なんですか?」
「そ、そんなわけないでしょ!? そもそもこの時は桃李くんも一緒だったし!」
「桃李くん? ああ……。いや、本当に疚しい事がないなら、脅されようと何をされようと、ステージには出ないと拒否すれば良いだけの話では?」
「……だって、あの時は混乱してて……弓弦の未来を考えて、とか言われたら……」

 弓弦の名前を出されて、明らかに平常心を保てなくなった私を、七種くんは今度は興味深そうに見つめている。眼鏡の奥の瞳に込められている感情は、本当に純粋な興味だけなのか、それとも私と弓弦の仲を疑っているのか。分かるわけがない。けれど、幸いAdamの出番が間近に迫っているお陰で、私はこれ以上追及される事はなかった。

「まあ、どんな理由にせよ、ステージに立つと決めたのは遠矢樹里さん、あなたです。脅されても断る事だって出来た筈です。それをしなかったのは、あなたが『この子たちを助けたい』と純粋に思ったからだと、自分は考えています」
「勝手に人の心理を決め付けないでよ」
「ともあれ、詳しい事はライブ終了後にお話しましょう! あ、遠矢さんのご両親もお嬢様の晴れ舞台を喜んでましたよ! では!」
「ちょっ、待って……」

 わざとらしい笑顔を作って敬礼すれば、七種くんは私の手を振り払って、慌ただしく控室を後にして行った。
 私が質問する時間すら与えてくれなかった。
 詳しい事はライブが終わった後。それはいい。けれど、最後の最後にとんでもない事をあの男は言ってのけたのだ。

「ご両親、って、どういう事……!?」

 当然、秀越学園で一週間過ごすにあたり、家に帰って来れないと両親にはあらかじめ伝えている。でも、私はアイドルの道を諦めて、夢ノ咲でプロデューサーの卵として新たな道を進んでいる事は、両親だって充分すぎるほど分かっている。
 つまり、両親が今日この日、この秀越学園に来る事は、本来有り得ない筈なのだ。

「一体何が起こってるの……?」

 この事態を説明出来ない限り、私に夢ノ咲学院の敷居を跨ぐ資格はない。そう思っていたけれど、両親が今、この秀越学園に来ている事。秀越学園の生徒と一緒にこのステージにアイドルとして立ってしまった事。あまつさえ、酷い出来ではあったけど、ダンスと歌まで披露してしまった事。間違いなく、私の歌声がこのライブ会場に響いてしまった事。
 一体これから何が起ころうとしているのか。嫌な予感しかしなくて、もう私は考える事を放棄したかった。

 もう怒る気力も失せて、力が抜けてへなへなと床に座り込んでしまった私に、女生徒たちがゆっくりと歩み寄る。

「樹里さん。私たちの事を許してくれとは言いません。でも、七種様の言った事は正しいと思うんです」
「樹里さんは私たちの為にステージに立って、歌ってくれたって、そう思わせてください」

 全て仕組まれている事なのに、そうやって美談にしようとして、全てが台本に書かれているシナリオに過ぎないというのに。
 どうしていいか分からないし、もう何もする気が起きない。とにかく、もう夢ノ咲の皆に合わせる顔がない。全てが明らかになったところで、どんな顔をして皆に会えというのか。
 私のプロデューサーとしての道は、夢ノ咲学院で過ごしたあたたかな日々は、今日この日をもって終わってしまった。そう、悲しみに暮れるしかなかった。

2020/01/26


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