Jeux d'eau



 紅月のユニット存続をかけて、fineと対決するドリフェスの開催が差し迫りつつある中。夜遅くまでレッスンに励むのは紅月だけでなくfineも同じで、あんずが紅月を寄り添うのと対になるように、私はfineと共にいた。勿論、あんずと敵対しているわけではない。あんずにも英智さま側の言い分を説明して、とりあえずは納得して貰えた。
 あんずだって何も知らないわけではない。英智さまの容態のこと、置かれている立場、そういう事情はこの約半年でじゅうぶん分かっている事で、思うところはあるだろうから。

「樹里、折角弓弦と一緒の時間が増えると思ったのに、ごめんね」
「え? なんで桃李くんが謝るの? そもそもそういう目的でfineに付いてるわけじゃないしね」
「そうだけど、お前たち全然恋人らしいことしてないじゃん」

 夜の学院の敷地内、噴水前にて。レッスンを終えた桃李くんが私に耳打ちして来て、その言葉に安堵した。桃李くんから見て、恋人らしいことをしていないように見えるのなら、他の誰が見てもそうだからだ。
 桃李くんとしては私と弓弦の関係が進んでいないように見えるのが気に掛かるのだろうけど、私たちの関係は周囲に隠さなければいけない以上、かえって有り難いことだ。
 寧ろ、見えないところで多少は恋人らしいこともしているわけだし……。

「おやぁ〜、二人で秘密のお話ですかぁ?」
「ひえっ」

 もっとも、色々と察している人はいると思うけれど。例えば、いつの間にか私たちの話を盗み聞きしようとしていたこの人とか。

「日々樹先輩、驚かせないでくださいよ!」
「フフフ、油断大敵ですよ妖精さん。いつどこで誰が何を見聞きしているか分かりませんからねぇ〜」
「うう……」

 日々樹先輩がどこまで知っているのかは分からないけれど、私と弓弦の関係を全く知らないとはどうしても思えず、釘を刺されているような気がして押し黙ってしまった。

「おいロン毛、変なこと言って樹里を困らせるなよ」
「桃李くん、大丈夫だよ。日々樹先輩も心配してくれてるんだろうし」
「ほらほら、姫君も妖精さんの謙虚さを見習わないといけませんよ〜」
「調子に乗るなよ! ほら、樹里が甘い顔するからコイツが図に乗るんだぞ!」
「桃李くん、日々樹先輩は上級生なんだから言うこと聞かないとだめだよ」

 桃李くんにとって、日々樹先輩とは相性が悪いらしい。私から見たら、日々樹先輩の容赦ない指導によって桃李くんは更に高みに行けると思うから、この二人を組ませるのは正解だと思うけど。

『スーパーノヴァ』あたりから、英智さまと弓弦、日々樹先輩と桃李くんで組むことが多くなった。というのも、桃李くんには常に弓弦が付いているけれど(付き人なのだから当たり前だけれど)、どうしても桃李くんに対して甘さが出てしまうのだ。弓弦としては厳しく接しているつもりらしいけど、なんだかんだで甘い。それは主人と従者の関係だから仕方のないことで、だからこそ、この組み合わせで行動する機会を増やしている。ちなみに今弓弦は、英智さまの送迎をしているのでここにはいない。英智さまを家まで送り届け次第、また学院に戻って来るだろう。

 実際、日々樹先輩が桃李くんと組むようになってから、桃李くんの技術は勿論のこと、精神的にも強くなっていっているように感じる。英智さまも日々樹先輩も半年後には卒業してしまう。その後の『fine』を引っ張っていくのは、弓弦ではなく桃李くんだろう。弓弦もサポート役に徹して桃李くんを支えることを望んでいるに違いない。

「わたるのいうとおり、『ようせいさん』もすっかり『いちにんまえ』になりましたね〜」

 ふと、あまり聞き慣れない声が耳をついてはっと我に返った。いつの間にか桃李くんは日々樹先輩に肩車されていて、降ろせとばかりに暴れていた。
 声の主は噴水に浸かっている深海先輩だ。『流星隊』でリーダーの守沢先輩と共に一年生を引っ張る三年生で、日々樹先輩、朔間先輩と同じ『三奇人』の一人でもある。
 ちなみに、この噴水の『ヌシ』でもあるらしく、水に浸かっている姿を頻繁に見掛けている。凡人の私にしてみたらどう見ても正気の沙汰ではないし、単純に風邪を引かないか心配だけれど、深海先輩は独自の価値観で生きているのかこれが良いらしい。まあ、流星隊の皆が付いているし、『海洋生物部』の羽風先輩と神崎くんもまめに面倒を見ているようなので、私が心配することではないだろう。

「私、まだまだ一人前じゃないですよ。アイドル科の皆さんに逆に助けて貰ってばかりですし、あんずからも学ぶことばかりです」
「『ひとりぼっち』より、みんなでちからをあわせるほうが、きっとせいちょうできるはずです」
「……そうですね、ここに来たばかりの頃は本当にひとりぼっちでしたけど、皆が手を差し伸べてくれたお陰で、円滑にプロデュース業が出来るようになりましたし」
「ふふ、ゆづるのおかげですね」

 まさかその名前が出て来るとは思わなくて、顔が熱くなった。どうして深海先輩まで知っているのか――と一瞬頭が真っ白になったけれど、転入当初から弓弦が何かと私の面倒を見ているのは割と皆知っていることだと、少し考えれば分かることだった。弓弦に告白してから、違うところで周りの言動を気にし過ぎるようになったと痛感せざるを得ない。
 そもそも弓弦は私と違って何を言われても冷静沈着でいるし、堂々としていればいいのだ。少なくとも、英智さまと日々樹先輩以外の前では。

「はい、深海先輩の言う通り、弓弦――えっと、伏見が色々と気に掛けてくれたお陰です」
「『すなお』がいちばんです、ゆづるもきっと、ようせいさんのえがおが『だいすき』だとおもいますから」

 深海先輩の口から出た『大好き』という言葉を、単なるライクと取っていいのか、もしくは男女の関係の意味を含んでいるのか咄嗟に判断できなくて、頷くこともできず私はただ引き攣り笑いを浮かべるだけに留まった。
 深海先輩のような一見人畜無害で何も考えてないように見える人ほど、案外多くのことを知り、察していたりする気がする。それにいくら浮世離れしているからといって、何も考えてないことはさすがにないだろう。深海先輩だって『三奇人』なのだ。

 ところで。
 噴水の様子が何やらおかしい。暗いからよく分からないけれど、深海先輩が漂っているだけではなく、何かが『いる』ように感じるのだ。

「あのう、深海先輩。何か押さえ付けているように見えますが、一体何を……?」
「これは『おしおき』です」
「はい?」

 嫌な予感がして恐る恐る覗き込むと、水の底には黒い影が見えた。かなり大きい。海洋生物部だけに魚でも放流しているのかと思ったけど、全然違った。外灯の明かりを頼りに目を凝らすと、どう見ても人のかたちをしていた。

「深海先輩!! 何やってるんですか〜っ!!」





 事情を聞けば、決して深海先輩が悪さをしたわけではなく、噴水に沈んでいた本人自らが水に沈めてくれと懲罰を希望したのだという。その通りなんだろう。けれど、

「神崎くん、死んじゃうところだったよ!? 駄目だよ、こんな命知らずなことしたら」
「遠矢殿、心配無用である。我が部長殿に頼んだことであり――」
「ドリフェスも近いんだから、何かあったらどうするの!? 神崎くんが当日出られなくなったら、蓮巳先輩と鬼龍先輩に迷惑掛けちゃうんだよ!?」

 私自身、七夕祭の前に倒れたこともあって、神崎くんに私と同じ思いはして欲しくなくて、つい語気が荒くなってしまった。
 ちなみに神崎くんは噴水から出る様子はなく、深海先輩と一緒に水に浮いている。私が口出ししたせいで、懲罰とやらは強制終了となっている。

「ようせいさん、おちついてください。だいじょうぶですよ、『てかげん』してますから」
「それは重々承知していますが……」
「そうま。ようせいさんのいうことも『いちり』あります。かぜをひいて、とうじつそうまがでられなくなったら、ほんとうに『あかつき』はまけてしまうかもしれません」

 深海先輩が、私の言いたいことをすべて代弁してくれた。やっぱり深海先輩は独自の世界で生きつつも、周りをちゃんと見ている。私の七夕祭前のやらかしもしっかりと把握しているし。恥ずかしい話だけれど。

「……遠矢殿は『ふぃーね』の味方ではないのか?」
「よく言われるけど、どっちの味方とかないよ。私はあんずに協力して、ドリフェスを成功させたいだけ。一番平和的な解決策は会長の気が変わってくれることだけど……それは残念ながら不可能に近い。だけど」

 この先を言ってしまうのは、今この場にいる桃李くんを傷付けることになる。でも、会長――英智さまは紅月の解散を望んでいるわけではないのだ。そうでも言わないと、蓮巳先輩が本気でぶつかってくれないから。止むを得ない、苦肉の策なのだ。

「……だけど、単純な話、紅月がfineに勝ちさえすれば、紅月は解散せずに済む」
「遠矢殿は、我ら『紅月』が『ふぃーね』に勝てるとお考えであるのか!?」
「こらーっ! 樹里! 会長のいない隙に敵に寝返るな〜っ!!」

 驚く神崎くんに割って入るように、予想通り桃李くんが傍に駆け寄ってきてぽかぽかと私の身体を叩いた。全然痛くないから、桃李くんも腹を立てながらも私に気を遣ってくれているのだろう。

「桃李くん、『寝返る』は誤解! 英智さまは蓮巳先輩に本気でぶつかって来て欲しいんだから、寧ろfineに勝ってくれないと困ると思ってる……私はそう解釈してる」
「知ったような口を利くな〜っ! ボクたちがこの学院で最強なんだからねっ!」
「うん、そう、それはそうなんだけど……」

 桃李くんが怒るのは当たり前だ。桃李くんのほうが私よりずっと、英智さまのことを知っている。何も言えず口籠ってしまった私に、日々樹先輩が助け舟を出してくれた。

「まあまあ、姫君。妖精さんは表向きには誰に対しても平等でいなければなりませんからね。我らfineが最強だと思っていても、大っぴらに口にするわけにはいかないのですよ」
「そうだけどさ〜……でも実質樹里はfine専属って、暗黙の了解みたいなものでしょ?」
「ですが、今回のドリフェスの主催はあんずさんであり、妖精さんは補佐です。あんずさんの意思を汲み取るならば、『紅月』が勝利し解散を逃れるのが、妖精さんの考える此度のドリフェスの『成功シナリオ』でしょうね」
「うに〜っ!! 納得いかないっ!!」

 そこまでは言ってない、fineに負けてくれとは全く思っていないし、他に平和的な解決方法があるならそちらに舵取りをしたいくらいなのだ。英智さまが心変わりすることは100パーセントないと断言できるだけに、代替案は全く以て思いつかないけれど。

「桃李くん、嫌な思いさせてごめんね。負けて欲しいとはさすがに思ってないんだ。でも、どうすれば平和にドリフェスが成功するのか今は何も思いつかなくて……」
「樹里はボクたちの勝利を願うだけでいいんだよ。紅月にはあんずが付いているんだし」
「そっか……まあ、桃李くんの言うようにシンプルに考えていいのかもね。あんずと対立する気はないけどね」
「本当あんずに甘いよな、樹里は。変に気を遣わないで、樹里こそドリフェスであんずとプロデューサー対決するぐらいの気持ちじゃないと」

 確かに、もうあんずとは信頼関係を結べていると言っても良いと思っているし、たまにはぶつかるのも良いかもしれない。でも、今はそれをすべきではない。というか、勝てる要素がまるでない。

「桃李くんの提案、いずれ使わせて貰うね。あんずが了承するか分からないけど……」
「ていうか、樹里があんずと勝負する気ないんだろ」
「今はね」

 適当にはぐらかして話を終わらせると同時に、弓弦が私たちの元に駆け付けて来た。英智さまを送り終えたようだ。

「おや、何やら賑やかな様子ですが……」
「おい弓弦、ちゃんと樹里を教育しとけよ! こいつ、ちょっと目を離すと敵に尻尾を振るからな」
「坊ちゃま、そういう物言いは止めましょうね。やはり日々樹さまでは坊ちゃまの言動をセーブするのは難しいですか」
「妖精さんへのフォローはしましたよ。アイドルとしての教育以外は私の範疇ではないですからねえ」

 確かに、桃李くんの暴言に近い物言いを制することが出来るのは弓弦だけだ。尤も、今回は私に非があるし、というか常に私に非がある気がするけれど。

「伏見。私が紅月に寄り添うようなこと言っちゃったせいなの。桃李くんは悪くないんだ」
「プロデューサーなのですから当然でしょう。会長さまの解散命令など、傍から見れば暴君でしかないですからね」
「弓弦、おまえ〜! 会長を侮辱するなっ!!」
「侮辱ではありません。それと、わたくしとて曲がりなりにもfineの一員ですから、わたくしたちが勝利出来るよう全力で挑みますよ」

 弓弦が上手くまとめたことで、桃李くんの機嫌は回復しつつあった。ほっと息を撫で下ろしつつ、確かに今の私はfineに寄り添えていなかった、と反省した。紅月が勝てばドリフェス成功、だなんて、それこそ平等ではない。あんずが紅月をサポートするなら、私はfineのサポートに全力投球するぐらいの心持ちでいた方がいいのかも知れない。

 あんずと対決するわけではないし、これはあんずが企画したドリフェスだ。私が勝負を挑むなどお門違いであり、本当に『プロデューサー対決』をするならば、初めからそれ専用の舞台を用意しなければならない。
 ただ、桃李くんが言うように、私はあんずと勝負する気なんてないから、非現実的な話だ。でも、『負けたくない』という気持ちを持つのは、悪いことではない。そんな気がした。

「桃李くん、私もfineを全力でサポートするね」
「おや、寝返ったという話ではないのですか?」
「ちょっとゆづ……伏見! さっきと言ってる事違うよね!?」
「樹里さんこそ、『紅月に寄り添うことを言った』と仰っていましたから、少々驚きまして……」

 確かに、思考が二転三転している、というか人の言葉に惑わされ過ぎていて芯がしっかりしていないという自覚はある。でも、紅月には解散して欲しくないし、かといってfineが負け戦をするなんて、それは違うと思うのだ。
 思考がぐるぐるとする中、桃李くんがこっそりと弓弦に耳打ちするのが視界に入った。暗くて、弓弦がどんな表情をしたかは窺えなかったけれど、桃李くんの言葉に納得したように見えた。

 二人の様子を見つめる私に気付いた桃李くんが、今度は私の傍に来て耳元で囁いた。

「弓弦の言葉を聞いて、目が覚めたんでしょ?」
「目が覚めた?」
「ボクたちfineが勝利できるよう頑張るって」

 桃李くんの言葉に、私は恥ずかしさを覚えると共に自分が情けなくなった。これではまるで、自分の意思がなく好きな人の意思に従っているだけではないか、と。

「樹里?」
「あ、うん、そうかもしれない」
「さっきは恋人らしくない、なんて言っちゃったけど、ちゃんと想いが通じ合っているみたいで良かったよ」

 思いが通じ合っている……のだろうか。私が自分で考えることを放棄して、弓弦の意見に無意識に従っているだけなんじゃないか。
 前までは、白黒はっきりつける必要なんてない、灰色でいい、それで物事が円滑に進むなら――そう思っていたけれど、今のふらふらしている私は、本当にプロデューサーとして正しい道を歩んでいるのだろうか。

2019/09/14


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