Birthday



 桃李くんとあんずちゃんと一緒に計画した誕生日のサプライズステージも成功して、クラスでも生徒会でも部活でもお祝いして、更に有り難いことに桃李くんの計らいで、姫宮家でのお祝いにも顔を出させて頂いて。一年に一度の、特別な日。彼がこの世界に生まれた日に、こうして長い時間一緒に過ごせるなんて。なんて幸せなんだろう。幸せそうな彼をこの目に焼き付けて、充足感に満たされながら帰路を辿るのだ。
 そのはずだったのに。
 ここまで、求めてなんていなかったのに。




「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。樹里さんが嫌がることはしませんので」
「いやじゃない、けど……」
「本当に、ご無理はなさらなくてよろしいですよ。わたくしは、樹里さんとこうして一緒に居られるだけで幸せですから」

 弓弦は微笑みながらそう言って、私の髪を優しく撫でているけれど、本当にそうなのかな。だとしたら、それはそれで、私は結局女として見られてないってことじゃないのかな。
 というのも、今、私は――私たちは、弓弦の部屋でベッドを共にしているからだ。
 この状況下で手を出されないのも、それはそれでどうかと思うけど。


「そんなにわたくしの言葉が信用できませんか?」
「ちがう、そうじゃなくて、その……」
「急に泊まることになってしまったのですから、心の準備など出来ていなくて当たり前です。樹里さんも今日は疲れたでしょう、ゆっくりお休みになられてくださいね」

 まるで子供をあやすような声色で、本当に子供扱いされていると不貞腐れてしまいそうになったけれど、これも彼の優しさなのだろう。大体、弓弦だって疲れていると思うし。それに、弓弦の言葉が心からのものならば、それは私だって同じだ。私だって一緒に居られるだけで幸せだ。
 でも、今もやもやした感情が少なからずあるのは、幸せな日常に慣れて、いつの間にか傲慢になってしまったからなのだろう。




 部屋の灯は消され、カーテンで外の光が遮断されているこの部屋では、このまま眠りにつく以外に何もすることはない。

 本当は日付が変わるよりずっと前に帰るつもりだったのに、ついつい長居してしまった結果、いっそ泊まってしまえばいいと桃李くんが提案して、その流れで姫宮邸に一泊することになったのだけれど。
 いくら私たちの関係が桃李くん公認とはいえ、男女が共に夜を過ごすのはさすがにどうかと思うので、桃李くんの妹さんと一緒に寝るはずだった。それが、お風呂から上がったら、突然妹さんに一緒に寝たくないから弓弦の部屋に行けと言われてしまった。さすがに桃李くんの妹さんの命令とはいえ、それには従えず困り果てていると、痺れを切らされて無理矢理ここに連れて来られてしまったのだ。


「逆らわないほうが無難ですよ。坊ちゃまと違って攻撃的な御方ですから」
「そうは見えないけど……きっと私、何か嫌われることしたんだろうな」
「それはないでしょう。きっと、樹里さんがわたくしではなく坊ちゃまのことを愛していらっしゃるのではないかと疑って、あえて試されたのかと」
「ええ、そんな……桃李くんのことは大好きだけど、弓弦に対する好きとは違う種類だし」

 妹さんも難しい年頃だし、仕方ないのかも。とりあえず嫌われてないなら良いけれど。深い付き合いはないとはいえ、極力嫌われたくはない。はあ、と大きな溜息を吐けば、いつの間にか弓弦に抱き締められていた。

「お疲れ様です。わたくしとしては、思いがけないサプライズでとても嬉しいですけれど……樹里さんとしては気が気ではなかったでしょうね」
「私のことはいいけどさ、弓弦、嬉しいの? それなら良かった。迷惑だったらどうしよう、って――ま、待って、」

 耳元に唇をあてられて、ぞくりと背筋が震えて思わず目を閉じたら、今度は強引に口づけされて、って――自分勝手にしないで心の準備くらいさせて欲しいのに。でも、まあ、今日ぐらいは許してあげてもいいか……こちらが抵抗する余裕も与えてくれず、されるがままになってしまって、だんだん息が苦しくなって、意識が遠のいていく。

「ふふっ、樹里さんはいつも反応が初々しくて……つい、苛めたくなってしまいます」

 塞がれた唇が漸く解放されるや否や、物騒な言葉を発されて、つい逃げ腰になってしまった。抱き締め返すこともせず、目を逸らしてか細い息で呼吸を整えていると、弓弦はほんの少しだけ寂しそうに呟いた。

「冗談ですよ。樹里さんの嫌がることは、わたくし、したくありませんので」





 それから特に何もなく、今に至る。とりあえず二人してベッドに入ったものの、私はさっきの余韻で頭はろくに働かないし、理性と欲望が心の中で争っていて、正直、自分がどうしたいのかすら分からない。どうせ弓弦は、私が拒んだからこれ以上何もする気はないのだ。そう、私が拒んだんだから、こうなるのは当たり前なのに……。

「ねえ、弓弦。まだ起きてる?」
「ええ。樹里さんが寝るまで起きていますよ」
「疲れてない?」
「疲れていない、と言えば嘘になりますけど、何も出来ないほど疲れているわけではありませんよ。何なりとお申し付けください」

 またそうやって遠回しな言い方して。つまり、今すぐ寝ちゃいそうなほど疲れてるわけではない。って事は、私の我儘にも付き合ってくれるに違いない。
 でも、それって弓弦が望んでいることなんだろうか。私だけが弓弦を求めてて、弓弦は本当は疲れ果ててそんな気分にはなれなくて……ああ、だめだ。またマイナス思考になってしまった。
 このままじゃ、駄目だ。弓弦だって嫌なら嫌とはっきり言うだろう。

「弓弦」

 返答を待たずに、さっきの仕返しとばかりに弓弦の唇に口づけをして、思い切り抱き締めてやった。私だっていつも任せっきりじゃ駄目だ。たまには、ううん、これからはもっと尽くさないと。与えられることに慣れてはいけない。私だって、成長しないといけないのだ。

「弓弦。大好きだよ。いつも甘えてばかりでごめんね。でも、今日だけは……今日からは、弓弦が甘えられる存在になれるよう、頑張りたいの」
「……樹里さん」
「嫌? 嫌だったらやめる。けど、私も与えられてばかりじゃ嫌だよ。私だって、弓弦に尽くしたいんだよ」

 もしかしたらこういう女の子は好みじゃないのかもしれない。嫌われるのが恐い。でも、せめて今日くらいは、積極的になることを許して欲しい。

「ねえ、何か言ってよ」
「すみません、まさかそのように仰って頂けるなんて夢にも思っていなかったので、どうお答えしたらいいのか……」
「嫌なの? 嫌じゃないの? どっち?」

 素で戸惑っているような口調で、珍しいこともあるものだとつい責めるように言ってしまった。早く答えろとばかりに抱き締める力をほんの少し強めると、背中に弓弦の両手の感触を覚えた。ここに来て抱き締められた時よりも更に強い力で、逃がさないとばかりにぎゅうと拘束されて、思わず吐息が漏れる。

「嫌じゃないに決まってます。わたくし、こんなに幸せで良いのでしょうか。愛する主に仕え、それだけでも充分過ぎるほど幸せなのに。密かに恋焦がれていた方が、こんなわたくしを受け容れ、好きだと、尽くしたいと仰せになるなんて。夢でも見ているみたいです」

 真っ暗だし、強く抱き締められているものだから、その表情を窺うことは出来なかったのが悔しいけれど、その声は微かに震えていて、涙ぐんでいるようにも聞こえた。

「もう、弓弦は大袈裟なんだから。むしろ今の言葉、全部そのまま私が言いたかったくらいだよ」

 こんなに幸せになることなんて、求めてなんていなかったはずなのに。
 この幸せが少しでも長く続いて欲しいと願わずにはいられない。私の幸せが彼の幸せでもあるならば、彼のために。


Happy Birthday!
20171018



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