Dolce



 異国の地は胸が弾む反面、どこか心細い。言葉も殆ど通じないし、本当にひとりぼっちになってしまったと錯覚してしまうから。せめてあんずちゃんが一緒に来ていれば、どんなに心強かったことだろう。なんて、同じ立場の友人をすぐに当てにする甘え癖は、いい加減直さないと。

「おやおや? 随分と浮かない顔ですねえ〜」
「ひっ!!」

 目の前で幾多もの鳩がばさばさと羽搏いたかと思えば、それとほぼ同時に日々樹先輩が腰を屈めて私の顔を覗き込んで来た。その顔には笑みが浮かんではいるものの、こちらの心の中を覗き込んでくるような眼差しで、つい身構えてしまった。構えたところで、きっと全てを見抜かれているに違いないから、強がるだけ無意味なのだけれど。

「すみません、ちょっとホームシックに陥ってたみたいです」
「おや? 執事さんだけでは役不足ですか?」
「ち、違いますっ! 大体今回は仕事で来たんじゃないですか! 弓弦がどうとか今は関係ないですからっ!」

 そう、私達――というより、fineの4人は今、撮影の仕事で海外に来ている。私は本来一緒に来る必要はなかったのだけれど、生徒会長の好意で同行を許可された。表向きには『プロデューサーとしての勉強と社会経験』と説明してはいたけれど、本当のところは違うだろう。全く、余計な気を回さなくても構わないのに。まあ、会長の場合、気を回すというより『楽しんでいる』気もするけれど。





 撮影はスケジュール通り滞りなく、というより見積もっていたよりも早く終わった。異国の寺院を背景に、ステージ衣装とはまた違う、祭司のような服を身に纏った皆は本当に美しくて、改めて彼らと密接に関わることが叶ったのは奇跡なのだと思わざるを得なかった。

「皆さん、お疲れ様です! 予定より早く終わりましたよ!」
 撮影を終えたばかりの4人の傍に駆け寄ってそう言うと、桃李くんは満面の笑みではしゃいでみせた。
「えへへっ、そんなの当然でしょ? もっと褒めてもいいんだぞ!」
「桃李くんいつも一発OKだし、慣れてるだけあってさすがだね、えらいえらい」
「樹里さん、あまり坊ちゃまを甘やかさないでくださいまし」

 桃李くんの無邪気な姿につい頬を綻ばせていると、案の定弓弦から横槍が入った。別に甘やかしたつもりは一切なくて事実を口にしただけなのだけれど、いつもの事だ。口答えしても平行線だし、わざわざ異国の地で雰囲気を悪くするのも気が引ける。

「弓弦、ごめん――」
「おい奴隷! せっかく樹里に賛辞の言葉を述べることを許可したっていうのに、邪魔しないでよね!」
「賛辞は強制するものではなく、自然と言われてこそですよ」
「うるさ〜い! 弓弦どうせヤキモチ妬いてるんでしょ!? だったら弓弦も樹里に褒めて貰えばいいじゃん!」
「は? わたくしは称賛など特に求めてはおりませんが」

 私が折れれば解決したというのに、桃李くんが早速突っ掛かって、いつもの見慣れたやり取りが目の前で繰り広げられている。何も外国に来てまで喧嘩しなくても……と思うけど、そもそも彼らはプライベートでも海外に行ったりしているだろうし、私みたいに海を越えただけで瞳を輝かせる人間とは感覚が違うのだろう。

「二人とも、その辺にしておこう。樹里ちゃんも困ってるよ」
 こういう時、助け舟に出してくれるのは決まって英智さま――生徒会長だ。桃李くんは会長の言うことは絶対に聞くし、桃李くんの使用人である弓弦もそれに従わざるを得ないので、すぐに解決するから非常に有り難い。

「会長〜!」
「ふふっ、頑張ったね桃李。樹里ちゃんの言う通り時間も余っているようだし、一足早く観光でもしようか」
「やった〜! 会長と一緒にお出掛け〜!」
「その前に着替えて来ないとね。さあ、行こうか」

 まるで飼い猫のように会長に懐く桃李くんを見て和みつつ二人の背中を見送ると、またしても彼に驚かされる羽目になった。
「ひゃっ!?」
 今度は白い薔薇の花弁が舞い散り視界が塞がれた。一体どんな風にやってのけるのか。隣のクラスの逆先くんも魔法使いみたいだけど、その彼が慕う日々樹先輩も本当に魔法使いのようだ。

「日々樹さま。公共の場を散らかさないで頂きたいのですが」
「まあまあ、弓弦。たいした量じゃないし私が片付けるから」
「大体、樹里さんがいちいち反応するから、日々樹さまも面白がるんですよ」
「なっ、いちいちって、誰だって驚くから!」
「はいはい! お二人とも、痴話喧嘩はその辺にしましょうね〜」

 笑顔で手を叩く日々樹先輩を、つい睨んでしまった。喧嘩じゃないし痴話喧嘩って何だ。

「おや、お二人とも息ぴったりですねぇ」
「は?」
「同じタイミングで睨み付けてくるものですから……さて、私も彼らの後を追いましょうか。その前に――」

 日々樹先輩がそう言った瞬間、訝し気な顔をしている弓弦の手元に一輪の薔薇の花が出現した。出現、と表現するしかない。本当に魔法だ。弓弦は一瞬目を見開いたけれど、見慣れているからか至って平常心だ。

「その薔薇、妖精さんにお似合いだとは思いませんか? 執事さんに差し上げますよ」
「はあ……」
「私達もせっかくこういう衣装を着てますし、妖精さんにドレスでも着せても良かったんですけど」
「やめてくださいまし。まったく、樹里さんは日々樹さまのおもちゃではありませんよ」
「フフフ、では道化は退散しましょう! あとはお二人でごゆっくり!」

 そう言うと、日々樹先輩は桃李くんと会長の後を追った。お二人でごゆっくり、って。弓弦も撮影用の衣装を着ているし、撮影スタッフの人達も片付けに入ってるし、そういう訳にもいかないんだけど。

「どうやら、坊ちゃまも含めて皆さんに変な気を回されてしまったようですね」
「ああ、そういう事……別にそんなことしなくていいのにね」

 溜息を吐くと、同じタイミングで弓弦も溜息を吐いていて、思わず顔を見合わせて笑ってしまった。本当に、みんな余計なことをしなくていいのに。人目を憚らずそういうことをする訳にはいかないし。そういうことって、何、って感じだけど。いけない、変なことを考えてちょっと顔が熱くなってきた。

「ふふっ、もしかして照れていらっしゃるんですか?」
「そうじゃないって! もう、そういうこと言うなら弓弦のこと褒めるのやめた!」
「おや、褒めるおつもりだったのですか。それが分かっただけでも、弓弦は充分幸せですよ」
「またそういうこと言う……」

 意地悪そうな笑みを浮かべながらそんな風に言われたら、逆に褒め殺ししてやろうと我ながら捻くれたことを思い付いた。そう思って改めて弓弦の姿を改めて見遣ると、見遣ると……不覚にも見惚れてしまった。いつも見慣れているのに。色んな衣装も見てきたし、傍で色んな弓弦を見てきたし、何を今更って感じではあるけれど。

「……弓弦」
「はい」
「綺麗だよ」

 他に何か良い言葉があっただろうと思わざるを得ないし、案の定弓弦はぽかんとした顔をしている。とはいえ、私のこういう発言は日常茶飯事だから、弓弦も慣れているのかすぐに穏やかな微笑に戻ったけれど。それにしても、自分で言っておきながらおかしな話だけど……恥ずかしくてこれ以上言葉が出て来ない。その上、当の本人は黙り込んでいるし。もう、この沈黙に耐えられない。

「な、何か言ってよ!」
「いえ、樹里さんは本当に物好きだなと思いまして」
「どうしてそういうこと言うのかな。弓弦は自分のことを卑下しないで。それって、弓弦を好きになった私のことも悪く言っているようなものだからね」

 更に恥ずかしい台詞を言ってしまった気がするけれど、言ってしまったものは仕方ない。別に間違ったことは言ってない。本心だし。弓弦の前で取り繕ったって、どうせ本心は見抜かれてしまうのだ。それなら、素直になった方が良いに決まっている。

「本当に、あなたという方は……」
「な、何? 変なこと言ったつもりはないんだけど」
「……樹里さん」

 気のせいだろうか、弓弦はほんの少し照れくさそうに笑って、躊躇いがちに手元の薔薇を差し出してきた。棘が抜かれている白い薔薇だ。

「白い薔薇の花言葉をご存知ですか?」
「え? えっと、確か『純粋』とか、他にも色々あったよね」
「ええ。日々樹さまは人のことを実によく見ていらっしゃいますね」
「ああ、私にお似合いだとか何とか……全然違うと思うけど」

 その薔薇を差し出しているってことは、受け取れっていうことなんだろうか。とりあえず手を伸ばすと、弓弦の手がぴくりと震えた。受け取ったら駄目なのかな。やっぱり弓弦の考えていることは今でもよく分からないことが多い。手を止めて視線を薔薇の花から弓弦の顔へ移すと、その表情はいつもの余裕そうな感じではなくて、どこか不安げに見えた。

「弓弦?」
「樹里さん。わたくしは本当に、あなたにとって相応しい人間なのでしょうか」

 まだそんなことを言うのか。さすがに本気で怒りそうになったけど、弓弦に悪気がないのは分かっている。一体いつからだろう、こうしてたまに自信喪失するかの様なことを口にするようになったのは。まあ、考えたところで答えは出ないし、答えが分かっても分からなくても、私がすることはひとつだ。

「それは私の台詞。私なんかが弓弦に相応しいなんて思ってないよ。それでも、弓弦はこんな私のことを受け容れてくれた。だから、弓弦に相応しい人になれるように頑張ってきたつもりだし、まだ頑張ってる途中。だから」

 弓弦の手から薔薇の花を奪って、しっかりとその瞳を見つめて、笑顔を作ってはっきりと言ってやった。

「弓弦がなんて言おうと、誰がなんて言おうと、私は弓弦のことが大好きだから」


 どれくらい時間が経っただろうか。ほんの数秒だとは思うけど、随分と長く感じた。先程の不安そうな表情は何処へやら、弓弦はあたたかな微笑を湛えていた。衣装とか、周りの景色も相まって、なんだか神々しいものを感じてしまい、ただただ見惚れるしかなかった。男の人に綺麗って言うのは、相手によってはあまり嬉しくないのかもしれないけれど、少なくとも今この瞬間、彼を形容する言葉としては絶対に間違っていない。

「わたくしは本当に果報者です。愛する主人に人生を捧げるだけで幸せだったというのに……樹里さん、あなたという人が現れてから、更に生きる喜びを知ったのです」
「大袈裟すぎ。私は桃李くんと違って与えられてばかりで、弓弦に何も与えられてないよ」
「そんなことはありませんよ。樹里さんこそ、あなたのことが大好きであなたに相応しい人になる為に努力しているわたくしのことを、否定しないでくださいね」
「ううっ」

 鸚鵡返しされたらぐうの音も出ない。今更ながら気恥ずかしさで顔が熱くなって、視線を手元の薔薇の花に移して黙り込んでいると、弓弦は随分と上機嫌に言葉を紡いだ。

「本当は今すぐ樹里さんを抱き締めたくて仕方がないのですが、流石に人目がありますので自重しますね。格好も格好ですし。という訳で、名残惜しいですが着替えて来ますね」
「あ、そうだね、うん、桃李くんたちも待たせちゃってると思うし」
「二人っきりになった時、覚悟しておいてくださいね」
「はい!?」

 また変なことを言って! 変な声を上げてしまった私をよそに、弓弦は満面の笑みを浮かべれば背を向けて桃李くんたちの後を追って歩き出した。全く、私がリードしたいのに結局弓弦に引っ張られているし。
 それにしても、弓弦はどうして突然あんなことを言い出したんだろう。手元に残された白い薔薇をしまいつつ、日々樹先輩がばら撒いた花弁を拾い集めていると、白い薔薇の他の花言葉を思い出した。

『私はあなたに相応しい』――自分の発言を思い返して、あまりの恥ずかしさに一気に顔が熱くなった。彼に受け容れられてからというもの、私は随分と自信過剰になってしまったみたいだ。

2017/06/30



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