噛みしめる悪舌
コンパスがファウンデーションを訪れたその日の夜。王宮では、ラクス・クラインを歓迎するための宴が行われていた。豪勢な広間ではオーケストラの演奏が流れ、招待された要人たちは食事を味わいながら交流を深めている。広間の中心ではドレスを纏った男女が踊り、この瞬間だけを切り取れば、ファウンデーションは実に豊かな国だと誰もが思うだろう。
だが、現実は違った。ファウンデーション王国は貧富の差が激しく、貧民街が人の目に付かない場所に存在している。今日この日も、コンパスの来訪を狙ってデモが行われるところであったが、武装警察によって抑えられ、デモ隊の一部はその場で射殺されていた。
ファウンデーションの闇の深さに、コンパス一同はまだ気付いていなかった。
「貴国の御繁栄はかねがね耳にしておりましたが……」
ラクスは、アウラ・マハ・ハイバルの隣で雑談に興じていた。アウラの傍にはオルフェをはじめ、ブラックナイツの面々が護衛のように佇んでいる。だが、ラクスの目から見たら彼らは護衛というには自由奔放な子どものようで、とてもではないが大国の近衛師団には見えなかった。
「我が国は年齢や出身を問わず、優秀な人材を登用している。ナチュラル、コーディネーターに関わりなくな。すべて、オルフェの采配じゃ」
アウラがそう言ってオルフェを見遣ると、彼は軽く頭を下げた。そしてオルフェはラクスの傍まで来れば、柔和な笑みで片手を差し出す。
「一曲、お願い出来ますでしょうか? 姫」
「……喜んで」
ラクスはどこか夢心地の様子で、オルフェの手を取る。クラウディアは未だラクスと直接会話を交わすことは出来ずにいるものの、それを不満には感じていなかった。各々役目があり、今は自分たちに与えられた任務をこなすだけである。
いずれ、己たちは同志となるのだから。
クラウディアは心の中でひっそりとそう自分に言い聞かせれば、オルフェとラクスが広間の中心へと繰り出すのを、愛おしそうに眺めた。そんな視線を向けるのは、クラウディアだけに限らなかった。
ふたりが広間の中心に現れると、ここにいる招待客ほぼ全員が感嘆の声を上げた。
オルフェとラクスは躓く様子もなく、優雅なダンスを披露する。ふたりは今日初めて会ったにも関わらず、まるで運命の番のように息が合っていた。そう『創られた』のだから当然なのだが、それは一部の人間しか知らぬことである。
「わあ、ラクス様、綺麗……!」
まるで絵画のように美しい光景に、思わず感嘆の声を上げるクラウディアに、仲間たちも同意した。どう考えてもあのキラ・ヤマトよりも、オルフェのほうがラクスの相手に相応しい。ここにいるブラックナイツ全員がそう信じて疑わなかったし、この広間にいる招待客も同じことを思っているだろうと感じていた。
唯一、コンパス陣営を除いては。
クラウディアはひとつ気掛かりなことがあった。己たちが負けることなど絶対にないが、それでも情報収集はするに越したことはない。シュラとシン・アスカが手合わせをしていたあの時、明らかに己たちに疑いの目を向けていた者がいたことを、クラウディアは見逃さなかった。
「……ちょっと、探って来ようかな」
広間の隅で食事を堪能しているシン・アスカ、ルナマリア・ホーク、そしてムウ・ラ・フラガの三人に顔を向けてそう呟くクラウディアに、仲間たちは怪訝な顔を浮かべた。
「そんなことする必要ないだろ」
「……俺たちが『今』何かしても、どうせ作戦内容は変わらないし」
グリフィンとダニエルがそう告げるものの、思わぬ人物がクラウディアの背中を押した。女王アウラがクラウディアに微笑を向けて、頷いてみせたのだ。
「クラウディアも様々なことに興味を持つ年頃じゃ、好きにするが良い」
「えぇ〜、あんなのと絡んだって、クラウディアにとっては何の意味もないのに!」
納得いかないと声を上げるリデラードであったが、この場でクラウディアは声を出さずに思考を伝える。
『ムウ・ラ・フラガ。あの人何か勘付いてるみたい』
別に己たちの能力を知られたところで、それを証明する手段はない。作戦には何の影響もないだろう――それが大多数の仲間の意見であったが、シュラはクラウディアの意志を肯定した。
「クラウディア、行っておいで」
「ありがとう! 皆、行って来るね」
クラウディアは笑顔を浮かべて、アウラとシュラに頭を下げれば、すぐさまこの場を後にした。その後ろ姿を見送りながら、今まで黙っていたリューが、やはり怪訝な顔でシュラに訊ねる。
「良かったんですか、シュラ」
「クラウディアは人当たりが良いからな。彼女が上手く立ち回って奴らを油断させることも、作戦の一環と言えるだろう」
己たちが作戦に失敗することもなければ、負けることもない。とはいえ、作戦成功率を上げるために限られた時間で行動を起こすクラウディアを、シュラは評価していた。
「さて……私もクラウディアに倣ってみようか」
シュラの視線は、ひとり佇む敵国の少女――アグネス・ギーベンラートへと向けられていた。
シン、ルナマリア、ムウの傍まで来たクラウディアは、彼らの思考を読み取りながら様子を窺った。
「……どうもまともな軍隊には見えん、ってことだ」
「こんばんは」
「うわっ」
クラウディアに背後から声を掛けると、ムウは素っ頓狂な声を上げた。その後ろで、ルナマリアは呆れがちに溜息を吐き、シンは食事にがっついている。
やはりムウ・ラ・フラガはブラックナイツに疑いの目を向けていると分かり、クラウディアは疑惑を確信に変えた。この男も、いずれその存在を消さなければならない、と。
「クラウディア……だったわね。アウラ女王の傍にいなくていいの?」
別に疑っているわけではないものの、真っ先に疑問を投げ掛けるルナマリアに、クラウディアは微笑を湛えて頷いた。
「うん。無礼があったから謝りたいって言ったら、送り出してくれた」
その言葉に、要するにクラウディア以外のブラックナイツの面々は、無礼だと思っていないということではないかと、ムウとルナマリアは感じてしまった。とはいえ、ひとりでこうして己たちに会いに来ることを、他の仲間は快く思わないのではないかと思うと、クラウディアを突き放すのは違う。そう決めたルナマリアは笑顔で応じた。
「あなたみたいな子がいるだけ有り難いわ。あの時は、とてもじゃないけど『共同』作戦を行う相手に対しての態度じゃなかったし」
「やめろよ、ルナ」
いきなり間に割って入るシンに、ルナマリアは眉を顰めた。
「シン……まずは食べ終わってから喋ってよ」
「クラウディアは何も悪くないのに来てくれたんだ、ここであいつらの悪口言ったって意味ないだろ」
「それはそうだけど……」
散々恥ずかしい目に遭ったのはシン本人なのだから、少しくらい怒れとルナマリアは思ったのだが、当の本人は豪勢な食事にすっかり気を良くしているようだ。
「クラウディアはさっき謝っただろ。それより、あんたも共同作戦に参加するのか?」
口に含んだ食事を飲み込んだシンが訊ねると、クラウディアは肯定とも否定とも取れない態度で、首を傾げた。
「どっちだよ」
「私は戦いより救命活動のほうが得意だから、今回はとりあえず待機」
「成程、クラウディアらしいな。じゃあ俺たちと一緒に戦うことはないってことか」
「でも……」
シンの言葉にクラウディアが躊躇うように口を紡ぐと、ムウの顔色が変わる。明らかにこちらの出方を窺っている。クラウディアは考える素振りを見せたあと、小声で呟いた。
「……作戦が失敗して、ファウンデーションに住んでいる人たちに被害があれば……その時は、出る」
シンとルナマリアは互いに顔を見合わせれば、その表情を真剣な面持ちへと変えた。ミケール捕縛作戦はコンパス、ファウンデーション、そしてユーラシアの三つの陣営で行う段取りだが、ユーラシアはファウンデーションを警戒している。そもそもユーラシアの中ではファウンデーションの独立を認めていない者も多い。ゆえに、前線に出るのはコンパスがメインの予定である。
ムウは鋭い視線をクラウディアへ向け、問いを投げ掛けた。
「失敗、か。その可能性があるとファウンデーション側は踏んでるのか?」
「ううん。でも、『絶対』は有り得ないから」
成程、ファウンデーションの軍人として適切な回答だと、ムウはそれ以上追及はしなかった。
彼の疑念は晴れていないとは思うものの、取り敢えず共同作戦当日までに探りを入れられることはなさそうだと、クラウディアは安堵した。そして、改めてオルフェとラクスへと目を向けた。ふたりは完全に注目の的である。キラ・ヤマトはというと、ひとりで目立たない場所で佇んでいる。
心理戦は、とうに始まっていた。
「ラクス様、綺麗だなぁ。お話出来たらいいのにな……」
つい見惚れてそう零すクラウディアに、シンはやはりこの子は悪い子には思えないと感じ、明るく声を掛けた。
「共同作戦が終わったら、少しくらい時間取れるだろ。俺からも掛け合ってみるよ」
「こら、シン! あんたが勝手に決めることじゃないでしょ」
「いいだろ、別に。クラウディアは俺たちと仲良くやろうとしてくれてるんだしさ」
シンとルナマリアは、クラウディアから見る限り弟と姉のように見える。相性が悪いのではなく、喧嘩するほど仲が良いのだろう。そう思ったのも束の間、ルナマリアは突然顔色を変えて、席を外すことを一言伝えれば、この場を後にしてしまった。
クラウディアは行き先を目で追うと、その先にはキラ・ヤマトとアグネス・ギーベンラートがいた。ルナマリアか到着する前に、キラは何処かへ行ってしまった。
「コンパスの皆は、全員一緒に行動するわけじゃないんだね」
ぽつりと呟いたクラウディアに、シンはお前たちとは違うと言いたげに肩を竦めてみせた。
「子どもじゃないんだ、隊長だってひとりになりたい時があるだろうし……ってルナの奴、何しに行ったんだか」
その言葉に、ブラックナイツへの蔑視が含まれていると感じ取ったクラウディアは、少しばかり意地悪してやろうと、シンの手を取った。
「どうした?」
「私たちも踊らない?」
「へっ? い、いや、さすがに俺は場違いだろ」
「そんなことない。キラの代わりに前に出た時、格好良かったよ」
クラウディアは褒めるつもりで言ったのだが、シンはそれを『キラが舐められている』と感じ、顔を顰めさせた。そもそもクラウディアは「剣も使えないなんて、大切な人に何かあったらどうするのか」とキラを挑発して来たのだ。他のブラックナイツと比べて人当たりが良いから絆されていたが、結局はあいつらと同じなのだ。シンは今更そう気付き、クラウディアの手を解いた。
「俺はいい。ルナに見られたら何言われるか分かんねーし」
「ふうん。シンとルナマリアは付き合ってるの?」
「……そ、それは、あんたに関係ないだろ!」
真っ赤になるシンを見て、心を読まなくても分かるとクラウディアは苦笑してしまった。とはいえ、ダンスを断られてしまった以上、これ以上長居する必要もないと、クラウディアはふたりに向かって頭を下げた。
「突然押し掛けて失礼しました。シン、ルナマリアと仲良くね」
「なっ……」
そこできっぱりとそういう関係ではないと言わないあたり、ふたりは恋仲なのだろう。
己たちの作戦の成功は、ふたりの仲を『死』という形で奪うことにもなる。
これ以上肩入れしてはいけないと、クラウディアは早々に皆の元へ戻ったのだった。
クラウディアが皆の元に戻って来た時、シュラはそこにはいなかった。広間でアグネス・ギーベンラートとダンスを踊っていたからだ。
私はシンに断られたのに、シュラはあっさりと成功するなんて。
真っ先にそう感じたクラウディアは、その感情を自覚した瞬間、戸惑ってしまった。シュラは他の皆より優れているのだから、そんな風に思わないはずなのに。
クラウディアは心の奥底にもやもやとした、なんとも形容し難い感情が生まれていることに困惑していた。
そんな中、唯一クラウディアの心境を感じ取っている者がいた。イングリット・トラドール――オルフェに許されない恋心を抱く彼女だけが、クラウディアの変化に気付いていた。
宴が終わった後、王宮の兵舎に隣接している格納庫にて、クラウディアはシュラと共にモビルスーツのメンテナンスを行っていた。
どうしてアグネスをダンスに誘ったのか。クラウディアはシュラにそう訊ねたいものの、きみがシン・アスカを誘ったのと同じだと言われればそれまでだと、押し黙ることにした。
心理戦――オルフェがキラ・ヤマトを挑発していることは、クラウディアも察していた。というより、己たちアコード全員がそうだと言っていい。
同じように、シュラもコンパス陣営の心を乱すためにアグネスに接触し、クラウディアもシンに接触した。シュラは成功して、クラウディアは失敗した。ただそれだけの話なのだ。
「……シュラ、私、皆の元に戻るね」
「ああ。クラウディアが相当気疲れしているのは、私もよく分かっている」
尤も、シュラはクラウディアがアグネスのことで困惑しているとは気付いておらず、多くの人と接触して疲れただけだと察し、快く送り出した。
クラウディアが格納庫を後にすると、ひとりの人影が目に入った。
不審者――ではないはずだ。慎重に近付いていくと、そこには呆然と佇むアグネスがいた。
「アグネス……? どうしたの?」
クラウディアの声に気付いたアグネスは、恐る恐る顔を上げた。己よりもずっと大人っぽく見えるのに、今はまるで道に迷った子どものようだった。クラウディアは心を読もうとしたものの、アグネスの心の中はあまりにもぐちゃぐちゃで、どす黒い感情に引きずられそうになるほどであった。
只事ではない。クラウディアは咄嗟にアグネスの手を取り、彼女の目をしっかりと見つめた。
「私に何か出来ることはある? 『月光のワルキューレ』」
「あなた……!」
シュラだけでなく、この子も私の存在価値を認めてくれている。アグネスはこの時はじめてクラウディア・フォルトナーという少女の存在をしっかりと認識し、そして、弱々しい声で告げた。
「シュラに会いたい……」
ここで知らないと嘘を吐いて『意地悪』をすることは容易い。
けれど、今にも壊れそうなアグネスに、そんなことなど出来なかった。
そう感じたのは、クラウディア自身の優しさと、打算である。
何があったかは知らないが、ここで彼女を懐柔出来れば、作戦成功は更に確固たるものとなる。
「ちょうど良かった、シュラはこの先の格納庫でまだ作業してるよ」
「本当!? ありがとう、クラウディア!」
アグネスは今にも泣きそうな顔でそう言うと、クラウディアの手を解いて、格納庫のほうへ走って行った。
この後、アグネスがシュラと何を話し、何をしたのか、クラウディアの知るところではない。感じ取れた情報によると、キラ・ヤマトと仲違いがあったことだけは分かる。
泣いているアグネスに、シュラがどう接するのか――考えずとも自ずと答えが分かり、クラウディアは黒い感情に襲われていた。
どうして、こんな嫌な感情を抱いてしまうんだろう。
でも、シュラからアグネスに接触した以上、アグネスに危害を加えることは出来ない。
そんなことをしたら、シュラに嫌われてしまう。
シュラに嫌われたくない。
一体私はどうしてしまったのか。クラウディアは皆の元に戻るまでの間、不安に苛まれていた。アコードとは完璧な存在であり、こんなことで心を乱されるなどあってはならないのに。
『こんなこと』とは、一体何なのだろう。
シュラとアグネスが近付くことが、何故私は許せないのか。
クラウディアは答えの出ない問いを自らに投げ掛けていたものの、仲間たちの元に辿り着いた瞬間、思考を停止させた。
自分には大切な家族がいるのだ、余計なことに感情を乱される必要はない。そう思い、自らの心に蓋をした。イングリットが、自らもそうしたように。
深夜、王宮のとある一室にて。女王と側近しか立ち入ることの出来ない部屋で、クラウディアたちはアウラを囲んで佇んでいた。
「姫さま、綺麗だったね」
リデラードがアウラの膝にもたれ掛かりながら、うっとりとした瞳でそう言うと、リューもグリフィンもそれに続く。
「全くです。映像で見るよりずっと美しかったですね」
「それに、優しそうだった。まるで女神みたいだ」
リデラードと同様にアウラに身を委ねるダニエルも、否定することはなく、寧ろすべてを肯定するかのような優しい表情を浮かべている。
あたたかな空気に包まれる中、シュラはオルフェに問い掛けた。
「『感じた』んだろう? オルフェ」
「ああ……長い空白にも、全く損なわれていなかった……間違いなく、彼女は我々のものだ……」
彼女とは、ラクス・クラインのことに他ならない。クラウディアの知らぬところで、オルフェはラクスと接触していたのだ。
そう、作戦がすべて上手くいけば、余計な感情に乱されることはなくなる。クラウディアはアグネスのことをあれこれと考えるのは止め、今は己が為すべきことだけに意識を向けることに決めた。
だが、イングリットだけは、ラクスとの愛を確信するオルフェを受け入れることが出来ず、押し黙って俯いていた。彼女の苦しみに気付く者は、今はまだいない。
「ここまで長かったの。よう耐えた、皆……」
アウラが『子どもたち』に向けて、甘く囁く。
外見はアウラのほうが子どもに見えるものの、正真正銘、ここにいるアコードたちは、アウラが『創り出した』存在であり、彼女の子どもと称するに相応しかった。
「参ろう、子どもたちよ……新たな未来へ。そなたたちの運命のままに――すべて、はじめから決まっていた通りに」
作戦決行の日は近い。アウラは『母』として、歓喜の表情を露わにする子どもたちひとりひとりに優しい目を向け、微笑んだ。
「世界がそなたらを待っている」
それは、クラウディアにとっては祝福の言葉であり、同時に世界中の人間にとって、死の宣告であった。
2024/07/21
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