猫の目をして愚弄


 ファウンデーションの空に現れたミレニアムとアークエンジェルの二隻を、クラウディアは目を輝かせながら見つめていた。この日、ミケール捕縛のための共同作戦に合意した『コンパス』一行が、ついにファウンデーションを訪れるのだ。
 敬愛するラクス・クラインを乗せたミレニアムが、徐々にクラウディアたちのいる王宮へと近づいて来る。政府の要人とはまだ言えない立場のクラウディアが、ラクスとすぐに対面出来るわけではない。
 だが、それでも。この作戦が上手くいけば。
 ラクス様は、私たちの同志となる。
 そう信じて疑わないクラウディアは、湖に降り立ったミレニアムを視認すれば、これから訪れる輝かしい未来を思い描き、頬を綻ばせたのだった。





「そろそろ謁見も終わりかな」

 コンパスの面々と、ファウンデーション女帝、アウラ・マハ・ハイバルが謁見の間で対面を果たしている頃。クラウディアは宮殿の中庭で仲間たちと共に時間を潰していた。
 暇を持て余したシュラとリューが、手持ちのサーベルで軽く手合わせをはじめて、クラウディアたちはふたりの剣技をじっくりと見遣る。それは野蛮な戦いではなく、ひとつひとつの動きが美しい、さながら舞踏のようであった。
 己たちの能力があれば、誰にも負けることはないが、アコード同士で戦ったら勝敗は読めない。とはいえ、戦闘能力はリューよりもシュラのほうが上だ。アコードは皆優秀だが、その中でもシュラは特別だった。

『これから御客人をそちらに案内します』

 ふと、クラウディアの脳内に声が響く。声というより思念と称するほうが正しいそれは、イングリットから放たれたものだった。オルフェの秘書として、コンパス一行に宮殿を案内しているのだろう。

『了解』

 クラウディアはイングリットに対して簡潔にそう伝えたが、横でリデラードが目を細めて笑みを浮かべながら、ここにいる全員に対して訴えた。

『ねえ、ちょっとあいつらをからかってやらない?』

 手合わせを見守っていたグリフィンとダニエルが、リデラードに同調するように嫌な笑みを浮かべる。
 クラウディアも特に反論はなかったが、イングリットは立場上事を荒立てたくはないのではないかと、少しだけ気の毒に思ってしまった。



「彼らが我が国の近衛師団です」
「噂のブラックナイツか、彼らが」

 イングリットが連れて来たコンパス一行の中に、ラクスの姿はなかった。クラウディアが予め把握しているデータによると、この場にいるのはキラ・ヤマト、シン・アスカ、ルナマリア・ホーク、アグネス・ギーベンラート、そしてムウ・ラ・フラガの五人である。

『ラクス様いない、残念』
『クラウディア、そう焦るなって』

 つい心の中で愚痴を零すクラウディアに、グリフィンが同じ手段で窘める。
 それとほぼ同時に、シュラの剣先がリューのサーベルを襲い、弾き飛ばした。

「やれやれ、シュラには勝てませんねぇ」

 そう言ってあっさりと負けを認め、肩を竦めるリューに、クラウディアは労いの声を掛けた。

「リューだからここまで善戦したんだよ。ふたりとも強い」
「ふふっ、ありがとうございます」

 リューは穏やかな微笑を浮かべれば、シュラと顔を見合わせ頷いて、引き下がった。クラウディアがイングリットに向かって手を振ると、イングリットも苦笑しつつ軽く手を振り返す。
 キラたちから見て、クラウディアの仕草はまるで幼い子どものようで、近衛騎士とは思えない様子に早くも呆気に取られていた。
 そんなコンパス一行の胸中を知ってか知らずか、シュラは先程弾いたリューのサーベルを拾い上げれば、キラの元へ歩を進めた。そして、

「一手、御指南戴けませんか? ヤマト隊長」

 キラに向かってサーベルを差し出した。シュラは笑みを湛えてはいるものの、キラは彼が何を意図してこんなことを宣うのか、察することが出来なかった。感情を一切表に出さない、冷たい表情に見えたからだ。

「いや……僕は……」

 そもそも剣技を習ったことがないキラはやんわりと断るものの、グリフィン、リデラード、ダニエルが次々に小馬鹿にしたような笑みを浮かべて挑発する。

「へぇ? 剣が使えない隊長さんかい?」
「コンパスっての、案外大したことないんじゃない?」
「……それはこないだ実証したし」

 そして、お前も言えと言わんばかりに三人の視線がクラウディアに集中する。青褪めているイングリットの顔を見ると申し訳なく思うものの、仮にもコンパスの部隊の隊長ならば堂々とすれば良いのに、とキラ・ヤマトに対して不思議に思う部分もある。

「……コンパスでは剣の訓練はしないの? もし突然誰かが襲い掛かった時、生身でどうやって大切な人を守るの?」

 クラウディアは彼女なりに言葉を選んで発言した。馬鹿にするつもりではなく、モビルスーツに頼らなくては戦えないというのなら、いくらアコードではないとはいえ、ラクスに何かあったらどうするのだろうと思ったのだ。
 クラウディアの問いに、キラは俯いて押し黙った。キラとて生身で戦うことは出来る。だが、これから共同作戦を行う相手に暴力を振るうなど本末転倒である。
 一気に重苦しくなった空気に、耐えかねてイングリットが声を荒げた。

「御客人に失礼ですよ、あなたたち!」

 当然コンパス側も言われっぱなしではなく、耐えるキラに代わって名乗りを上げる者がいた。

「隊長! ここは俺が!」
「シン!」

 シン・アスカが前に出て、キラの代わりに手合わせをすると名乗り出た。キラは咄嗟に止めようとしたが、後ろに控えていたムウがキラに小声で告げた。

「……やらせてみろ」

 ムウの目的は、ブラックナイトスコードが何者なのか、その目で見極めることであった。彼の意図はクラウディアとて把握できたが、取り立てて気にすることはなかった。己たちは『いつも通り』でいれば良いだけなのだから。
 シンはサーベルを受け取れば、シュラとともに中庭の中心へと移動した。

「近衛師団長、シュラ・サーペンタイン」
「ヤマト隊のシン・アスカ!」

 互いに向き合い、張り詰めた空気に包まれる。

「始め!」

 そして、シュラとシンの手合わせが始まった。シンが先攻し、勢いよくシュラに斬りかかるものの、あっさりと躱される。すぐさまシュラが反撃し、シンは躱し切れずにサーベルで剣先を受けた。シンは何度もサーベルを振り被るも、シュラは顔色ひとつ変えずに僅かな動きで軽々と躱す。
 まるで、相手の動きを読んでいるかのように。
 事実その通りなのだが、当然、アコード以外の人間はそんなことなど知る由もない。
 シンがこれでとどめとばかりにサーベルを突き出すものの、シュラは宙を舞って跳躍し、シンの背後に降り立った。シンが振り返った時にはもう手遅れで、彼が手に持っていたサーベルは、シュラの攻撃によって弾かれ、地面に落ちた。
 間髪入れずに、シュラの剣先がシンの首筋に向けられる。

「くっ……!」

 クラウディアは見逃さなかった。コンパス一行の保護者のように見えるムウ・ラ・フラガが、護身用の銃に手を伸ばしているのを。
 これ以上はまずい。クラウディアは咄嗟にそう判断し、シュラに顔を向けた。

『シュラ、お疲れ様』

 クラウディアがここにいるアコード全員にそう伝えると、仲間たちもわざとらしく声を上げた。

「なんだよ、フリーダム・キラーも大したことないなぁ!」
「まあ、よくもったほうじゃない?」

 無論シュラとてシンをこの場で殺すつもりはなかった。クラウディアに止められずとも勝負は決まり切っていたし、リューのような善戦どころの話ではなく、今の気分を言葉にするならば『興醒め』である。シュラは落胆の溜息を吐けば、サーベルを下ろして呟いた。

「やはり、アスラン・ザラが最強か……」
「はぁっ!? 誰があんな――」

 怒りと羞恥で顔を真っ赤にして声を荒げるシンであったが、キラが咄嗟に止めに入った。

「やめろ、シン」

 シンは悔しそうに押し黙ったが、シュラはこれで終わるつもりはなかった。今度はキラに剣先を向け、無言で挑発する。
 それでも、キラは応じなかった。思わず前に出ようとするムウとルナマリアに向かって、何もするなと手を振る。
 まるで、お前たちブラックナイトの子どもじみた挑発に乗るつもりはない、とでも言いたげに。

「サーペンタイン団長、いい加減にしてください!」

 この場を収めたのは、他でもないイングリットであった。彼女がそう訴えたことで、コンパス一同は警戒心を解いたが、アコードの面々はイングリットの言葉に頷くことはしなかった。
 シュラはイングリットに応えることもせず、キラに鋭い視線を向けて告げる。

「世界を統べるのは、力のある者だけだ。お前にその力があるのか?」
「……そんな世界、人は望まない!」
「そうかな?」

 シュラは不敵な笑みを浮かべて思わせぶりに言えば、サーベルを鞘に納めて引き下がった。

「君の指揮で戦うのが楽しみだ」

 そう言いながらも、明らかに協力関係を結ぶ気のないシュラの言動に、キラはただただ呆然とするばかりであった。
 そんな中、キラの後ろで落ち込むシンにアグネスが呆れ果てた顔で苦言を呈していた。

「あんたって本当情けないわね! こんなことなら私が出れば良かった」
「やめてよ、アグネス」

 これ以上シンに恥をかかせるなとルナマリアが窘めると、その名前を聞いたシュラが、アグネスに向かって声を掛けた。

「アグネス・ギーベンラート――『月光のワルキューレ』か?」
「え? ……ええ」

 まさか自分の異名を知られているとは思いもしなかったアグネスが、戸惑いながら頷くと、シュラは微笑を浮かべてみせた。
 その態度に、アグネスが何を思い、シュラにどんな感情を抱いたのか。
 クラウディアは言葉に出来ないその感情を読み取ったものの、どう消化したら良いか分からなかった。
 ただ、心の奥がちくりと痛むような、今まで感じたことのない違和感を覚えていた。完璧なる存在のアコードが、何故こんな気持ちになるのだろう。
 仲間たちが小馬鹿にした笑みを浮かべながら中庭を後にする中、クラウディアは咄嗟にイングリットの元へ向かった。

「イングリット、ごめんね」
「はぁ……あなたにも苦労を掛けるわね、クラウディア」
「ううん、イングリットが一番辛いと思う」

 クラウディアはイングリットの立ち位置を理解していたし、計画を遂行するにあたって、コンパスと『形だけの』信頼関係を結んでおく必要があることを承知していた。尤も、他のアコードの面々にしてみれば、こちらが下手に出る必要はないと判断した上で挑発したのも分かってはいたが。要するに皆、浮足立っているのだ。
 ひとまず、クラウディアはキラの代わりにシュラの相手をしたシンに敬意を払おうと、彼に顔を向けて笑みを浮かべてみせた。

「シン、お疲れ様」
「あ? え?」
「クラウディア・フォルトナー。さっきはごめんね」
「いや、あんた……クラウディアは悪くないだろ……」

 困惑するシンに、クラウディアは更に言葉を掛けようとしたものの、リデラードから『早く来なよ』と催促が飛んで来て、これ以上留まるのは止めにした。
 コンパスの面々に向かって、クラウディアは礼儀正しく頭を下げた。

「先程は上官が失礼いたしました。先程のことは水に流して、今夜のパーティーは楽しんでくださいね」
「ありがとう、クラウディア」

 代表してキラが微笑を湛えて礼を述べると、クラウディアはイングリットと顔を見合わせて軽く頷けば、この場を後にした。
 未だ一同が個性的なブラックナイトに呆気に取られる中、ルナマリアがぽつりと呟いた。

「あの子は悪い子じゃないみたいね。何歳なのか分からないけど……」
「シンに惚れたんじゃない? あのクラウディアって子」
「アグネス、あんたねぇ……」
「駄目な男ばかり好きになる女っているじゃない」

 今度はアグネスが嫌な笑みを浮かべて、ルナマリアを挑発するように言い放つ。
 散々馬鹿にされているシン本人はというと、今ばかりはアグネスの言葉が耳に入って来なかった。
 あのクラウディアという少女に、かつて己が守れなかったステラ・ルーシェの面影を見たからだ。
 全く違う、赤の他人だというのに。そんな風に錯覚してしまうのは、クラウディアの見た目と釣り合わない幼い言動のせいだろうか。

 対するキラは、クラウディアに言われた言葉を心の中で反復していた。

 ――もし突然誰かが襲い掛かった時、生身でどうやって大切な人を守るの?

 そんな弱腰でラクスに何かあったらどうするのか――そう言われている気がして、キラは苦々しい表情で拳を握った。
 きっとクラウディアは悪い子ではない。ルナマリアの意見には同意するが、果たしてこんな状態で共同作戦は上手くいくのだろうか。キラはファウンデーションに来て早々、言い表せない不安に襲われていた。

2024/07/14

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