世界はいつでも私にやさしい


 C.E.74年。人類『ナチュラル』と、遺伝子調整により生み出された『コーディネーター』の対立から始まった戦争は、この年を以て終結した。しかしながら、地球と宇宙に築かれた居住区『プラント』双方に多くの犠牲をもたらし、復興は前途多難であった。
 戦争が終結しても、人々の争いは終わらなかったからだ。
 多くの命が失われても、人々は争いを止めず、平和が訪れる事はなかった。

 ファウンデーション王国の少女、クラウディア・フォルトナーは、そんな終わらない戦いに終止符を打つために生まれた――否、創られたひとりであった。



 宇宙空間に存在するコロニーは、地球とさして違いはなく、当たり前のように緑が生い茂り、人間がストレスを感じる事なく過ごせる環境であった。
 その中に存在する庭園の奥にある東屋にて。フードを目深に被り、書物を読み耽る青年の姿があった。彼の傍で、同じように顔を隠している少女――クラウディアは、椅子に腰掛けながら電子端末を熱心に見つめている。その端末からは、僅かな音量ではあるものの、女性の歌声が流れていた。クラウディアが歌手の動画を見ている事は、青年とてわざわざ見なくとも察せられたが、彼はそれを煩わしいとは思わず、寧ろ何処か心地良さそうに目を細めながら、手元の書物に目を落とし続けていた。
 傍から見れば兄妹か、あるいは十代の恋人同士か。関係性は不明だが、少なくとも赤の他人には見えない雰囲気のふたりの元に、複数の男が近付いていく。

「クラウディア」

 青年は読みかけの本を閉じれば、傍にいる少女の名を呼んだ。
 クラウディアも動画の再生を止め、端末の表示を消して鞄に仕舞い込んだ。
 大人たちはふたりの前まで来て立ち止まれば、リーダー格と思われる男が静かに囁く。

「タオ閣下の……?」
「よろしく。国防委員長」

 青年が頷いてそう告げると、目の前の男――ハリ・ジャガンナート国防委員長は、嫌な顔ひとつせず、若者ふたりに向かって手招きした。プラントの国防委員長、そして最高評議会議員を務める重要人物である。

「では、こちらに」

 クラウディアは青年と共にジャガンナートの後ろをついていく。先程の動画の音声はジャガンナートの耳にも届いていたらしく、彼は振り向いてクラウディアに問い掛けた。

「随分とラクス・クラインがお好きなようで」

 つい先程まで、『歌姫』ラクス・クラインの映像を見ていたクラウディアは、恥ずかしがる事もなく口角を上げて肯定してみせた。

「はい。作戦が上手くいけば、ラクス様にお会い出来ると思うと、ドキドキします」
「クラウディア。そういう時は『心が躍る』と言い換えた方が良い」
「どっちも変わんないよ、シュラ」

 青年――シュラ・サーペンタインに窘められたクラウディアは、納得いかないと頬を膨らませたが、追及するよりも先に足を止めた。待機させていた車に乗るよう促され、クラウディアは後部座席にシュラと共に乗り込み、話はそこで中断となった。
 ジャガンナートが助手席に座ると、車は目的地に向かって走り出した。

「さて……餌に食い付いてくれますかな、果たして……」
「食い付きますとも」

 ジャガンナートの問いに、シュラはきっぱりと答えれば微笑を零した。
 この作戦が上手くいけば、世界に真の平和がもたらされる――クラウディアは憧れのラクス・クラインの歌声を思い返しながら、期待に胸を膨らませていた。



 クラウディアが生まれ育ったファウンデーション王国は、元々はユーラシア連邦の一部に過ぎない南方の小国であった。だが、瞬く間にユーラシアから独立し、とてつもない勢いで目覚ましい発展を遂げて、いまや宇宙にも拠点を築いていた。
 他国はユーラシアの顔色を窺い、ファウンデーション王国を国家とは認めなかったが、ユーラシアに不満を持つ小国が声を上げるようになり、国勢は不安定になりつつあった。『ファウンデーション・ショック』と呼ばれる一連の流れは、明らかにユーラシア連邦を弱体化させるに至ったのだった。

 何故小国のファウンデーションがここまでの発展を成し遂げたのか。対外的には、宰相オルフェ・ラム・タオの力であるとされていた。前議長、ギルバート・デュランダルに才能を見出された存在として、その名は国外にも知れ渡っていた。
『デスティニープラン』――全人類の遺伝子を管理し、それぞれの職業、配偶者、すべてを決定する。そんなシステムを生み出し、計画したのは、デュランダルその人である。
 デュランダルが戦死し、デスティニープランは事実上消滅した。
 国外からは、そう思われていた。
 だが、デスティニープランは今の世界にこそ必要であると考える者は今でも多く、クラウディアがシュラと共に密談に応じたプラントの国防委員長、ハリ・ジャガンナートも、そのひとりであった。





「クラウディア、朗報だ。クライン総裁から共同作戦に合意するとの返答があった」

 ある日、シュラから報告を受けたクラウディアは、嬉しさのあまり平常心を保つ事など出来ず、その場で彼に抱き付いた。

「嬉しい……! ラクス様に会えるんだね、私たち!」
「喜ぶのは構わないが、作戦はまだ始まったばかりだ。気を抜くな」
「勿論、やるべき事はちゃんとやるよ」

 シュラは慣れているのか特に嫌がる事もなく、クラウディアの髪を優しく撫でながら言葉を紡ぐ。

「私たちに出来ない事など何もない。クラウディア、君はいつも通りの君でいれば良い」
「うん、そうする」

 シュラが何を云わんとするのか、クラウディアは理解していた。クラウディアもシュラも、言葉を交わさずとも意思疎通が出来、互いの考えも手に取るように分かる。そのように創られていた。

 クラウディアはシュラから離れれば、満面の笑みを向け、そして背を向けた。

「皆に伝えてこなくちゃ!」
「わざわざ出向かずとも、『今』伝えれば良いだろう」

 己たちは互いの思念を飛ばして意思疎通を図る能力を持っているのだから、言葉を交わす必要はない――シュラはそう思ったものの、クラウディアは振り返り、当たり前のように言ってみせた。

「でも、シュラは私に会いに来て、直接教えてくれた」
「それは……君の喜ぶ顔が見たかったからだ」
「私も同じ! リデルも、グリフィンも、リューも、ダニエルも、皆絶対喜ぶはず!」

 クラウディアは仲間たちの名を口にして笑みを浮かべると、再び背を向けてその場を後にした。
 その後姿を見守っていたシュラの傍に、クラウディアと入れ違いのように新たな人物が現れる。

「ふふっ、どうやら私はクラウディアに振られてしまったみたいだね」

 ファウンデーション宰相、オルフェ・ラム・タオが、穏やかな笑みを湛えながらそんな事を述べ、シュラは微かに眉を顰めた。

「御冗談を」
「分かっているよ。私にそんな気はないし、彼女も同じだ」

 オルフェはクラウディアがとりわけシュラに懐いている事を知っていたし、己たち『アコード』は家族同然であっても、仮にクラウディアが誰かと番となるなら相手はシュラを選ぶであろうと考えていた。無論、それはただの仮定に過ぎない。
 尤も、シュラはその点については気に留める事もなく、寧ろオルフェの冗談に眉を顰めてしまったのだが。

 オルフェは『コンパス』総裁、ラクス・クラインと結ばれる存在である。
 己たちと違い、そのように創られた存在なのだから。

 シュラが軽く溜息を零していると、ひとりの女性がロングストレートの青い髪を靡かせながら現れた。オルフェは彼女を一瞥すれば、残念そうに肩を竦めてみせた。

「イングリット、残念ながらクラウディアは行ってしまったよ」
「そうですか……あの子らしいですね」

 オルフェからイングリットと呼ばれた女性は、クラウディアの言動が想像出来てつい笑みを零した。嬉しさのあまり、居ても立っても居られず、オルフェと己の到着を待たずに仲間の元へ向かったのは、考えずとも分かる事であった。
 だがそれも束の間、イングリットの表情にすぐ陰りが表れた事に、オルフェもシュラも気付かなかった。
 イングリット・トラドール――オルフェの秘書を務める彼女は、密かに彼に恋心を抱いていた。だがそれは、許されない感情であった。アコードとしても、そして、己たちの計画においても。



 仲間たちの元へと辿り着いたクラウディアは、四人に向かって声を上げた。

「皆、もうすぐラクス様に会えるよ!」

 傍から見れば何の脈略もない言葉だが、それが何を意味するのか、四人は理解していた。

 ――ブルーコスモスの指導者、ミケールの捕縛に協力したい。
 ファウンデーション女王、アウラ・マハ・ハイバルより、世界平和監視機構『コンパス』のラクス・クライン総裁、およびプラント宛に申し出た内容である。
 コンパスは第二次連合・プラント大戦が終結した後に平和維持のため設立された組織であり、現在はテロ集団『ブルーコスモス』との戦いに明け暮れていた。
 その戦いを終わらせる為、ファウンデーションとコンパス、そしてユーラシアとも協力し、ミケール捕縛の共同作戦を行う。
 それが、『表向き』の作戦であった。

「クラウディア、本当!? やーっとその日が来たんだ!」
「うん、シュラが教えてくれた。私も皆と一緒に喜びたいって思って来た」

 真っ先にリデラード・トラドールが、クラウディアの傍に来て抱き付いた。外見も性格もまるで似ていないものの、年の近い姉妹か双子のように仲睦まじいふたりを、青年が呆れがちに見遣る。呆れているのはふたりに対してではない。

「ったく、シュラはクラウディアには甘いな。俺たちを差し置いて真っ先に教えるとはよ」
「クラウディアは国防長官の部下という立ち位置でもあるのですから、ごく自然な事です」
「それにクラウディアがこうしてすぐ皆に知らせに来るのは、シュラも分かっているはずだ」

 シュラへの文句を零すグリフィンに、リューが礼儀正しく冷静に告げる。ダニエルもやる気のない表情で、別に問題はないと付け加えた。
 とりあえずグリフィンの機嫌が良くなればと、クラウディアはリデル――リデラードの身体越しに声を掛けた。

「後でオルフェから正式に話がある。皆で頑張ろうね」
「当然だ。クラウディアがボケっとしてる間に俺たちが仕留めてやる」
「ふふっ、頼りにしてるね、グリフィン」

 クラウディアが笑みを浮かべて言うと、彼女の身体を拘束するリデルの腕が更に強まる。

「えー、クラウディア! アタシのことも頼りにしてよ!」
「勿論だよ、リデルも強い」
「とーぜんっ!」

 何も知らない者から見れば、十代の少年少女が雑談をしているに過ぎない光景である。
 だが、シュラやクラウディア、そしてこの四人は、ファウンデーションの近衛部隊『ブラックナイトスコード』であり、そして、コーディネイターを超える種『アコード』――アウラ・マハ・ハイバルによって創り出された生命であった。
 戦いの終わらないこの世界に、真の平和をもたらすために。

2024/06/08

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