Endlessness


 エルピス、そこは私たち人間が創造魔法で生み出した生物の実験場だ。私の生きる場所で、そして恐らくは、私が『星に還る』場所も、きっとこの地だろう。先の事なんて分からないけれど、私はここで役目を果たし、自らの生を終わらせるのだと思う。

 私たち人間は、この星を善くしていく使命を帯びて生きている。創造魔法で様々なものを生み出すのも、使命のひとつだ。けれど、皆が皆魔法に長けているわけではなく、『失敗作』も止めどなく生まれ続けている。
 ゆえに、私たち人間は『選別』を行う。
 とりわけ生物に対しては厳しい選別が為され、時間をかけて観察と研究が行われる。問題がないと判断された生物のみ適切な地へと放ち、そうでない生物は処分される。処分を行うのは私たち人間だ。自ら創り出した生物を、責任を持って処分する。それだけだ。

 当たり前の事をしている。それが星を善くする為の使命だ。違和感を抱くなどあってはならない。
 何故ならば、この世界の誰もが皆、この世の理を受け容れているからだ。
 理に反する事を口にしようものなら、たちまち危険視されてしまうだろう。この善き世界には不要な存在として。



 エルピスの入口にあたるプロピュライオンを抜け、芽吹の玄関からノトスの感嘆へと渡った先にある、汐沫の庭。そこにある研究施設『パンデモニウム』で私は研究員として――否、『獄卒』として働く事になった。この仰々しい肩書きはどうにかならないのかと思いはしたけれど、ここで働く同僚は皆同じだから受け容れるしかなかった。

 パンデモニウ厶は、『選別』の結果危険だと判断された創造生物のうち、まだ研究価値がある生物に限り収容する施設だ。要するに処分を免れた危険な創造生物の隔離場所で、私たち『獄卒』はそれらを管理し、研究材料として使う。
 エルピス全体が実験場なのだから、ここパンデモニウム以外にも気の滅入る施設はある。それこそ直接処分する『作業』を行うよりは、管理するほうがまだ良いのかも知れない。
 ただ、私の考えが所謂危険思想である事は自覚していた。だから、私のこの鬱屈した感情を誰かに打ち明ける事はせず、誰にも知られる事もなく、私はただ淡々と心を殺して日々を過ごしていた。私たち人間の為すべき事すべてが、この星をより善くする事に繋がっているのだと言い聞かせながら。

 そんな日々が少しずつ変わっていったのは、新しい同僚が入って来た事がきっかけだった。
 パンデモニウムの長官アテナ様の御子息、エリクトニオス。彼の話を同僚から聞いた私は、取り敢えず粗相があってはならないと、適度に距離を置く事とした。
 けれど、エリクトニオスと共に働いているうちに、鬱屈とした毎日は変化しつつあった。



「あのう、いったん休まれた方がよろしいのでは」

 一体いつ休んでいるのか、寧ろちゃんと睡眠を取っているのか心配になるほど、エリクトニオスという人は実に勤勉だった。巡り巡ってアテナ様の意に反する事があってはならないと、敢えて距離を置こうとしていた筈なのに、どういうわけか私は今、ふたり分のティーカップを持って彼に話し掛けている。

「ああ、もうこんな時間なのか」

 エリクトニオスは檻に囚われている創造生物から私へと視線を移すと、驚いたように目を見開いた。

「……それ、もしかして俺の分も、って事か……?」
「はい。失礼ながら、こうでもしないと休息を取らないのではないかと思いまして」

 まだ相手がどんな人物か分からなければ、私もこんな言葉は出て来なかったに違いない。彼は決して母親の立場に胡坐を掻くような人ではなく、それどころか私を含む他の同僚たちよりも、誰よりも真面目に研究に取り組んでいる。信頼出来る相手だと、ある程度の日数を経て分かったからこそ、この程度なら言っても大丈夫だろうと判断したのだ。

「……参ったな。こんな形で世話を焼かれるとは」
「世話を焼いてなんかいません。私も休む口実が欲しかったんです」

 そう言ってティーカップを差し出すと、エリクトニオスは苦笑しつつ受け取ってくれた。その場で飲むのも忍びないと、落ち着ける場所へ移動して、どちらともなく椅子に腰を下ろした。
 カップに注がれたお茶から漂う、レモンとシナモンの香りが鼻をつく。正直、彼の世話を焼くというより、この監獄のような職場でささやかな楽しみを自分なりに見つけ出しているといった方が正しい。自分ひとりで飲んでも良かったのだけれど、エリクトニオスがまだ研究に没頭しているのを見掛けてしまっては、私だけ息抜きするわけにはいかないと思っただけだ。

「エリクトニオス様は、ここでの生活には慣れましたか?」
「ん……あ、いや、様なんて付けなくてくれ」

 一瞬喉に詰まったのか、軽く咳払いをしてエリクトニオスはそう告げた。アテナ様の御子息であれば『様』は必要だと思ったのだけれど、かえって迷惑だったみたいだ。今の口振りを鑑みれば、特別視をされるのは嫌なのだと分かる。

「分かりました。……エリクトニオスは、私たちよりずっと真面目に研究に勤しんでいますよね」
「……さっきの質問はどこに行ったんだ?」
「多分もう慣れただろうと考え直しまして」

 本人がどう思っているかはさておき、私たちから見ればエリクトニオスは、もっと前から獄卒として働いている私たちより、遥かに獄卒の見本たる態度で研究に打ち込んでいる。どちらが先輩なのか分からないほどに。
 けれど、エリクトニオスの答えは意外なものだった。

「……いや、そうでもない。これでも、親の七光りだと言われないよう必死だ」
「そんな事を言う人はいませんよ。くだらない嫉妬をしている暇があるなら、仕事をしろという話ですし」
「ははっ、プラクシテアがそこまで言うなら信じるしかないな」

 今度は私が驚く番だった。思わずティーカップを落としそうになって、慌てて片方の手で底を押さえた。

「大丈夫か? プラクシテアこそ疲れてるんじゃ……」
「いえ。まさかエリクトニオスが私の名前を知っているとは思わなかったので、驚きました」

 真面目にそう答えた私に、エリクトニオスは暫しの間を置いて笑い出した。

「……私、何かおかしい事を言いましたか?」
「あはは……いや、同僚の名前も覚えられないと思われていたなら、少し心外だ」
「そんな事は! だって、私たちろくに喋った事もないじゃないですか」
「それでも、一緒に働く仲間の顔と名前くらいは覚えるだろ」

 当たり前のようにきっぱりとそう告げるエリクトニオスに、私は自分が彼に対して勝手に遠慮していた事を恥じた。
 アテナ様が背後についている事は、きっと彼にとっては光栄であると共に重荷でもあるだろう。私は先程、エリクトニオスの事を悪く言う人はいないと断言したけれど、それは私が他人の噂話をシャットアウトしているだけで、実際は心無い事を言っている人や、あるいは口には出さなくてもそう思っている人もいるのかも知れない。
 だからこそ、エリクトニオスは誰よりも勤勉に取り組んでいるのだ。自分の為というよりも、母に迷惑を掛けない為に。母の期待に沿う為に。

「私、影が薄いから覚えられてなくても仕方ないって思ってました」
「いや、十分濃いぞ」
「それ、褒めてます……?」

 エリクトニオスは、私たちと変わらない獄卒だ。

 彼と共に過ごす事で、本来は処分される筈だった危険因子を持つ創造生物の世話や研究も、鬱屈した思いでやるのではなく、これが自分たちの為すべき事だと前向きに取り組む事が出来るようになった。当の本人は気付いていないかも知れないが、少なくとも私や、私と仲の良い同僚たちは、誰もが皆そう思っていた。





 そんなある日、用があってパンデモニウムの外を出て、エルピス内を歩いていると、突然声を掛けられた。
 相手はヘルメスという名の、エルピスの所長だった。いずれは十四人委員会のファダニエルの座に就くであろうと言われている優秀な人だ。



「私、たまに思うんです。私たち人間が創造生物の選別を行っていますが、もしこれが、逆の立場になったら……」

 ヘルメスに「選別の結果、処分される創造生物の事をどう思うか」と訊ねられ、下手な事は言えないと模範回答をしようとしたものの、つい口が滑って本音を漏らしてしまっていた。

「……プラクシテア、君は……」
「あ、いえ! 例えですよ? 決して使命に背くわけではありません!」

 所長経由で私が危険思想を持っていると多くの人に知られたら大変だ。ヘルメスの言葉を遮って、自分は皆と同じ思想だと主張しつつ、なんとか言い訳を考えながら言葉を紡いだ。

「私、パンデモニウムで処分を免れた創造生物の面倒を見ていますが……ある日突然檻から飛び出して、私たちに歯向かって来たら……と想像する事があるんです。彼らにも意思があるのだとしたら、人間の事はさぞ許せないだろう、なんて……」

 ……駄目だ。今の私はさぞ頬が引き攣っているに違いない。これ以上余計な事を話したら、取り返しの付かない事になる。ヘルメスは何か言いたそうな顔をしていたけれど、私はこれ以上墓穴を掘る前に退散する事にした。

「ヘルメス所長、世迷言を言ってしまい申し訳ありません。パンデモニウムではとても充実した日々を送っておりますので、私の事はどうぞお気になさらず」

 果たして、ヘルメスという人としっかり向き合っていれば、いずれ訪れるこの星を破滅へと導く災厄は免れる事が出来たのか。いざその時が来て後悔したところで、私に運命を変えるような力などない以上、きっと何をどう足掻いても、どうにもならなかったのだ。



 このままそれなりに平和な日々が続いていく。私が人として星の為に為すべき事をやり遂げて、星に還るその日まで。
 そう思っていたものの、平穏は突然崩壊の予兆を見せた。
 長官のアテナ様が星に還り――否、突然死んだというのだ。理由はただの獄卒である私には分からなかった。ただ、後任として十四人委員会のラハブレア様がその地位を引き継いだ事で、パンデモニウムという研究施設自体は、つつがなく機能を維持し、エルピスが混乱に陥る事はなかった。

 長官の後任がラハブレア様となった事に、獄卒長など誰からも反対意見が出なかったのには理由があった。アテナ様とラハブレア様は婚姻関係にあったからだ。今更ながらその事を知った私は、当然反対せずに受け容れた。子息であるエリクトニオスも、当たり前のように私たちと同じ気持ちだと思っていた。思い込んでいた。



「俺の前であいつの話はするな」

 ラハブレア様の話題を出した瞬間、エリクトニオスは怒気を孕んだ声でそう言い放って、私はそれ以上何も言う事が出来なかった。彼が怒ったのは、多分これが初めてだと思う。

「……母が死んだのはあいつのせいだ。悲しみもせず、黙って長官を引き継いで……」

 そうとは限らない。表に出さないだけで、ラハブレア様も悲しんでいるだろう。
 心の中ではそう思っていても、それを今エリクトニオスに言うのは憚られた。
 彼は決して感情論でものを言う人ではなかったと私は思っているし、ここまで拒否感を示すのには必ず理由があるはずだ。なにより、これまでエリクトニオスの口からアテナ様の話は出て来ても、父であるラハブレア様の話は出て来た事は一度もなかった。

 家族間の事に他人が口出しする権利はないし、私としても事を荒立てる気はなかった。アテナ様を喪った悲しみは、私たちより実の息子であるエリクトニオスが一番辛いのは明白だ。ならば、私たちは同僚として彼を支えるまでだ。
 ただ、私にしてみれば、ラハブレア様はアテナ様の意思を引き継ぎ、責任を持ってこのパンデモニウムを管理しているように見えた。獄卒長たちからの信頼も厚く、だからこそエリクトニオスは遣り辛いのではないかと心配するほどに、パンデモニウムは問題なく回っていた。



 既にこの時から崩壊は始まっていたのか、あるいは、もっと前からなのか。
 私に知る由はないけれど、その日は突然訪れた。

「大変だ!! 創造生物が檻から脱走した――」

 檻に閉じ込めているのは、人間に害を為すと判断された生物だ。そんな危険な生物が檻を破ったとなれば。


 ――ある日突然檻から飛び出して、私たちに歯向かって来たら……と想像する事があるんです。彼らにも意思があるのだとしたら、人間の事はさぞ許せないだろう、なんて……。


 かつて自分がヘルメスに告げた世迷言が脳裏にこだまする。
 必死で魔法を駆使して、暴れる創造生物の対処を始めたけれど、私たちが先に力尽きるのは時間の問題だった。どうして突然こんな事が起こったのか。今は考えても分からないのだから、今は目の前の非常事態に向き合うしかない。危険生物を外に放つわけにはいかない以上、パンデモニウムは閉鎖されている。つまり、私たちは逃げられないという事だ。

 誰が無事で、誰が犠牲になったのか分からない。同僚たちの叫び声が耳に飛び込んで来て、もう駄目だと覚悟するしかなかった。私たちが犠牲になるしかない。
 きっとラハブレア様が対処してくださるとは思うものの、それまでに自分たちが生きている保証はない。まさか、アテナ様もこんな形で死に至ったのか。

 私たち人間が星に還るのは、人としての責務を全うした時で、自らそれを選ぶのだ。私たちの命は、決して他者から奪われるものではない。
 けれど、私たち人間は、これまで何の疑いもなく、創造生物の命を奪って来た。
 私の訴えが、彼らに届くわけがない。

「エリクトニオス……無事でいて……」

 双眸からは涙が零れ、わけがわからない状態でひたすらに魔法を唱えていたけれど、ついに力尽きて――私の記憶はそこで途切れた。これではまるで、私たちが『処分』して来た生物と同じだ。これが『星に還る』事なのか。私の問いは、最早誰にも届かない。

2023/05/27

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