愛シキモノタチヘ IV
 ユキヤとアヤノが独自で動く中、移動砲台『カンタベリー』は徐々にヴァイスボルフ城へ接近し、更には聖ミカエル騎士団が各エリアから続々と城壁を乗り越えつつあった。
 敵襲はナイトメア部隊だけではない。歩兵部隊も続々と司令塔へと向かっていく。その姿を映像で捉えたwZERO司令室にも緊張が走る。
 このままでは、停戦交渉など不可能である。それほどまでに、wZERO部隊は追い込まれていた。

 一方、リンネの戦いの舞台は司令塔の傍へと移りつつあった。シンが司令室を落とすため、司令塔へ向かったからである。
 リンネ、リョウ、アシュレイが続々現れる聖ミカエル騎士団を食い止めようとする中、アキトは必死でアレクサンダ・リベルテを操り、シンを追い掛けた。

『死ね……』

 シンに与えられた『呪い』の影響か、アキトはコックピット内でぽつりと呟く。それと同時に、ヴェルキンゲトリクスが司令塔の頂上に着地した。その振動が司令室内にも響く。
 更にシンは、ヴェルキンゲトリクスでアックスを振り上げれば、司令塔に向かって振り落とし、すさまじい衝撃を与えた。
 それによって、高高度観測気球との信号が途絶し、司令室の機能の一部が停止に陥った。
 シンは司令塔を破壊するため、猛攻を続ける。正気を取り戻したアキトは、シンを止めるべく跳躍して、ヴェルキンゲトリクスに襲い掛かった。

『やめろ!!』

 だが、シンはアキトの繰り出したブレードを容易く弾く。火花が散る中、シンはアキトに言い放った。

『愚か者は……死ねばいい!!』
『嫌だ!!』

 今度は呪いの言葉を跳ね除けて拒絶するアキトであったが、ワイヴァン隊だけではすべての聖ミカエル騎士団を食い止める事は出来ず、未だwZERO部隊が圧倒的に不利な状況であった。

***

 その頃、ハメル率いる部隊は『カンタベリー』への攻撃を続けていたが、今だ破壊には至っていなかった。

「くっ!! 近過ぎる!! 距離を取れ!!」

 ハメルが苛立つ中、突如通信が入る。ここにはいないはずの少年の声であった。

『違うよ』
「!? 成瀬少尉……!?」
『でかい相手は近付いて死角に入り込まないとね』

 ハメルはユキヤのアレクサンダ・ヴァリアントがいつの間にか背後にいる事に気付いた。だが、ハメルが状況を認識するより先に、ユキヤはカンタベリーに向かってアレクサンダを一気に加速させた。
 ユキヤは難なく迎撃を躱せば、カンタベリーの真下へとアレクサンダを滑り込ませた。カンタベリーの下部に銃口を向け、そして。

『……バイバイ』

 ユキヤが引き金を引くと同時に、カンタベリーはとてつもない威力で爆発した。
 ユキヤの搭乗するアレクサンダ・ヴァリアントを巻き込んで。

「ユキヤー!!」

 ハメルの叫び声は、ユキヤには届かなかった。

 リンネが今この瞬間も戦場で戦っている事は、ユキヤもシステムで把握していた。だからこそ、命を懸けてこのミッションを成し遂げてみせたのだ。
 死ぬのは恐くない。これは己にしか出来ない事で、仲間たちが――リョウが、アヤノが、そして愛するリンネが、笑顔で生きていける世界を守れるなら、自分の命を犠牲にしたって構わなかった。
 それは、スマイラス将軍誘拐作戦の際、初めて日向アキトと対峙した時から、何も変わっていなかった。ユキヤはいつだって、仲間のためなら命を捨てる事を厭わなかった。

***

 時を同じくして、リンネは司令室に向かおうとするミカエル騎士団をせき止めるべく、離れた場所からミサイルを放っていた。撃ち漏らしたナイトメアはリョウとアシュレイが近接攻撃で狩ってくれてはいるが、一体どれだけの数がいるのか、倒しても倒してもナイトメアが現れる状態であった。

「ああ、もう! しつこい!!」

 リンネはらしくもなく苛立ちを露わにし、通信で聞こえて来るリョウとアシュレイの声も、いつにも増して怒りを露わにしていた。

『野郎!! これ以上近付けさせるかよ!!』
『うじゃうじゃ来やがって、ぶっ潰してやるぜ!!』

 これは、決して戦況が不利で切羽詰まっているのではない。
 ブレイン・レイド・システムによって、シンの『死ね』という言葉に反応して暴走しかけているアキトの精神に呼応し、リンネたちも影響を受けているのだ。

***

 ワイヴァン隊の異変は、司令室でも察知していた。幸い、ブレイン・レイド・システムはシンによって破壊されてはおらず、モニタリングを続ける事は可能ではあった。ただ、明らかにいつもとは違う異常が発生していた。

「アキトの脳波動にスパイク発生! 波動の共鳴です!」
「ヒュウガ大尉に、佐山、久遠、アシュレイが完全同期しています!」
「BRSの稼働率は!?」
「あっ!? ――300%を超えています!」

 異常値を叩き出したのを、司令室の皆が認識した瞬間。
 現実では、有り得ない事態が発生した。

 司令室の真上で戦っていたアレクサンダ・リベルテとヴェルキンゲトリクスが、突如として消えた。
 高高度観測気球のシステムがダウンしても、センサーだけで敵の位置を計測する事は可能である。全てのシステムが落ちている事は考え難い。つまり。

「……アキトが消えた!?」

 物理法則を無視した有り得ない事態に、レイラは呆然とした。なにせ、存在が消失しても、ブレイン・レイド・システムではアキトの脳波をモニタリング出来ているのだ。
 レイラは気を取り直して、オペレーターのサラに向かって叫ぶ。

「サラ! アキトと敵ナイトメアの座標は?」
「ロストしました! 急に……シグナル消えました!」

 サラの隣でオリビアも苛立ちの声を上げる。

「どうしてよ! こんな時に……」

 聖ミカエル騎士団の歩兵部隊が間もなく司令室目掛けて襲撃するであろう事は想像に容易く、皆が混乱に陥る中。ブレイン・レイド・システムを開発したソフィ・ランドルが、真実へと辿り着いた。

「脳波動の共鳴が、時空間に干渉している……これは……特異点!?」

***

 突然アキトとシンが消失した事は、リンネもその目で捉えていた。一体何が起こったのかは分からない。けれど、アキトは『いる』。この瞬間も、生きている。ブレイン・レイド・システムで精神が繋がっているリンネには、それが分かった。きっと、リョウもアシュレイも。
 リンネはアキトが戻って来るよう、必死で訴えた。

「アキト!」

 それに呼応するように、リョウとアシュレイもアキトの名を叫ぶ。それだけではない。アヤノと、そしてユキヤも叫ぶ。
 今この瞬間起こっている超常現象が何なのか、リンネがその答えに辿り着く事は出来なかった。今出来る事は、アキトをこの世界へ連れ戻す事だけである。

 果たしてアキトとシンが消えていたのは、夢だったのか。

『兄さん! 思い出せ!』

 突然アキトの声が聞こえ、リンネは我に返った。
 夢でも見ていたのだろうか。司令塔の頂上で戦闘するアレクサンダ・リベルテとヴェルキンゲトリクスを目の当たりにしたリンネは、一体何が起こったのか理解出来なかった。
 やがてふたりは司令塔から離れ、ヴァイスボルフ城の敷地から飛び出して、生い茂る森へと移動していった。

「司令室を狙っていたのに? どうして……」

 シンがヴァイスボルフ城を放棄した、と見做して良いのだろうか。リンネだけでなく、目の前の聖ミカエル騎士団も困惑しているようだ。
 そんな中、突然リンネの背後で大きな爆発音がした。
 即座に見遣ると、かつて司令塔だった場所が爆発を起こしていた。ちょうど、司令室のあった場所である。

「そんな……」

 聖ミカエル騎士団の襲撃なのか、あるいは。どうか皆、脱出していて欲しい――リンネが心からそう願った瞬間、コックピット内に通信が届く。レイラではなく、副司令のクラウスからであった。

『あー、聞こえるか』
「こちら久遠です! 中佐、ご無事ですか!?」
『全員無事だ。あちらさんと停戦交渉が成立して、司令室を放棄したところだ』
「本当ですか!? 良かった……」

 一体いつの間に。事情を知らないリンネはただただ驚いたが、恐らくはレイラと、シンではない別のリーダー格との間で話が付いたのだろう。
 咄嗟にリンネは、リョウとアシュレイに叫んだ。

「リョウ! アシュレイ! ここは私に任せて、アキトを助けて!」
『おう! お前はユキヤの所に行ってやれ!』
『シャイング卿は俺たちが止める! リンネ、お前は休んでな!』

 ふたりともそう言い切れば、アキトを助けるべくアレクサンダを走らせた。リンネはふたりを見送ると、目の前にいる聖ミカエル騎士団――恐らくは呆然としているであろう、ユーロ・ブリタニアの軍人たちに通信で声を掛けた。

「停戦交渉が成立したと、我々の司令官より伝達がありました。我々はもう、戦うつもりはありません。こんな無意味な争いをする必要は、もうありません!」

 本来ならリンネがそう主張したところで、敵の言葉など信用出来ないと無下にされるところだが、どうやら聖ミカエル騎士団の元にも上官から伝達があったらしい。敵のナイトメアが、構えていた武器を次々と下ろしていくのを見遣って、リンネは胸を撫で下ろした。

「私はこれから仲間の元に向かいます。どうか皆様も、傷付いた仲間を助ける事を第一に動いて頂きたいです」

 先程まで殺し合いをしていた相手にこんな事を宣うなど、綺麗事にも程があるが、そうは言ってもリンネは侵略された側の立場である。とはいえ、これ以上説教じみた事を言っても意味はない。早速リョウの助言通り、リンネがユキヤの元に向かおうとした瞬間。

『リンネ! お待たせ!』

 思い掛けない人物の声が通信で届き、リンネは一気に表情を綻ばせた。

「アヤノ!!」
『聞こえたよ、停戦になったんだね』
「うん! 司令が上手くやってくれたみたい」
『了解。それじゃ、行くぞ!』

 一体どこに行くのか、とリンネが首を傾げたのも束の間。
 リンネの元に一機のアレクサンダが舞い降りた。ピンク色のカラーリングが為されたそれは、アヤノの専用機に他ならなかった。

『ちんたらするな! ユキヤを助けに行くぞ!』
「えっ!? アヤノ、ユキヤは何処にいるの?」
『あたしを置き去りにしたリンネは何も知らないだろうけど』
「置き去りって……ユキヤの傍には誰かがいないと駄目でしょ!?」

 なんという言い掛かりかとリンネは眉間に皺を寄せたが、アヤノはお構いなしに再びアレクサンダを走らせた。恐らくは、アヤノの後を付いて行けば、ユキヤの元に辿り着けるのだろう。司令室が爆破された今、皆がどこにいるかリンネには分からず、アヤノについていくしかなかった。

『はぁ……あたしってば、本当損な役回り』
「アヤノ? どういう意味?」
『ううん。リンネには関係ない話』

 ユキヤから鈍いと言われていたアヤノであったが、自分が密かにアキトに恋をしていて、その恋が実らない事くらい悟っていた。
 アキトの心の中には、既にレイラがいる。そういう現場を見ずとも、自ずと分かるものなのだ。

 リンネが戦っている間、アヤノはユキヤの指示で『アポロンの馬車』の格納庫へと向かい、それを奪おうとしていたシンの部下のジャン・ロウを止める事に成功していた。
 ジャン・ロウも、シンを愛しているからこそ、彼の凶行を止められなかった。
 けれど、それは愛じゃない。
 愛しているなら、愛する相手が間違った事をしていたら、止めないと駄目だ。
 アヤノの訴えがジャンに届いた事で、アポロンの馬車がブリタニアの首都ペンドラゴンに放たれる事はなくなり、結果的にアヤノは密かに世界大戦を防いでいたのだった。



 アヤノと共にユキヤの元に辿り着いたリンネは、ハメルから経緯を聞いて絶句した。
 ユキヤはカンタベリーを止めるため、自らの機体が巻き込まれる事を覚悟のうえで突撃し、カンタベリーごと爆発したのだという。
 けれど、ユキヤのアレクサンダは損傷しながらも辛うじて残存していた。
 コックピットが無事なら、生きている可能性はある。ショックを受けている暇はない。

「アヤノ、お願い! ユキヤのコックピットを……」
『リンネがやらなくていいの?』
「遠距離特化に改造されたから、近接武器がないの」
『へえ、了解。リンネも色々頑張ったんだね』

 さりげない言葉でも、自分の頑張りをアヤノに認めて貰えた事が、今のリンネは嬉しかった。アヤノがソードでコックピットの上部を斬り、中にいるユキヤの無事を確認する。

『リンネ! 降りるよ!』
「分かった! ハメル少佐も……!」
『ええ、お二人が来てくれて助かりました』

 アヤノと共にリンネもアレクサンダから降り、ハメルもふたりの臨機応変な行動に安堵しつつ、不慣れなアレクサンダから降りて、三人でユキヤの元に向かう。
 コックピット内を覗き込むと、ユキヤの身体から血が流れていた。本来ならば安静にしていなければならないのだから、無理もない。

「ユキヤ! ユキヤ……!」

 もうあんな思いはしたくない。折角助かった命を無駄にするなんて許さない。リンネの双眸から瞬く間に涙が溢れ出る。涙の雫が、ユキヤの頬に当たった瞬間。

「うう……」

 くぐもった声を漏らしながら、ユキヤがゆっくりと目を開けた。当然無事ではないものの、方舟を爆破された時のような重症ではないように見えた。
 もう絶対に離れない――リンネはユキヤの傍に寄り添って、涙を溢れさせながら目を閉じた。
 今、この瞬間もアキトは戦っている。今の自分たちに出来る事は、ブレイン・レイド・システムで繋がっているアキトへ、シンの闇に飲み込まれないよう訴えるだけだった。

 やがて、ブレイン・レイド・システムが完全に停止した。
 アキトが命を落としたのではない。もう、戦う理由がなくなったからだ。
 リンネはそう信じて疑わなかったし、ユキヤも同様であった。

 コックピットで身を寄せ合うユキヤとリンネ、そしてふたりを見守るアヤノとハメルの頭上に、白い雪が舞い降りる。
 それはまるで、無意味な戦争によって命を落としたすべての兵士たちを弔うかのようでもあった。

2024/06/23
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