聖ミカエル騎士団が動き出すまでの間、リンネはユキヤの眠る医務室と自室を行き来しつつ、食事と睡眠をしっかり取る生活を送っていた。
ヴァイスボルフ城への攻撃があれば、即座に司令室で把握し、ワイヴァン隊に出撃命令が下される。何もない事は有り得ない。だからこそ、前にアシュレイが言ったように、休める時にしっかり英気を養わなくてはならないと、今のリンネは前向きな気持ちへと変わっていた。たとえ、深い眠りに落ちる事が出来なくても、横になり、出来る限り思考を止めて目を瞑るだけでも疲労回復にはなる。
リンネたちが各々コンディションを整える中、ナイトメア整備室では急遽アレクサンダの改良が行われていた。
シン・ヒュウガ・シャイングに対抗するため、アキトのアレクサンダ・リベルテを改良し、そしてアシュレイが提供した『アフラマズダ』のデータを元に、量産型のアレクサンダを彼仕様に作り替える。更に、アフラマズダとの戦闘によって損傷を受けているリョウとアヤノのアレクサンダを修理し、そして――。
「ユキヤ君の代わりに、リンネちゃんに遠距離攻撃を担当して貰います」
設計変更をすべて担当している、アレクサンダの開発者、アンナ・クレマンがきっぱりとそう言うと、部下のヒルダとクロエは互いに顔を見合わせた。
「出来るの?」
「あの子のアレクサンダ、近距離と遠距離両方に対応してるけど、戦闘データも少ないし……」
常に前に出るアキトやリョウ、積極的に戦闘に参加するアヤノと比べ、いつもユキヤに守られていたリンネの戦闘データは少ないものであった。
だが、アンナはリンネなら出来ると確信を持っていた。
「リンネちゃん、シミュレートでは何でもそつなくこなせるの。アキト君を除いたら、ワイヴァン隊で一番強いはず。きっと、戦場では性格上前に出なかっただけ……『今まで』は」
アンナは言いながら、モニタを見つめて作業を進める。
別にリンネに、ユキヤの代わりを全てこなせと思っているわけではない。彼のハッキング能力は天才的なものであり、一長一短で習得できるものではない。同じ事を出来る者が、果たして世界に何人いるだろうか。
ただ、久遠リンネなら――成瀬ユキヤという少年と恋仲にある『あの子』なら、戦闘ならば絶対に成し遂げてみせると、アンナは確信していた。
アンナは、密かにユキヤに想いを寄せていた。
だが、その感情を口にしたり、本人に想いを告げる事はなかった。
彼の隣には常に久遠リンネという少女がいて、ふたりの間には見えない絆が存在している事を、聞かずとも雰囲気で察する事が出来たからだ。
アンナは別にリンネの事が嫌いではなかったし、アキトたちの陰に隠れがちなところを、寧ろ好ましく思っていた。本当は戦いたくなどない、優しい子。最初にレイラに心を開き、歩み寄ってくれたのはリンネだと、アンナは前に聞いていた。
アンナは、リンネを傷付けてまで己の想いを成就させたいとは思わなかった。
自分が清廉潔白な存在でいたいから――その可能性も考えたが、アンナはすぐにそういうわけではないと悟った。
己も、リンネの事が好きなのだ。戦いを望んでいるわけではないのに、戦場に立たざるを得なくなってしまうリンネが、どことなく友人のレイラと似ているように見えたからだ。
それに、アンナは回収されたユキヤのアレクサンダのコックピットから、システムデータを回収していた。その中には、コックピット内で交わされた会話も自動録音で保存されていた。
リンネが子どもの頃聖歌隊にいたという話は、訓練中の会話を人伝に聞いたアンナも知っていた。
だが、まさかユキヤがその頃からリンネを知っていて、せめて死ぬ間際にと、彼女に歌をせがむなんて。
リンネの歌声を録音データで耳にしたアンナは、嫉妬心など消え失せてしまうほど、透き通る声に聞き入ってしまっていた。
まるで、戦場の天使だ。そう錯覚してしまうほどに。
今は余計な事を言うべきではない。アンナは自らの心に蓋をして、恋敵である少女が戦場を生き残れるよう、機体の改良を進めた。
リンネならきっと、やり遂げてみせるはずだ。そう思ってしまうのは、ただのアンナの願望なのか、それとも。
*** ワイヴァン隊がヴァイスボルフ城に帰還してから六日目。まだ夜が明ける前、満足に眠れなかったリンネは、部屋を出てユキヤの元に行く事にした。ユキヤはまだ、医務室で目を閉ざしたままである。どうせ眠れないのなら、ユキヤの傍にいたほうが良い。そう思いながら医務室に足を踏み入れると、そこには先客がいた。
ユキヤのベッドに頭を乗せて、眠りに落ちているアヤノの姿が、リンネの視界に入る。
少しばかり胸の奥がもやもやしてしまったリンネの背後に、新たな来客が現れた。リョウがあくびを噛み殺しながら、久遠の隣に来て片手を上げる。
「奇遇だな、リンネも様子を見に来たか」
「リョウ、おはよう。どう? 眠れた?」
「おうよ!」
「良かった」
ここで「気楽なものだ」と思わないあたり、リンネとリョウの間にしっかりと信頼関係が築かれている証である。それに、リョウが本当にしっかり熟睡出来たかは分からないからだ。リンネを心配させないよう、敢えて強がっている可能性もある。
リンネはリョウと共に医務室の中へ歩を進め、近くにあったブランケットを眠るアヤノの背中に掛けた。
「私もユキヤの傍に居れば良かったな」
「お? なんだリンネ、アヤノに嫉妬か?」
「そうかも」
あっさりと認めるリンネに、リョウは一瞬驚いたが、虚勢を張るほどの精神的な余裕も今はないのだろうと察し、励ますように肩を軽く叩いた。
「ま、お前はお前でアシュレイと仲良いしよ……案外ユキヤも嫉妬してたかも知れねぇぜ?」
「そんなんじゃないし、ユキヤもいちいち気にしないと思うけど」
「ユキヤが起きたら直接聞いてやれ。俺は『嫉妬してた』に賭ける」
リョウはそう言って悪戯な笑みを零すと、ユキヤとアヤノを優しい眼差しで見遣って、医務室を後にした。行き先はきっと、ナイトメア整備室だろう。そろそろ改良および修理が完了すると、昨夜整備班から聞いていたからだ。リンネも、アヤノが傍にいれば大丈夫だと思い直し、ふたりを起こさないよう小さな声で囁いた。
「ユキヤ、アヤノ。……行って来るね」
聖ミカエル騎士団がこのまま黙っているはずがない。今日この日、朝日が昇ると同時にヴァイスボルフ城が襲撃される可能性だってあるのだ。次医務室を訪れるのは、すべてが終わった後になるかも知れない。リンネはそう覚悟して、気が済むまで穏やかに眠るユキヤの顔を見つめれば、医務室を後にしてリョウの後を追い掛けた。
このままユキヤの傍にいたら、きっと、出撃命令を下されても戦場に出られなくなる。そう思い、リンネは自らの心に蓋をしたのだった。
ナイトメア整備室に着いたリンネは、室内に整備班やリョウだけでなく、レイラもいる事に気付いて、慌てて背筋を伸ばした。
「リンネ」
レイラが真っ先に歩み寄ってリンネを出迎えると、手を取って中に入るよう促した。
そこで待っていたのは、改良・修理されたアレクサンダ数機、そしてリンネの専用機であった。リンネは自分の機体の武器が変わっている事に、すぐに気が付いた。
「司令、これって……」
「リンネにはユキヤの代わりに遠距離攻撃を担ってもらいます」
「え!? 私が……?」
遠距離攻撃に自信がないわけではない。そうではなく、『ユキヤの代わり』など自分に出来るわけがないと思っての戸惑いであった。
だが、レイラはアンナから受けた助言を元に、凛々しい顔付きで言葉を紡ぐ。
「アキト、リョウ、アシュレイの三名は近接専門です。遠距離を担う事が出来るのは……リンネ、あなたしかいません」
「でも、確かドローンがまだ……」
「残基は十機のみです。それではユキヤの代わりは務まりません」
数日前、作戦会議でレイラの部屋に集まった時も、レイラとクラウスがそんな話をしていたと思い出したリンネは、これはもう決定事項であり、逃げる事など出来ないのだと察し、覚悟を決めた。
「……分かりました。やります」
「ありがとう、リンネ。大丈夫です、アンナが……クレマン大尉が、あなたなら出来ると言っていました」
「クレマン大尉が? どうして……」
「『リンネちゃんは今まで戦場で実力を出す機会がなかっただけ』だそうです」
レイラはそう言うと、優しい笑みを浮かべてみせた。決して嘘偽りではない、アンナが己を評価してくれたという事実。それを聞いたリンネに、もう躊躇いなどなかった。
「あの、マルカル司令。クレマン大尉に御礼を言いたいのですが」
「今は仮眠を取っています。ずっと睡眠時間を削って、皆のアレクサンダを改良していたから……」
いつ聖ミカエル騎士団が襲って来るか分からない以上、睡眠時間を犠牲にしてでも急ぐしかなかったのだろう。リンネは申し訳なく思いつつも、アンナのためにも頑張らなければと決意を新たにした。
「司令。クレマン大尉にちゃんと御礼が言えるよう、この戦いを乗り切ってみせます」
戦いに勝利するのではなく、『乗り切る』という言葉。
リンネは口にした後、違和感があったかも知れないと思ったが、レイラは寧ろそれで良いのだと口角を上げた。
「ええ。私たちの目的は、このヴァイスボルフ城を守り切り、停戦に持ち込む事。後者は私の役目です」
シン・ヒュウガ・シャイングが停戦に応じる気がない事は一目瞭然である。つまり、アキトたちでシンを引き留め、その間、シン以外の聖ミカエル騎士団とレイラで交渉出来れば良い。応じる可能性が限りなく低いとしても。
だが、レイラが言うにはシンは『アポロンの馬車』を強奪し、神聖ブリタニア帝国の首都ペンドラゴンを襲撃するつもりなのだという。
要するに、世界大戦を起こそうというのだ。
一体何がシンをそこまで凶行に走らせているのかは知らないが、他のユーロ・ブリタニアの軍人たちが、本当にそれが正しいと思っているとは限らない。
アシュレイを見る限り、きっと、答えはノーだ。『シャイング卿は変わってしまった』という彼の言葉に、きっと手掛かりがある。
「リョウ、リンネ。折角ですから、万一のための迎撃作戦について説明します」
レイラは偶然ここに来たふたりに向かって、簡潔に説明を始めた。
聖ミカエル騎士団の攻撃を把握次第、オペレーターたちの手によって、ヴァイスボルフ城の外壁から機関砲を発射する。勿論、それですべての敵を殲滅出来るとは思っていない。ゆえに、城内にはあらゆるトラップを完備していた。敷地内に侵入した敵の戦力をある程度削ぎ次第、wZERO部隊の出番である。
ハメル隊が囮になり、敵を集めたところでワイヴァン隊が反撃を開始する。
だが、問題は方舟を墜落させた『カンタベリー』である。
恐らく聖ミカエル騎士団はそれを使って外壁を破壊し、城内へ進入し、司令部を制圧するであろう。
万が一城壁が破壊された際は、ワイヴァン隊はアキトの指示に従って、迎撃に向かう事になる。
「リンネにはヴェルキンゲトリクスではなく、周囲のナイトメアの排除をメインで行って頂きたいのです」
「アキトがお兄さんとの戦いに集中出来るように、ですね」
レイラの指示に頷くリンネに、リョウは納得いかないとばかりに二人の間に割って入れば、リンネの顔を覗き込んだ。
「おい、俺もいるんだが」
「勿論。アキトとリョウとアシュレイ、三人がかりでやれば、きっと勝てる」
「……そうだな。卑怯なやり方だが、綺麗事は言ってられねえしな」
尤も、シンが現れるまでは四人とハメル隊で敵の戦力を削っていく事になる。リンネは三人がヴェルキンゲトリクスとの戦いまでに力を温存出来るよう、積極的に攻撃しようと決めた。
一通り話が終わったところで、リンネが改良されたアレクサンダのシステムを確認するため、搭乗しようと思った瞬間。
城内に、アラームが鳴り響く。
レイラの顔付きが一気に険しくなる。
「……リョウ、リンネ。出撃の準備を」
「ついに来やがったか。了解!」
「分かりました。いつでも出られるよう準備します」
ふたりの返答を聞いたレイラは、司令室に向かうため、急いで整備室を後にした。整備班のメンバーもその後をついていく。
すれ違いざま、ヒルダとクロエがリンネに声を掛けた。
「リンネ少尉、検討を祈る!」
「リンネちゃん、絶対生きて帰って来てね!」
ふたりに言われて、そういえば自分は少尉になったのだと、リンネは不思議な感覚を覚えつつ、ヒルダとクロエに返答した。
「はい! クレマン大尉や皆様の努力を、無駄にはしません!」
きっぱりとそう告げるリンネに、ふたりは満足そうに笑みを浮かべれば、背を向けて走り出した。そんな中、完全に忘れ去られているリョウが思わず声を上げる。
「って、俺には激励の言葉はないのかよ!」
「リョウ君も頑張れ〜」
「おい! リンネと全然扱いが違うじゃねーか!」
声を荒げるリョウであったが、そんな遣り取りがいつもの日常と同じように感じて、リンネの心は少しだけ楽になった。
そうして、リンネにとって人生で一番長い一日が、眩しい夜明けと共に始まった。
2024/06/16