ワイヴァン隊がwZERO司令室と連絡が取れなくなって、二ヶ月半の時が経った。
その間、リンネたちは決して何もしていなかったわけではない。ユキヤのハッキング能力、そして協力関係を結ぶ事になったアシュレイから得た情報を元に、世界情勢の把握と『次の一手』を打つための準備を、秘密裏に進めていたのだった。
スマイラス将軍によって、レイラ・マルカルがユーロ・ブリタニアの襲撃に遭い死亡したと発表された後、ユーロピアはブリタニアへの宣戦布告を行った。
データ上ではヴァイスボルフ城は消滅し、侵攻を行った聖ミカエル騎士団は壊滅したという事になっている。
だが、実際はヴァイスボルフ城は防衛機能によって襲撃を回避し、また聖ミカエル騎士団も健在であった。ユキヤが把握する限り、敵は城近辺に拠点を置き、睨み合いの状態が続いているのだという。
しかしながら、ヴァイスボルフ城現地では、副司令のクラウス・ウォレックがユーロ・ブリタニアと内通している事が明らかになり、レイラに降伏を勧めていたのだった。
ワイヴァン隊は『方舟』の自爆に巻き込まれ、戦死した事になっている。
だが、それすらも日向アキトにとっては想定内の事であった。
「通信途絶が起きた場合は、司令部には俺たちが生きている事は伏せる。司令とは予めそう対策を立てていた。……最大限の奇襲作戦を決行する為に」
「奇襲……!」
ワイヴァン隊五人とアシュレイが作戦会議を行う中、アキトの発言にリョウとアヤノは驚きの声を上げた。尤も、己たちが生きている事を秘匿するため、アキトは早々にユキヤだけにはその事を伝えていただけに、ユキヤは飄々とした態度である。補足するように、ユキヤが皆に説明する。
「僕たちの生存を知られないよう、司令部への接続は一切行わず、かつユーロピア、ユーロ・ブリタニア両軍に『方舟』の一部がまだ健在だと知られないよう偽装する……骨の折れる作業だけれど、遣り甲斐はあったよ」
「ユキヤ、あんた簡単に言うけど、相変わらず凄い事を……」
アヤノが感心するようにそう告げると、ユキヤは余裕の笑みで頷けば、今度はリンネへと話を振る。
「リンネも頑張ってるよね」
「え、私?」
「アシュレイのお世話」
誤解を招きかねない発言に、リンネとアシュレイは共にぎょっとしたが、真っ先にリョウが血相を変えてアシュレイに掴み掛かる。
「てめぇ! リンネに変な事してねぇだろうな!?」
「するわけねえだろ! こっちはわざわざガリア・グランデの情報をすべてくれてやったってのに、なんつー言いざまだよ」
「あ? ガリア……?」
不貞腐れるアシュレイをよそに、リョウは聞いた事のない単語に首を傾げる。すかさずリンネが間に入る。
「この『方舟』の事。アシュレイがここの構造や物資、燃料の場所とか、全部教えてくれて……そのお陰でみんな餓死しないで済んだし、それにアレクサンダの整備もだいぶ出来たの」
「おお、マジか!?」
「リョウとアヤノのアレクサンダは損傷が多いから、元通りにするのは今は無理だけど、ヴァイスボルフ城に戻る分には問題ないよ」
リンネがきっぱりとそう言い切ると、リョウとアヤノは信じられないとばかりに目を見開いた。
「お前、いつの間に……!」
「リンネ、すっごーい!!」
呆気に取られるリョウと反対に、アヤノは満面の笑みでリンネに抱き付いた。とはいえ、リンネにしてみたら、アキト、リョウ、アヤノのようにアシュレイと戦ったわけでもなければ、ユキヤのようにハッキングで方舟を制圧したわけでもない。何も出来なかったからこそ、率先して『今』出来る事をしなければならないと思ったゆえの結果である。
リンネは照れ臭そうに頬を弛めると、ユキヤへと目配せする。何を言いたいのか察したユキヤは、ここにいる全員を見回して告げる。
「そういうわけだから、奇襲はいつでも出来るよ。……どうする? アキト」
得意気に訊ねるユキヤに、アキトは当然拒否する理由などなく、静かに頷いた。
「作戦決行だ」
誰にも感知されないまま、『方舟』はヴァイスボルフ城近郊へと迫っていた。
まずはアキトとリンネのアレクサンダ二機が先行して、ヴァイスボルフ城に向かう。ユキヤはリンネが前に出る事に内心反対であったが、アシュレイとの戦いで何も出来なかった事をリンネが歯痒く思っている気持ちは理解出来た。それに、ユキヤには個人で為すべき事があった。己と一緒にいるよりも、アキトと共に行動したほうが生存率が上がると判断し、最終的にリンネが己の傍を離れ、前線に出る事を許可したのだった。
次いで、リョウとアヤノがアキトたちの後を追う。戦闘が起きれば不利ではあるが、ヴァイスボルフ城が聖ミカエル騎士団に占領されてさえいなければ、少なくともユキヤより一足先にwZERO部隊の仲間たちと合流出来る。再び戦場に出る準備を整える事も容易いだろう。
専用機『アフラマズダ』を失ったアシュレイは、アキトが連れて行く事となった。はじめはリンネが同乗させると言ったのだが、アシュレイを疑うリョウとアヤノに断固反対されてしまい、消去法でアキトが面倒を見る事になったのだった。
最後に方舟を後にするのはユキヤであった。『方舟』をコントロール出来るのはユキヤのみであり、上空から聖ミカエル騎士団を狙撃する事が出来るのも、遠距離攻撃が可能なユキヤのアレクサンダだけだからだ。
リンネは何も心配していなかったし、いつだってユキヤは完璧で、不可能を可能にしてみせた。だから今回も絶対大丈夫だ――そう過信していた。
恐らくは、リンネだけでなく、アキトをはじめとする全員が。
アキトがアレクサンダに搭乗し、アシュレイも機体にしがみ付く。続いてリンネも自分の機体に搭乗する――前に、最後までここに残るユキヤの元へ駆け寄った。
「ユキヤ、先に行くね。向こうで待ってるから」
「……お別れのキスは?」
「え!? ここで!?」
まさか皆がいる前でそんな事を言われるとは思ってもおらず、リンネはたとえ冗談であっても気恥ずかしさで顔を真っ赤にしてしまった。さすがに見かねてアヤノがユキヤを窘める。
「そういう事は、して欲しい側がすれば?」
「ちょっ、アヤノ!?」
アヤノの言い方では、まるでリンネにキスをしろとユキヤに言っているようなものである。冗談か本気かも分からない言葉に困惑するリンネであったが、ユキヤは「それもそうだね」と軽く頷けば、リンネのすぐ傍まで歩み寄り、そして。
「…………」
唇ではなく、リンネの頬に軽く口づけをすれば、何事もなかったかのように距離を置いてひらひらと片手を振った。
「リンネ、気を付けて。いくらアキトがいるとはいえ、危ないと思ったらすぐ退避だよ」
「……うん、分かってる。深追いするより、wZERO部隊の皆を守る事を最優先に考える」
一瞬の事で照れる暇もなく、リンネはぽかんとしつつも頷いた。
アシュレイとの戦いで前に出なかった結果、リンネのアレクサンダは無傷でいる。寧ろこの作戦の為だったのかも知れないと、数奇な運命を感じたリンネは、ユキヤの忠告を守りつつも、皆を守るために出来る限り戦おうと決意した。
「じゃあ、行ってきます! リョウとアヤノも、また後でね」
リンネはユキヤから、リョウとアヤノへ顔を向けて手を振った。
「おう! 無茶すんじゃねえぞ!」
「ユキヤにキスされたからって、調子に乗ってヘマしたら駄目だよ!」
「もう、アヤノってば……!」
リョウの激励と、己とユキヤの関係を茶化すアヤノに、リンネは笑みを零したが、再度合流した後もこんな会話が出来ると思い込んでいた。
だから、挨拶もほどほどに、リンネは別れを惜しむ間もなくアレクサンダ・ヴァリアントへと乗り込んで、アキトとアシュレイが飛び立つのを見送った後、己もアレクサンダを走らせた。
アシュレイから協力を得られたお陰で、この二ヶ月半は酷い生活を送る事はなかった。だが、それでも不自由である事に変わりはなかっただけに、どこまでも続く青空を目の当たりにして、リンネは高揚感に溢れ、瞳を輝かせた。
だが、これは遊びではない。作戦は既に始まっており、即座にアキトから通信が入る。
『リンネ。奴らの場所を特定次第、ユキヤが方舟から遠距離攻撃を放つ。巻き込まれないよう注意しろ』
「分かった! アキトとアシュレイも気を付けてね」
『アシュレイ、リンネが気を付けろと言っている』
アシュレイは外でアレクサンダの頭部にしがみついているため、リンネの声は届かない。ゆえに、代わりにアキトがアシュレイへとリンネの言葉を伝えた。
その様子に、リンネはアキトも随分丸くなったと感じていた。アシュレイと仲間割れしていなくて良かった。アシュレイにもシン・ヒュウガ・シャイングを問い詰める権利があるし、お互いに為すべき事を為すまでである。
尤も、状況によってはアシュレイが再び己たちの敵に回る可能性もあるのだが。
『――来るぞ』
アキトの言葉に、リンネは身構えてモニタを注視した。ユキヤから遠距離攻撃の軌道のデータが送られて来て、モニタに映し出される。ちょうど己たちがいる位置から外れ、着弾地点は――ヴァイスボルフ城裏にある湖付近であった。
「ここに、ユーロ・ブリタニア軍が……」
『着弾が確認でき次第突撃する。準備はいいか』
「了解!」
最早恐れている暇なんてリンネにはなかった。とにかくユキヤの攻撃が成功する事を祈りながら、攻撃が放たれた事をモニタで確認する。予定の軌道を問題なく辿り、そして。
ヴァイスボルフ城近郊で大きな爆発が起こる。
ユキヤの攻撃が着弾したのだ。
*** 一方その頃、目的を達成して安堵するユキヤの傍で、アヤノが不貞腐れて訊ねた。
「ねえ、なんであいつを信用するの? アシュレイとかって奴をさ!」
「アヤノ、良くないよ、嫉妬は」
「誰が誰に嫉妬なんかしてるのよ?」
ユキヤの仕事はまだ終わっておらず、作業を続けながらアヤノへ冗談交じりに告げる。
「アヤノは分かりやす過ぎるんだよな。もうちょっと感情を抑えないと、恋の駆け引きはできないよ」
「……へぇ〜。ユキヤにそんなこと言われるなんて想像もしなかったなぁ」
とはいえ、アヤノに言わせてみれば、分かりやすいのはリンネも同じである。ワルシャワ滞在からヴァイスボルフ城帰還までの間に、ユキヤとリンネが『そういう仲』になったのは一目瞭然であった。
自分だけからかわれる謂れはない、とアヤノは反撃しようとしたものの。
「アヤノ、時間だ。降りるぞ」
リョウから声を掛けられ、話はそこで強制終了となった。当然アヤノは納得いかず、引き攣り笑いを浮かべながらユキヤをちくりと刺す。
「ユキヤ、帰ったらじっくり話そうな」
「はいはい」
続いてリョウもユキヤにいつもの笑みで声を掛ける。
「ユキヤ、じゃあ下で待ってるからな!」
「了解。予定通りに降りるからまた後で」
ユキヤはアレクサンダに搭乗するふたりを見送れば、作業を再開した。
『ユキヤ、早く来いよ!』
通信越しにアヤノの声が飛んで来て、ユキヤはつい苦笑してしまった。
そうして、アキトとリンネに続き、リョウとアヤノのアレクサンダ・ヴァリアントも方舟を飛び出した。ヴァイスボルフ城目掛けて青空を舞う二機を、ユキヤは微笑を湛えながら見送ったのだった。
*** リンネが着弾地点上空に辿り着くと、かつて見たナイトメアフレーム――『ヴェルキンゲトリクス』が駆け付ける様子が視界に入った。
よく見ると、ユキヤの爆撃から逃れた人影が認識出来た。ユーロ・ブリタニアのシン・ヒュウガ・シャイング、彼の部下と思わしき軍人が何人か、そして――。
『司令!』
アキトの声が通信越しに聞こえ、リンネはレイラと、彼女の傍にいるクラウスが無事である事を確認した。同時に、シンがヴェルキンゲトリクスに乗り込んで、今にもレイラを殺さんとばかりに迫っている。
それを邪魔するように、アキトはアレクサンダを走らせて、ヴェルキンゲトリクスの前に着地した。今まで頭部にしがみついていたアシュレイも、そのまま地面に降りれば、危険も顧みずヴェルキンゲトリクスに向かって走り出す。
「シャイング卿! てめぇーッ、よくも俺がいるのに、方舟を爆破させやがったなー!!」
だが、次の瞬間。ヴェルキンゲトリクスではなく別方向から銃弾が放たれる。ナイトメアフレームではない、側近と思わしき女性軍人がアシュレイ目掛けてライフルを放ったのだ。
「!! うわッ、あぶあぶ、ジャンあぶねぇだろが!!」
「黙れ裏切り者! この私が殺してやる!」
「ふざけんな! 裏切ったのはそっちだろうが!?」
どうやら相手はジャンという名前らしい。とにかく生身で武器ひとつないアシュレイを守らなければと、リンネはアレクサンダを走らせて、ふたりの間に割って入った。
「攻撃をやめてください! アシュレイはあなたがたと敵対するつもりは――」
「ユーロピアのナイトメアフレーム……! アシュレイ、やはり貴様!」
リンネがしゃしゃり出た事で、余計にジャンを怒らせてしまったようだ。アレクサンダに守られているアシュレイに身の危険はないとはいえ、リンネの目的はwZERO部隊の保護である。優先事項を間違えてはならない。
「やべえ、リンネ逃げるぞ!」
「うん、司令と副司令を避難させなきゃ」
リンネもアシュレイの言葉に頷くと、アレクサンダを使ってアシュレイを捕まえて、ジャンの銃撃から逃れながら、レイラたちの元へ向かおうとした。
だが、レイラがクラウスを置いて、ヴェルキンゲトリクスの元へ走っていく姿がリンネの視界に入る。――否、アキトの元へ向かっているのだ。
きっと司令はアキトが守ってくれる。リンネはそう信じて、ここはクラウスだけでも逃がそうと咄嗟に思考を切り替えた。
レイラを追い掛けようとするクラウスの前に、アレクサンダから飛び降りたアシュレイが立ちはだかる。
「おっさん! アキトに頼まれた! さっさと逃げるぞ!」
「あ、ああ……う、誰だよお前?」
見知らぬ男の登場に困惑するクラウスであったが、その後ろに見慣れたアレクサンダがそびえている事に気付き、とりあえず信用しても良いのだと安堵した。
「その機体……久遠准尉か! まさか無事だったとは!」
「ウォリック中佐! 話は後です、ここから逃げましょう!」
この娘は己がwZERO部隊を裏切った事など露知らず、危険を犯してまで己を守ろうとしてくれている。その事実にクラウスも良心が痛まないわけもなく、素直に従う事にしたのだった。
クラウスとアシュレイは湖に泊めていたモーターボートに乗り、リンネは彼らを守るようにアレクサンダで並行して飛行する。
今ここでアキトがレイラを守りながら、シン・ヒュウガ・シャイングを撃退出来るとは思えない。アキトとてそれは分かっているだろうし、レイラを助ける事を最優先に考えているはずである。
ならば、己たちに今できる事は、彼らの撤退をサポートする。それだけだ。
リンネはモニタでアキトの搭乗するアレクサンダの居場所を確認する。先程いた場所から離れ、林の中を全速力で移動している。
シンの手から逃れ、レイラを助ける事に成功したのだ。
「ふたりを助けなきゃ!」
リンネはボートに乗るクラウスとアシュレイにアピールするように、先に進んでアキトと合流できるよう先回りした。
「成程、そういう事ですか」
クラウスとて伊達に副司令をやっているわけではない。リンネの意図をすぐさま察すれば、彼女のアレクサンダを追い掛けてボートの速度を上げた。
そして、アキトのアレクサンダが林を抜けて湖の上に出た瞬間。
「アキトォ! 飛び乗れ!」
ボートから身を乗り出して、アシュレイが手招きする。アキトはそれに応じるように、湖の上を疾走すれば、思い切り跳躍し、ボートの上に着地した。
おびただしいほどの水しぶきが上がり、リンネの視界も一瞬見えなくなるほどであった。
久遠はすぐさまアキトに通信を繋いだ。
「お帰り、アキト! 司令は無事?」
『当然だ』
次いで、新たな通信がリンネの元に入る。
『リンネ! 私は大丈夫です!』
「司令!! 良かった……」
どうやらアキトのアレクサンダは、その手でしっかりとレイラを守っているようだ。リンネは作戦が成功した事に心から安心して、早速ユキヤに連絡を取ろうとした。
だが、ユーロ・ブリタニア軍が見逃すはずがなかった。
方舟から攻撃が放たれた事は、生き残った聖ミカエル騎士団とて把握済みであった。ゆえに、アキトを逃したシンは、狼狽える部下たちに『方舟』の破壊を命じた。
対空砲撃『カンタベリー』。本来ヴァイスボルフ城攻略のために持ち込まれたそれは、ユキヤが残る『方舟』に向かって、命令から間もなく即座に巨大な砲を放った。
「ユキヤ! 聞こえる? ユキヤ――」
リンネがその声を届けるより先に、『方舟』にカンタベリーの砲弾が容赦なく着弾した。
一瞬にして炎に包まれ、爆発する方舟。
ユキヤが既に脱出したという連絡は誰も得ていないし、方舟から離脱する予定時刻でもない。
想定外の事態が起こり、ユキヤを残した『方舟』が爆発し、墜落したという残酷な現実をリンネが知るのは、もう間もなくの事であった。
2024/05/26