乙女の嘆き



 ルクスが再び目を覚ました場所は、当然魔導城の一室ではなく、前に目覚めた時と同じ小屋の中であった。手足を拘束されている状態は変わらないものの、顔を上げると、ルクスが破壊したはずの扉は、木材の板が填められていた。仮の扉、といったところだろう。
 その扉が、突然屋外から開けられた。同時に凍てつく風が入り込み、スリプルで意識が朦朧としていたルクスを覚醒させるには、充分すぎるほど冷たかった。

「目が覚めたか。次扉を破壊すれば、今度は雪の上で寝て貰うぞ」

 そう言いながら入って来たのは、長い銀髪を靡かせる、エレゼン族の竜騎士であった。

「悪いが、俺はアルフィノとは違う。知っている事を洗いざらい白状して貰うぞ」
「……と言われても、私自身何も分からないのです」

 竜騎士は険しい顔付きをすれば、即座にルクスの顔に槍先を向けた。

「言ったはずだ。俺はアルフィノとは違う」
「……何を知りたいのですか? 貴方がたが望む答えは、恐らく持ち合わせていません」
「お前は何故魔法を使える?」
「私にも分かりません。ただ、どういうわけか……感覚で術式なるものが『分かった』のです。きっとファダニエルが何か施したのだと思いますが」

 槍先を向けられようと、ルクスにはそうとしか答えられなかった。『超える力』を付与せよと願いはしたが、魔法を使えるようにしろとは一言も言っていない。ならば、ファダニエルが勝手にしたと考えるのが妥当である。

「自分の身体の事だろう。随分と他人事だな」
「どうせ世界は滅びるのです。今更何をされても……もうどうでも良いのです」

 諦め切った顔でそう呟くルクスに、男は槍を下ろせば、淡々とした口調で訊ねた。

「本音は、同胞すらどうでも良いという事か」
「同胞……」

 その言葉に、ルクスは目を見開いた。己が意識を失う前に出会った、ユルスという青年はどうなったのか。己と同じように捕らえられているのか、または逃げ切る事が出来たのか。

「あの……ユルスという軍人は無事ですか?」
「知りたければ、お前にも相応の情報を提供して貰う」
「そんな事を言われても……」

 埒が明かない状態であったが、そんな中、再び扉が外から開かれた。

「エスティニアン。彼女の事はオレに任せてくれないか?」

 赤い髪のミコッテ族の男が、湯気の立っている器を持って現れた。だが、竜騎士の男――エスティニアンと呼ばれた男は納得いかないのか、怪訝な顔でルクスから青年へと視線を移す。

「この女を甘やかすな」
「勿論、信用はしていない。ただ、あの人は『ファダニエルに騙されてる』ってはっきり言ったんだ。オレなりに、ルクスがどんな人なのか把握したい」
「……逃がすなよ」
「分かってる」

 エスティニアンは溜息を吐けば、そのまま小屋を後にした。ミコッテ族の男は片手で扉を閉めれば、竜騎士の男と入れ代わるように、器を持ってルクスの傍まで歩を進める。

「……拘束を解くわけにはいかないからな……仕方ない」

 男は隣に腰を下ろせば、器に入れていたスプーンで中身を掬って、ルクスの口元に差し出した。
 独特な香り。だが、不快ではない。毒が入っているわけではないだろう。彼らがそんな事をする理由がないからだ。始末するにしても、その前に情報を聞き出す筈である。

「自白剤の類は入っていないから、遠慮せず食べてくれ」
「別に入っていても構いませんよ。本当に何も知らないので」
「はは……じゃあ問題ないな」

 癪に障るものの、この状況で頑なに食事を拒んだところで無意味である。それに、この男はどうやらアルフィノやアリゼー並に甘いようだ。ルクスはそう判断し、素直に口を付ける事にした。

「ん……美味しい……」
「おっ、帝国の人でもアラミゴの料理は口に合うんだな」
「アラミゴ? 何故……」
「ああ、義勇兵としてイルサバード派遣団に何人か参加してるんだ」

 魔導城で事務的に摂取していた料理は一級品たるものであったが、ルクスはどちらかというと、戦場で仲間たちと焚火を囲って食べる雑な料理のほうが美味しいと感じていた。それは決して己の味覚が狂っているわけではなく、大切な仲間たちと一緒に、という事が重要なのだろう。
 この味は、どちらかというと後者だ。勿論ここに仲間は居らず、それどころか敵地に監禁されている身なのだから、厳密には全く違う。だが、懐かしい日々を思い起こさせるのは、目の前の青年がルクスに対して好意的だからであろう。例え、演技だとしても。

「……こんな味なのですね。アラミゴに配属されていた頃に、住民との関係を改善出来なかった事が悔やまれます」
「まあ、どちらにしてもアラミゴの民は独立を望んでいたんだ。あんたたちには申し訳ないが、帝国の属州であり続けるより、今の方が彼らにとっては幸せなんだ」

 帝国は間違っている、そんな説教をしに来たのかとルクスは内心不快に思ったが、男が器の中身をスプーンで掬っては口元に近付けるものだから、食べないわけにはいかなかった。あっという間に平らげたルクスに男は笑みを浮かべれば、空になった器を置いて、改めてルクスを見遣った。

「オレはグ・ラハ・ティア。シャーレアンの賢人だ。暁の血盟に入ったのは……そうだな、多分ヴァリス帝が暗殺されて騒ぎになったタイミングだったと思う」

 グ・ラハ・ティアと名乗る青年は、決して敵意を露わにしなかった。だが、何を問われたところで答えを持ち合わせていないルクスは、どうせ彼も結局は己に寄り添う事などしないのだろうと思っていた。敵対関係にあるのだから当然である。

「オレは、あんたが何も知らないって言うのを信じる……と言ったら語弊があるが、話したくなったらで構わない」
「本当に、何も知らないのですが……」
「ああ。だから、代わりにオレの話を聞いて欲しい」

 ルクスは改めてグ・ラハ・ティアを見遣って、小首を傾げた。何かを企んでいるようには見えないが、己を一切信用しないエスティニアンが彼に任せるあたり、アリゼーのように己を全面的に信じてくれるわけではないだろう。ルクスは身構えつつ、こくりと頷いて傾聴の意思を示した。

「まず、ユルスは無事だ。交渉の為に、アルフィノとアリゼー、そして『あの人』とともに、第I軍団の拠点にいる」

 まさか知りたかった事がこうもあっさりと分かるとは。ルクスはユルスの無事に安堵しつつ、今となっては第I軍団が最後の砦なのだと知った。第III軍団は皆テンパードと化し、暁の血盟の言っている事が事実であれば、テンパード化を解く治療を施されている。つまり、己と同じ捕虜状態にあると言っても過言ではない。

「……オレはあんたのその表情を信じるよ。少なくとも、あんたは同胞の無事を願っている。テロフォロイよりもユルスたちと一緒にいたいって事だろ?」

『その表情』とは一体何なのか。どう答えようか迷いつつも、ここは嘘を吐いてでも相手の言葉に乗るしかないと、ルクスは無言で頷いて肯定の意思を示した。

「分かった。それと、話したい事は……ファダニエルについて、認識合わせをしたい」

 さすがに彼の名前を出されて、動揺を隠せずにはいられなかった。ルクスが肩をびくりと震わせると、グ・ラハ・ティアは変な事を聞くつもりはないと告げて苦笑しつつ、言葉を続けた。

「ルクス。あんたはファダニエルの正体は知ってるか?」
「アシエン……それ以外に何が?」
「成程、知っているのは『そこまで』って事か」

 一体この者たちはどこまで真実に辿り着いているのか。ルクスが怪訝な顔で首を傾げると、グ・ラハ・ティアは意を決するようにひとり頷けば、神妙な面持ちで口を開いた。

「あの人が言っていた。ファダニエルの正体は、魔科学者『アモン』。第三星暦……アラグ帝国の人間だ」

 ルクスはその言葉を信用するより先に、まるで他人事のように受け容れていた。
 アシエンなる存在が元は人間だったのか、真偽はどうであれ、それが事実だとすれば納得出来る部分もあるからだ。

「……驚かないんだな。まさか、知ってたのか?」

 グ・ラハ・ティアの問いに、ルクスは首を横に振った。

「アラグ帝国の人間だと聞いて、腑に落ちたからです。ガレマール帝国は、元々アラグの魔科学の解明、研究を行っていました……世界を崩壊させる為に、世界各地に『塔』を作っている事は分かっても、その仕組みは私には到底理解出来ません。恐らくはアラグ帝国の技術なのでは?」

 ルクスがそう問うと、グ・ラハ・ティアは頷いてみせた。自分たちの知り得る情報を隠すつもりはないらしい。ルクスは言葉を続ける。

「それに、ファダニエルが第三星暦の魔科学者であるならば、彼がこの国をどうしようと、我々には為す術もありません。あなたがたはアラグの魔科学に対抗できるのでしょうけど」
「いや、待て。あんたはそれでいいのか?」
「良いも何も、現代の技術で解明できない魔科学を前に、私のようなちっぽけな人間に何が出来ますか?」
「出来る出来ない、じゃない。テンパード化を逃れた帝国の人たちがいる。それに、あんたと一緒にいた帝国軍もオレたちが治療してる。同胞を見殺しにするってのか?」

 グ・ラハ・ティアの言い分は真っ当であった。ルクスが本当にファダニエルと協力関係にはないのであれば、彼の言葉に同意すべきである。
 要するに彼は、テロフォロイから帝国民を解放するために、イルサバード派遣団――すなわち『暁の血盟』と共闘しろと言いたいのだ。
 彼らはルクスにとっての仇であるにも関わらず、だ。

「……見殺しには出来ません。ですが、あなたたちと協力するのは……」
「何が問題だ? 何も帝国を捨てて暁に入れって言ってるわけじゃない。協力するのはテロフォロイを倒すまででいい。それから先は、生き残った帝国の皆でこの国を守っていくんだ」

 彼にしてみれば、何故ルクスが協力を渋るのか理解できなかった。無理もない、グ・ラハ・ティアだけでなく、暁の血盟は皆、ルクスが元々第XIV軍団にいた事を知らないのだ。彼女の仲間たちがエオルゼア同盟軍によって殺された事など、誰も。

 沈黙が続く中、突然外から扉が開かれた。暁の誰かかと思いきや、ルクスの視界に飛び込んで来たのは、思いも寄らない人物であった。出来れば、二度と会いたくないと思っていたほどの。

「御取込み中に申し訳ございません。ヤ・シュトラ様がグ・ラハ・ティア様に話があると――」

 本来ここにいるはずのない、ガレアン族の男。
 マキシマ・クォ・プリスクス。かつて共にドマを訪れた、アサヒの元部下であった。
 マキシマはルクスの傍に置いてあった器が空になっている事に気付いて、イルサバード派遣団に心を開いてくれているのだと、誤解してしまった。

「ルクス様は私にお任せを」
「分かった、ありがとう。ルクス、また後で話そう」

 グ・ラハ・ティアがそう言って、立ち上がり背を向けた瞬間。

「――貴様……」

 マキシマだけではない、グ・ラハ・ティアも油断していた。ルクスという女の本性を分かっていなかった、と言うよりも、そもそもの帝国内における関係性を把握していなかったのだ。
 そして、それは恐らく、マキシマ本人も。

「マキシマ、貴様!! よくのうのうと私の前に姿を現せたな!?」

 突然怒りを露わにし、外まで響くほどの声で叫ぶルクスに、グ・ラハ・ティアは思わず身体をびくりと震わせた。マキシマもまさか罵声を浴びるとは思わず、眼鏡の奥で目を見開いている。

「ルクス様……!?」
「どうしてあの時アサヒ様を守らなかった! 見殺しにした上、暁に寝返り、挙句の果てに帝国を捨てるなど……!!」
「お待ちください、これには訳が……!」
「うるさい!! そもそもアサヒ様が生きてさえいれば、ファダニエルに乗っ取られて国を滅茶苦茶にされる事態は起こらなかったんだ!!」

 ルクスの怒りは留まる事を知らず、ついには双眸から大粒の涙を零し始めた。最早誰が何を言っても彼女の耳には届かないだろう。事情を知らないグ・ラハ・ティアは困惑しつつも、今までの歩み寄りをなかった事にはしたくないと、咄嗟にマキシマに訊ねた。

「マキシマ、一体ルクスと何があったんだ?」
「……恐らくルクス様は、ドマでの蛮神召喚がアサヒ大使の手によって行われた事を知らず――」

 マキシマは掻い摘んで説明しようとしたが、グ・ラハ・ティアが把握するより先にルクスが泣きながら声を荒げた。

「馬鹿にするな、それ位知っている! どんな命令を下されようと、私たちの上官だろう! お前たちがアサヒ様を見捨てなければ、こんな事には……!」
「ルクス、落ち着け! オレが話を聞く、だから……」

 グ・ラハ・ティアはルクスが暴走しないよう、咄嗟に抱き締めて宥めようとした。ファダニエルの手によって突然魔法が使えるようになったという言葉が事実なら、強力な魔法が暴発しかねない。

「何事だ!」

 外にも声が響いているだけに、さすがに非常事態だと察したのか、新たに何者かが小屋に飛び込んで来た。何故かルクスにとって聞き覚えのある、懐かしい声であった。

「理由はどうあれ、マキシマ殿は一度席を外された方が良い」
「……承知致しました」

 マキシマと入れ代わるように歩を進める相手を見た瞬間、ルクスは今までの怒りが一気に収まるほど、頭が真っ白になり言葉を失った。

「……ルクス……?」

 彼女の変化をグ・ラハ・ティアは見逃さなかった。突然泣き止んだルクスから恐る恐る手を放し、そして新たな来訪者へ顔を向ける。

「ルキア、彼女と知り合いなのか?」
「いや、面識はないはずだが……」

 ルキアと呼ばれた女はそう答えたものの、ひとつの可能性が脳裏を過った。

 ルキア・ユニウスは、ガレアン族でありながら、ガレマール帝国を裏切りイシュガルドに亡命し、アイメリクに忠誠を誓った神殿騎士である。
 彼女には妹がいた。孤児だった彼女たち姉妹は、ガイウス・ヴァン・バエサルの手で育てられ、帝国軍人となった。妹は戦闘部隊としてガイウスの下で功績を上げ、姉である彼女は、かつて別部隊でスパイとして生きていたのだ。

「リウィア様!! 私です、ルクスです! 生きてらしたのですね……!?」

 そう言って再び涙を零すルクスを見て、リウィア・サス・ユニウス――否、彼女の実の姉であるルキアは、なんという運命の巡り会わせかと思わずにはいられなかった。
 恐らくルクスは妹のリウィアを慕っている。ならば、彼女の心を開き、味方に付ける事が出来るのは、リウィアの姉である己の役目である。かつてルキア・ゴー・ユニウスという名で生きていた元帝国軍人は、心の中で密かにそう決意したのだった。

2023/11/11
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