風を追って、眠りからめざめて

 第八霊災を迎え、滅びゆく世界。そんな時代に再び目覚めた彼は、決して希望を捨てなかった人々の想いを背負い、たったひとりで百年以上、世界を救う為だけに生きて行く事を決めた。言葉で説明するのは簡単だが、その重圧を他者が同じように理解するのは不可能だ。
 第一世界を救った今、『水晶公』を名乗る男はすべての使命を果たした事になる。残された課題は、暁の血盟の五人の魂を、無事原初世界へ戻す事。そして――。

「――私もラムブルースさんと同意見です。グ・ラハには今度こそ、自分の為に生きて欲しいです」

 時は少しだけ遡り、アシエン・エリディブスがクリスタリウムを襲撃する少し前。原初世界に残された肉体と第一世界の魂の繋がりが薄れ始め、とりわけ一番最初に召喚されたサンクレッドが体調に異変を来していた為、『闇の戦士』――原初世界では『光の戦士』と呼ばれる冒険者は、石の家に顔を出していた。第一世界に召喚された五人の身体を確認する為、そして、水晶公ことグ・ラハ・ティアについて、フィオナと改めてしっかり会話しなければならないと思ったのだ。

 冒険者は久々にフィオナと再会したが、何年も経ったわけでもないというのに、その表情は以前よりも大人びたように見えた。フェオ=ウルが見せる夢を通じて、水晶公――グ・ラハ・ティアの生き様を見て、色々と思うところがあったのだろう。冒険者はそう感じつつ、ふと、この世界でクリスタルタワーの調査をしている際に、グ・ラハから言われた事を思い出した。フィオナには「おかえり」を言って欲しいと。
 今ならば分かる。第八霊災で彼女が戦場で命を落としたからこそ、彼女を危険に曝したくはないと、第一世界に召喚しなかった。彼女には、あくまで『帰る場所』として待っていて欲しいのだ。それが、例えフィオナの望みではないとしても。
 冒険者は、「グ・ラハが帰って来たら、まずは『おかえり』と言ってあげて欲しい」と伝えた。

 フィオナはその言葉に胸が熱くなった。グ・ラハが第一世界に残るのではなく、原初世界に帰ってくる事を目標としていると明確に分かったからだ。クリスタルタワーで眠っているグ・ラハにこんなに早く会う事が出来るなど、夢にも思っていなかった。尤も、彼にとっては百年以上もの年月が経っているのだが。

「勿論です! その為にも、グ・ラハとベーク・ラグ様はソウル・サイフォンを完成させないといけませんね。本当に、不可能を可能にしてしまうなんて……なんだかグ・ラハが物凄く遠い存在に思えます」

 そう言ってフィオナは苦笑して、グ・ラハがこれまで成し遂げてきた事を改めて振り返った。第八霊災が起こった未来で、様々な人が彼に希望を託し、彼がその想いを継いで来た事で、今がある――グ・ラハは決してひとりではなかった。その重圧は想像も出来ないほど辛かった時もあるだろう。だが、グ・ラハが諦めず、投げ捨てず、すべてを抱えて乗り越えたからこそ、今がある。
 他の誰にも出来ない。グ・ラハ・ティアだからこそ出来た事である。

「それにしても、ソウル・サイフォン開発のきっかけが、ムーンブリダさんが開発された白聖石だったなんて……人と人との繋がりが、奇跡を起こす――そんな風に思えます」

 その言葉に、冒険者も頷いた。フィオナの存在もグ・ラハの支えになっていた――そう言おうとしたが、今は止めておこうと言い留まった。魔法人形として活躍していた事を隠しておいた方が良いのもあるのだが、やはり、グ・ラハが原初世界に帰還し、再会した時に本人の口から伝えた方が良い。そう判断しての事であった。


◇◇◇


 明けない夜はない。必ず太陽が昇り朝が来るように、どんなに先の見えない真っ暗な道程でも、必ず光明は差すものだ。それが例え、何年、何十年――何百年かかったとしても。
 それは、光と闇が真逆であっても同じ事だ。
 光が氾濫した第一世界は、夜の訪れない世界だった。夜空に浮かぶ満天の星、夜道に淡く輝く灯り、真っ暗な闇を赤く照らす焚き木の炎。人々はかつて当たり前だった日常を忘れ、日常を知らない子どもたちが生まれていった。
 だが、英雄の召喚が叶った事で、第一世界に夜が訪れた。ついには百年以上続いた白夜のような世界は漸く終わりを迎え、人々はかつての、百年以上も前、当たり前のようにあった日常を取り戻す事が出来たのだ。

 原初世界に帰り、グ・ラハ・ティアとしての人生を歩むのか。
 第一世界に残り、水晶公としての人生を全うするのか。
 簡単に決める事が出来たわけではない。原初世界に帰る事が叶わない可能性もあった。
 けれど、一縷の望みに賭け、その結果、今がある。

 水晶公として生きた魂と記憶は、ソウル・サイフォンに込められ、英雄の手によって原初世界へと渡った。それは、第八霊災が起こる前――否、『第八霊災が起こらない』世界線へと変わった原初世界で、クリスタルタワーにて眠りに付いていた己へと注がれた。
 前例がなく、果たして水晶公として生きた己の魂と、第八霊災の起こらない世界にいる己の魂が結びつくのか、誰も分からなかった。

 だが、間違いなく己はここにいる。
 水晶公として生き、第一世界のクリスタルタワーで結晶化する直前で記憶が途切れた己は、原初世界のクリスタルタワーの中で、再び目を覚ましたのだ。



「――グ・ラハ!!」

 目覚めた時、己の視界には英雄と、そして――百年以上の間、心の支えにして来た、絶対に死なせないと誓った彼女――フィオナがいた。彼女の目から瞬く間に涙が溢れて、まるで、クリスタルタワーと共に眠りに付く時と変わらない光景だった。泣きじゃくる彼女を突き放し、英雄――冒険者に託したあの日と同じ。
 ――否、同じではない。今の己には『水晶公』としての記憶が引き継がれている。

「……おかえりなさい……!」

 フィオナは、涙を流しながら必死で笑みを作って、そう言った。
 ――まさか、第一声がそれとは思わなかった。さては、英雄があの時己が言った事をフィオナに伝えたのだろう。「おかえり」と言って欲しい、と。
 妙に気恥ずかしくなってしまったが、ここで躊躇ったら格好が付かない。ゆっくりと上体を起こし、フィオナの瞼に浮かぶ涙を指で拭ってやる。

「ただいま、フィオナ」

 そう言って、彼女の髪を軽く撫でた。自分でも驚くほど、軽々と身動きが取れる。クリスタルに侵食されていない普通の肉体だと、こんなにも身体が軽いのか。
 己の指に触れる彼女の髪の感触は、百年以上前に触れた時と変わらない。ずっと忘れていた、当たり前の日常だ。



 この『第八霊災の起こらない世界』におけるクリスタルタワーの封印は、己の血を交えたソウル・サイフォンによって解かれ、無事己も目覚めるに至った――のだが、当然再封印を行う必要がある。そこで、漸くフィオナの出番である。バルデシオン委員会の同僚、クルルと共に魔力を供給して貰い、多少強度は落ちるものの、結界を張る事に成功したのだった。

 そして、英雄は己との約束を果たそうとしてくれていた。
 己を『暁の血盟』に迎え入れるというのだ。
 フィオナにも「皆受け容れてくれるって、グ・ラハが一番分かってるでしょ?」ときっぱり言われ、もう迷う必要はない――というより、まるで夢の中にいるようだった。何年も、何十年も、百年以上も。ずっと願っていた夢が漸く叶ったのだ。これは現実ではなく夢ではないかと少しばかり疑ってしまうのは、無理もない話だ。


◇◇◇


「でもね、やっぱり私を召喚しなかった事については、一生許す気ないから」
「だから、お前を危険な目に遭わせたくなかったんだって……!」
「冒険者さんは危険な目に遭わせるつもりで召喚したのに?」
「そ、それは! そうしないと世界は救えなかったんだよ! あの人に背負わせてしまったのは、本当……申し訳ないって思ってる……」

 石の家の一室にて。タタルが作ってくれた賢人パンを頬張りながらフィオナに追及されるグ・ラハ・ティアは、傍から見たら何かの罰ゲームを受けているようであった。
 ふたりの遣り取りを、暁の血盟の面々が遠目に見ている。触らぬ神になんとやら、である。

「……なるほどね。フィオナが怒るってこういう事」
「これは、第一世界の魔法人形の事は黙っていた方が良さそうだ」

 アリゼーとアルフィノは驚きつつも、どこか微笑ましそうにふたりを見遣っていた。アリゼーたちの前では優しいフィオナがここまで怒る、というより正論で口撃する事、そしてまさかあの水晶公が、ここまでたじたじになる様子など、滅多に見られるものではない。否、これからはきっとこんな光景が日常茶飯事になるのかも知れない。それはそれで、水晶公――グ・ラハ・ティアが気の毒ではあるが、とアルフィノは苦笑を零した。

 サンクレッドとウリエンジェも、フィオナの気持ちは理解は出来るとしつつも、グ・ラハの面目を保つために何か出来ないかと思案していた。

「しかし『一生許さない』ときたか。結果的に魔力が温存出来た事でクリスタルタワーの再封印も難なく出来て、悪い事ばかりではないんだがな」
「……この状況を打破出来るのは、『あの方』のみ……おや、噂をすれば」

 現れたのは、英雄とヤ・シュトラであった。会話をすべて聞かずともすぐに察したのか、ヤ・シュトラはアリゼーたちに目配せすれば、フィオナの元へ歩を進めた。その後ろを英雄も付いていく。

「フィオナ、そんなに怒っていたら、グ・ラハ・ティアに嫌われるわよ?」
「なっ……! ヤ・シュトラさん、私の味方になってくれないんですか!?」
「置いてきぼりが悔しかったのはよく分かるわ。でも、『寧ろ自分が第一世界に行ってやる』とは思わないのかしら?」
「へ?」

 自らの力で鏡像世界へ行くなんて考えた事もないフィオナは、呆けた声を出してしまったが、ヤ・シュトラは至って平然とした顔で口角を上げた。

「私は自分の力で行ってみせるわ。第一世界に絶対に行けないなんて、どうして決め付けるのかしら」
「いや……その……で、でも! それとグ・ラハが私を召喚しなかった事は、関係ないじゃないですか……!」

 なんだか上手く丸め込まれたような気がして、フィオナは訴え掛けるようにヤ・シュトラを見つめた。それに対して反応したのは、ヤ・シュトラではなく英雄であった。英雄はグ・ラハとフィオナを交互に見遣り、そして、フィオナに向かって訊ねた。
 そういえば、フィオナはグ・ラハが眠りに付いた後、冒険録を付けていたようだが、見せてやったらどうだ――と。

「冒険録?」
「……ぼ、ぼぼぼ冒険者さん、どうしてその事を……?」

 興味深そうに訊ね返すグ・ラハとは正反対に、フィオナは一気に顔を真っ赤にして、声を震わせた。英雄――冒険者は「どうして知ったんだろう」ととぼけて、会話の主導権は完全にグ・ラハに移ってしまった。フィオナの怒りなど、完全に忘却の彼方と化している。

「フィオナ、お前ちゃんと歴史を記録してたのか! 見せてくれよ」
「駄目」
「いいだろ! オレ、第八霊災が起こった世界でも、二百年後にクリスタルタワーの封印が解かれるまでの話は又聞きなんだ」
「絶対ダメ!!」

 猫耳を立て、無邪気な目を向けるグ・ラハをよそに、フィオナは頭から湯気でも出るのではないかと錯覚するほど顔を真っ赤にして、全力で否定すれば一目散にその場を後にした。恐らくは、その『冒険録』をグ・ラハの目に入らないようにする為であろう。

「……あなた、フィオナの『冒険録』に何が書かれているのか知っている癖に」
「ああ。別に意地悪したつもりじゃないんだけどさ」

 面白がるように告げるヤ・シュトラに、グ・ラハ・ティアは苦笑しつつ頷いた。フィオナの書いた歴史書『もどき』の存在は、グ・ラハ――水晶公の口から、何かの弾みで皆に話した事があった。勿論、詳しい中身までは言わず、『黒薔薇』が使われる直前までの冒険譚が書かれていた事に留めている。

「フィオナの書いた冒険録……歴史書と呼ぶには私情が入り過ぎな『あれ』は、第八霊災が起こった世界の人たちによく読まれていたんだ。『ノア』の活動や暁の血盟の活躍は、他の歴史書と同じように、皆に希望を与えてた」

 冒険者が「既にグ・ラハが中身を読んでいるなら、余計な事を言ってしまった」と、ここにいないフィオナに対して謝ると、グ・ラハは首を横に振った。

「いや、第八霊災の起こらない世界で、フィオナが何を綴っているのか……それはそれで興味がある。第八霊災のトリガーはギムリトの戦いだった。オレが読んだ冒険録は、当然その事は綴られていないからさ」

 そう言って微笑むグ・ラハは、決して面白がっているわけではない。第八霊災を回避したこの世界で、彼女は何を綴ったのか、そしてこれから何を綴るのか、考えるだけで胸が躍るのだ。これから綴られる物語は、己たちも登場人物として含まれる冒険譚なのだから。

「……うん。読むのはもう少し後でいいかな。これから正式に『暁の血盟』の一員として冒険して……それからでも、遅くはない」

 もう英雄やフィオナが命を落とす世界ではないのだ。何があっても乗り越えられる。グ・ラハはそう信じ、今はいい、と結論付けた。だが、ヤ・シュトラは相変わらず面白がるように悪魔の囁きを口にした。

「そうこうしているうちに、フィオナ以外誰も閲覧できないよう、封印してしまうんじゃないかしら。見るなら今のうちかも知れないわよ?」

 その言葉を聞いて、グ・ラハはあっさり納得してしまい、フィオナを探そうとした。だが時すでに遅し、膨れっ面をしたフィオナが何処かから戻って来た。

「私が死ぬまで、私以外誰も読めないようにしたから」
「なっ! やり過ぎだろ!! 少しくらい読ませてくれたっていいだろ!」
「ぜーったい、駄目!」
「本当に少しでいいんだって、オレがクリスタルタワーを封印した後から――」
「それ、少しどころの話じゃないんだけど!」

 そう言って、逃げるように足早に石の家を去ろうとするフィオナの後を、グ・ラハが笑みを浮かべながら追い掛ける。慌ただしく出て行くふたりの後姿を見送りながら、暁の血盟の皆は揃って苦笑した。だが、消沈していたフィオナを知っているタタルとクルルが浮かべているのは安堵の笑みであった。

「フィオナさん、元気になって良かったでっす」
「ええ。今はラハくんに再会出来た事で、ちょっと我儘になってしまっているのかも。『当たり前』が『当たり前じゃなくなる』事の辛さは、フィオナもじゅうぶん分かってる。きっとすぐに、今の日常を大切に思えるようになるわ」

 クルルの言葉に、英雄――冒険者は頷いた。グ・ラハ・ティアが百年以上の年月を掛けて世界を救い、漸く手に入れた『当たり前の日常』。己とフィオナも戦場で命を落としたと言われる第八霊災で、生き残り、例え自分たちが助からなくてもと、未来に希望を託していった人々の想い。すべてが見えない糸で繋がっていて、今がある。

「まあ、あまりにフィオナが我儘を言うようなら、実力行使でお仕置き出来なくもないわよ?」
「ちょっ、ヤ・シュトラ! いくらなんでもフィオナが気の毒よ! それならあたしが間に入ってフィオナの話を聞いた方が丸く収まるわ」
「アリゼーが入ると二対一になってしまうね。では、私がグ・ラハ・ティアに付こうか」
「アルフィノ、あのねえ……別にラハを苛めるつもりはないんだけど」

 それこそ当然の流れなのだが、グ・ラハ・ティアの『暁』加入は、暁の血盟全員が納得して受け入れた。寧ろ第一世界で共に戦い、共に苦難を乗り越えたのだから、今更と言った方が良いだろう。
 願わくば、フィオナの綴る冒険録が、いつまでも続くように。それは、英雄――冒険者だけでなく、皆がそう願っていた。グ・ラハ・ティアとフィオナ、ふたり一緒の冒険譚は、漸くこれから幕が上がるのだ。

2023/02/11

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