憂いと言う名の祈り

 夢を見ていた。
 この世界ではない何処か別の世界で、かの冒険者たちが、世界を救う為に戦う夢だ。
 見た事のない景色。見た事のない敵。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
 そこで冒険者が、暁の血盟の皆が戦い、休息の時には笑い合う。
 その光景は、まさに冒険譚と言って良いだろう。

 ただ、彼らの側には見知らぬ存在もいた。
 フードで顔を隠した、正体不明の男。
 何故男と分かるのか。それは、夢だというのに、会話や声もそれなりに聞き取れるからだ。
 その声が、懐かしいあの声に似ていると感じるのは、気のせいなのか、それとも――。





「やっぱり! フィオナも同じ夢を見たのね」
「クルルも!? 嘘……」

 石の家にて、目が覚めるや否やクルルとフィオナは互いが見た夢を話し合い、全く同じ内容だった事に驚愕していた。クルルだけならば、『超える力』の影響と想像が付くが、その力を持たないフィオナも同様の事象が発生しているとなれば――。

「『超える力』を持っていない私も、クルルと同じ夢を見たって事は……」
「おはようございまっす! お二人とも、聞いてくださいでっす! 冒険者さんたちが夢に――」

 タタルも同じ夢を見ていると、今の言葉だけで把握出来た。
 恐らく、強大な魔法か何かの類である。フィオナはそれが『第一世界』に住まう妖精――ピクシー族の能力とは知る由もない為、『彼』しかいないと結論付けた。

「水晶公って、本当に何者なの……?」





 どうやら、水晶公――本当はピクシー族のフェオ=ウルの力なのだが――第一世界の者の力によって、フィオナたちは夢を通して、冒険者たち暁の血盟の動向を追う事が出来た。
 それは、まるで歴史書や小説を、映像で見ているかのようだった。

 第一世界でミンフィリアと呼ばれる少女を助けた一行は、各地を転々とし、大罪喰いを倒していく。
 この第一世界は『闇』を失い『光』が暴走した環境であったが、冒険者が大罪喰いを倒す度に、その地に夜が訪れた。それは一見終わりの見えない戦いに見えたが、彼らの旅は確実に前へ進んでいた。
 この『ノルヴラント』と呼ばれる世界に闇を戻し、光と闇の均衡を再び保つ事で、世界の崩壊は免れる。つまり、フィオナたちのいる原初世界も『第八霊災』を回避できるという事だ。

 ただ、フィオナが気に掛かっていたのは、光の戦士――第一世界では闇を取り戻した事で『闇の戦士』と呼ばれる、冒険者の身体である。
 大罪喰いを倒すごとに、その膨大な光は冒険者の身体に吸収されていく。
 どうやら第一世界では、光を吸収すると『罪喰い』と化してしまうのだが、冒険者だけは光の加護の為か、影響を受けずにいた。
 だが、本当に大丈夫なのか。本当に影響を受けていないのか。実は、冒険者の身体を徐々に蝕んではいないか。

 フィオナの不安は的中した。
 冒険者がついに強大な光に飲まれ、罪喰いと化し――はしなかった。
 ずっとその時を待っていたかのように、水晶公がその光を杖に吸収する。クリスタルタワーごと自分だけ、別の世界へ転移しようというのだ。
 だが、それは嘘だった。
 ヤ・シュトラが、別の世界への転移は不可能だと主張した。つまり、転移先は次元の狭間――水晶公はクリスタルタワーごと消滅する気なのだと。

 次の瞬間、フィオナは夢の中だというのに、世界が止まったような感覚を覚えた。

 水晶公のフードが捲れ、その顔が露わになる。
 ミコッテ族の耳。白く変色しつつある、紅い髪。
 そして、アラグ皇族の血を受け継いだ者にしか現れない、紅色の瞳。
 クリスタルに侵食されている皮膚を見て、フィオナはどうして今まで認めようとしなかったのかと自身を罵った。

 水晶公はグ・ラハ・ティアに間違いなかった。

 だが、水晶公――グ・ラハ・ティアの転移は成功しなかった。途中からずっと冒険者一行と行動を共にしていたらしい、アシエン・エメトセルクが転移術を邪魔し、グ・ラハを連れてどこかへと消えてしまったのだ。

 フィオナの夢は、そこで途絶えた。





 それから、フィオナは一睡も出来ず、ベッドから起き上がる事も出来ないまま、ただただ天井を見つめていた。

 水晶公がグ・ラハ・ティアではないかと、冒険者は予め己に相談してくれていた。
 もしそうだとしたら、こちらの世界に戻って来ないとしても、どうか幸せになって欲しい。
 それだけを願っていた。
 それなのに、どうしてこんな事になったのか。
 自分の命を犠牲に、第一世界と原初世界、両方を救おうとするなんて。
 転移は免れても、アシエン・エメトセルクに連れ去られ、何をされているか分からない。

 フィオナの双眸からは、際限なく涙が零れ続けていた。

 冒険者は言っていた。ウリエンジェ曰く、第一世界を救わなければ、この原初世界で『第八霊災』が起こるのだと。
 水晶公は第一世界を救うために冒険者たちを召喚したのではない。その前提が間違っていたのだ。順序が違う。
 正しくは、原初世界の『第八霊災』を回避するために、己たちの世界のクリスタルタワーで眠っていたグ・ラハが目覚め、あの第一世界へと転移したのだ。

 どうして気付かなかったのか。
 どうして水晶公がグ・ラハ・ティアだと認めなかったのか。
 冒険者が相談してくれた時に、この事実に自力で辿り着いていたら。

 冒険者以外の暁の血盟の皆の身体に異変がないかを見守り、また、冒険者たちが不在の間、タタルやクルルと共に暁代表として代わりに会合に出席するなど、慌しい日々を送っていたが、そんな中でもフィオナなりに水晶公の事は調べようとしていた。
 だが、もし彼がグ・ラハ・ティアだとしたら、ずっと憧れていた冒険者を前にして、正体を隠すなど考えられないと思ったのだ。ゆえに、別人だと決め付けていた。

 自分の命と引き換えに世界を救う為に、敢えて別人を装っていたのだ。
 この世界のクリスタルタワーでフィオナと別れを告げた際も、自分が犠牲になる事を厭わなかった。

 グ・ラハ・ティアの性格を考えれば、分かる筈なのに。
 己は何も見えていなかった。

 自責の念に駆られるフィオナであったが、寝室として借りている部屋の外から扉を叩く音が聞こえ、我に返った。

「フィオナ、お邪魔しても良いかしら?」

 クルルの声である。皆に心配を掛けてはならないと、フィオナは涙を拭って起き上がり、ふらふらとした足取りで歩を進め、扉を開けた。
 そこにはクルルだけでなく、食事の乗ったトレイを持っているタタルもいた。

「さすがに何か食べないと、駄目でっす! フィオナさんにまで倒れられたら、私……私……」

 タタルはそう言うと突然大粒の涙を零した。フィオナは何事かと慌てて傍に寄って彼女の涙を拭う。

「タタルさん、私は大丈夫です」
「大丈夫なわけないでしょう! フィオナ、あなた何日も部屋から出て来なかったのよ」
「……え?」

 今度はクルルに叱られて、フィオナは鳩が豆鉄砲を食らったように目を見開いた。
 そんな様子に、クルルは肩を竦めて大きな溜息を吐いた。

「やっぱり。ラハくんの事を考えていて、時間の間隔も分からなくなっていたのね」
「……ごめんなさい……」

 それはタタルも泣き出す筈だ、とフィオナは素直に謝罪を口にした。そして、タタルが手に持つトレイに手を掛ける。

「ああ、二人の顔見たら、なんだかお腹空いてきちゃった。ひとりじゃ寂しいから、皆のいるところで食べようかな」

 そう言って微笑を零すフィオナに、漸くタタルは安堵の表情を浮かべ、クルルも苦笑しつつ頷いたのだった。





 サンドイッチとスープを堪能するフィオナを見て、タタルは満面の笑みを浮かべて呟いた。

「フィオナさんは本当に美味しそうに食べてくださるので、作り甲斐があるでっす」
「私はすぐ顔に出るから。タタルさんが私の為にわざわざ作ってくれるなんて……ウェッジさんが聞いたら羨ましがるだろうなあ」
「ウェッジさん?」
「あ、いや、なんでもないです!」

 フィオナも暁の血盟と関わるようになって、様々な人間関係が窺えるようになったは良いものの、余計な事を言いそうになるのが玉に瑕であった。ウェッジがタタルに片想いしているのは、傍から見れば一目瞭然なのだが、他人が口を出すより本人が直接告白した方が絶対に良い。タタルが鈍くてある意味助かったとフィオナは思いつつ、ウェッジの恋路を心の中で応援しながら、タタルの手作りサンドイッチを味わった。

「ねえ、フィオナ」

 クルルもタタルの淹れたお茶を口にしつつ、フィオナへと問い掛ける。

「私ね、ラハくんは生きていると思うの。もう二度とラハくんを失わないよう、きっと今頃、あの人が懸命に居場所を探している筈……ううん、絶対に見つかるわ」

 根拠はない。
 けれど、フィオナたちも夢を通じて、冒険者や暁の血盟の皆の戦いを見て来ている。
 もう世界は滅びるのだと諦めた人たちが、希望を取り戻し、様々な種族が手を取り、力を合わせ、すべての大罪喰いを倒すに至ったのだ。
 奇跡は何度でも起きる。否、彼らならきっと起こす事が出来る。
 フィオナはクルルの言葉に頷いた。

「……私たちが悲観的になったら、きっと第一世界にいるヤ・シュトラさんに怒られますね」
「ふふっ、そうね」

 これがもし、自分も第一世界に召喚されていたとしたら。
 今こうしてタタルとクルルに励まされたのと同じように、アルフィノやウリエンジェもそうするような気がする。冒険者も絶対に諦めるなと、共にグ・ラハを救おうと言ったに違いない。そして、ヤ・シュトラからは「シャーレアンの賢人ならしっかりしろ」と叱責されて、アリゼーには「大好きな人なんでしょ!?」と誤解を招く認識をされて背中を叩かれるのだろう。

「というか、どうしてグ・ラハは私を召喚しなかったのかな……ギムリト以外でも戦った事も一応あるのに、そんなに足手纏いに見えたのかな」

 フィオナは別に「そんな事はない」と言って貰いたくて愚痴ったわけではなく、自分がもっと戦力になれる経験を積んでいたら、第一世界に召喚されたかもしれないとふと思ったのだ。
 だが、それを否定したのはタタルであった。

「何言ってるんでっすか。フィオナさんだけは巻き込みたくなかったから、敢えて召喚しなかったんでっすよ」

 タタルに同意するように、クルルも言葉を続ける。

「ラハくんが時空の狭間で消滅する事をはじめから決めていたのなら……フィオナ、あなたを目の前で泣かせるような事は、もう二度としたくなかったのかも知れないわ」

 さも当然のようにふたりにそう言われて、フィオナは気恥ずかしさを覚えて、俯いて黙々とスープを啜った。
 皆誤解しているのかも知れないが、己とグ・ラハは決して恋愛感情のある関係ではなかった。男女の関係ではなくとも、あんな形で仲間を失えば、引き摺るのは当たり前だ。それは己だけでなく、かの冒険者も同じである。

「あの、別にグ・ラハにとって私は『そういう』存在ではないですよ」

 苦笑しながらそう告げるフィオナであったが、クルルは首を横に振って、真っ直ぐな瞳を向けた。

「例え恋人ではなくても、私からしたら、あなたたちは『特別』な関係よ。シャーレアンにいた頃から、ずっと一緒にいたんでしょ?」

 どうやら誤解していたのは自分のほうだったと、フィオナは頬を紅潮させ、それ以上何も言えなかった。

 ただ、冒険者に対しても、目の前で辛い思いをさせたくない筈だ。とはいえ、膨大な光を吸収する事が冒険者にしか出来ないからこそ、召喚は苦渋の決断だったのかも知れない。
 それはそれで、一体冒険者にどれだけの事を背負わせれば済むのか。例えそれが世界を救う為だとしても、何もかもあの人に背負わせ過ぎている。勿論、これはこの原初世界にいる、己を含む皆に対しても言える事ではあるのだが。

「……やっぱり、役立たずでも私を召喚して欲しかった!」
「フィオナさん、私たちの話聞いてまっすか?」

 フィオナの脳内など知る由もないタタルは少々呆れ気味に訊ねたが、クルルが首を横に振ってこう告げた。

「ラハくんが原初世界に帰ってこない限り、フィオナは一生言い続けるわね、きっと」





 せめて後片付けはしようと、フィオナは自分が食べ終わった後の食器のほか、この石の家に繋がっている酒場、セブンスヘブンの洗い物もまとめて片付ける事とした。フィオナがこのレヴナンツトールに来て、クリスタルタワーの調査を行っていた頃、クリスタルブレイブの一員だった人たちの一部は、今『暁の血盟』の一員として働きながら、この石の家を守っている。

「フィオナさん、体調は良くなりましたか? ご無理はなさらぬよう……」
「だ、大丈夫です! 申し訳ありません、ご心配をお掛けしてしまって」

 暁の血盟の一員に声を掛けられ、フィオナは苦笑を浮かべた。
 夢を通して第一世界の冒険者一行を見ていたのは、フィオナとクルル、タタルの三人だけであった。ゆえに、フィオナは体調不良で何日も部屋から出て来なかった、という事になっているらしい。ある意味間違ってはいないのだが。

「……本当に、タタルさんには何度お礼を言っても足りませんね。頭の下がる思いです」

 フィオナはそうぽつりと呟いた。食事を用意して励ましてくれた事だけではない。これまでの事を思い返して、改めてそう思ったのだ。

「一緒に戦うより、帰りを待つ事のほうが辛く、忍耐のいる事だと痛感しました。タタルさんは、この『石の家』が『砂の家』だった頃から、ずっと皆の帰る場所を守って、皆を笑顔で送り出し、皆の帰りを待ち続けて……」

 洗剤の泡で包まれた食器を水で洗い流しながら、フィオナはまるで独り言のように言葉を続ける。

「タタルさんは元から受付として、暁の血盟を切り盛りして来た事は勿論ですが、さりげない気遣いや、皆が安心して帰って来れる居場所をずっと作ってくれている事が、本当に凄いと感じます。なかなか出来る事ではないですから」

 そこまで言って、フィオナは我に返った。一体何を口走っているのかと思ったものの、フィオナの言葉に耳を傾けていた暁の血盟の者たちが、皆同意するように頷く。

「フィオナさんの言う通りだ。タタルさんがいるから、皆安心して戦いに出れるというものだ」
「やっぱり、感謝の言葉はちゃんと口にしないと駄目ですね」
「フィオナさん、タタルさんがその言葉を聞いたら喜びますよ!」

 次々に言われて、フィオナは気恥ずかしくなってしまったが、タタルの頑張りがちゃんと皆にも伝わっているのだと分かり、無性に嬉しく感じた。当たり前にある日常を、当たり前だと思ってはいけない。誰かの頑張りや気遣いがあるからこそ、皆の日常が続いていく。

「では、洗い物が終わったら皆でタタルさんのところに押しかけて、皆で御礼を言いましょうか」
「皆で押し掛けたら、タタルさんびっくりしてひっくり返るんじゃないか……?」

 当たり前の日常を当たり前だと享受せず、この日常を守る為に生きて行く。
 当たり前の日常が突然失われてしまう事は、フィオナもグ・ラハ・ティアを失うという形で経験している。
 この世界で起こっている戦争も同じで、きっと皆、当たり前のように続くと思っていた日常が、突然壊されたのだ。
 それは今、冒険者たちがいる第一世界もそうで、きっと他の鏡像世界も同じだ。

 力になれない事は心苦しいが、今は皆がこの世界に帰って来る事を信じて、待ち続けよう。フィオナは改めてそう決意した。その『皆』の中には、当然グ・ラハ・ティアも含まれている。
 第一世界で幸せになる道もあるだろう。だとしても、もう一度会いたい。もう一度会って、散々怒って、そして、「ありがとう」と「おかえり」を伝えたい。フィオナの心の中に、そんな我儘な感情が芽生え始めていた。

2023/01/29

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