- モノクロームの空にはお似合いだ -

 ヴィクター・ヴァレンタインから、警察関係者からの依頼で精神世界に入る為の装置を開発しており、ちょうどその試作品がラボにあるという説明を受けた。それを使う事でジェットの精神世界に入り、直接対話する事が叶うのだという。
 ただ、その為には一度ジェットに人格を変える必要があり、そんなタイミングでアッシュがどういうわけか彼女と共にラボを訪れて――気付いた時には、既に見知らぬ場所にいた。
 薄暗い監獄。きっと、ここがジェットの精神世界なのだろう。
 問題は、アッシュも己と一緒にいるという事だ。



 どうやらアッシュはヴィクターから精神世界からの脱出方法を聞いて、己を連れ戻す為にここに来たらしい。更には、ジェットのせいで彼女まで巻き込まれてこちらの世界に来てしまったと聞かされて、血の気が引いた。

「どうしよう……僕のせいだ……」
「ああ、全くだ。てめぇがジェットに頼るなんてくだらねぇ事考えなければ、こんな事態にはなってなかっただろうな」
「…………」

 どうしてよりによってアッシュと同じ場所にいるのだろう。彼女もジェットもこの精神世界にいるのなら、二人のうちどちらかと一緒だったなら、こんなに陰鬱な気分になる事もなく、前向きに考えられたのに。

「とにかく二人を探すぞ。少なくともジェットがいねぇと話にならねぇからな」

 現実世界に帰還する為の装置はアッシュが持っていて、それを使ってヴィクターと連絡を取る事は可能なものの、ここから脱出するにはこの世界の主であるジェットが傍にいる事が条件なのだという。
 今しなければならない事は実にシンプルで、とにかく二人を見つけ出す、ただそれだけだ。それだけだというのに、何か行動する度にアッシュに罵られるのが分かり切っているだけに、そう簡単にいかないのは明白だった。今すぐに、せめて二人のうちどちらかでも良いから見つかって欲しい――そんな僅かな希望を胸に、この監獄の探索をアッシュと共に始めたのだった。





 ここは精神世界だというのに、どういう訳かイクリプスのような敵が出て来て、更にはサブスタンス能力が発動出来ない状況下である事が分かり、ずっとアッシュの足を引っ張ってばかりだった。当然ながら、事あるごとに己の発言を否定され、早くも精神的に疲弊していた。ここ最近はそこまで追いつめられる事がなかっただけに、昔の自分に逆戻りしてしまったように感じた。

 そこで、漸く気付いた。『ここ最近は追いつめられる事がない』のではなく、追いつめられる前に意識を失っているのだ。つまり、ジェットに人格が代わっているという事だ。己の意思ではなく強制的に『そうなって』いたから、きっとジェットが見かねて度々表に出て来たのだと思う。
 だとしたら、どうして己の問い掛けには答えてくれないのだろう。

「おい、ギーク。探す気あんのか? ぼけっとしやがって、誰のせいでこんな目に遭ったと思ってる」
「探す気がないなんて……寧ろ早く見つかってくれないと耐えられない位なのに……」
「なんだと!?」
「ヒッ……」

 もう嫌だ、本当に早く元の世界に戻りたい。その為にも、一刻も早く二人を見つけないと。せめてジェットか彼女、どちらかと合流出来れば、この最悪な空気はマシになる。二人とも絶対に己に味方してくれる事が分かっているだけに、仮定する必要もなく断言できる。

「どうせジェットかルリに助けて欲しいとか思ってんだろ?」
「……そ、そんな事は……」
「顔に出てんだよ。結局自分を肯定してくれる存在に頼らないと何も出来ねぇってワケか」

 そんな事はないとはっきり否定出来たらどんなに良いか。
 実際、この世界で自分は何も出来ていない。敵を倒す事すら出来ず逃げ回るばかりで、きっとサブスタンス能力が使えたとしても同じだったと思う。
 互いの能力を利用し協力して戦うという行為は、ビリーのように信頼関係が成り立っているからこそ為せる業だ。アッシュとなんて出来るわけがない。前に一度だけアッシュと協力出来たのは、あの時はあくまで非常事態であり、ジェイとビリーも一緒にいたというのが大きい。今この場では、どう考えても無理だ。

「大体、お前が最初からルリに関わらなければ、少なくとも無関係のあいつを巻き込む事だけはなかっただろ。そこは理解してんのかよ?」
「……そもそもラボにルリちゃんを無理矢理連れて来たのはアッシュじゃ……」
「俺のせいだって言いたいのか!? 元はと言えばてめぇがルリの同情を引くような事をしてたせいだろうが!」
「同情を引くなんて、そんな事はしてない……!」

 二人が見つからなくて苛々しているのは分かっている。けれど、さすがに彼女の事まで持ち出されて、我慢はできなかった。彼女は己と再会した事で、ヒーローとして再起する事が出来たのだ。彼女が己に対してはっきりとそう言ったのだから、自惚れじゃなくて紛れもない事実だ。それを自分の思い込みだと否定したら、彼女の言葉を否定する事にもなる。
 己の事は何を言っても構わないけれど、彼女の己への想いを同情だとアッシュに決め付けられる事だけは許せなかった。

「随分と自信があるようだが、俺はお前以上にルリと長い付き合いだ。お前以上に何年もあいつを見て来てるから分かるんだよ。ギーク、ルリはお前を男として見てるんじゃねぇ、同情を愛情だと勘違いしてるだけだ」
「……そうやってずっと、恋人でもないのにルリちゃんに干渉し続けてたんだ」
「なんだと?」

 突然、アッシュに胸倉を掴まれて、恐怖で頭が真っ白になった。それでも、口にした事は後悔していない。
 彼女と己が恋人同士、とまではいかなくとも、それに近い関係であるとアッシュも察している筈だ。『何年も見て来てる』のなら。アッシュは彼女の恋人でもなければ、彼女の事を異性として見ているわけでもないのに、そこまで言われる筋合いはない。

「戦う事すら出来ねぇ癖に、ルリの事になると歯向かうのかよ。恋愛脳なのは勝手だが、まずはヒーローとして結果を出してからにしやがれ!」

 これ以上楯突けばますます拗れて、肝心のジェットと彼女の探索が遠退いてしまう。言いたい事は山のようにあるけれど、真面目に言い返したところでアッシュが考えを改めたり折れたりする事は絶対にないと言い切れる。時間の無駄だ、そう自分に言い聞かせて、目を逸らして黙る事にした。

「結果も出さねぇで偉そうに歯向かっておいて、正論を言われたら黙るのかよ」

 そもそもこちらの言い分を受け容れる気もなく、ただ言い負かしたいだけな癖に。そう言いたい気持ちを堪えてただ黙っていると、漸くアッシュの手が己の首許から離れた。

「チッ、本当になんでルリはこんな奴に惚れてんだか……」

 彼女の事を己より理解しているなら、彼女が何故己の事を異性として見ているのかも分かるのではないか、なんて思ってしまった。さすがにそれを口にする気はないけれど。

 HELIOS入所からずっと、アッシュが彼女に干渉していたのは事実だ。情報通のビリーがそう言っていたのだから、間違いない。





『グレイ、なんでルリパイセンに彼氏がいないか考えたコトってある〜?』

 以前、ビリーが冗談めかしてそんな事を訊ねて来て、悪ふざけで言っているのかと一瞬思ったのだけれど、やんわりと咎めるより先にその理由を知りたくなってしまった。

『確かに……ヒーローとして結果を出せなくなったとしても、それと恋人がいるかいないかはあまり関係ないよね……』
『寧ろ弱ってる時こそ悪い虫が寄ってくるって言うし?』
『そ、そういうものなんだ……でも、今のルリちゃんって昔みたいに取っ付き難くないし、良い子だし、綺麗だし……逆に彼氏がいない事が不思議かな』
『気になる?』

 一体、情報料としていくら払わないといけないのだろう。いや、金銭の遣り取りをして彼女の事を探ろうとするなんて良くない。一瞬財布を探そうとしたけれど、必死に理性を働かせて堪えた。

『グレイ、眉間に皺が寄ってるヨ〜。そんなに悩むなら、今回は特別にタダで情報提供しちゃう!』
『いや、でも……ルリちゃんの個人的な事を探っちゃっていいのかな……』
『探るというか、俺っちが知り得た事実を言うだけだヨ』

 ビリーは悪びれもせずそう言えば、更には何も対価を得る事などないというのに、あっさりと情報を提供してくれた。

『ルリパイセンって、同期のよしみでアッシュパイセンに定期的に絡まれてるんだよネ。それも入所時からずっと』
『うわ』

 考えるより先に声が出てしまった。まさか己のように虐めを受けていたなんて事が、あったとは思えないけれど、だからといって絶対にないとは言い切れない。

『オスカーパイセンも同期だったから、よく二人の間に入ってトラブルは起きなかったらしいけど』
『そうなんだ、良かった……ルリちゃんもアッシュに虐められてたらどうしようかと思った……』
『いや、絡まれるってそういう意味じゃないヨ。アッシュパイセンがルリパイセンを強引に遊びに連れ出したり、有無を言わさず外食に付き合わせたりとか』
『え……?』

 安心したのも束の間、一気に血の気が引いた。遊びに行くのも食事するのも、恐らく大勢ではなく二人きりで、だろう。そんな関係が他人からはどんな風に見えるのか。考えるまでもなかった。

『……それって、ルリちゃんに彼氏がずっと出来なかったのは、周りからアッシュと付き合ってるって思われてたから、って事……?』
『御名答! ルリパイセンも災難だよネ〜、何も知らないまま、なんで自分には出逢いがないんだろうって悩んでたりして……』
『でも、凄く納得がいく……』

 アッシュがアカデミー時代と変わらず、人を傷付けているのは入所した後に知った。ルーキー時代は『メンター潰し』なんて言われていたらしい。例え彼女の事を好きだと思う人がいたとしても、アッシュが傍にいては近寄りたくないと思うかも知れない。

『……でも、ビリーくん、どうしてそんな情報を僕に……?』
『グレイがルリパイセンとアッシュパイセンの仲を誤解して、傷付いちゃったらボクちんも悲しいし……』
『僕の為に? ありがとう、ビリーくん。でも、ルリちゃんの事は信じてるから大丈夫』
『そう? ならいいけど……俺っちとしてはルリパイセンも脇が甘いな〜って思っちゃうんだよネ』

 確かに、彼女なら嫌な事は嫌だと毅然とした態度で言えると思うのだけれど。嫌々だとしてもアッシュと二人きりで行動する事がある時点で、そこまで嫌だとは感じていないという事になる。
 彼女の事は信じている。彼女は僕の事を異性として好きで、他の人に同じ感情を抱く事はないという事も分かっている。
 つまり、彼女が悪いのではなく、己自身の問題だ。彼女が己を苦しめている相手と一緒にいるというだけで、とてつもない絶望感に襲われる。世界が闇に包まれるような錯覚すら覚えるほどに。
 こんな感情を、一般的には『嫉妬』と言うのだろう。





「――おい、ギーク! 聞いてんのかよ!」

 アッシュの罵声で我に返った。過去のビリーとのやり取りをふと思い出してぼうっとしていた。

「本当に、誰のせいでこんな事になってんのか分かってんのか!? とっととあの二人を探すぞ!」
「……分かりました」

 そもそもアッシュが喧嘩を吹っかけて来なければ、今頃とっくに二人を見つけられていたかも知れないのに。とにかく二人を見つけ、ジェットを説得し、そして皆で元の世界に帰る為には、様々な事を我慢するしかない。彼女とアッシュを巻き込んだのは己のせい、というのは紛れもない事実である以上、罵声を呑み込まなければならないのもまた事実だ。
 とにかく一刻も早く二人と合流したい――そんな切なる願いを胸に抱いて、仕方なくアッシュに従う事に決めたのだった。

2021/07/24
[*prev] [next#]
[back]
- ナノ -