英霊召喚

 聖杯戦争。
 幾多の伝承において語られる、あらゆる願望を実現させるという『聖杯』の再現。
 しかし、その聖杯が叶えるのはただ一人の人間の祈りのみである。

 聖杯に選ばれた7人の魔術師に、聖杯が選んだ7騎のサーヴァントが与えられる。
 騎士『セイバー』。
 槍兵『ランサー』。
 弓兵『アーチャー』。
 騎兵『ライダー』。
 魔術師『キャスター』。
 暗殺者『アサシン』。
 狂戦士『バーサーカー』。

 マスターとなった魔術師は、この7つのクラスを被ったサーヴァント一人と契約し、自らが聖杯に相応しい事を証明しなければならない。
 つまり、マスターとなった者は、他のマスターを殺して、自身こそ最強だと示さなければならないのだ。
 聖杯を求める行いは、その全てが『聖杯戦争』と呼ばれている。

 約200年前。全ての魔術師の悲願たる、この世の全てを記録し、この世の全てを創造できるという神の座『根源の渦』へと到る試みを、実行に移した魔術師達がいた。
 アインツベルン。
 マキリ。
 遠坂。
 彼らは『始まりの御三家』と呼ばれた。
 以来、60年に一度の周期で、聖杯はかつて召喚された極東の地『冬木』に再来する。




「アーチボルト先生、お話があります」
 時計塔でのある日、柊優花梨は険しい目付きで、降霊科の講師、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトへ詰め寄った。
 理由は至って単純だ。ウェイバーが長年かけて構想・執筆し、完成させた論文を、眼前のケイネスが、公衆の面前で執筆者本人ごと貶したからである。

 皆の前で侮辱するだけでなく、長年の努力をたった一声で無かった事にするなど、講師として行ってはいけない事だ。ウェイバーを無能だと罵るなら、有能にするよう育てるのが講師の役目ではないのか。優花梨はそう判断し、心の中で憤慨した。
 表立ってその場で怒りを露にしなかったのは、それが庇いたい相手の顔に泥を塗る行為だと、数年前に生徒達に時臣を貶された際に学習したからである。

 優花梨の行動はケイネスにとっては想定の範囲内であったらしく、淡々とした態度を貫いていた。少し考えた素振を見せた後、何か閃いたかの様な表情をし、指定する時間に空き教室へ来るよう優花梨へ命じた。
 話があるのは此方なので、願ったり叶ったりだ。優花梨は指定通りの時間に、勇み足で空き教室へ向かった。


「さて、優花梨君。話があるという事だが、此方は多忙の身だ。簡潔に纏めて頂こう」
「アーチボルト先生、あんまりです。あんな風に、皆の前でウェイバーを晒し者にするなんて」
 優花梨は握り拳を作ってケイネスに詰め寄った。ちなみに、空き教室にはケイネスの婚約者のソラウ・ヌァザレ・ソフィアリも同席していたが、優花梨とは正反対に、まるで置物の様に冷たい表情で佇むだけだった。

「……全く、君の様な将来有望な生徒が、あんな落ちこぼれに入れ込むとは。君のご両親もさぞ泣いている事だろう」
「両親は関係ありません。それに、入れ込むとかそういう事じゃなくて、あの様な差別は教師として良くないと思います」
 優花梨の言葉に、ケイネスは思い切り眉を吊り上げた。どうやら『教師として良くない』という台詞が気に障った様だ。
「――それは、私に対する侮辱と捉えて良いのかね? 優花梨君」
「えっ……あ、あの、そういうつもりじゃ…」
 いきなり失言をしてしまい、優花梨は今までの堂々たる態度から一変、慌てふためいて視線を泳がせた。言峰綺礼の時もそうだが、大の大人相手では、討論で優花梨に勝ち目は全くないのだ。

「……そういえば、君を援助している遠坂時臣」
 ケイネスの口から、突然出て来た人物の名前に、優花梨は思い切り肩を震わせた。また時臣様の名前に傷が付いてしまう。すぐさま泣きそうになる優花梨を前に、ケイネスは思いもよらぬ話をした。

「彼も聖杯戦争に参加するのだろう?」

 まさかその話が出て来るとは思わなかった。
 そういえば、ケイネスも聖杯戦争に参加するという噂が流れていたが、今こうして時臣の事を訊ねて来るという事は、噂は真実なのだろう。
 遠坂家は始まりの御三家だ。今更隠す必要もない。優花梨は毅然とした態度で告げた。
「はい、アーチボルト先生。時臣様――遠坂家の現当主、遠坂時臣も、聖杯戦争に参加します」

 優花梨の返答の後、暫く沈黙が続く。会話の主導権は既にケイネスにある。優花梨はケイネスの言葉を待った。

「柊優花梨君。君はどちらを取るのかね?」
「――え?」
 ケイネスの質問の意図が瞬時に分からず、優花梨は呆けた声を出した。ケイネスはそれを咎める事もせず、優花梨に分かる様に言葉を言い換えた。
「私と遠坂時臣、どちらを取るのか、という意味だ。いや――『時計塔』と『遠坂家』、どちらを取るかと言った方が正しいか」

 その質問に、優花梨は閉口した。
 答えは明白だ。遠坂家だ。今の自分があるのは全て遠坂時臣のお陰であり、彼、および遠坂家に生涯を捧げると、既に心の中で誓っているのだ。
 しかし、それを口にする事は躊躇われた。自身をこの時計塔へ導いたのは時臣だ。その理由は、優花梨自身が優秀な魔術師となる為だけでなく、将来、次期当主となる遠坂凜の支えとなる為――云わば、時計塔・魔術協会とのコネクションをより多く作る為でもある。
 ここでケイネスを否定してしまう事も、それもまた、時臣の願いに反する事になるのだ。

「アーチボルト先生……ごめんなさい。私、選べません。時計塔も、遠坂家も、私にとってはどちらも大切なんです」
 涙声でそう訴える優花梨に、ケイネスはわざとらしく溜息を吐いた。「遠坂の方が大事だ」とでも言おうものなら、時計塔から追い出してやろうかと思ったのだが、魔術以外の一般常識が欠けている割には、意外にも自分の立場を弁えている。それだけ、招聘時に比べて成長したという事か。
 ケイネスは質問を続けた。
「では、君は聖杯戦争について何処まで知っている?」

 優花梨は口にする内容を慎重に考え、小首を傾げて質問に答えた。
「えっと……聖杯に選ばれた7人の魔術師が、英霊を召喚して争い、最後に残った一人が、聖杯に願いを叶えて貰える…のですよね?」
「それだけ分かっていれば充分だ」
 何か拙い事を言っていなければ良いのだが。優花梨は不安に駆られ、ケイネスの意図を訊ねようとした。
「あの、アーチボルト先生――」
「つまり、私と遠坂時臣、どちらかが死ぬ可能性も十二分にあるという事だ」

 ケイネスの言葉に、優花梨の顔面は蒼白と化した。

 時臣がケイネスに負ける事など、まず有り得ないと思っている。だが、もし万が一、不慮の事態が起こったとしたら――優花梨は手を震わせ、涙ぐんだ。
 優花梨はケイネスを過小評価などしていなかった。時に辛辣な態度も取るが、魔術師として一流である事に変わりはない。優花梨にとっては時臣が全てで絶対的な存在だが、だからといって、降霊科の師であるケイネスが時臣より弱いと断言するつもりはない。

 黙り込み、今にも涙を零しそうな優花梨の態度に、ケイネスは満足した様だった。
 要するに眼前の少女は、そこまで分かっていなかったのだ。
 ケイネスは不敵な笑みを浮かべて、思案した。遠坂家の当主が聖杯戦争に参加する事は確定だ。聖杯戦争が終わるまで、柊優花梨は精々遠坂家の当主の安否に涙を流しながら毎日過ごすといい。己が時計塔に帰還した暁には、遠坂家の庇護を失った彼女がどうしても時計塔に残りたいと懇願するならば、面倒を見てやらなくもない。

「さて、話はもう終わりかね? 優花梨君。私ももう話す事はない。暗くなる前に帰りたまえ」
 ケイネスはついに泣き出した優花梨を見下ろし、珍しく優しい声色で告げた。



 まもなく陽も落ちる夕暮れの中、寮への道をとぼとぼと歩く優花梨に、背後から思いがけない人物が声を掛けた。
「柊優花梨」
 振り向くと、そこには先程ケイネスと同席していたソラウ・ヌァザレ・ソフィアリの姿があった。

 彼女に話し掛けられるのは初めてだ。なにせ彼女は、降霊科学部長の地位を歴任するソフィアリ家の息女である。
 例え王冠に近い生徒だと褒め称えられようと、所詮自分はただの生徒だ。彼女に軽々しく話し掛ける事は憚られるし、そもそもそんな機会もなく、そんな事をする理由もなかった。
 なので、どう言葉を交わして良いのか、流石の優花梨も躊躇った。
「な、なんでしょう? ソラウ様」

「案外つまらない人間なのね、貴女って」
「…え?」
「知ってるわよ。貴女、まだ時計塔に招聘されたばかりの頃、遠坂の当主を馬鹿にされて、怒りに任せて教室の壁を破壊したんでしょ? あの後、修復するのも大変だったそうよ」
「あ、ああっ、あの…えっと……申し訳…ございません…」
 まさかそんな黒歴史をまた掘り返されるとは思わず、優花梨は赤面し、ただただ頭を下げて平謝りした。学部長の娘であるソラウがこの事を知っているのは、寧ろ当然の事である。

 デジャヴ。そんな言葉が優花梨の脳裏を過ぎった。
 つい最近も同じ様な事を言われた。そう――日本に帰国した際、言峰綺礼に。
 綺礼との遣り取りが思い返され、優花梨は一気に機嫌を悪くした。目の前のソラウに罪はないが、つい口答えをしてしまった。
「それだけ私も成長したという事です。そうでないと、遠坂家の名前に傷が付きますから」

 優花梨のその言葉に、ソラウは納得したように頷いた。
「成程。そういう事」
「えっと…どういう事ですか?」
「貴女さっき、ケイネスと遠坂、どちらも選べないなんて言ってたけど、あれ、嘘でしょ」
 ソラウの鋭い発言に、優花梨は硬直した。
「やっぱり図星。貴女って分かり易い」
 意地悪そうな笑みを浮かべるソラウ。またしても、これに近い遣り取りを綺礼とした事を思い出し、優花梨は軽く死にたくなった。

 そんな優花梨を見て、ソラウは心底楽しそうに饒舌に話を続ける。
「遠坂の名に傷を付けたくないから、どちらも選べないって言ったのよね? 全ては遠坂の為。遠坂の為なら、プライドも捨てる。思ってもいない事も口にする。涙だって流してみせる。案外やるのね? 遠坂の忠実なお人形さん」

 ――人形。
 その言葉に、優花梨は目を見開いた。毅然とした表情でソラウを見上げる。綺礼の時の様に、言われっ放しだなんてもう御免だ。
「人形。確かにそうです。でも私は、心を持った人形です」
 その言葉に、今度はソラウの顔が強張った。優花梨の言葉は止まらない。
「私は時臣様の操り人形。時臣様の敷いたレールをただ走るだけ。そしてきっと、将来は時臣様の決める相手と結婚させられる。ソラウ様――政略結婚させられた貴女のように」

 平常心を装いつつも、明らかに不快感を露にした形相でソラウは訊ねた。
「貴女、誰に向かって口をきいてるの?」
「私が人形なら、ソラウ様、貴女も人形。でも私は、心を持った、感情を宿した人形。恋もするし、好きな人を否定されたら怒りもします」

 ソラウは我に返った。情けない事に、完全に優花梨のペースに引き摺られていた。こういう、言いたい事をただ感情的に言うだけの、頭の悪い人間は反吐が出る。ソラウは一息吐いて、優花梨の言葉を否定した。
「だったら何なの? 感情があろうとなかろうと、同じ事じゃない。恋をしようと、結局は好きな相手とは結ばれないのよ」
「……そうですね」
 意外にもあっさり認めた優花梨に、ソラウは面白くなさそうにわざとらしく溜息を吐いた。
 ちなみに、ソラウが優花梨を追って話し掛けた理由は、ケイネスとの遣り取りで何となく裏があると思ったからだ。俗に言う、女の勘である。それと、こういうタイプはついつい苛めてみたくなるのだ。

「貴女があの――名前、何だったかしら。ケイネスが貶した生徒の事が好きなのは分かったわ。それで、何? 貴女は結局私に何を言いたいわけ?」
「……私はただの人形じゃないって、ソラウ様に分かって欲しかったんです」
「はぁ?」

 本当に、だから何だというのだ。ソラウは、これ以上彼女に付き合う行為が完全に馬鹿らしくなった。時間の無駄だ。ストレス解消になるかと思ったのに。そう後悔し、踵を返した瞬間、優花梨が声を上げた。
「あの、ソラウ様」
「……なによ。オチのない話ならまっぴら御免よ」
「ソラウ様は、誰かを愛した事はありますか?」

「――は?」
 優花梨の馬鹿げた問に、ソラウはつい振り返り、素っ頓狂な声を上げてしまった。そして、柄にもなく本音を告げてしまった。
「貴女、自分で言ったじゃない。私達、人形だって。――私は生憎、心なんて持たないのよ」
「そんな事はありません! ソラウ様も、そういう人に出逢えば、きっと…」
「やめてよ、馬鹿馬鹿しい。これ以上頭の悪い話に付き合うつもりはないわ」
 ソラウは片手を振り、再び踵を返した。本当にもうこれ以上、柊優花梨と話すつもりはない。とりあえず、最後に捨て台詞だけ言ってやった。
「精々、聖杯戦争が終わった後の身の振り方について、よく考える事ね。遠坂家の当主が生き残る保証はないのよ」

 まさかそれから数日後、ケイネスの聖遺物がウェイバー・ベルベットによって盗まれ、代替として用意した聖遺物で召喚したサーヴァント【ランサー】、真名――ディルムッド・オディナに恋をする事になるなど、この時のソラウは当然、知る由もなかった。



 取り残された優花梨は、ひとり首を傾げた。一体ソラウは何の為に自分に話し掛けたのだろう。よく分からなかったが、綺礼の時ほど不快には思わなかった。
 それはきっと、彼女が自分と同じ『人形』だからだろう。心の何処かで彼女に同情しているのかも知れない。そう考えると、自分もつくづく性格が悪くなったものだと思う。

 ソラウのお陰で、すっかり気が滅入ってしまった。このまま寮に戻ったところで、悶々として過ごすだけだ。それなら気分転換に本でも読もうと、優花梨は図書館へと向かった。



「――あれ? ウェイバー?」
 まさかふらりと立ち寄った図書館で出くわす事になるとは。優花梨はかつて仲の良かった少年、今日ケイネスに公衆の面前で罵られた少年――単刀直入に言うと、密かに恋をしていた少年の姿を見つけ、目を見開いた。有無を言わず、彼の元へ駆け寄る。

「ウェイバー、何してるの?」
「うわっ!!」
 余程本に熱中していたのか、背後にいる優花梨に一切気付かず、突然声を掛けられたウェイバーは思い切り身体を震わせて驚愕の声を上げた。大袈裟なリアクションに、つい優花梨は笑みを零した。
「ウェイバーって本当面白いね」
「……嫌味かよ。そうだよな、今日まさに教室でアーチボルト先生に笑い者にされたからな」
「そういう意味で言ったんじゃないよ」
「ボクにとっては同じ意味だ」
 優花梨が何も考えず放った言葉に、ウェイバーはすっかり不機嫌になった。優花梨を睨み付けた後、再び背を向けて本を読み始める。
「悪いけど今、オマエの話し相手になる余裕はない」

 本当に言葉通り、ウェイバーは一生懸命手元の本を読み耽っている。ふと見回せば、ウェイバーの周りには大量の本が山積みされている。何の調べ物だろうか。ケイネスに論文を一蹴されたので、リベンジしようとしているのだろうか。
 ――ウェイバーは何も悪くないのに。ウェイバーの才能を見出して伸ばすのは、アーチボルト先生の役目なのに。それなのに、あんな事言うなんて。本当に酷いよね。
 そう言いたいのに、言葉が上手く出て来ない。今のウェイバーに話し掛けるのも野暮である。このまま立ち去ろうかと思った時、本とは異なるものが、優花梨の目に止まった。思わず、『それ』に手を伸ばす。
「――触るな!!」
 間髪入れず、ウェイバーは優花梨の手を叩き払った。優花梨もだが、ウェイバーも自分の咄嗟の行動に驚いたのか、互いに目を合わせ、気まずそうに視線を逸らした。

「ウェイバー、ごめんね」
「いや、ボクが悪い。いくら優花梨とはいえ、女に手を上げるなんて最低だ」
「ううん、黙って勝手に触ろうとした私が――ってウェイバー、『いくら優花梨とはいえ』って何? どういう意味?」
「言葉通りの意味だ」
「なにそれ! 私の事女だと思ってくれてないの!?」
「思ってるよ。だから『女に手を上げるなんて』って言っただろ」
「その前の言葉が余計だよ」
「さっきボクの事を馬鹿にしたお返しだ。……って、本当に話してる余裕ないんだよ!」
 ウェイバーは焦ってそう言うと、優花梨に背を向けて本に目を向けた。再び優花梨は視線を巡らせる。これだけ山積みされている本は、一体何の資料なのだろう。

 そもそも、ウェイバーは何の本に熱中しているのだろうか。何気無く視線を遣ると、そこには驚愕の内容が書かれていた。


『聖杯戦争』。


 嫌な予感がした。まさか、先程ウェイバーが叩いて払い除ける程、触られるのを拒んだ『それ』は――
「おい、優花梨。もう外も真っ暗だろ。ボクの事はいいから、早く帰れよ。ボクと話すより、トオサカから教わった魔術の特訓でもしてる方が、オマエにとっては余程有意義だろ」
 優花梨の思考は、ウェイバーの捲し立てる様な言葉で、止まってしまった。今目の前にいるウェイバーに言われた言葉の方が、優花梨には余程堪えたのである。

「……邪魔してごめんね。じゃあ、もう帰るね。ウェイバーも、あまり遅くならないようにね」
「大きなお世話だ」
 寂しそうにそう言う優花梨に、ウェイバーは本に視線を巡らせたまま素っ気なく言葉を返した。
 これ以上の会話は無理だろう。優花梨は大人しく図書館を後にした。


 ウェイバーと話してる方が楽しいのに。その事に、もっと早く気付いていたら良かった。
 すっかり暗くなった帰路を辿りながら、ウェイバーの言葉を思い返す優花梨。ふと、彼のとある言葉に気付き、足を止めた。
『トオサカから教わった魔術の特訓でもしてる方が――』

 ――ウェイバーって、私が時臣様から魔術を教わって特訓してる事、知ってたんだ。
 部屋を覗き込む事は流石にしないだろうが、時計塔の敷地内や人気のない郊外で、密かに魔術の特訓をしている所を、偶然目撃でもしたのだろう。ケイネスの教える魔術とはまた異なり、優花梨の行動パターンを考えれば、それが遠坂からの教えだとあっさり分かる事だ。それでも、ウェイバーがその事に気付いてくれていた事に、優花梨はすっかり気を良くして寮へ戻った。

 日課を済ませ、ベッドに潜り込んだ優花梨だったが、どうしても寝付けなかった。ケイネスやソラウとの遣り取りで疲弊した心も、ウェイバーと話せた事で帳消しになって、気持ち良く眠りにつけると思ったが、どうしても引っかかる事がある。

 ウェイバーが調べていた内容。触れるのを頑なに拒んだ物。偶々開かれていた書物に書かれていた『聖杯戦争』の文字。
 まさか――いや、そんな事ある訳がない。
 優花梨は自分の馬鹿な考えをすぐに帳消しした。いくらなんでも、ウェイバーが聖遺物を手に入れて、聖杯戦争に参加しようとしているなんて、そんな事ある訳がない。聖杯戦争は、そんな生半可な戦いではないのだ。正真正銘、命を賭けた戦争なのだ。
 そう言い聞かせて、優花梨は眠りに付いた。優花梨の馬鹿な考えが事実だと判明したのは、翌日の事である。



 翌朝、優花梨はどうしても気になって、教室に行く前にこっそりとウェイバーの寮を訪れた。ドアをノックするも、返事はない。まだ寝ている可能性もある――そう思ったが、ドアが僅かに開いている事に気付いた。
 しっかりしているウェイバーにしては、珍しい事もあるものだ。優花梨は罪悪感を覚えつつ、ついドアを開けてしまった。

 ウェイバーの部屋には、誰もいなかった。当然寝ている訳もなく、そもそも人の気配がない。まさか図書館で一夜を過ごしたのだろうか? それにしては、ドアが開いているなんて不自然だ。まるで、急いで何処かに出掛けたかの様な――
 やはり、嫌な予感がする。優花梨は心の中でウェイバーに詫びつつ、何か変わった様子はないか、室内をくまなく探り始めた。

 優花梨の予感はあっさりと、それもすぐに当たった。
 机上に書きかけの手紙の様なものが乱雑に置かれていた。書き直したのか、くしゃくしゃに丸まった紙も周囲にあった。思わず手に取り、目を通す。



『優花梨へ

 簡潔に言う。ボクは聖杯戦争に参加する。

 オマエが今この手紙を読んでいる頃は、ボクはもう、この国には居ない。
 聖杯戦争の舞台、そしてオマエが生まれ育った、日本の冬木へ向かっている。オマエがこの手紙を見つけるのが遅かったら、もうとっくに到着しているかもな。

 聖杯戦争に参加するからには、勿論、勝利してみせる。
 その暁には、遠坂も、時計塔の誰もが認める様な、立派な魔術師になってみせる。
 そして……

 いや、この話はいい。オマエと再び会った時に、ちゃんと話すから。
 とりあえず、オマエの事だから、ボクが急にいなくなって心配するんじゃないかと思って、置き手紙を残しておく。
 ボクの事は心配しなくても大丈夫だ。

 ただ、これだけは言っておく。

 ボクが、オマエを自由にしてみせる。

 必ず、聖杯を手に入れて、時計塔に戻ってくるから。だから、期待して待ってろ』



 ウェイバーからの手紙を読み終えた瞬間、優花梨は倒れるように崩れ落ちた。
「馬鹿だよ……馬鹿だよ、ウェイバー……勝てるわけないよ……戦争なんだよ? 死ぬかもしれないんだよ? どうして……こんな……」
 うわ言の様に呟き、優花梨はぽろぽろと涙を零した。涙が手元の手紙に落ち、文字が滲む。
 刹那、優花梨は昨日ケイネスが言っていた事を思い出した。

『私と遠坂時臣、どちらかが死ぬ可能性も十二分にあるという事だ』

 つまり、ウェイバーが死ぬ可能性は更に高いという事だ。時臣やケイネス、綺礼、そんな一流の魔術師達が参戦するのだ。自分やウェイバーの様な見習い魔術師が勝てるような相手ではない。間違いなく、ウェイバーは殺される。

 泣いている場合じゃない。
 優花梨は涙を拭うと、ウェイバーからの手紙を握り締め、教室には行かずに自室へ戻った。
 自分が為すべき事は分かり切っている。
 時臣に全てを報告する事。
 そして、ウェイバーを追い、サーヴァントを召喚する前に、聖杯戦争への参加をなんとしてでも止めるのだ。

 優花梨は宝石魔術を用いて、時計塔で起こった経緯と自らも冬木へ向かう旨を時臣へ報告し、間もなく英国を発った。しかし時は既に遅く、優花梨が日本に到着する頃には、ウェイバーは既にサーヴァントを召喚していた。

 サーヴァントのクラスは【ライダー】。
 真名――イスカンダル。
 アケメネス朝ペルシアを殲滅し、ギリシアから西北インドに到る世界初の大帝国を建設した、伝説の『征服王』。
 そんな最強のサーヴァントを、ウェイバーは冬木の地で手に入れたのだ。

2014/12/04


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