けんかってなぁに

 恋人同士というものは些細なことで誤解をしあっては、「別れる」「別れな
い」と、しょっちゅう言い争いをするものらしい。
 互いの気に入らないところを根掘り葉掘り探して罵りあうだけでなく、相手に
自分は釣り合わないとか、自分が一緒にいると相手のためにならないと か、な
んだかんだ格好つけて引いたり引いたり引いたり引いたり。
『もう、別れてよ。』
 忍がはっきりとそう口にしたのは、俺が先生のことをずるずると引きずってた
のがバレたあの時が最初で最後だ。ついでに言い訳をさせてもらうなら ば、あ
の時はまだ「好きになってみようかな」なんて中途半端な気持ちで、正確には付
き合ってもいなかったわけだけど。
 そして今、お互いに思うところがあっても口にしないのは、言えば本当になっ
てしまうかもしれないと思う恐れゆえか、それとも、単にラブラブ過ぎ て言う
必要がないからか……。

 ら、らぶらぶって、なんだーっ!?

 セルフツッコミをして慌ててみたところで、実際のところその通りなのでどう
しようも無い。現に今、まさに俺は忍に腰のあたりにぎゅーっと背中か ら張り
付かれている。
「……あの、何デスか?」
 抱きつかれると言えば聞こえはいいが、どっちかというと締め上げられるに近
い。ギリギリと全力で腕に力を込められて、若干の息苦しさを覚えなが ら忍に
問いかけた。
 脇の下辺りからチラっと俺の顔を見上げた忍から消え入りそうな程のちっさい
声が返ってくる。
「……キャベツこげた」
「…………はい?」
 それは、ごくいつものことですが?日常茶飯事ですが?
 むしろ忍の作るキャベツの油炒めが焦げてなかった方が珍しいし、焦げてない
時は逆に油まみれの半生キャベツだ。
 ここであえて言うということは、いつもよりさらに酷い出来ということか。
「消し炭にでもなったか?」
「そ、そこまで酷くねーよ!」
 がるるっ、と牙をむく勢いで頬を真っ赤に染めた忍に、のど奥からこみ上げて
くる笑いをかみ殺す。
 凹んでたかと思えば、こちらの言葉一つでムキになる。
 なんというかもう、これは可愛すぎるだろ。
「なに笑ってんだよ?」
「ん?おまえが可愛いから?」
 さらっと言い切ってみたら、あんぐりと口を開けたままピタリと忍が動きを止
めた。
 フリーズした、というのが一番しっくりくる表現かもしれない。
 どうやら忍はこういうストレートなのが一番恥ずかしいらしい。
 たぶん、忍は気を取り直すと同時に壮絶に照れて、そしてキレる。
 行動を予測して、ささっと間合いを取って反撃に身構えたものの、いくら待っ
ても忍からは暴言も蹴りも飛んでこない。
「……忍?」
 見ればしょぼん、と肩を落とした忍がいた。
「宮城は何で怒らないんだ?」
「何が?」
「……友達が、彼女の飯がマズイって大げんかしたあげく、別れたつってたから」
 何事かと見守り、しばらく待った後、忍から歯切れ悪く返ってきた答えに、俺
はけっこうな勢いで脱力した。
 なんだそんなことか。
 つーか、俺的には何を今更?って感じなんですが。
 忍がなんとなく普段以上に甘えてきてたのは、友人の話を聞いて、ちょっとだ
け弱気になって、そんなときにいつもより飯の出来が悪くて、落ち込ん だ結果
として、いつもより過剰にスキンシップなんぞをしてみたくなったということか。
 俺としては忍が人並みに凹んでみせたりするのが物珍しくて、ちょっとばかり
意地悪な気持ちになってしまうんだが。
「ん?お前、俺にこんなモン食えるか!ってちゃぶ台ひっくり返されて罵られて
別れたかったのか?」
「んなドMなわけねーだろ!この俺がッ!オッサンじゃあるまいし。それに別れ
るとか意味わかんねーし」
「じゃあ、こんなのしか食べさせてやれない自分なんて宮城にはふさわしくない
から身を引く〜とかっつって別れたいのか?」
「何でいちいちそんなまだるっこしー考え方しなきゃねんねーんだよ!つーか、
別れねーしっ!」
「だよな」
 忍はそーゆー奴だ。わかってた。
 でも、わかっていながら、便乗して確かめたくなったのは俺の方だったのかも
しれない。
 別れない別れないと連呼する忍に安心する自分がいる。
「ならいいだろ、別に飯がちょっとぐらいマズくったって」
 ぽんぽんと頭をなでてやったら明らかにほっとした表情をするから、うっかり
ぎゅっと抱きしめてみたくなるではないか。
 俺は大人なので、そんなことしませんが。
「……宮城の方こそ、俺のために〜とかって、隙あらば別れようとすんの得意なく
せに」
「ん?ああ、まあ、前はそうだったのは認めるけど。俺、そーゆー風に考えるの
はちょっと前にやめた」
「え?」
「だって、めんどくせーし」
「めんど…って」
 忍がおうむ返しにしかけて絶句してしまうのも無理はないだろう。
 もともと男同士で、17才も年が下で、おまけに上司の息子で、さらに元嫁の弟
で。数え上げれば忍とのことは、最初から面倒くさいのオンパレード だ。
 その上、別れるとか別れないとか、そんなありえない話題で煩わされていては
俺の身が持たない。
 ただでさえ、コイツのことばかり考えてしまう自分自身を持て余しているとい
うのに。そう、もうすでに俺の中ではあり得ないのだ、忍が俺の側にい ないな
んてことは。
「だってお前、へそ曲げるとすぐ海外とかに逃亡するし」
「そ、それはっ!」
 身に覚えがあるせいか、忍が目に見えて狼狽する。
 一回目は俺が理沙子と結婚した時。二回目は俺に嫌われたと思いこんだ時。
まぁ、二回目は寸前で俺が連れ戻したから未遂だったけど。
「その度に追いかけるの、面倒くさいし」
「うっ」
「だから、な」
 察しの悪い忍に、ふぅっと軽くため息を一つ。
「そのまま俺の側にいろ」
 忍の耳元で囁いて、さっと身を離す。
 俺にみなまで言わせるなっつーの、俺はおっさんなんだから恥ずかしいだろ。

「さてっと、飯」
 とりあえず腹が減っていて目の前で湯気を立ててる飯を食ってしまいたい風を
装って、俺はダイニングテーブルに向かって数歩足を踏み出したのだ が、それ
は三秒足らずで忍に阻止された。
「待て宮城ッ!」
 ガツンと背中から思いっきりタックルをかまされてフローリングに押し倒される。
「ちょ…おまっ、……い、いたッ!痛い!何すんだお前!」
 おまけに押し倒した勢いのまま、忍は俺の脇腹に思いっきりガブっと噛みつき
やがった。
 感極まったあげく噛みつくとか、反応が新しい…などと感心してる場合ではない。
 纏わり付いたままの忍を慌てて引きはがしたけれど、完全には離れてくれな
かった。というか、はがしてもはがしても忍が張り付いてくる。
「うー…、宮城ぃ…うーうー」
 見れば泣いてるんだか怒ってるんだか喜んでるんだかよくわからない、たぶん
全部がごっちゃまぜの爆発寸前になった忍が、必死でその感情をこらえ て俺の
服の裾を囓っていた。
 やれやれこれは後でじっくりかわいがってやる必要があるな。
 俺は苦笑しながら、真っ赤になったまま抱きついて離れない忍を引きずって、
椅子に腰掛け、そして箸を握りしめた。
 忍が一人でキレて騒いでることはしょっちゅうで、たまに俺が大げさに焦って
たりもするけれど、そんなのは本当に些細なことだ。
 恋愛対象の範疇外も甚だしいところから始まって、今があるから、だいたいの
ことは許せてしまう。
 飯の味付けなど慣れればどうということがないから、なんとも思わない。
 忍に不満があるとすれば、芭蕉の研究さえ出来ればそれでよかった俺をこんな
にしてくれた責任をぜんぜん感じてくれてないってことぐらいか。
 我ながら贅沢な不満だと思う。
 そんな内心になど気づいていない忍が、うーうー唸りながら睨み付けててくる
中、俺は当社比3割増しで焦げたキャベツの油炒めを口の中に放り込ん だ。
 うん、相変わらず、見事に不味い。






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