■ 29話/この人に惚れた。
「じゃあ私はこれで」
「ばいばい」
「冷た…少しヒドくないかな」
「貴方が土井先生を帰してしまった事に比べたら…とりあえず半径一m以内に入らないでね」
あの後、山田先生が食堂に来ては口喧嘩が始まり「帰ります!!」と大声をあげて身支度を始めた利吉に手を振れば「貴方は送ってください」と門の前まで無理やり手を引かれ今に至る。
「あ、利吉さん出門表にサインしてって下さいね〜」
「ねぇ小松田くんしつこい男は嫌われるって教えてあげてよ」
「え?う、うん、利吉さんしつこい男は嫌われちゃいますよっ」
「………君に言われたくはないんだが」
「私は小松田くんはとても魅力がある男性だと思っています!」
「え?」
「な、なんか恥ずかしいよ花子ちゃん」
「いーの!もっと優しい人になって下さいね、利吉くん」
困ったように眉尻を下げて「次くる時には君に好きになって貰えるように精進するよ」と苦笑いをし手を振って姿を消した。言い過ぎてしまったかもしれないと少し胸が苦しいけど知ったものか、私は彼が苦手だしこの歳なって弄ばれてはさすがにいただけない。
小松田くんに別れを告げ食堂に戻ると一気に心臓が早鐘を鳴らす。そこに座っていたのは先ほど帰ってしまわれた土井先生の姿だった。
土井先生は私の姿に気付くと気まずそうに笑って手を上げた。
「利吉くんは?」
「あ、たった今帰られましたけど…」
本当は山田から喧嘩の話を聞いていて知っていたのだけれど何故か口からそう出てしまった土井は頭をガシガシ掻く。
「どうかしました?あ、お腹空きましたか?」
「い、いや…そうではなくて、ですね」
そわそわと目線を泳がせるその姿に小首を傾げる。背中からするりと出した布に包まれた物を目の前に出され更に不思議は募る。
「え…っと、これは?」
「よ、良かったら受け取って下さい…」
頭から湯気が出てるんじゃないかってほど顔を赤くして渡してくるものだから勢いで受け取ってしまう、布を開けば綺麗な紅色の簪が包まれていて、え?え?と土井先生とその簪を交互に見てしまう。
「町に行った時に目が行きまして…その、似合いそうだなと思いまして…」
それから何を言われたか覚えていない。けれど、それからすぐにじゃあっと身を翻して帰ってしまわれたとも思う。それに気づいたのは少し立って話しを掛けられた時だった。
「あ?何だお前、こんな所で立ち尽くして…顔赤いぞ?」
「……へ、あ…鉢屋」
「それ…誰からだ?」
土井先生から頂いた…と震える声で伝えれば鉢屋はそうかよとだけ言い残してすぐに食堂から出て行ってしまった。
(あれ三郎?その紅、花子ちゃんに渡せたの?)
(…あんな奴の為に買ったんじゃない)
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