▼ 5.口の中でとろけていった。
「先生…私…っ」
その涙を見て左右田先生は私の上から退いた。スーツを直し振り返った左右田先生は少しいつもの雰囲気とは違うように見える。
「今日、返事はしなくて良い」
「………」
「だけど…私を選んだらもう絶対に泣かせない、幸せにすると誓う」
一房手にした私の髪に口付けを落とし、気をつけて帰るんだぞと耳元で囁く彼に少しビクリと震えた。
「初心なお前が堪らなく愛しいよ…真庭になど渡したくない」
そう言って顔を離した左右田先生はじゃあなと背中を押した。
私はどうしたら良いのだろうとトボトボ帰路を歩く。どうしたら、なんて考える事自体おかしな話じゃないか。直ぐに左右田先生と付き合ってしまえば楽なのにと俯き考える。
「左右田先生…お兄ちゃん…」
いやいや、待て待て。
左右田先生は置いておいて、お兄ちゃんは本当に私の事が好きなのか?今まであんなに離れて居たのに?
更に分からなくなってしまい頭がパンクしそうになったので帰ったらまずお風呂をためて何も考えず浸かりたいと思う。
ただいまと言えば、お母さんがリビングで返事をし料理を作る音がする。
風呂場にいきお湯を溜めて、とっておきの入浴剤を入れる。お母さんに先にお風呂に入ると断りを入れ携帯を持ちながら半身浴。なんて優雅なひと時だろう。今日あんな激しい出来事があったなんて思えない。
携帯をそのまま眺めていれば軽快な着信音が流れその名前に危うく携帯を落としそうになってしまった。
「……もしもし」
「ん?もしかして風呂か?」
きっとエコーでバレた。きっとニヤニヤしている、あの変態のことだから。
「うるさい、それで…なに?お兄ちゃん…」
一瞬、間が合いてクスクス笑う声がする。
「久しぶりに聞いたなそのお兄ちゃんって…悪くない。今日、少し夜会えないか?」
じゃあ、20時くらいに迎えに行くからとさっさと告げられ最後には親御さんにはもう断りの電話いれてあるから心配しなくて良いとまで言われそのまま切られた。
「なんなんだ、一体…」
その夜、本当に迎えが来た。お母さんとお父さんは喜んで娘を引き渡すし酷いったらない。こんな…車に乗ってるんだ。中にはいればいつものお兄ちゃんの香りがした。
車を出して何を話すでもない。
ようやく止まったと思えば、そこは昔一度来た公園の駐車場だった。少し高台にあるから夜景も綺麗…
「覚えているか?ここ」
私は黙って頷く。
「小さい頃のお前は凄い愛らしくてな誘拐されないかといつもヒヤヒヤしていたよ」
「………」
「そんな呆れた顔で見るな。大人になってからの歳の差なんて気にならないけれど、小さい頃の歳の差って凄いだろう?けれど好きだったんだ、とても…お前の事が」
小さい頃から好きだったと顔を覗き込む。だから、誰かに渡すなんて毛頭考えられない、と。きっと左右田先生の事を言ってるのだろう。
「しかし親に気づかれてそれはおかしいと強く言われてなぁ、まぁ確かにと子供ながらに納得した」
だって、中学生の時にお前は幼稚園だぞ?と笑った。ハンドルに寄りかかりながらそう話すお兄ちゃんは本当に大人、っていう姿で変にドキドキした。
「ここでキスもした、お前と」
「え…」
それは覚えてないと言うと、そっかと微笑み話を続けた。
「試しに好きだと呟いたら花子が我と結婚するだなんて言うからつい可愛くてしてしまった」
「それ、犯罪じゃ…」
「ちゃんと、隠れてしたよ」
そういう問題じゃないと思うけど、でもそんな事があっただなんて信じられない。けど当たり前か、もう何年も前の事だ。
「高校になってから親にもう一度強く言われた、高校生が小学生に恋をするなどあり得ない。とな…言い訳になるかもしれないが、その頃色んな人から言い寄られていたから良いチャンスだと思って色んな女と付き合った」
それが私のトラウマだった。
きっと私も小さい頃からずっと好きだったんだ、無意識にお兄ちゃんも私の事が好きだと思っていたからあんなに嫌な気持ちがしたんだ。
「どんな女も同じに見えた。お前だけ特別で、お前としてると考えるだけで…まぁその話はやめておこう」
「……変態」
「もう…どこから見ても大人だな。我はそんな性癖があるのかと戸惑っていたが今分かった」
お兄ちゃんが体を起こし私に向かい合う。
「花子だから好きなんだ」
その瞬間今まで溜まっていたダムみたいな感情が決壊した。あの時、私がお兄ちゃんに嫌悪を抱いたのは好きだったから、その女の人達に嫉妬していただけなんだ。
「花子…好きだ、もう離れたくない。良い匂いだな、止められなくなりそうだ」
そう言い切った時には既に私は助手席の隅に追いやられており、顔の両側に手をつかれて顔が直ぐそこまで迫っている。こんな事、あの先輩達がされたら鼻血の出血多量で即死亡だろうな。
「…お兄ちゃんっ、駄目」
「久しぶりに花子に触れたからとても興奮してる…だけど花子が駄目と言うならやめるよ」
すっと離れたお兄ちゃんは甘い目元で私を見つめて笑った。また今度にする、と。
それから車を走らせ私の家に送り届けてくれた。車から出て私をおろす時に耳元で「返事はまた今度」と囁かれて、バッと耳を隠す。今日分かった。私は耳が弱い。
玄関まで送り届け、リビングから出てきた父母が彼に色々お礼を言っているようだ。
しっかり父に今から帰りますとメールも送っていたらしい。何故、父母の携帯のアドレスまで知っているんだ。
冷や汗が流れた。
今日はあまり眠れそうにない。
私はどっちが好きなんだろうか、今日ゆっくり考える事にしよう。
[ prev / next ]