夜も深くなった頃。俺は鍛錬を終えて長屋へと戻る。普通ならば他の忍たまや先生方はもうとっくに寝静まる時間帯。今は風がさわさわと草を撫でる音以外聞こえない。

自分の部屋の近くまで来ると、廊下で人がうずくまっているのに気がついた。
あれは、みょうじだ。
こんな夜中に、何をしているのかと不信に思って近づく。
気配を消して近づくが、一向にこちらに気付く様子はない。ザリッと砂を踏む音を立てて初めて、みょうじが慌てたように顔を上げた。

「あー、文次郎君」
「なにしてるんだ?」

そう聞けば、みょうじはへらりと笑って「ちょっと眠れなくて月見でもしようかと思った」と言う。そんなみょうじを、探るように見つめると、鼻の頭や目が少し赤くなっているのに気がついた。

「あーそろそろ寝ようかなー!文次郎君も早く寝たほうがいいよ!夜更かししたら目の下の隈、もっとひどくなっちゃうよ!じゃあ…」
「泣いていたのか?」

「じゃあ…」と言って立ち去ろうとするみょうじの腕を 掴んで引き止め、そう問う。驚いたように振り向くみょうじと目が合ったが、みょうじはすぐに顔をそらして「べつに、泣いてないよ」と答えた。

「目が赤くなっている」
「眠たくてあくびが何回も出ちゃって」
「さっきは眠れないと言っていただろう」
「それは……」
「お前は、何を隠してるんだ?」
「っ……、」

「何を隠しているんだ」、そう問いかけても、黙ったままのみょうじ。
しばらく様子を見ていると、いきなりポロリと涙を流した。
それに少しぎょっとして、「お、おい。泣くなよ」と言えば、みょうじは「泣いてない!」と言い返してきた。


「泣いてるじゃねぇか!」
「泣いて!ない!!」

そんなやり取りをしながら、逃げようと暴れるみょうじを、逃がさないよう腕をしっかりと掴む。それから、はぁ、とため息をついた。

「何を隠しているか知らんが、正直に言わん限り俺はお前を離さんぞ」
「……、隠してない」
「いや、見りゃ分かる。お前は何かを隠してる」
「私はくの一でも間者でも何でもない!」
「…じゃあ何なんだ。お前はどこから来たんだ?何をしていて?どうやって?お前は何も言わないじゃないか。」
「それは……」

俺の問いに答えられず、言葉につまるみょうじ。
それでも俺は逃がす気などさらさらないから、みょうじが口を開くのを待つ。
すると、ぼそりと「……信じてくれないよ」とみょうじがつぶやいた。

「あ?」と聞き返せば、「私がほんとの事言ったって、頭がおかしいやつだって思うよ」と言ってみょうじはうつむく。
これでは埒があかんな、と思い掴んでいた腕を離し、そのかわりみょうじの顎を掴んで、ぐんと顔を上げさせる。
そらしていた目がばちりと合った。


「なら、言ってみろ」
「え?」
「言ってみねぇと、わかんねぇだろうが」
「でも、」
「でもじゃねぇ。大体、さっきから言ってるが、本当か嘘かぐらい見りゃ分かるに決まってんだろう!」
「ひたいひたい!!!!」


話したがらないみょうじの顎を掴んでいる手にぐぐぐぐと力を入れる。この際力技だ。みょうじは観念したのか「わかっひゃ!」と情けなく叫んだ。
そしてみょうじはぽつりぽつりと話しはじめた。学校の階段から落ちたと思ったらなぜかあの裏々山の池に落ちた事、本当に訳が分からずさまよって襲われたところを俺に助けられたということ。後から気づけばここは知らない場所どころかおそらく時代も違う場所だったということ。
途中、今は何時代かと聞いてきたので、室町だと答えれば、少し顔をゆがめて、それから「私は今より何百年もあとの平成という時代から来た」と言った。しかし、自分の知っている室町とここは違うのだと、つまり『異世界』から来たのだ。みょうじはそう言葉につまりながらも離した。
みょうじが話している間、俺はじっとみょうじを見つめて聞いていたが、本当に信じられない話だった。にわかには信じられない、まるで作り話のような話だった。
しかし、どれほどみょうじをよく見ても全く嘘をついているそぶりはない。
「これね、携帯って言うんだけど」

みょうじが俺に手のひらに乗る大きさの四角い物を見せる。俺は恐る恐る、それを手にとった。
何でできているのかはわからないが、見たことのないものだった。
聞けばそれは、離れてる人とでも連絡が取れる機械らしく、みょうじのいた時代の人はみんな持っているらしい。

「じゃあ、それで連絡を取れば…」と言えば、みょうじは困ったように笑った。

「うん、やったんだけね繋がらなかった。知ってる人、みんなにかけたけどダメだったんだ。それでね、そうしてるうちにもうそれが使えなくなっちゃって、私、急に一人ぼっちになったような気がして…」

じわりとまたみょうじの目から涙が溢れる。

「さ、三郎君にも、本当は間者なんじゃないかって、ずっと言われて、」
「三郎…、鉢屋か」

鉢屋もみょうじのことを疑っていたのか。
確かに、初めて食堂の前で会ったときも、鉢屋が一番鋭い目でみょうじを見ていた。

「本当に、私は間者なんかじゃない。でも、『異世界から来ました』なんて、信じてもらえるとも思わなくて…、だから、ずっと、我慢しようと思ったのに。じ、自分が、此処の人たちにとって、怪しいヤツだって、思われるのは仕方ないって、みんなに疑われて当たり前なんだって」
「みょうじ、」
「私のいた世界に帰りたい…っ」


みょうじは溢れる涙を必死で止めようとしているのか、袖で乱暴に涙を脱ぐう。「止めろ」と腕を掴で止めると、みょうじはびっくりしたように顔を上げた。俺は一瞬どうしたものかと思ったが、とっさに「泣けばいい」と言ってみょうじの頭に恐る恐る手をおいた。

すると、みるみるうちにみょうじの顔が歪んで、堰を切ったように泣き出す。
俺の胸に顔を埋めて、「帰りたい。私の世界に帰りたい」とわんわんと泣きじゃくる。
時折、そんなみょうじの頭をおずおずと撫でていると、今まで疑っていた心を打ち消すように、なにか別の感情が湧き上がってきた。

それから、涙が枯れるまで泣いて目を真っ赤にしたみょうじと、みょうじの涙と鼻水で胸元をびちょびちょにした俺は、二人で廊下に座って月を眺めていた。

「ごめん、着物びちゃびちゃにしちゃった」
「かまわん。どうせ洗うつもりだったしな」
「うん……」
「………」

てんてんと沈黙が続く。居心地が悪いのだろうか、みょうじがもじもじとしている。何か言ったほうがいいのかと言葉を探すみょうじを気遣ったわけではないが、俺が先に口を開いた。


「…みょうじ、俺は、お前を疑っていた」

その言葉にビクンとみょうじの身体が跳ねて、それからうつむく。
俺は構わず続けた。


「伊作がお前を間者じゃないと言っても、どっからどう見ても貧弱そうなお前の身体を見ても、何か納得がいかなかった。前に食堂で会って、お前が、小平太の話を無理やり打ち切った時、やはり何か隠しているのかと思った」
「う、うん…」
「しかし、やはり伊作の言うとおりだったな」

そう言えばみょうじが「へ?」とわけが分からないという風に聞き返してくる。「信じるよ」と言っても「文次郎君、信じてくれるの……?」とまた聞き返してくるので、「言っただろ。嘘はすぐ分かる」と言えば、みょうじの顔がなんとも言えない泣きそうな顔をした。

その顔を見て、俺は「ああこいつが間者なわけがない」と改めて思った。
思えば今までこいつはとても単純だった。本人は意識していないのだろうが、みょうじの表情はコロコロとよく変わる。思った事がすぐに出るのだ。その上作り笑いも下手くそだ。あの日、五年に疑われたときも、本人はさも「気にしてません」と言うように笑っていたが、あれは酷い作り笑いだった。
その事と、今のみょうじの話を合わせて、今までずっと胸につかえて、みょうじを疑う原因になったわだかまりが取れた気がした。

「もんじろうくん……!」
「だから、もう我慢なんぞせんでいいんだ」

そう言えば「ありがとう、ありがとう」とまたポロポロ泣き出すみょうじ。俺はみょうじの頭にそっと手を置いて、そしてみょうじが泣き疲れて眠るまで、何も言わずにずっと月を眺めていた。