医学所に咲さんとお弁当を持って行ったあの日から数日後、先生からペニシリンを本格的に作り始めるという事をきいて、早速手伝いに行くことになった。

「先生〜こんにちは」
「こんにちは。じゃあなまえさん、これ、着てください」

先生から手渡された白い割烹着の様なものを手渡される。
それを着ている着物の上からはおり、ぎゅっと紐を締めた。

「ちょっと、動きにくいですねこれ」
「そうですね、やっぱ白衣とかあると便利なんだけど」
「ペニシリンの製造が終わったら次は白衣でも作りましょうか」

とそんな冗談を言いながらペニシリンの製造所に先生と二人で入った。
そこには、すでに大勢の男の人たちが、すでにいて、そんなに人がいるなんて思わなかった私は思わず「わぉ」と声を小さくあげた。

「あれ、なまえさんやないですか」
「あ、佐分利さん」

「いやぁ、どないしたんですか」といいながらその大勢の男の人たちの中から出てきた彼に「ちょっと手伝いに」というと彼は「咲さんだけでなくなまえさんも!」とひどく驚いたように言った。

「南方先生はほんま、だれでもとりこにしはりますなぁ」
「そうですねぇ、南方先生ってそりゃもうスーパードクターですもんねぇ」
「え、すーぱ?どく?」
「あ、しまっ…、いや、なんていうか、超絶先生というか!」
「は?」
「いやもう、忘れましょう!」


 * * * *



「ではこれからペニシリンの抽出作業をはじめます」


いよいよ作業がはじまり、先生が詳しく作業の流れを説明していく。
青カビの培養液をろ過し、その液を菜種油で拡販し…。
と、その内容はとても理解できないほど難しいわけではないが、とても手のかかる作業だった。

すべての作業が終わった時には「ほんと、現代の科学の進歩ってすごい」と身にしみたのだった。


「あとは、天に祈るのみですな」
「はい」


机の上に並んだ大量のペニシリンの周りで、その場にいる全員が無言でペニシリンの完成を天に祈った。



 * * * *


そして数日後、大量のペニシリンが並ぶ机の周りにはまた大勢があつまっていた。


「薬効があれば、表面に円ができとるんですな」

佐分利さんのその言葉に先生がうなづく。

「そうです。表面になにもなければ、薬効はありません」
「では…あけていきます」


山田先生がペニシリンの容器の蓋に手をかけた。
「一番!」という声が響き、みんなののどがごくりと鳴る。


「薬効、なし」


次々と蓋をあけていくが、ことごとく薬効は無かった。
隣の佐分利さんがはぁ、とため息をついたのがわかる。
眉間にしわを寄せて、ぎりっと白衣を強く握り締めている。

思わず、彼の手をとって「大丈夫」といった。
「え」と驚いたように目を大きくしている。

「大丈夫ですよ。絶対、いいのがあります」
「そう、そうですね」


そして十八番目のペニシリンで、山田先生の手から蓋がすべりおちて、カランという乾いた音が建物に響き渡る。
山田先生は、これでもかというように目を見開いている。

「南方先生、これは…」


ペニシリンを先生に見せると、先生は無言でコクリとうなづいた。


「十八番、薬効あり!!」


山田先生のその声から数秒送れて、周りから歓喜の声が上がる。
佐分利先生も、ペニシリンの容器を持って「ありえへん、こんなん、ありえまへんわ!」と今にもうれし泣きしそうな顔をして叫んだ。


でも、だれよりも一番嬉しそうなのは南方先生で、なにも言わず、無言でただペニシリンの入った容器を握り締めている。


「先生…」


「やりましたね!」と声をかけようとした瞬間、ガラリと戸が開いて、慌てた男性が入ってきて、「南方先生!夕霧さんが、危篤です!!」と叫んだ。
その言葉に先生ははじかれたように顔をあげた。

「すぐにいきます!
みなさん、あとはおねがいします!新鮮なペニシリン抽出液が大量に必要になります!」
「承知しました!昼夜交代で作り続け、できたらすぐに吉原へ届けます!」
「おねがいします!」


「緒方先生、一緒に来ていただけますか?」と先生が緒方先生に頼むが、どうしてもはずせない用事があるらしく、首を横にふった。
「では、私が!」と佐分利先生が申し出るけど、次は先生が首をふる。


「いえ、ペニシリンを作る作業も止められませんので…」


「では、私が一人で…」
と先生が言ったその瞬間、またパーンと戸が開く音がし「わ、わたくしが!わたくしでお役に立てるのでございますなら!」と咲さんが飛び出してきた。


「わたくしも、医を志すものですから」

ときりりと言い切る。
先生は「もちろんです、お願いします!」と笑った。



「しかし、咲さんが吉原に入るには大門切手が」
「おおもんきって?」
「なまえさん、知らんのですか?吉原に女子が入るには大門切手がないとはいれへんのです」
「へぇ、そうなんですか…え、じゃあ咲さん…」


「入れないじゃないですか」という前に先さんは自分の髪に刺さっている簪を引き抜いて、髪の毛をばさりと解いた。


「どなたかお着物をお貸しください!」