冷たい風が肌をさすけど、剣道で動き回った後で、その冷たさが心地いい。

龍馬さんは何やら最近忙しいのか、「ぐっとばあい!」とこの前教えた英語を使って、早々と、そして満足げに帰って行った。

あんなに嬉しそうだとどんどん教えたくなっちゃうな〜と思いながら、井戸から水を組んで顔にびちゃっとかける。

「う〜冷たい!」

胴着の袖で顔を拭いて、ふと台所の方をみると、何やら難しい顔をしてミカンを見つめている先生がいた。


「う〜ん、ミカンが食べたいけど、カビが生えてて食べれないなぁ〜どうしようかなぁ〜、ってかんじですか?」
「っ、なまえさん」


よっぽどミカンに集中していたのか、目を見開いてなんだかあわあわしだす先生。


「ち、違いますよ」
「え、違うんですか?てっきりすごくミカンが食べたいものだと」
「いや、カビが生えたミカンを食べるかどうか悩むほどミカン好きじゃないですし…」
「じゃあなぜミカンをそんなに悩ましげに見つめてたんですか?」
「えっと、このミカンに生えたアオカビの中に、薬があるんですけど…」

と先生がカビを指でさす。
なんとなく、「ペニシリン、ですか?」と聞くと、先生が「え」と驚いたように私を見つめて固まる。

「え、違います?」
「いや、そうです、それです。ただ、なまえさんが知ってると思わなくて」
「まぁ、ちょっとその辺の雑学をかじったこともあるんで」
「そうなんですか。で、そのペニシリンをアオカビから抽出したいんですが、その方法が思い出せなくて…」


おもむろに先生が着物のを袖から一枚の写真を取り出す。
写真の中では先生と綺麗な女の人が並んでソファーに座って笑っていた。
そして、先生が女の人を指さして、「この人が昔、教えてくれたんですけど」と笑った。



「南方先生」

「何をなさっているのですか?」と恭太郎さんがやってきて、先生はまたわたわたと写真を袖に戻す。(なんというか、いちいち可愛い人だなぁ)
そして「あ、このカビの中の…」と先ほど私にした説明をまた恭太郎さんにも話す。

カビからぺニシリンを抽出する方法…。
なんだかだいぶ前に聞いたことあるようなないような。
培養して、エタノールをぶち込むとかなんとか。
でも思い出したところでさすがにそれは江戸ではできそうにない。

うーん、とうなっていると、先生の「会いたい人には会っておいたほうがいいですよ」という言葉にはっとした。

「人間なんていつ会えなくなるか分らないんですから」
「せんせ…」

それって、さっきの写真の人のことですか?
と聞こうとした瞬間、ばしゃっと何かがこぼれる音と、「あ」という咲さんの声が後ろから聞こえた。


「あ、油拭きをしておりまして!」
「油拭き?」
「床についた油を、油で落とすのでございます」

まじまじと床を拭く咲さんの手を見つめる先生。
そして、はっと思い出したように顔を上げて叫んだ。

「そうだ、油だ!」
「えっ?」
「油ですよなまえさん?」
「え、え?」
「ちょ、ちょっと行ってきますね!」


「え、どこに?」という私の質問にも答えず、先生は走り出す。
「ちょっとまってくださいよ!」と私も先生の後を追いかけた。



(先生となまえどのはいったいどうしたのだ?)
(さ、さぁ?)