ある日の昼下がり、私は紙袋片手に帝都大学理工学部物理学科と書かれているドアを叩いた。しかし、だれも出てくる気配はない。

「だれも居ないのか?」

頭をひねってもう一度だんだんと扉を叩いてみるが、それでも誰も出てこないので、私は帰ろうか、と踵を返した。しかし「ここまで来たのに帰るのもな」と思い、またくるりとドアのほうを向いて、ドアノブに手をかける。


「入っちゃうよ、入っちゃうからねー」

そう言いながら、ギッと扉を開けると中は真っ暗で、思わず口から「うおっ」と声が漏れた。
こんなとこあまり好き好んで入りたくはないけど、ここに用事が有るから仕方ない。そういいながら手探りで真っ暗な部屋の中を進む。すると、何かを蹴ってしまったようで、がちゃん、とガラスが割れる大きな音がした。

「やばっ!何か壊した!?」

うわ!やばい!とアワアワしていると、いきなり部屋が明るくなる。またそれにびびっていると、「誰だよ君はー!」と怒鳴られた。声がしたほうを振り向けば、メガネのおっさんが怖い顔をして立っていた。

「お、お前こそだれだよっ!」

たじたじとそう言い返せば、オッサンは怖い顔をさらに怖くして、「僕は湯川先生の助手の…」と言うがそれは「なまえ!?」という私の名前を呼ぶ声に遮られた。私とオッサンは「は?」と同時に間抜けな声を出して、その声を出した人物のほうを振り向いた。


「あ、お兄ちゃん」
「お、お兄ちゃん!?」
「おまえっ、何でこんなところに居るんだよ!」

ずかずかとこちらへやってくる人物、こと私の兄は、とても嫌そうな顔をしてそう言った。私は、ふーっと息を吐いて、そして「はい」と兄に持ってきた紙袋を渡した。

「これ、叔母さんが持ってけって。着替え」
「着替え?」

兄は、その紙袋を受け取ると、嫌そうな顔から驚いた顔に変わって、拍子抜けしたような様子で「ありがとう」と言った。さて、私の「用事」も終わったから、さっさと帰ろうと踵を返す。が、さっきまでムスッとした顔でがみがみ言っていたオッサンは、次は興味津々というように「なに?なに?みょうじくんの家族なの?」と世話しなく兄に問いかけはじめた。兄は「え、えぇまぁ…」と少しめんどくさそうに答える。

ま、兄がオッサンの相手をしている間に、私は帰らせていただくか。そう思い一歩足を動かすと、ジャリっと音がした。

「あ……」
「どうした?」

足元を見ると、それは粉々の試験管で、


「試験管、割っちゃった!」
「え…?」
「な、なにやってるんだ君ぃ!」
「あーもううるせぇ駄目ガネ!」
「だ、駄目ガネ!?」


またぎゃあぎゃあと言い出すオッサンと言い合っていたら、後ろから「何なんだ、まったく」と言う声が聞こえてきた。ああん?また変なオッサンが出てきたのか?上等だよかかってこいやとぐるりと振り向いたその時。


「は……」
「栗林さん、何があったんですか?」
「湯川先生ぇ!」
「ん、誰だ君は?」
「あ、あの俺の妹の…」
「あ、」
「あ?」
「あ、」


これがフォーリンラブってやつか。


「あの!わたくしこの者の妹、みょうじなまえと申します!」
「みょうじ君の…?」
「はいィ!」


うおーなんてカッコいいんだ!メガネ、スーツ、白衣!なにこれドツボじゃないですか!やばいよ一瞬で恋に落ちたよ!胸のドキドキが収まらないよ!
なんてキラキラしていたら、「湯川先生」は兄の耳元にこそこそと何かを囁いていた。
しばらくその様子を眺めていると、話が終わったのか兄が渋い顔をして私に向いた。


「えー、先生がなまえは何時まで居るつもりだ?だって」
「しばらくいる!あきるまで!」

あたりまえじゃん!とドヤ顔で言うと、兄は「えっ」と嫌そうな顔をした。
「んだよー、可愛い妹が来てあげたのによー!」と言えば「可愛くない……」とさらに顔を歪めて言う。そしてまた湯川先生が兄に耳打ちした。

「えーと、飽きるのは何時だ?と…」
「分かんない。ってか湯川先生?そういうのは自分で聞こうよ!」
「……子供は嫌いだ」
「なっ?」

ボソリとそういって先生はふんっとそっぽ向いた。
面と向かって「嫌い」なんて言われるのは初めてだし、私のガラスのハートにピシリとひびが入ったが、まーしかしこれくらいで諦める私ではない。ていうかむしろ燃えるじゃないですか。こうチャレンジ精神を掻き立てるというかなんというか。

「ふふふ、ふふふ、ならば好きだと言わせてやりましょうじゃないか」
「それはないな」
「その言葉、しかと覚えとくがいい!」

ビシイッ!とさながらどこかの死神小学生のごとく、またどこかの有名な探偵を祖父に持つ高校生のごとく人差し指を湯川先生にむけて、私はそう言い放った。
そしてこの日から私と先生の生死をかけた白熱のバトルがはじまったのであった。