休日の昼過ぎ、私は新野先生にお願いをして薬の調合を見てもらっていた。
配合を間違えないように気をつけながら作業を進め、最後に新野先生を見る。すると、先生はにっこりと笑って頷く。
「丁寧で正確な手順でした。言うべきことはありません」
その言葉に肩の力が抜ける。思わず口からは「へへ」と力のない声がこぼれた。
初めて、最初から最後まで先生に声を掛けられることなく、迷うことなく進めることが出来たのだ。
「名字さん、おめでとう」
「伊作先輩!?」
「あっ、やっぱり気付いてなかったんだ。名字さんすごく集中してたもんね」
伊作先輩に声を掛けられて、先輩も新野先生と一緒に見てくれていたことに気付く。少し恥ずかしくも、褒められたことが嬉しくてお礼を言うと先輩は思い出したかのように「トイレットペーパー補充してくるから、僕の代わり宜しくね」と言い、医務室から出ていく。
「さて、ここまでにしましょう。名字さんも疲れたでしょう」
「はい、今日も有り難うございました」
新野先生にお茶を渡され、有り難く受け取り他愛もない話をしていると突然ドタドタと足音が近付いてくる。誰か怪我でもしたのだろうかと立ちあがると、すぐ失礼しますという声と共に鉢屋が医務室に入ってきた。
「足音すごかったんだけど」
「いやぁ、すまん」
すまないと思っていない顔をしているなぁと思って彼の方を見ると、鉢屋は私の顔見てすぐに医務室を出てしまう。どうしたのと声を掛けると鉢屋は再び現れる。しかし今度は金吾くんも一緒だった。
「皆本金吾が怪我をしていたんだが、医務室へ行こうとしなくてなぁ。連れてきたんだ」
「えぇ、金吾くんが!?」
どこを怪我したのと聞けば、苦しそうな顔をした金吾くんは腕を見せた。
「手裏剣を投げる練習を皆でしていて、その時に自分で投げた手裏剣が……」
そういえば、一年は組は手裏剣が苦手だという話を聞いたことがあった。彼の制服の袖を折り、傷をよく観察する。一本赤い筋が通っているが、そこまで深い傷ではない。ただ、一本通ったその傷の長さは小さな彼の腕と比べるとよく目立ち、痛々しく見える。
「鉢屋、すぐにここに連れてきてくれて有難う。金吾くん、血がちょっと垂れてるからまず傷の部分、水で洗い流すね」
「じゃあ私はもう行くぞ。名字の包帯巻きが上手くなったと聞いたから見てみたいが、委員会関係で学園長先生に呼ばれていてね」
「はいはい。行ってらっしゃい」
先ほどとは打って変わって、鉢屋は静かに医務室を出ていく。
この程度なら私でも出来ると判断したのか、新野先生は何も言わない。ふうと一度息を吐き、私は慎重に、しかし手際よく手当てをしていく。金吾くんは相変わらず眉間に皺を寄せ、苦しそうにする。
「先輩、先輩は怒るかもしれません。ぼく、先輩に怪我するくらい手裏剣が下手なのを知られたくなくて、最初ここに来るのを迷っていたんです」
「……うん」
「恥ずかしいです。悔しいです。ぼく、全然上手くならなくて」
「そっか。金吾くんは男の子だし、尚更そう思うのかもね。でも、最初はみんな下手だよ。それにさ、前に苦手なナメクジも苦手じゃなくなったって私に教えてくれたでしょ。きっと、手裏剣も上手くなるよ」
私も、まだまだ薬草に関しては苦手な分野だ。失敗を繰り返している。でも、今日は調合が上手くいった。そのことを金吾くんに伝えると、ぱっと顔を明るくした。
「ぼくも、少しずつ……上手く投げれるようになったらいいな」
「出来るよ。……でも、怪我した時はすぐにここに来て手当てしてもらわないとダメだよ」
「はい」
ようやく明るくなった金吾くんの表情にほっとする。視線を再び傷の方へ移し、消毒を済ませ、塗り薬を塗っていく。傷の深さからいっても、これなら傷跡は残らないだろう。
「はい。終わり」
「有り難うございます。これからは、気を付けます」
「そうしてください」
手当てを終え、私が包帯の結び目を最後に確認しながらそう言うと金吾くんはすっきりした顔でお礼を言った。そしてまじまじと包帯を見た後、上目遣いをしながらふふと金吾くんは笑った。
○
金吾くんの手当てが終わった後、伊作先輩が帰ってきた。先生と先輩にお礼を言った後、金吾くんと一緒に医務室を出る。
金吾くんは腕を少し振り、腕の調子を確かめている。金吾くんは怪我をしていない方の手で包帯の上から傷の辺りを触り、何かを確かめているようだった。
「ぼく、実は前にも先輩に手当てしてもらったことがあるんです。その時は包帯を巻くほどの怪我ではなかったのですが……。鉢屋先輩がさっき仰っていましたが、本当に巻き方が綺麗ですね」
照れたように笑いながら私の方を見る金吾くんに、私は思わず「いつのこと?」と尋ねる。彼を手当てした記憶が無いのだ。
「えっと。以前四年生の綾部喜八郎先輩が学園中に穴を掘ったことがあったでしょう? あの時に」
そういえば、前に綾部が一晩で学園中を穴だらけにしたことがあった。
朝起きて食堂へ向かう途中、伊作先輩が穴から足を出して助けを求めていた状況はよく覚えている。
伊作先輩に話を聞くと、綾部は怒りのままに一晩で学園中に穴を掘ったようだった。さすがにくの一教室やくのたまが寝ている長屋には近付かなかったようだが、忍たまの、特に下級生に被害が多く、怪我をしていないか保健委員と一緒に見て、何人かの忍たまに簡単な手当てをしたのだ。
「ええっと、そういえば、あの日は全校生徒が穴を埋めるだけで午前中の授業を潰しちゃったんだっけ。午後に使う予定だったグラウンドがボコボコだったなぁ」
「まだ被害状況がはっきりとわかっていない状況だった時に先輩に手当してもらいました。だから先輩は覚えていないと思います。急いでらしたので……」
そうだったのか。なんだか自分が知らないのに人に覚えられているというのは恥ずかしい。私は金吾くんとの初めての接触は、ついこの間だとばかり思っていたのだが、どうやら違っていたようだ。
「でも、金吾くんはよく覚えてたね」
「そりゃあ、覚えています。ぼく、乱太郎に先輩のこと聞いたんです。『今日保健委員会と一緒に手当てして学園を回っていたくの一教室の人は誰なの』って」
「知らなかった」
「いつか、お礼を言いたいと思っていました。でも、もっと早く伝えなくちゃいけなかったですよね」
「そんなことはないよ。だって私、覚えてなかったわけだし……」
金吾くんは眉を下げて少しだけ困った顔をする。
「ぼく、くの一教室の人は怖いって思ってたんです。だから、ちゃんと手当てしてもらって驚きました。前に、すごく苦いお薬飲まされたことがあって……」
「あぁ……うん。まぁ、そうだねぇ」
「だから、ちゃんと手当てしてもらって驚きました」
「ふふ、そう。くくっ、そうだよね」
金吾くんの申し訳なさそうにしながらも、正直な感想に私は笑ってしまう。くの一教室の後輩は随分元気なことは知っているが、そこまで思われているとは知らなかった。
金吾くんも、最初変な手当てをされると思っていたのだろうか。期待に応えるわけにはいかないが、なんだか今になってその話題を出した理由もなんとなく理解ができた。お互いに、互いの性格を理解してきた今だから言えたのだろう。つまりそれは、最初よりずっと彼と親しい友になれているということの表れである。
「金吾ー」
そんな時、金吾くんの名前を呼ぶ何人かの声が聞こえてきた。水色の制服を見るに、金吾くんの級友だろう。怪我を心配しているようで、遠くから駆けてくる間にも様々に声を掛けている。金吾くんは嬉しそうに彼らたちの名前を呼び、一歩足を進め、すぐに振り向き、私の顔を見上げた。
「行ってきな、怪我してるだから無理しちゃダメだよ。あと、この前の地図のお礼、今度会った時に聞くからね」
私がそう言うと金吾くんは少し驚いた顔をしたものの、すぐに嬉しそうに大きく頷いた。
手を挙げて「今行くー」と大きな声を彼らに掛けた金吾くんは私に「手当てしてくださって有り難うございます」と言い、元気に駆けていった。
20161016