朝、ちゅんちゅんと鳴く雀によって起こされる。
隣を見ると既に同室の友人は部屋を出てしまっているようで、布団も綺麗に片付けられている。一緒に朝食を食べようと思っていたのに残念だなと思ったが、昨日、裏裏山に住んでいる学園長先生のご友人に手紙を届けるよう頼まれたと言っていたのを思い出した。ゆっくりと起き上がり伸びをする。今日はとても良い天気だ。
まだ少し頭がはっきりしていない。まず顔を洗いに行こうと部屋を出ると、美味しそうな匂いがした。
今日の朝食は何であろうか。
お味噌汁の具は、豆腐だと昨日おばちゃんが言っていた。同じ歳の久々知が目をきらきらさせて喜んでいたのを思い出す。
豆腐に恋しているようだと一緒に食事をしていた竹谷に言ったら、少しげっそりしたような顔で笑うだけだった。その顔を見て、竹谷は結構大変な目に合っていたことを思い出し、少し申し訳なくなる。
少し前に久々知に豆腐の料理を作ったから食べないかと誘われたことがあったが、その時はくの一教室の実習があったために断った。ひどく悲しそうな顔をされたのを覚えているが、竹谷の顔を見ると、あの時実習があって良かったのかもしれないとすら思った。
○
「おはようございます」
元気よく食堂に入ると休日のせいか少し賑わいに欠けていた。休日になるとみんな朝食を取る時間はバラバラになる傾向がある。確かに授業がない日は少し寝坊したくなるものだ。
辺りを見渡すと金吾くんが一人で朝食を食べていた。私はおばちゃんに焼き魚と卵焼きのあるA定食を頼んで受け取ると彼のいる机へ向かう。
「おはよう金吾くん。隣、大丈夫?」
「あっ、先輩おはようございます!! もちろんです。どうぞ」
驚いた顔をした金吾くんは次に眉を下げて「実は、一人で少し寂しかったんです」と恥ずかしそうに言った。
「同じ組の子とかは?」
「もう出かけてたり、まだ寝てたり。なんだか今日は不思議とみんな用事があるようなんです。きり丸たちはアルバイトと言ってたし……」
「そっか。みんな今日は忙しいんだね」
お互いちょっと寂しいねと言うと、金吾くんは小さく頷いた。
「今日は乱太郎くんにお礼を言いたかったんだけど、もしかしてきり丸くんとアルバイト?」
「はい。朝会った時にそう言ってました。町で小物を売るらしいです」
そっかと私が言えば、よほど残念そうな顔をしていたのか、金吾くんは上目遣いで、控えめに先輩、と私を呼んだ。
「……あの、ぼくどこでアルバイトをするか知っていますし、一緒に町に行きませんか」
「うーん。アルバイトの時にお邪魔しちゃって大丈夫かな?」
「ああ、それは平気です。今回のアルバイトは午前中に終わって、その後はすぐ近くのお店でうどんを食べる予定らしいので……今から行けば多分ちょうどいい具合だと」
お礼を言うのは早い方がいい。アルバイトが終わった後に会えば乱太郎くんもイヤな気持ちにはならないだろう。そう考え、私は金吾くんの提案に乗り、彼と一緒に町に出ることにした。
「しかし、何故乱太郎に?」
「乱太郎くんがね、薬草の絵を描いてくれたの。勉強の役に立ってて、お礼を言いたいなって思ったんだ」
「そうだったんですか。確かに乱太郎は絵が上手いですもんね」
綺麗な動作でお味噌汁を飲みながら金吾くんは頷いた。
「でも金吾くんは優しいね。せっかくのお休みの日に私に付き合わせることになっちゃったけど本当にいいの?」
「あっ、はい。気にしないでください。個人的に久しぶりに町に出てみたかったのもあるんです。しんべヱが、美味しいお団子を食べたとかうどんを食べたとか、よく言ってて……」
私は卵焼きを口に入れながら彼の話を聞いた。しんべヱくんが食堂で幸せそうに食事をする様子を思い浮かべ、もしかしたら羨ましいのかなぁと思った。あんなに美味しそうに食事をする子なら、食べ物の感想もきっと羨ましいと思うくらい美味しそうな顔をして喋るのだろう。
今日乱太郎くんにお礼が言えたら、私が好きなお団子を金吾くんに食べてもらおうと決め、私は全ての食べ物を残さず食べたことを確認し、手を合わせて食後の挨拶を静かに呟いた。
○
門で待ち合わせをすることにした。
小松田さんに外出する旨を伝えると、不思議な組み合わせですねと首を傾げられた。確かに、そう思うのは無理もない気がする。同じ歳の忍たま五年の彼らとは実習の一つとして男女で組になり町へ出掛ける……なんてこともあったが、一年生の忍たまと二人で出掛けたことなんて今までに一度もなかったし、多分私の友人にもそういった経験をした子はいないはずだ。
「お待たせしましたぁ」
制服ではなく、私服の金吾くんを見たのはもしかしたら初めてかもしれない。金吾くんの声に顔を上げると手を挙げて元気よく駆けてきた。
「大丈夫。さあ、行こう。町に着いたら案内宜しくね」
「もちろんです」
胸の辺りをぽんと叩いて自信ありげに金吾くんは私を見上げる。今回のその動作は、頼もしいというよりは可愛らしいもので、ついつい私は笑ってしまった。私が笑うと少し恥ずかしそうに彼はへへっと、頭をかいて照れくさそうに笑う。
「先輩は、よく町に行かれるんですか?」
「授業に余裕がある頃はよく行ったなぁ。今はあまり。久しぶりに行くよ」
隣を歩く金吾くんはは組のことや委員会のことを沢山話してくれる。話したことのない子の方が多いが、金吾くんから話を聞くとみんな個性的で良い子なのがよくわかる。
彼が嬉しそうに話しをするので、あっという間に町に着いた。
「先輩、こっちです」
金吾くんは私の手を引いて案内をしてくれるようで、私より少し小さな手がそっと触れる。弟はいないが、いたらこういうものなのだろうか。私を連れて行こうと頑張る彼の後ろ姿は張り切っていて、しかし触れた手の皮は年齢の割にはしっかりとしていて、彼が将来のために努力している様子を伺わせた。豆ができていて、所々固い。素振りによって出来たものだろう。
「ああ、もういないから……多分もうお店にいるんだと思います」
「そっか」
無意識なのだろうか。それとも意識的なのだろうか。手を繋いでから前よりもずっと金吾くんは私と近い距離にいる。それがなんだか面白く思い始めた。この距離に気付いたら、彼はどんな反応をするのだろう。こういう時、面白く思ってしまっている自分に気付くと、私はやはりくのたまなのだなと思わされる。
「先輩、こちらのお店です。ちょっと覗いてみましょうか」
「あぁ、ここは……」
彼が指したお店は私が好きなお店だった。
うどんもあれば菓子もある。さまざまな料理を提供する店だ。少し小さい店ではあるが、丁寧な接客と優しい味にはまってしまい、何度も足しげく通うお気に入りの店となった。
「乱太郎……?」
店の入り口からこっそりと覗く金吾くんは未だ私から手を放すことはなかった。
どうやら乱太郎くんたちがいたようで、嬉しそうな顔をした金吾くんが入りましょう私の手を少し引っ張って鼻息荒く言う。
「こんにちは」
「乱太郎、先輩がさ……」
私の声に気付いた亭主はいつものように頭を軽く下げて優しく声を掛けてくれる。そしてすぐ近くからは元気な男の子の大きな声が聞こえてきた。
「金吾!!」
「あれぇ、何してるの?」
「手なんか繋いじゃってぇ」
うどんを食べながらにやにやとした表情をした三人組が声を掛けてくる。その言葉でようやく気付いた金吾くんは真っ赤な顔をして勢いよく私から手を放した。
金吾くんの年相応の態度に私も先ほど三人組がしたようなにやにやとした顔をしてしまっているかもしれない。彼に気付かれないように一度自分の腕をつねる。
「ちちち、違うよ。ぼくは先輩を案内していて!!」
「ふぅん」
そう言いながらも、相変わらずにやにやとした顔をしたまま三人はうどんを食べている。しかしその顔もすぐに人懐っこそうな笑顔になり、すぐに視線は私へと移動する。
「えっと、名字先輩、どうしたんですか?」
医務室で何度か会ったことのある乱太郎くんは、私の名前を間違えることなく元気な声でそう言った。
「伊作先輩にね、乱太郎くんが薬草の絵を描いてくれたって教えてもらったからお礼が言いたかったの。昨日勉強した時にすごく助かって。細かいところまで丁寧にいろいろと描いてくれて有り難うね」
「あぁ、気にしないでください。わたしも描きながら特徴を掴んで覚えていこうとしただけなので」
慌てたような声で乱太郎くんは答えた。隣にいるきり丸くんとしんべヱくんは何のことかわからない様子だったので、大まかに説明すればなんとなく理解したようで二度首を振り頷いた。
「本当に助かったんだよ。有り難う」
「えへへ、どういたしまして」
照れくさそうにほんわかと笑う乱太郎くんに対して、両隣のきり丸くんとしんべヱくんは肘で乱太郎くんの身体を突っついて笑っている。おちょくりながらも二人とも嬉しそうにしている雰囲気から、本当にこの三人は仲が良いのだとわかる。
くのたま教室にもよく忍たまの話は流れてくるが、この三人の話は特に多い。一年生にしては交友が広く、さまざまな経験をしているせいか物怖じしない部分は私から見てもすごいと思う。
金吾くんも、多分私が知らないだけでいろんなことを経験しているのだろう。ちらりと横を見ると彼はうどんを食べている三人を羨ましそうに見ていた。その様子を見て、少し安著する気持ちが生まれる。我が儘かもしれないが、私が卒業するまではこういう子どもっぽいところは無くならないでほしいなと思うのだった。
20160814
20161003 修正