完結
 高校を卒業した年に入社したヒーロー事務所がヒーローの引退と共になくなることになり、春から新しい生活を送ることになった。轟くんが立ち上げたヒーロー事務所の職員になって彼を支えるという夢に一歩近付けた今、胸が高鳴りながらもやはり少しだけ心配な気持ちもある。
 というのも、現在事務所に在籍しているのはショートこと轟くんと私のみだからだ。
 昨年のクリスマス前に再会した轟くんは、予約してくれた懐石料理店で食事をしながら彼が描く未来の話をしてくれた。高校の文化祭の日を覚えているかと聞いてきた彼に頷けば、少し安心したような顔をして一緒に仕事がしたいと言う。そして、けれどもきっと仕事に慣れるまで大変だろう、と彼は眉を下げて続けた。
 彼が言うには、事務所を立ち上げて暫くのうちは、最低限の人数で事務所を運営していきたいらしいのだ。元々大きな事務所で働いていた轟くんは、それまで言われた仕事をただひたすらこなしてきた感が少なからずあったらしく、自分の事務所を持ったからには自分に何が出来て何が足りなくて、町の人が今何を求めているのかを知りたいと真剣な顔で言った。大きな事務所で働くメリットは十分承知していて、メディアへの露出があったからこそ助けられた命も勿論あったと彼は言う。
 私たちが学生の頃と比べたら世界は少し平和になったものの、それでもヒーローは変わらず今もこの世界に存在している。自分に出来ることを知って、幼い頃になりたいと夢みたようなヒーローになれるように立ち上げた事務所で挑戦してみたいと彼は思ったらしい。

「きっと俺なんかより、名字のが大変だ。だから、無理なら断ってくれてもいい」
「断らないよ。ずっと、私……私の夢、覚えてるんでしょう?」
「ああ」
「けど、泣き言を言っても、呆れないでね」
「……『大丈夫』って言われなくて、良かった。何かあったら頼ってくれ、俺はずっと、名字の助けになりたかったんだ」

 そう言って嬉しそうに笑った轟くんの表情を見たら、なんだか高校の時を思い出して少し泣きそうになってしまった。

   〇

 あの冬の日のことを思い出しながら、私は轟くんから教えてもらった小さなビルの自動ドアの前に立つ。轟くんが事務所にと契約したのは目の前にあるビルの三階の空き室らしく、最低限の物は既に揃えてあるらしい。
 小さなエレベーターに乗ると少し緊張してきた。再会後は頻繁に連絡のやり取りはしているものの、会うことはなかった。だから、少し久しぶりなのだ。

 事務所の扉はストッパーによって半開きになっていて、中から何か動かしている音が聞こえてくる。ストッパーが使われているから大丈夫だろうけれど、念のため扉をノックしてから「おはようございます」と中に入ってみる。

「おっ、名字早かったな」
「今日からよろしくお願いいたします」

 言いながら、照れくさくなってしまった。これから職場に出勤すれば彼がいるというのがすごく不思議で、けれどもそれが嬉しいと思ってしまう。
 彼を見れば、動きやすい恰好で家具を動かしている。手伝おうかと言うも平気だと首を振った轟くんは、それよりもまず話があるんだと言って移動したばかりらしい二人用の来客用ソファに座るよう言う。

「今日のうちに、聞いておきたいことがあるんだ」
「はい」

 向かいのソファに座る轟くんの表情は無表情なようで、雰囲気は少し優しかった。

「事務所の職員としてじゃなくて、同じ雄英で学んだ名字名前として、一人の人間として聞いてほしい」
「……うん?」
「単刀直入に言うが、結婚を前提に付き合ってほしい。この間久しぶりに会って、やっぱり名字が好きだと思った。A組関係の集まりがあると毎度名字の話になるから名字に今付き合ってるヤツがいないってことはわかってるんだが……」
「え、え、あの……え?」
「もう五年会ってねぇのに何言ってんだって思われても仕方がねぇが、ずっと、変わらずに好きだ」
「っ……!?」
「無理なら無理って言ってくれ。今後一切そういう態度は出さないようにする。元々公私混同するつもりはねぇし好きだから一緒に仕事がしたい訳じゃねぇ、名字の腕を買って頼んだ。けど、もしも名字に少しでも気持ちがあるのなら、付き合ってほしい」

 急に言われて難しいかもしれねぇが、返事を聞きたいと轟くんは真面目な顔で言う。

「諦められるのかわからねぇが、名字に迷惑かけたくねぇ。だから今日決めてほしいんだ」
「……どうして諦める前提なの」
「……」

 私の言葉に、轟くんは目を見張る。私を窺うような目で、少しだけ頬を赤く染めた。

「私も、ずっと好きです」

 まじか、と呟いた轟くんは口元に手をやって照れくさそうに笑った。
 聞きたいことや言いたいことが沢山あって、今日だけではきっと足りないだろう。少し先の未来の約束を約束しながらも、これから先の私たちが未来でどうなっていくのかはわからない。それでもお互いにこの五年間やってきたことはきっと間違いじゃなくて、この町を守るために、お互いのために必要な時間だったことは確かなはずだ。
 まだ物が少ない事務所を背景に座る轟くんの色違いの目が嬉しそうに細められていくのを見て、未来が少しでも良いものになることを願いながらもう一度彼に好きだと伝えた。

20210910

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