完結
 朝、目が覚めてゆっくりと体を起こす。普段通りの快眠とはいかず、体は少し重い。
 目覚ましが鳴るよりも先に起きたが、夢の通り名字は既に部屋を出ており布団も片付けられていた。

 勝手に無効化させて本当にごめんなさい。ちょっと遅くなるかもしれないけれど、必ず十二時までに帰るので安心してください。

 名字からメッセージが届いていることに気付いて確認すれば、普段よりも少し固い文章がそこにあった。

 寝ている間に見た夢を思い返せば、名字がどうしてああいう行動を取ったのか理解が出来た。部屋を出るためにキスをしてから碌に会話も出来ていなかったのに、加えてあれだ。そりゃこうなるのもおかしくはない。
 ホームセンターで名字に抱き着いた小さな女の子の個性が何なのか、はっきりとはわからない。けど、あの時の出来事は、あの女の子の個性によるものだろう。発現したばかりの個性をコントロール出来ていないのかもしれない。

 無効化させる時の名字の表情を思い出して後悔をする。
 本当ならば今すぐにでも名字に会いにいくべきなんだろうが、今日は一日仮免講習でそれが叶わない。

 布団一枚分空いたその空間を見て息を吐く。
 赤い糸が薄れてきてるせいで、悪運でも引き寄せてるんじゃないかと疑うレベルだ。
 左手の小指に結ばれている赤い糸を確認しながら腰を上げて布団を畳んでいけば、数週間ぶりに一人で朝を迎えたことに気付く。先月まで当たり前だったのに、まるで冬の朝のように静かで少し寂しい一日の始まりになった。


   〇


 轟くんに断りもなく無効化させてしまった。
 今までは互いに確認し合ってきたのにと、後悔している。けど、轟くんと向かい合って話すと考えただけで怖かったのだ。もしも、もしもあの時のような冷たい瞳が私を見ていたら、私はもう自分が壊れてしまうかもしれないと思ってしまった。

 手を繋がないと眠ることができないのは想定していたから、クラスメイトに個性を掛けてもらった。三十分もすれば寝られると言われた通り、あっという間に寝入ってしまった。想像していた通り、夢の内容は胸が苦しくなるようなものばかりだったけれど。

 一日をなんとか乗り切り、お風呂から戻ってベッドに倒れ込む。
 お風呂に入ったことでスッキリしたはずなのに、疲れているのか体は少し重く感じた。このまま寝てしまいたいぐらいだけれど、明日になるまでに帰らなくてはいけないので体を起こす。

 朝は、仕事に没頭すれば他のことは考えなくなるだろうと思ったけれど、ふとした瞬間に轟くんのことを思い出しては冷水を浴びたかのように体が冷たくなった。
 きっとあれは――あの一連の出来事は、女の子の個性が原因だろう。一日経ってそう考えることが出来た。轟くんはあんなこと言わないと、今はそう思える。けど、あの時の轟くんの瞳や声を思い出してしまうと胸が痛くなる。今まで言われたどんな言葉よりも、彼が言った『無個性なんて』という言葉に胸を抉られるような気持ちになった。きっとそれは、私が轟くんのことを好きだからなのだろう。


 一人でいると思考がどんどん悪い方へいきそうだったため、共同スペースでクラスメイトと文化祭当日の確認をしていると、いつの間にか十時半を過ぎていることに気付いた。さすがに戻らないと大変だと戻る準備をすれば、眠そうな顔をした友達が「名前」と私の手に触れる。

「名前なら仲直りできるよ」

 ぎゅっと握った友人の手はあたたかい。彼女の言葉にゆっくりと頷けば、優しく笑って「おやすみ」と送り出してくれた。
 喧嘩をしているわけではなく、私が勝手に轟くんを避けていただけ。轟くんもきっと困っているに違いない。夢を見てどうしてこんなことになっているのか知ったのかもしれないけれど、怒っていてもおかしくないことをしたと思っている。

 経営科の寮を出れば、私の不安とは逆に空には星が輝いていた。
 空気が冷たくて寒い。自然と早足になって、頬を撫でる冷たい空気にまた少し泣きそうになった。ベランダで轟くんと見た星空を思い出したからだ。
 五分もかからずヒーロー科の、A組の寮に辿り着く。一呼吸置いて静かに中に入った。入りながら小さな声で「ただいま」と言うも、既に一階は明かりも消えており静かだった。
 ほっと息を吐いてしっかりと鍵を閉める。鍵が開いてて良かった。
 静かにエレベーターのボタンを押せば、暫くしてドアが開く。
 足音をさせないように、誰にも見つからないように……まるで悪いことをしているような心地だった。きっと、そういう気持ちがあるからそんなことを思うんだろう。

 轟くんは眠っているかもしれない。どちらかというと、早寝の方だから。
 轟くんと話したい。けど、轟くんに会いたくない。でも、このまますれ違っていいはずもない。このまま縁結びの個性が消えたらきっと私は、一生轟くんに顔向け出来ない。

 エレベーターは五階へ辿り着き、小さな音が鳴って扉が開く。時間が時間なため、廊下も薄暗く、屋内とはいえ空気はひんやりしていた。
 轟くんの部屋の前まで歩いてゆっくりとドアノブに触れる。静かにドアを引いて中に入れば、突然腕を引かれた。

「おかえり、名字」

 腕を引かれたと思ったら勢いよく顔が何かにぶつかった。鼻が痛いと思って目を開けたら視界は真っ暗で、よく知る轟くんの匂いに包まれる。

 ああ、轟くんだ。
 優しい声色と大好きな香りが胸を締め付ける。
 体がぎゅうと締め付けられて、轟くんに抱きしめられていることに気付いた。それに気付けば、目頭が熱くなってどんどん涙が零れていく。

「ごめんなさい、轟くん、本当に、ごめん」

 何度も謝るも、申し訳ない気持ちは無くならない。
 あれが轟くんのはずないのに、轟くんも、自分も、信じることが出来なかった。それがとても恥ずかしいことのように思えた。申し訳なくて、自分が最低だと何度も思った。

「名字、顔を上げてくれ」

 抱きしめる力が緩くなり、轟くんの胸に埋めていた顔を離して鼻をすする。照明がついていないせいで辺りは薄暗い。けれどもゆっくりと顔を上げれば、優しく細められた色違いの瞳をはっきりと見ることが出来た。

「轟くん」
「ああ」

 轟くんが私の頭を優しく撫でる。
 そんなに優しくしないでほしい。そんなに優しい瞳で私を見ないでほしい。けど、やっぱり嬉しくて胸があたたかくなっていく。

「有り難う」

 彼から逃げてた。自分を守るためにだ。けれども轟くんは待っててくれた。迎え入れてくれた。それが嬉しくて、涙が止まらない。
 頭を撫でていた手はゆっくりと下りて背中を優しく撫でる。平気だと言ってくれているようだった。

「名字が好きだ」

 ゆっくりと顔が近付く。少しかさついた轟くんの唇が静かに触れた。
 腕を掴んでいた轟くんの手が一度離れたかと思うとすぐに手を握り、指を絡ませてくる。

「好きだ」
「と、ど、ろきくん」
「わかってほしい。俺は名字が好きだって。全部、全部好きだ」

 彼の言葉をようやく理解したら、驚いて力が抜けてしまった。ずるずると座り込んでしまった私に轟くんも腰を下ろして目線を合わせる。
 こつんと、額と額がぶつかった。

「名字の頑張るところも、すぐ恥ずかしがるところも、好きだ。可愛いと思う。時々妙な男前発揮させるところとか、急にふっきれるところとか、おもしれーなって思った。こうやって一人で悩んじまう時は守ってやりたいと思う」

 囁くように言う轟くんの声が、息が、熱っぽくて心臓がうるさくなる。

「俺のことを呼ぶ時の声が好きだ。笑った顔が可愛い。いろんなヤツと友達ですげーと思う。何かあったら頼ってほしい。平気なふりをしないでほしい。頼りにされたいと思ってる」

 額が離されるも、距離が離れることはなかった。鼻と鼻が触れあっていて、言葉が途切れると軽く唇が触れる。

「名字にしか出来ないことが沢山あって、そういうのに気付いてほしい。自分のことを卑下しないでほしい。そんな気持ちになる必要はない。名字は、すごいよ」

 優しく語り掛ける轟くんの言葉に胸がいっぱいになる。

「それで……個性のあるなし関係なく、俺は名字が好きだよ。けど、無個性だからこそ頑張ってきた名字を知ってるから、俺は、名字のそういうところ全部がスゲーなって思う。可愛いなって、好きだなって、思うんだ」

 言い終わると、轟くんは「だから、泣き止んでくれ」と小さく囁いた。

「無個性だからとか、個性持ちだからとか、そういうのは関係ない。俺は名字が好きだ」

 言われた内容が理解の範囲を超えていて、でも胸の辺りは幸せな気持ちでいっぱいだった。有り難う、ごめんと何度も繰り返した後、私はようやく「私も好き」と彼に好意を伝えることが出来た。

「轟くんが大好き。個性とか関係なく、大好き。轟くんだから、好きになったの」


   〇


 赤い糸は消えた。
 それは、轟くんに気持ちを伝えることが出来た次の日のことだった。朝、目が覚めると完全に糸が消えており、あっという間に私は経営科の生徒に戻ることとなった。

 あの日から、轟くんとは会っていない。お互いに文化祭の準備があったのだから当たり前だけど、経営科の自分の部屋に入った時に井草の匂いがしないことを不思議に思ったり、一人部屋で寝ることに寂しさを感じるくらいには轟くんと一緒に生活していたらしく、そのことに気付いて一人恥ずかしくなるのを繰り返していた。


「人すごいね」

 とうとう文化祭の日を迎えた私は、朝から忙しなく動いていた。賑やかな校舎に気持ちは昂り、楽しそうな友人の顔を見ると嬉しくなった。
 今日一日はクラスの仕事を全うするつもりだったけれど、少し休憩しようと手を引かれ、私は友達と一緒にA組のライブが行われる体育館にやってきていた。

「名前ちゃんの気持ちもわかるよ。クラスの手伝いしなきゃって気持ち、わかる。けど、名前ちゃん何もしなかったわけじゃないし、大変だったの知ってる。何よりA組と一緒にいたなら見に来なきゃダメでしょ。それこそA組に失礼だよ」

 賑やかで薄暗くて少しだけ蒸し暑い体育館の中、隣に立つ彼女はそう言って笑った。にいっと笑った彼女は「それに、あんなに周りにA組の宣伝しまくってたのに本人見ないとか笑うでしょ」と口を尖らせる。
 彼女の言葉に納得して、まだまだ私は自分のことでいっぱいで全然ダメだなぁと反省をする。「確かにそうだね」と返事をすれば、彼女は「でしょー」と目を細めた。
 十時から始まるライブに多くの人が体育館へ駆けつけていた。純粋に楽しみにしている人だけではないのは知っているものの、彼らが一生懸命頑張った結果を多くの人が見てくれる事実が嬉しかった。

 轟くんはいるだろうか、そう思いながら辺りを見渡す。
 演出で体育館の後ろから氷を出すと言っていたことを思い出し、振り返ってみる。瀬呂くんと切島くんと話している轟くんの姿を見つけ、胸が熱くなった。ついこの間まで隣にいた轟くんが、また少し遠くにいってしまったと改めて知った。
 悲しくはない。むしろあんなにも素敵な男の子と少し前までずっと一緒にいられたことが自分の誇りのように思える。
 気付かれないようにステージへ顔を向ければ、開演を知らせるブザーが鳴った。

   〇

「A組楽しかったね!!」
「うん」

 あっという間に終わってしまったライブの余韻に浸りながら体育館を出る。
 爆豪くんの叫び声から始まり、バンド隊の演奏やダンス隊のダンスは演出隊によって派手でロックに仕上がっていた。何より、響香ちゃんがかっこよくて可愛いくて、楽しそうに歌う姿に自然と手を上げて叫んでいた。
 お茶子ちゃんとハイタッチしたことも、三奈ちゃんと目が合って笑いかけてくれたことも、梅雨ちゃんと透ちゃんが手を振ってくれたことも現実だった。百ちゃんが何度も練習していたメロディー部分を完璧に弾いていたことに気付いた時にこちらまで嬉しくなった。
 楽しそうにしているみんなを見て、来て良かったと心から思った。
 誰が欠けても完成しなかったであろうステージを見て少しだけ泣きそうになった。周りの歓声に胸が締め付けられた。A組の頑張りが実ったあの瞬間を私は大人になっても忘れないだろう。


「名字」

 教室に戻ろうとしたところで後ろから声を掛けられる。よく知る、大好きな声。
 隣にいた友人は「先戻ってるよ」と囁いて駆けていってしまった。嬉しそうな顔をして、少しくらい遅れても怒られないよと手を振られてしまう。

「轟くん、お疲れ様。とっても楽しかったよ」
「そうか、良かった」

 振り返ってそう伝えれば、轟くんは安心したように表情を綻ばせる。片付けが大変だったのか、彼は少し汗をかいている。

「言いたいことがあったんだ」
「ん?」
「……有り難う。名字、いろんなヤツにA組の話をしてくれたんだろ」

 腕で額の汗を拭う轟くんは「どういう思いで企画をしたか聞いてるって、そう言ってたヤツがいたんだ」と言う。

「みんな、喜んでた。女子は名字がいたってはしゃいでて……」
「うん。私も楽しくて、嬉しかった。A組のみんなを見たの久しぶりだったし」
「そうだな、久しぶりだ」

 照れくさくて、でも幸せな気持ちになる。みんなの役に立てたのだから。

「轟くん、あのね、私も言いたいことがあって……」
「なんだ?」

 首を傾げる轟くんを前に、右手の小指に触れてみる。既に赤い糸は消えるも、そこに触れれば少しだけ勇気が湧いて出るような気がした。

「私ね、その、ヒーローにはなれないけど、ヒーローが帰る事務所を守ることは出来るのかなって思うようになったの。ヒーローが安心して帰ってこれるような事務所を作りたい。ヒーローと一緒に、ヒーローがヒーローとして活躍出来る環境を作りたいって思うようになったの。A組のみんなと一緒にいなかったらきっと考えもしなかった」

 有り難うと言えば、彼は少しだけ驚いたような顔をする。

「実現出来るかわからない。けど、卒業して、将来社会に出て、沢山学んで、沢山経験して、自分に自信が持てるようになったら……私はあなたの役に立ちたい。轟くんが自分のヒーロー事務所を持った時にね、私は、轟くんの事務所を守れたらいいなって思ったの」

 私にとってそれは、かなり勇気のいる告白だった。何を言ってるんだと笑われることはないだろうけれど、私にとってその言葉は、あなたのサイドキックになりたいと言っているようなものなのだから。
 ヒーローにはなれない。けど、ヒーローとは違った形で私はヒーローの役に立ちたい。あわよくば、轟くんの役に立てたならこれ以上のものはない。

 A組のみんなと過ごした約一ヶ月の日々は、私にとってかけがえのない時間だった。轟くんと赤い糸で結ばれなければ、私はヒーローにとっての良いパートナーになろうなんて思えなかったかもしれない。
 赤い糸が消えてしまったあの日から密かに抱いていた夢を伝えれば、轟くんは「いいな、それ」と言って優しく笑ってくれた。

20191007
20191013加筆修正

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