『――経営科に無個性の女子生徒が入学したんだが、夢に突き進むために勉学に励む姿が君に似ていた。ただ、少しだけ彼女には自信が足りないように思う。君なら、彼女になんて声を掛ける?』
桜が散って緑が生い茂る季節だっただろうか、オールマイトと話している時にそんなことを言われた。
『いや、例えばの話。君が将来ヒーローになった時に無個性に苦しむ子を見つけたらどうするかって、ふと思ったんだ』
壁に背を預けたオールマイトは難しい顔で外を見ていて、ガラスの向こう側へ視線を移せば一人の女子生徒が歩いている姿が見えた。
真新しい制服を着ている女子生徒は帰宅する途中らしいが一端足を止め、ジャケットから何かを取り出し、それを耳に当てたようである。こちらかは死角になって見えないが、口を動かして何か話しているようだから電話でもしているのだろう。
暫く通話をしていると思えば女子生徒は俯き、額の皺を伸ばすような仕草をした後、諦めたように肩を落とし何度も頷くような仕草をした。通話は終わったようで、少し乱雑にジャケットに手を入れ、大きくため息を吐くように肩が動く。
女子生徒の横顔は、悲しい顔をしていた。
『未来を繋ぐ少年少女には笑顔でいてもらいたいと思いながらも、私はあの少女に何と言えば笑ってもらえるのか、わからないんだ』
歩き始めた女子生徒の姿を見ながらオールマイトは僕にそう言った。驚いて、オールマイトでもそんなことを思うんですかと聞いてしまった。いつもはキリッと上がった眉を下げたオールマイトは、肩を落として力なく頷く。
『力を持って人命を救うヒーローになるのは、言ってしまえば誰でもなれるさ。でも心の問題は違う。あの子の心の奥底にあるものを救えるのは、残念ながら私ではないようだ』
あの女子生徒の名前も、過去も、僕は何も知らない。けれども何故あんなに悲しそうな顔をするのか、何故オールマイトが僕にあの子の話をしたのか、少しだけわかるような気がした。
「切島くん、見てほしいものがあるの」
「おっ、名字のオススメか?」
「私ではないんだけど、友達にライブ演出がすごいバンド教えてもらったんだ。音楽が好きな子だし、確かだと思う。ついでにA組の宣伝もしておいたよ」
「まじか、ありがてェ!!」
ヒーロー科の寮に初めてやって来た時の名字さんの表情を思い出す。辛そうに眉を寄せる印象が強かったが、ここ数日名字さんは僕たちの前でも笑うようになった。明るく笑う姿は数ヶ月前に見た彼女とは別人のようだ。
結局、彼女を救えるのはオールマイトでも僕でもなく、轟くんだったということだろう。
それにしても、轟くんも少し雰囲気が柔らかくなったような……?
「これ、轟はもう見たのか?」
「ううん。轟くん今はお風呂入ってるらしくて。まだ会えてないんだ」
「そっか、わかった。これ面白れェから、後でみんなとも見てみるわ。サンキューな」
パソコンを前に切島くんと名字さんが並んで座る。先ほど名字さんが言っていたライブ動画を見ているらしい。切島くんの反応に、名字さんは良かったと安心した顔をする。それを見て、切島くんは「初めて見るバンドだけど、曲も結構いいな」と歯を見せて笑った。
「おっ」
そこに現れたのが、二人の会話にも登場した轟くんだった。
「名字、おかえり」
「あっ、轟くんただいま」
「名字はもう飯は済ませたのか?」
「うん。寮でご飯とお風呂は済ませてきたよ」
名字さんはそう目を細めて轟くんへ笑いかけるも、机の上に置かれているパソコンへと顔の向きを変えた。
パソコンを前に二人で動画鑑賞をしている切島くんと名字さんを見た轟くんが、眉を下げ、不思議そうな顔をして首を傾げる。あれ、と思っていると轟くんがこっちにやってきて棚からグラスを取る。
お風呂上りに食堂スペースで一人涼んでいた僕に気付いた轟くんは、蛇口に触れ水を出しながら「緑谷、ダンス隊はどうだ?」と聞いてきた。
「普段使わないところを使ってるみたいで、最初は軽く筋肉痛になったけどもう慣れたかな」
「そうか。見んの楽しみだな」
椅子を引き、隣に座った轟くんがグラスに口を付ける。轟くんはお風呂上がりでまだ少し体が火照ってるのだろうか。ぼーっとした様子で並んで座る切島くんと名字さんを見ている。
暫く無言のまま互いに水を飲んでいると、唐突に「なぁ」と轟くんから声を掛けられる。隣へ顔を向けると、彼は一瞬こちらを見るも、すぐに名字さんたちへと視線を戻した。
最近思うんだが、と言って轟くんは話し始める。
「名字が他の奴らと普通に話してるのは嬉しい。けどほんの少しだけ、こう……」
「ん……?」
「昨日もそうだったんだが、俺を見てほしいと、そう思う瞬間があって困ってる」
「んんっ!?」
轟くん、それってと思わず口を挟みそうになって勢いよく両手で口を押える。口を押えたまま辺りを確認して、もう一度轟くんに視線を戻す。切島くんや名字さんには轟くんの話は聞こえなかったようで、こちらを見ることなく動画を見て盛り上がっている。
「寂しいような、そんな気がするんだ」
まさか轟くんからこんな言葉を聞くとは思わなかった。それってつまり――頭の中でいろんな言葉が浮かび上がってきて口に出してしまうそうになる。
「名字がヒーロー科と仲良くなるのは嬉しいと思うのに、切島と二人でああしてるの見ると、いつもは俺が隣にいるのにって思っちまう」
いつもって言ったって名字と会って一週間も経ってないのにおかしいだろ。
轟くんは、自分の左手を見ながらそう言った。右手で、左手の小指に結ばれている赤い糸を優しくなぞる仕草を見て、思わず自分の目をぎゅっと閉じる。慣れない話にどうすべきか、僕はわからない。
ノートパソコンを覗き込む切島くんと名字さんの距離は近い。
互いに何にも思っていないからこそ、二人は距離の近さを気にしていないように思えるけれど、轟くんにそれを言っても多分理解は出来ても納得は出来ないのかもしれない。
「これって――」
「恋、だね」
轟くんの言葉に被せるような言葉は、突然現れた青山くんのものだった。青山くんは机に肘をつき、両手に顎を乗せ笑っている。
弾んだ声と相まって、いつもの如く背景に星でも飛ばしているような様子だが、案外彼の言葉は僕と轟くんにしか聞こえないような静かなものだった。目を細め、口の端を上げた彼は轟くんと名字さんを交互に見た後、もう一度ポーズを決めて「だろ?」と僕に同意を求めるように視線をこちらに向ける。
いや、えっ、青山くん!?
顔に熱が集まり動揺してどもる僕を見て、隣に座る轟くんは小さく「そうか」と呟く。
「好き、なのか……」
「えっ、君気付いてなかったの?」
信じられないといった顔で轟くんを見た青山くんは、やれやれといった様子で肩をすくめて去っていった。
何しにきたんだろう、というかいつから聞いてたんだろう。轟くんの恋を自覚させるだけして行ってしまった青山くんに僕は何も言えないまま、崩れるような姿勢で背もたれにもたれかかる轟くんをチラリと見る。
「じゃあ俺は、切島に嫉妬してたのか」
青山くんの言葉に最初は驚いたような顔をしていた轟くんだが、暫くすると口元に微かに笑みを浮かべた。名字さんをじっと見る轟くんの瞳が優しく細められる。
〇
再び集まって話し合いを始めた演出隊の面々に見てもらった動画は思っていた以上に好評だった。
こういうの、個性でやれるんじゃないか。
じゃあそれにプラスして、こんなことも……。
アイデアを出してどんどんルーズリーフに書いていく演出隊のメンバーを少し離れた所から見てホッとした。役に立ててるような気がして、嬉しかった。
彼らに声を掛けて部屋に戻ることにした。
轟くんの机を借りて経営科の専攻授業の教科書を読むも、なかなか集中することが出来ない。授業を受けられない分教科書を読み進めておこうと思っていたが、これだったら共同スペースにいた方が良かったかもしれない。
寝る前に、轟くんに何と言おう。
そればかり考えてしまう。普通に言えばいいと頭ではわかっているものの、余計な気持ちが付いてくるせいでこんがらがってくる。
突然握手してくださいなんて言っても何言ってんだって思われるに違いない。ここはやはり、今日リカバリーガールに会ったという話をして、そこから順序立てて説明するしかないだろう。話は長くなるけれど、変に思われる可能性は低いはず……
胸の辺りがドキドキと騒がしくなっている。頬に熱が集まって、でもそれが不思議と不快ではなかった。
轟くんが、好き。その気持ちは、認めてしまえばすんなりと胸のうちに溶け、染み渡るような淡くて綺麗な感情だった。
「ただいま」
「お、おかえり轟くん」
そういえば、ドアストッパーを使っていたんだと思い出す。
部屋に入ってきた轟くんが傍までやってくる。話し合いで使ったのであろうルーズリーフの入っているファイルを畳の上にぱさりと置き、腰を下ろす。胡坐をかいて私を見る轟くんに、何か用があるのかなと思っていたら、彼は机の上にある教科書に気付いた様子で「名字は」と、呟いた。
「明日も経営科の方に行くのか?」
「うん。そのつもりなんだけど、いいかな? 赤い糸が消えるの、先延ばしになっちゃうけど」
「俺は、構わない。それこそ名字はいいのか」
補習が増えてくだろ、と心配そうな顔をする轟くんに平気だと手を振る。
「私、今すごく楽しいの。確かに補習のこと考えるのは嫌なんだけど、ヒーロー科の皆と話したりするの楽しいし。それに、将来の私にきっと役立つはずだから」
「そうか。名字が問題ないなら、いい」
安心したように顔を綻ばせる轟くんに胸がぎゅうと締め付けられる。
なんだか、轟くんの表情がすごく優しい気がする。好きって気付くとこんなにも見える景色が変わって見えるものなのだろうか。元々顔が整っていることは知っていたが、前にもまして良く見えて困る。
「あっ、あのね、明日の無効化のお願いもそうなんだけど、もう一つ、お願いがあって……」
どうしたと、そう首を傾げる轟くんの表情はやっぱり昨日よりもずっと優しく見える。心臓に悪いため、若干目を逸らしながら私はリカバリーガールの話を伝えた。
手を繋いでみなよと言われたの。そう言えば、轟くんは目を見開いて驚いた顔をする。「肌が触れることが重要なのかもな。確かに保健室でそんなこと言われた気がする」と、納得したような顔をしてみせた轟くんに、まさかこんなにもすぐに受け入れられるとは思わず、自分で言ったことではあるが驚いてしまった。
とりあえず引かれなくて良かったと安心して一度唾を飲み込む。言わなければと膝の上に乗せた手をぎゅっと握りしめた。
「轟くんさえ良ければ」
握手をしてほしい。
そう言いたいのに、言葉は続かなかった。口は「あ」の字で固まり、そのまま音は出なかった。
驚いて轟くんを見れば、じっとこちらを見る瞳と視線が交わった。
びっくりして、未だ私は言葉を発することが出来ないでいる。
だって、ぎゅっと膝の上で固く握り拳を作っていた私の両手に、轟くんが優しく触れたからだ。
私よりも大きな轟くんの手が、私の手の甲をそっと撫でる。勇気を振り絞るために作った握り拳は、触れられただけでいとも簡単に力が抜けた。彼はそのまま私の手を取って持ち上げる。
ぴくりと震える私の指をそっと撫で、驚いて固まったままの私の手をほぐすように撫でる。
彼の指が触れている部分が熱い。轟くんは個性なんて使っていないはずなのに。
「っ……」
これは、握手ではない。
私が想像していたものじゃない。けど、嫌だなんてちっとも思わなかった。嫌だと言うつもりもなかった。触れあったところから伝わる彼の熱に胸が高鳴っている。
轟くんはきっと、私がリカバリーガールの言葉をそのまま伝えたから手を繋ごうとしてくれたのだろう。私が眠ることが出来るように、その一心で。
手を持たれ、握られる。さっきは突然触れてきたのに今は遠慮気味に握られている。それがなんだか轟くんらしくて、少しだけ笑ってしまった。
轟くんはやっぱり優しくて、真っ直ぐだ。私のことを考えてくれているとわかるのが嬉しくて、嫌われてないのだと思うと信じられない気持ちになる。
触れあうだけの轟くんの手に、今度は自分から指を絡めてみる。
握手をしてほしいという言葉がすぐ出なかったくせに、急に気持ちがふっきれたようだ。我ながらわからないなと思いながらも轟くんを愛おしいと思う気持ちが溢れてくるようだった。
指の付け根までぎゅっと指を絡めてみせれば、轟くんは「やっぱり名字は、時々驚くようなことするな」と驚いたような顔をして笑う。
「これで、ぐっすり寝られたらいいな」
轟くんは、そう言って手を握り返してきた。
20190703
20191012加筆修正