完結
 朝、轟くんにドン引きされたであろうボロ泣き状態はどうにか落ち着き、お互いに譲歩しながら朝の仕度をすることが出来た。
 周りにいたA組の生徒と少し会話をしながら朝食を食べ、さあ校舎に行こういうところで聞き慣れたメッセージの通知音が流れた。

「名字のみたいだぞ」
「あっ、うん」

 轟くんの言葉に頷き、朝からなんだろうと疑問を抱いている間もすぐそばで繰り広げられる「やべぇ、寝坊した」やら「歯磨き粉無くなった」等の日常会話を耳にして不思議な心地になる。未だ、自分がヒーロー科の寮にいることにしっくりきていない。
 これは夢なんじゃないかと疑いたくもなるけれど、自分の右手をちらりと見れば轟くんへと繋がる赤い糸が変わらずにあった。
 続けて鳴る通知音で現実へ引き戻され、誰が朝からこんなに連絡をしてきてるんだと確認すれば、クラスメイトの友人からだった。

 今日は、経営科の授業に出てくれないかな。
 その一文から始まる文章は、なかなかに長かった。電話でもしてくれればいいのに、と思うも友人が昨日マスクをしていたことを思いだす。そういえば、風邪気味だと言っていたんだっけ。

 でも、昨日寮に荷物を取りに行った時に当分経営科の授業には出ることが出来ないという話は彼女にもしたはずだ。どういうことだろうと続く文章を読めば、思わず声を上げてしまった。

   〇

「個性を一時的に無効にする方法が、書いてある」

 友人からのメッセージに頭が追い付いていないながらも、どうしたのかと尋ねる轟くんに伝えれば、彼は驚いたように目を見開いた。

「個性の分析が出来る個性を持つ子で、能力とか弱点とかわかるんだって」
「ああ」
「時間がかかるらしいんだけど、触れた相手にまつわる個性がわかるらしいの。昨日寮に荷物を取りに行った時に個性を使ったみたい」
「それで、無効化の方法って――」

 少しだけ大きな声で言う轟くんに、私は最初何も答えることが出来なかった。ええっと、あの、と口からは無駄な言葉しか出てこない。それに不審がるように私の名を呟いた轟くんの手を引き、私はちょうど談話スペースから死角になっている場所へと移動する。

「友達が個性使った結果だから、これから言うことに嘘はないと思う。試してみる価値は確かにある。轟くんが試したいと思うかは置いておいて……」

 彼の腕を掴む私の手は、自分でも驚くほど熱かった。
 先ほどまでA組生徒の声で賑やかだった場所から少し離れたため、自分のうるさい心臓の音がより大きく耳元で聞こえている。
 声が震え、俯く。轟くんの顔を見ることが出来ない。

「サポート科のあの子の個性『縁結び』って、普通だったらこんなことにならないはずなんだって。その個性をこんなことにしたのは栄養剤のせいで間違いないみたい。でも、それでも一時的に無効化させる方法があるって書いてある。一日に一回だけ、それを行うことで私たちを結ぶ赤い糸が見えなくなって、どんなに離れても問題なくなるんだって」
「なら、やるべきだろ」

 轟くんは、その方法がどんなものだから知らないからそんなことが言えるんだ。
 思わずそんな泣き言を言いそうになるも小さく息を吐いて耐える。

「その方法を使えば、深夜十二時まで『縁結び』の個性を無効化させることが出来るみたい。けど、使えば使うだけ、赤い糸が自然に消えてなくなるまでの時間を先延ばしさせちゃうんだって」

 なるほど、と彼は小さく頷く。使えばいいというわけでもないんだなと轟くんは呟く。

「それで、その方法ってのは――」

 なんなんだ。
 その言葉に、私は轟くんの腕を掴んでいた手を離し、赤い糸が結ばれている彼の小指にそっと触れた。

「名字?」

 轟くんが悪いわけではないけれど、何でもないように急かす彼にムキになって顔を上げ、彼の小指に結ばれた赤い糸の部分をゆっくりと撫でれば、少し焦ったような声で轟くんは私を見る。
 心臓が、うるさい。

「お互い、赤い糸が結ばれている小指にキスをする――って、そう書いてある」

 画面を見せながらそう言えば、彼は大きく目を見開いて口をぽかんと開けた。

「キス?」
「キス」

 魚じゃないよ、とは勿論言わないけれど、言って場の空気を変えてみたいと思った。顔を下げれば、触れている彼の小指が少しだけ色づいているように見える。

 口にキスをするわけではない。赤い指が結ばれている小指にキスをするだけである。けど、はいそうですかと納得して簡単に出来る行為ではない。
 自分が、轟くんが、手を取って小指にキスをすることを想像してまた心臓がうるさく鳴った。他の女の子がどうかは知らないけれど、私にはとても難しくて恥ずかしいコトのように思える。

「……名字」
「なに」
「深夜十二時に効果が切れるなんて、シンデレラみたいだな」
「えっ……?」

 轟くんは何を言っているんだ? と、顔を上げる。すると、真面目な顔をした轟くんが私を見ていた。まじか。

「天然……?」
「……名字、魚の話をしてるんじゃないよな?」

 何言ってんだ、みたいな顔をされて大変遺憾である。しかし急に笑えてくる。そこに食いつくとは思わなかった。
 ふふっと、こみ上げてくる笑いを止めることが出来ない。笑いすぎてお腹も痛くなってくる。どうしてそこなんだろう。普通、キスをするってとこに食いつくんじゃないの?

「轟くん、シンデレラ知ってるんだ」
「知らないヤツの方が少ないだろ」
「ふふっ、そうだね」
「いつまで笑ってんだ」
「うん、ちょっと待って……うん、今のでね、羞恥心が飛んだからキス出来る」

 恥ずかしくて仕方なかったけれど、それも馬鹿らしくなってきた。轟くんにとったら多分そんなに気にするものでもないのかもしれないし。
 彼の手を取ってゆっくりと持ち上げる。してもいいか尋ねると、轟くんは戸惑ったように一度視線を外したものの、しっかりと頷いた。

「轟くんも、休みは仮免の講習あるもんね。いい機会だし、試しに一度やってみようか」

 彼の手に顔を近づける。
 王子様のように、跪いた方が良かっただろうか。そんなことを考えるほどには余裕が出ていた。

『シンデレラみたいじゃないか』

 その言葉を思い出し、また笑ってしまいそうになるのを堪えた。だって、そうでなきゃ今度こそ文句を言われそうだ。
 赤い糸が指輪のようだ、と思いながら触れるだけのキスをする。そうすれば、私たちを結ぶ赤い糸が薄くなっていく。

「じゃあ、次は轟くんの番」

 完全に消えない赤い糸をちらりと見やって手を差し出せば、轟くんは「名字は様になってたな」と困ったように笑った。


  〇


「文化祭の出し物を決めましょう」

 開口一番に担任が言った言葉を聞いて思わず自分がここに呼ばれたのはこれかぁと机に頭をぶつけた。
 なるほど、確かに経営科生徒にとって外せない内容である。体育祭はヒーロー科の見せ場のイベントだが、文化祭は違う。文化祭は私たち経営科含めヒーロー科以外の科のアピールの場であるからだ。先生も出来るのならこちらに来てほしかったのだろうし、多分ヒーロー科でも今、文化祭の出し物の話をしているはずだ。

 委員長と副委員長が黒板の前に立ち、案を求める。いくつかの案が出た後に手を挙げて自分の案を言えば、委員長は小さく頷く。
 ハイハイと、元気よく手が挙がる中、既に奇抜な案を出していた後ろの席の友人が「ねぇ」と私の肩を叩く、体を少し後ろに倒せば「今日は一日こっちなんだ?」と笑う。

「昨日、あんなにヒーロー科の授業を受けるから、とか言ってた自分が恥ずかしいよ」
「でも補習受ける回数減るからいいじゃん」
「それもそうだけど……」
「で、どうやって無効化させたの?」
「……言わない。言って効果が切れたら大変だし」

 言ってどうにかなるのかはわからないけれど、ペラペラ公言する内容でないことはわかっている。本音を言えば、恥ずかしくて言えないのだ。
 風邪をひいている中で私のことを助けてくれた友人をちらりと見やる。私の視線に気付いたのか、友人は不思議そうに首を傾げながらも小さく手を振ってくれた。
 クラスメイトの個性については皆理解しているから、彼女が個性を使ったことで私がここにいることにみんな気付いているのだろう。風邪をひいている上に個性を使わせてしまったことが申し訳ないと思いながら、個性を使ってくれたから私はこうして自由に出来ていることに気付く。

 何も持っていない私には、何が出来るのだろう。
 そんなことを、ふと思った。前なら多分、違った考え方をしていただろうということにも気付く。
 きっと前なら、前なら……何も持っていない自分に対してまた嫌悪感を抱いたのかもしれない。
 今の思考の方がきっと健全なはずだと、そんなことを考えながら右手を見る。右手の小指には赤い糸が一本指に巻き付いている。
 轟くんまで伸びていた赤い糸は今は見えないけれど、小指に巻き付いている糸があるということは本当に無効化されているだけで『縁結び』の個性は未だ私たちに掛かったままのようだ。

「最初はさ、どうなるもんかなぁって思ってたけど。なんとかやってるみたいで良かった」
「うん」
「みんな、心配してた。名前はヒーローの話には乗ってきても、ヒーロー科の話にはあまり乗ってくることなかったから」
「そう、だったっけ」
「うん。昨日、寮に轟くんと入ってきた時の名前の顔、辛そうだったから尚更ね。でも、今日いつもと同じような顔で教室入ってきたの見て安心したよ」
「それは……本当に、心配をお掛けしました」

 体の向きを変えて振り返ってみれば、友人は照れたような顔をして笑っていた。
 コンプレックスを隠せているつもりだった。けれども思っていた以上に私のそれは隠しきれていなかったらしい。みんなに心配をさせたことに対して申し訳ない気持ちになる。

「もう、大丈夫だよ」
「そっか」

 轟くんの夢を見たことで私の心情は少し変わった。簡単にコンプレックスを克服できるものでもないかもしれないが、前向きになれたのは確かだ。だから、きっと大丈夫。そう心の中で言い聞かせるようにすれば、友人は安心したように笑った。



 経営科の授業を受け、一度自分の部屋に寄ってからヒーロー科の寮へ向かう。寮でも文化祭の出し物の話が盛り上がったため、最初予定していた時間よりも遅くになってしまった。既に暗くなっている空には月が昇っており、その周りには星が輝いている。夕飯も食べていないためお腹がすいている。お風呂も入りたい。勉強もしなくちゃなぁ。そんなことを考えながらヒーロー科の寮の扉に触れる。
 そこでふと、私は何と言って入るべきなのだろうかと疑問を持つ。「こんにちは」が無難だろうか。いや、もう「こんばんは」という時間か。
 経営科の、自分の寮に入る時はいつも「ただいま」と言っていた。けれどもヒーロー科の寮で「ただいま」だなんておかしいよね。そんなことを考えていると、後ろから声が掛かる。

「あの、入らないの……?」
「……入りたいんだけど、何て言おうかなぁって」

 振り返りながらそう言えば、困った顔をした緑谷くんが立っている。少し緑がかった色をしているうねった髪とそばかす。間違いなく体育祭で一躍有名になった緑谷くんである。
 彼の右手には傷跡があり、その手が頬を掻いている。扉の前に立っていることで私が邪魔をしていると気付き、すぐに扉からどいて謝った。

「ごめん、緑谷くん」
「いや、全然!! というか、僕のこと知ってるんだね」
「知らないはずないよ。体育祭見てたし。それに経営科の生徒の大半は同じ学年のヒーロー科の生徒の顔と名前を一致させてるよ」
「そ、そうなんだ」

 驚いたような顔をして「サポート科とか普通科の人と話したことはあるんだけど、経営科ってなかなか機会なくて」と彼は言う。

「でも、名字さんのことは、実は知ってた。機会があれば話したいとも思ってたんだ」
「えっ?」
「いや、あの……ははっ」

 眉を八の字にした彼は、すぐに焦ったように視線を外して頭を掻く。

「あのさ、入る時に『ただいま』って言っていいと思うよ」
「えっ?」
「みんな、おかえりって言ってくれるよ」

 わかりやすく話を逸らされたような。
 そう思いながらも、ごまかすように手を叩きながらも優しく笑う緑谷くんの言葉に頷いてもう一度ドアの前に立つ。一つ深呼吸をして扉を開けて「ただいま」と言ってみた。
 寮の中は明るくて、少し眩しい。
 一歩踏み出せば、後ろから「おかえりなさい」と緑谷くんの優しい声が聞こえる。

「名字、今戻ったのか。おかえり」
「あら名字ちゃん、おかえりなさい」
「おかえりなさい」

 玄関近くでノートパソコンに向かっていた轟くんを始め、談話スペースにいた多くのA組生徒が笑顔で私を迎え入れてくれた。
 まさかこんなにも普通に「おかえり」と受け入れられるとは思わなかった。素直に驚いている。
 こちらに顔を向けるみんなにもう一度「ただいま」と言えば、みんなにやにやと楽しそうに笑っていた。

「ね、平気でしょ?」
「うん」

 隣に立った緑谷くんが照れくさそうに笑う。
 実はね、みんな名字さんと話したがってたんだ。内緒話をするように控えめな声で緑谷くんが言うので、こちらの方が照れてしまった。

20190111 
20191012加筆修正

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