完結
 皆本金吾にとって名字名前は、学園を卒業した今でも憧れの先輩の一人である。


 金吾は今日も竹籠を背負って歩く。竹籠の中は薬草がたんまりと詰められており、それらは全て、名前に渡すために金吾が仕事の合間に見つけたものである。
 名前がこの町にやってきてもうすぐ一年になる。この半年ほどで随分と町の人に頼られるようになった名前は、ここ暫く遠出をして薬草を探しにいくことが出来ずにいた。そのため金吾が名前の代わりに薬草を集めることにしたのだ。

 六年間保健委員であった猪名寺乱太郎には及ばないものの、金吾は薬草に関する知識に少しばかり自信があった。名前が在学している間、金吾は初歩的な薬学を学んでいたし、名前が学園を卒業してからもそれは変わらなかった。
 名前が町人に頼りにされるようになったことを知り喜んだ金吾だが、訪ねる度に忙しく働き、あまり休んでいるようには見えない名前を心配していた。隈を隠すように俯き、これではギンギンに忍者している潮江先輩と同じだと言った名前を見て不安に思った金吾は、それから頻繁に顔を出すようになった。

 沢山詰めた薬草は、名前のもとへ行く言い訳であった。
 仕事先で良い薬草が見つかったからと言って定期的に訪れる金吾に対して名前はいつも丁寧に頭を下げ、申し訳なさそうな顔をした。
 初めて名前の家を訪ねた時よりも随分と物に溢れた部屋を見て、金吾は心配しているのは自分だけではないと理解する。事実、数日前に不破雷蔵と鉢屋三郎が土産を携えて名前を訪ねているし、平滝夜叉丸が南蛮の書物を名前に贈っていた。
 それらを見る度に、自分ももっと何か出来るのではないかと金吾は考えた。竹籠を見る度に様々考えてしまう。時間の余裕が出来ると自然と足は名前が住む町へと向かった。そして名前にもう少し休んでほしい、笑ってほしいと思うようになった。


 金吾は時々間違えたようなふりをして竹籠の中に花を紛れ込ませた。
 息抜きをしましょうと名前を誘い、近くの丘まで星を見に行った。
 名前を誘って隣町まで出掛け、美味しいお団子を食べにいった。

 金吾は名前に少しでもよいから休んでほしかった。
 人に頼りにされていることを喜び、努力する名前を尊敬していた。眠くなりながらも薬草を煮詰め、薬を作る姿を見た時、どうしてここまで出来るのだろうと思った。だが、自らを犠牲にしてまで働く名前に対して、不安に思う気持ちが日に日に大きくなっていったのも事実だった。

   ○

「困ったなぁ。ここまでとは思わなかった」

 金吾が竹籠に沢山の薬草を詰めて名前の住む長屋を訪れた時、戸の奥から優しくも呆れた懐かしい声が聞こえた。

「皆に心配を掛けているというのを自覚してほしいなぁ。君が倒れたら元も子もないじゃないか」
「そんなに、ひどい顔をしていますか?」
「自覚がないっての? ふぅん」
「いえ、嘘です。わかってます。そんな顔をしないでくださいよ伊作先輩。だって、頼られたら嬉しいじゃないですか。認められたら頑張ろうって思っちゃうじゃないですか」
「勿論わかるよ、そういう気持ち。でも君が倒れたら困る人が沢山いるんだってこと、わかるよね?」
「……はい」

 叱られた子供のような声で返事をした名前に伊作は笑った。
 金吾は少し迷ったが、意を決して戸を叩き、挨拶をしながら戸を開けた。

「やぁ、久しぶりだね」
「お久しぶりです。善法寺伊作先輩」

 にっこりと笑った伊作に金吾はゆっくりと頭を下げる。対して名前は顔を赤くして口を開けて驚いていた。金吾に話を聞かれているとは思ってもいなかったらしい。


 名前に対して何か進言をするなら自分ではないと金吾は思っていた。後輩が出過ぎた真似をするべきではない。当たり障りのない気遣いの言葉を掛けることはあったが、仕事の内容に触れるのは己ではないのだと常々思っていた。
 何か言うのなら先輩たちが妥当であろう。それか同じ歳で仲の良かった先輩方――そんなことをいろいろ考えていた。でも、いざその場面に出くわすと腑に落ちない部分があった。
 先ほどの名前は、随分と子供っぽい反応をしていた。言われている言葉は理解はしていても、それでも素直に頷けないような具合の名前の声を金吾は初めて聞いた。金吾はどうしたって名前の後輩で、名前は金吾の先輩であるからだ。理解はしていてるしどんなことがあったってそれは変わらない。だが、金吾は伊作の昔から変わらない笑顔を見ながらずるいなと思った。
 名前が伊作に対して発したその声は、先輩に甘える後輩の声だった。金吾も学園で最上級生として過ごしていた時に聞いたことのあるものだ。その声を金吾は決して嫌ってはいなかった。先輩として頼られていると認識させられる声だ。むしろ誇りにすら思えた。


 名前の役に立ちたかった。いや、一応役には立っているだろう。だが、その役に立ちたいと願う気持ちの中に名前に甘えられたいという欲望が少なからずあったことに金吾は漸く気が付いた。

   ○

 名前と金吾が共に忍術学園で生活していた頃、金吾は名前よりも背が低かった。己より背の高い名前を見て、いつか自分がこの人よりも大きくなれるのだろうか、と心配したこともある。
 だが学園を卒業後に再会して、息抜きにと誘った先で隣を歩く名前の頭が自分よりも低いところにあると気付いた時、金吾は心の中で喜んだ。

 皆本金吾にとって、名前は憧れの先輩の一人である。
 体育委員の先輩と同じように憧れていた。薬師になるために努力する名前を尊敬していた。先輩が頑張ってるから自分も頑張ろうと思えるような存在であった。自分よりも背が高く、様々な知識を持っている名前に対して当時、随分と憧れていた。

 名前の背を越してからも、その気持ちに変わりはない。
 今も金吾は名前を尊敬しているし、昔のように名前に名を呼ばれると嬉しく気持ちが弾むのだ。


「みっともない所を見せちゃったね」
「い、いえ」

 いやいや、本当に。そう言って俯いたまま金吾に茶を出した名前は、もう一度恥ずかしいな、と呟く。
 伊作は長居するつもりはなかったらしく、金吾がやってくると早々に帰っていった。
 次は君が素直に気持ちを伝える番だよ。
 帰りがけ、伊作が意味深に笑いかけてきた時に金吾はそんなことを言われているような気持ちになった。

「ずっと、先輩のことを尊敬していました。けど、ずっと働きづめだと……」
「うん。ごめん。金吾くんが気にしてくれていることはわかってたんだけど」

 学園にいた頃は、どちらかというと人を頼って甘えていた方だからさ。頼ってもらえて嬉しかったの。
 顔を上げて恥ずかしそうに笑いながら名前は言う。

「私、頼られると頑張っちゃうの。学園にいた時もね、金吾くんに頼られてすっごく嬉しかったの思い出して――」

 熱い顔をごまかすように手で顔を扇ぐ名前を見て、金吾は可愛いなと思った。
 先輩に対して可愛いと思うのは失礼なのだろうか。でも、可愛いよな。名前の言葉に頷きながら考える。

 今日名前を訪ねるまでに金吾は町で多くの買い物客とすれ違った。その中で最も楽しそうにしていたのは名前と同年代の女性客だった。着物を選び、小物類を見るその客の目は輝いていた。
 買い物を楽しむそれらの客と違って名前は身形を着飾ることが少ない。部屋の中は甘い香ではなく苦い薬の匂いでいっぱいだ。勿論、名前からも薬の匂いがする。
 仕事に励み、頼られることに喜びを感じている名前にとって今が一番の幸せなら、それが一番なのではないかと金吾は思っていた。けれど、もしも名前がほんの少しでも一般的な女子が求めるような幸せに興味があるのなら――



「先輩、今日は町に出ませんか。夜に神社でお祭りをやるらしくて、既に多くの人で賑わっていましたよ」

 金吾は名前に幸せになってほしかった。
 そして自分が少しでも先輩を幸せに出来たのなら……。そんな気持ちを胸に抱いていることを知った時、それが己の幸せにもなるのだと金吾は漸く気付いたのだった。

20171115

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