完結
 長期休みに入り、くたくたになりながら家に帰れば両親が迎え入れてくれた。久しぶりの我が家だ。
 長く歩いていた足は少し疲れている。だが、一年の頃よりはずっと自分の身体を理解し、休みの配分を上手く取れるようになった。けれどもやはり今日は疲れた。何もする気が起きないが、そうも言ってられない。明日からまた家の手伝いでそれどころではないだろう。そう考えるとやはり、今日言っておくべきだろうか。既に背中を向け、お茶を飲んでいる父を見て、私は父を呼んだ。

   ○

 長期休みの過ごし方といえば、家の手伝いや宿題などをして過ごすことが普通であった。
 だが今回は、周囲を散策し何か珍しい薬草がないか調べたり、父の仕事の様子を遠くから見てみたり、刀について教えてもらったりと、普段と違うことをしてみた。
 父に刀について教えてほしいと頼めば、驚かせてしまった。剣豪になりたい後輩と親しくなったと伝えれば、小さく頷いていろいろと話してくれた。

 学園に戻る日の朝、母が握り飯を作ってくれている中、父にずっと聞けなかったことを尋ねた。どうしてずっと仕事場を見せてくれなかったのか、刀について教えてくれなかったのか、と。すると、数日前のように少し驚いたような顔をして、興味が無いのに教えても意味がないからだと言った。そして刀を作ってい己の仕事場は、危険な場所であり、神聖な場所でもあるからだ、とも。
 父は真面目で、そして自分の仕事に誇りを持っている人だ。理解したと伝えるようにしっかりと頷いて見せれば、父は珍しく優しく笑ってみせた。
 知りたかった父の考えを初めて本人の口から聞けた私は、晴れた日のようにすっきりとした気持ちになった。

   ○

 余裕をもって家を出たおかげで授業開始日まで数日は学園でゆっくり出来ることを知り、乱太郎くんと伊作先輩によって作られた本と金吾くんが描いてくれた地図を持って裏山に来ていた。
 地図に書かれている薬草の名前を確認し、注意しながら地面を見ていく。野生動物に気を付けるために常に耳を澄ませなければいけないのは少し疲れるが、将来一人で仕事としていくことを考えると、これも勉強だと自分に言い聞かせる。

 持っていた籠にいくつか気になるものを入れ、そろそろ帰ろうかと立ち上がれば、近くの草ががさごそと動く音がする。時々何かがぶつかるようなカンカンという不規則な音も聞こえる。

 口を閉じ、耳を澄ませ、辺りを見渡す。
 その音の出所を探すと右側の草むらが動いている。カンカンという音が気にかかるが動物だろうか、それともやはり人間だろうか。
 もしものことを考え、逃げやすいように少しだけ腰を屈める。音をさせないように一度息を吐いた。唇が渇き、一度上唇を舐め、下唇を噛む。

 一人というものは案外いらぬ想像を膨らませてしまうのかもしれない。
 どうしようか、と思考を働かせていた時、突然「はぁ〜」という人間のため息が聞えた。その気の抜けた声に理解が追い付かない。えっ、という間抜けな声を出してしまい思わず口を自身の手で塞いだ。

「何だぁ?」
 再びがさごそと草木が動く音がし、次に人の足跡が近付く音が聞えた。
 しかし既に緊張は無くなっていた。何だと言ったその声に聞き覚えがあったのだ。

「ああ、名字か」
「や、やっぱり食満先輩だったんですね」

 先輩の顔を見て改めて安心する。動物でも盗賊でもなくて良かったと思うが、紛らわしいなぁなんて思ってしまう。

「先輩、無心になってたのかわかりませんが、気配があまりしなくて怖かったです」
「あ、ああ悪い悪い。すぐ終わらせようと思ったから集中してたんだ。名字が集中して薬草探し回ってるの見てたから声掛けなかったんだが……。いやぁ、ちゃんと挨拶しとけば良かったな」

 申し訳なさそうな顔をした食満先輩になんだかこっちの方が謝らなくてはいけないような気になった。私は「こちらこそ、なんかすみません」と言えば先輩はもう一度困ったような顔をして笑った。

「しかし、カンカンという音が聞えたのですが、先輩は何をしていたのですか」
「ああ、ここら辺はいい土があってな。土壁の補修のために土を掘ってたんだ。名字が聞いた音はこの手鋤の先と石がぶつかった時の音だな」

 そう言い、先輩は土で汚れた手鋤を持ち上げて見せてくれた。
 なるほど、道理で。私が頷くと先輩は「土の掘り方ならもしかしたら綾部喜八郎の方が上手かったりしてな」と笑ってみせた。「先輩は塹壕堀りとかをするよりは、もう直接戦いたい人ですもんね」と言えば、「それ褒めてるのか」と言われてしまった。

   ○

 先輩の手伝いで一緒に土を学園まで持ち帰り、森で取った薬草を医務室で見てもらおうと歩いていると突然誰かが横切った。なんだか嫌な予感がするなと思えば腰に縄を付けた次屋三之助くんの後ろ姿が見えた。あの腰に巻いている縄を見れば、ただ彼が学園を走り回っているわけではないことは簡単に想像がつく。というかそもそも、ほとんどの場合がそうなのだけれど。

「さ、三之助くん!」

 普段よりも大きな声で彼の後ろを追いかけてそう言えば、突然彼は立ち止りくるりと私へ顔を向けた。

「あれ、先輩」
「どこに行こうとしてたか教えて」
「三年の長屋ですよ」

 何を言っているんだと、何も疑問に思っていないような顔で彼はそう返してきた。君が行こうとしてた方向には図書室があるんだよと言えば驚いたような顔をする。彼の級友は大変だなと思うも、そういえば滝夜叉丸も苦労していたことを思い出した。


「先輩は最近金吾とよく一緒にいますね」

 親しい友人でお互い信頼している彼の級友ならいいかもしれないが、性別も学年も違う私が縄を引っ張るのもどうかと思い、彼と手を繋いで彼の本当の目的地であった三年長屋へ向かっている時、彼は突然そんなことを言った。

「友達になったんだ。金吾くんはとても良い子だね」
「努力してますよね」

 その声は優しく、表情も柔らかい。ああ、彼も先輩なんだと思わされた。その様子は、以前の滝夜叉丸に少し似ていた。


 三之助くんを長屋まで届けると、浦風藤内くんは驚いた顔をしてお礼を言った。
 富松作兵衛くんはついさっき委員会の方の手伝いに行ってしまったらしい。食満先輩が帰ってきたためだろう。残りの三年生はもう一人の迷子である神崎左門くんを探しているらしく、藤内くんが長屋で待機していたようだった。
 藤内くんは「くの一教室の先輩にお礼を言う予習をしておくべきだった」と言いながら三之助くんの腰についている縄を引っ張った。

 彼らと別れ改めて医務室に向かった。
 新野先生に薬草を見てもらうと、自分が思っていたものと薬草とが全て合致していた。初めてのことに思わず医務室の中で声を上げてしまい、新野先生に謝ると先生は笑って許してくれた。

 初めてだった。嬉しくて、医務室を出てからも一人で口元がにやついてしまう。これも今までいろいろと気にかけてくれていた人たちのおかげなのだけれど、それでも自分を褒めてあげたいと思った。

「名字先輩?」
「へっ?」

 一人で盛り上がっている所に、突然声を掛けられる。驚いて振り向けば金吾くんが首を傾げて立っていた。

「あれ、金吾くん。今日戻ってきたの?」
「はい。つい先ほど」
「そうか、おかえりなさい」
「はい、ただいま戻りました」

 金吾くんは照れくさそうにそう笑って応える。良いことでもありました? と言われ、ついつい説明してしまう。そうすると金吾くんは嬉しそうな顔をして自分のことのように喜んでくれた。

「良かったです。本当に。ぼくも嬉しいです」
「金吾くんにそう言ってもらえるなんて、私も嬉しいな」

 二人で笑っていると、思い出したかのように金吾くんは私の名前を呼んで「あのう」とこちらを窺うように、少し不安そうな顔をした。

「先輩、前に言っていたお礼の話のことなんですが……」
「あっ、決まった?」
「はい!」

 彼が描いてくれた地図のお礼に何をすればいいのかがようやくわかる時がきた。楽しみなような、不安なような心持で彼を見る。
 あのですね、と少しだけ笑った彼の表情は長期休み前よりも少しだけ大人びていた。

20161022

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