15


Feather





自分の居場所を見つけたような、そんな気がしていた。それが幻とも知らずに。
「君が、エドワード君?」
ウィンリィちゃんに紹介されたんだけど、ベースできるんだって?と話しかけられたとき、
そのときから、柔らかい物腰に惹かれた。
「そうですけど…」
「今ちょうど抜けちゃってさー、一緒にやらない?」
慣れ慣れしい奴だな、と思った覚えがある。ふいをつかれて肩を抱かれたり、背中を叩かれ
たり。俺がそれに何を思ってるかも知らないで、と影で笑っていた。でも本当は、見抜かれ
ていたのはこっちだってことを、そのときは知らずにいた。
いいとこの息子、というレッテルを張られつつも、彼は今の人生に十分満足しているように
見えた。染めたら勘当されちゃうからさ、とさらさらとした黒髪を、いくつもピンでとめて
いた。これでも小言言われるほう、と笑いながら、ベースの上達の仕方を教えてくれた、そ
の指先が、実は今でもほんの少し好きだったりする。
中学のときから、深入りしないように他人との間に線引きしていた自分に踏み込んできて、
いつのまにか身体の一部にとってかわられたような気がしていた。話していても楽しくて、
一緒にいたくて、でもそれは叶わないことだと諦めていた。
もう自分は社会から外れている。折り合いをつけて生きていくのに精いっぱいなのだ。人並
みに誰かを好きになることなどできやしないのだから。
「ねぇ、こんなの知ってる?」
次のライブで使う装飾品を一緒に見に行ったとき、そんなことを言われた。
「ピアス開けると、人生が変わるらしいよ」
「なにその乙女くさいまじない」
エドワードが笑っていると、そんなにおかしいかな、と妙に沈んだ声で彼が呟いた。
「そういえば、あけてないね」
「先輩もじゃん」
「俺はだって怒られちゃうから。お父様とお母様にさ」
まったく、こりない人たちだよ。と男はアクセサリー売り場にある小さな鏡をのぞき込み、
ずれたヘアピンを直しながら言った。
「あけたら?エドには似合いそう。この羽のやつとか」
「えー?」
「保障するって」
じゃあ買ってあげるからさ、とまた肩を叩かれる。袋を押し付けられて、戸惑いと喜びが胸
の中でせめぎ合っていた。それから俺ははじめて、耳たぶに小さな穴をあけた。まさか人生
が変わるなんて思わなかったけれど、どこかに、誰かの中に、本当に自分がいる場所ができ
たらという、願いを込めて。


その日は打ち上げの後で疲れきっていた。少ないながらもついてくれているファンの人と話
して、酒を飲み、他の皆も、先輩も酔っていた。
「もう会場でないと、怒られますよー」
「分かってるー」
だったらなんで動けなくなるまで飲むんだよ、とエドワードは前髪を掻きあげる。その耳に
は銀色の小さな羽が、薄暗い照明の中で光っていた。それが目にとまったのか、すっと腕が
伸びてきて、あの指先が軽く耳に触れた。
「なんですか、酔っ払いめ」
「つけたんだ」
「え?ああ…結構前に…」
買ってもらったやつ、と続くはずだった言葉が飲み込まれる。ぐいっと首を引き寄せられ、
気づけばソファに寝そべっていた彼の上に倒れていた。合わさった唇に何が起こったのか把
握できず、目の前がちかちかと明滅する。
「…お前さ、実はこういうことしたいんだろ」
男とさ、と言われて、かっと血が上る。離れようと手をついたエドワードを、その腰に腕を
回して封じ込めて起き上ると、もう一度唇を重ね合わせた。
「ちょっと気になってたんだよね。俺たち付き合おうか」
「…は、あ…?」
エドワードはあっけにとられていたが、すぐに疑いの目を向けた。軽い言葉に抵抗があった
のかもしれない。いや、このとき既に分かっていたのかもしれなかった。この先に進んでい
はいけないと。
「何言ってんですか…先輩、悪趣味ですよ?」
「偏見はいけないぞ。それに俺はどっちつかずって感じだしね」
背を向けたエドワードをしつこく後ろから抱きしめながら、男は言った。
「可愛い子だったら男でも女でも大歓迎だよ」
「可愛いって、俺は…」
「俺の好み」
する、と服と肌の間に入りこんできた生ぬるい掌に気づいて、エドワードは驚いて飛び上
がった。
「な、にっ、して…」
「大丈夫だって、そろそろ回りも始めるから」
俺たちもね、と後ろからのしかかられ、折り曲がる身体。怖がらなくていいから、と耳元で
囁かれて、柔らかくピアスの金具を指がなぞる。回りの空気が少しずつ、湿っていくのを感
じた。夏の湿気のように気だるくて、それよりももっと重いものに。
「怖くないから。こっちにまかせて」
長いソファの上に倒されて、見上げるしかない。あのさらさらした黒髪が、緩んだピンから
はみ出していた。
素肌の上を這いまわっている手に翻弄されているうちに、いつのまにか唇に指が入れられて、
口を開けさせられると、激しくキスを強いられた。
「ん…っ」
「…はぁ。思った通り、いいよ。すごく」
気持ちよかった?と潤んだ瞳から目尻に流れた涙を拭いながら言われて、何も答えられなかっ
た。そのまま足を抱えられて、酒の味がする唇を何度も交わして、はじめてで痛くて何も覚
えてないけれど、まさか打ち上げの会場でこんなことが起こるなんて信じられなかったこと
はぼんやりと記憶に残っている。
目が覚めたら、先輩の部屋にいた。両親に隠れて匿ってくれたらしかった。立派な一軒家で、
先輩の部屋は二階だったが、俺をなんとか見つからずに玄関から入れたらしい。酔った勢い
で本当にすまないと何度も謝られたし、でも俺が気になっていたのは本当だと繰り返し言わ
れた。結局俺は絆されて、それからしばらくこの人と付き合うことになった。


「うううぅ…」
「大丈夫かよ、ほら、もうすぐだから頑張れ」
暗い住宅街の道路で、酔っ払いの男を拾い、エドワードは肩を貸しながらアパートの階段を
じりじりと登っている。いきなり喚き散らされあたり散らされ、まあ社会人って色々ストレ
ス溜まるんだろうなぁ、とか同情もしたが、前後撤回である。
なんとか家に放り込み、ぐっすりと眠り始めた男を玄関に寝かせる。今時こんな人いるんだ、
と笑いながらエドワードは、なにこの髪、ワックスでべたべたじゃん、とわしゃわしゃと掻
きまわしてやる。そしてそっと黒ぶち眼鏡を外してやった。
「…ぁ…」
似てる。
思わず苦い思い出を反芻してしまい、エドワードはきゅっと唇を噛む。もう忘れたはずじゃ
ないのか。しかし未だに、エドワードは羽のピアスを取ることができずにいる。今も耳に光
るその鈍い輝きが色あせても、外すことができずにいる。
しかし、何故だがふっと力が抜け、知らず知らずのうちに頬を緩ませていた。子供のような
寝顔にほっとしたのかもしれない。
さすがにシャワーを浴びさせるのは無理なので、着替えさせて鏡の前の散発用の椅子に座ら
せて、エドワードは彼に切った髪避けのエプロンをつけた。首の後ろでマジックテープを止
めてから、夢うつつの男にそっと囁やく。
「俺があんたに魔法をかけてあげる」
なんて、偉そうなことを言える身分ではないのだけれど。
めったにない機会だから、ごめんな。と眉を下げ、洗面器に組んできたぬるま湯で髪を綺麗
にすると、鋏を入れた。長い前髪をそろえて、後ろもすっきりさせる。最後にばーっとドラ
イヤーで乾かして、仕上げにもう一度整えた。
「うん、稀に見る上出来」
こんだけされても起きないって相当だけどな、とエドワードは笑いながら、彼を寝かしつけ
ようとした。ベッドに運ぶと、ようやく少しだけ意識が戻ったのか、薄く目を潜めて男は言っ
た。
「…ううん…ここは…私はどこだ…?」
「ベッドの上にいますよー」
いいから寝ろよ、というエドワードに、眠くない!と男は言い返した。そしてがばり起き上
ると、声高々に宣言した。
「そうだ!私が部長だ!口答えするなぁっ!」
「はいはい。しません」
「はははは、去年はなー3年連続売上トップだったんだぞ…ははは…羨ましいだろぅ……私は
完璧なんだよ……うーん…」
またごそごそと寝そべったロイに、肩まで布団をかけてやる。髪だけでも片づけないとな、
と思いつつ、エドワードは切ったばかりの彼の髪を梳いた。とても指通りがよく、綺麗な髪
質だった。
「…私は…頑張ってる…頑張ってるんだ…」
「うんうん。知ってるよ」
「…………うん、もっと…頑張る、から…」
ロイは眉を寄せる。昔の夢でも見始めたのだろうか。エドワードはその頭をゆっくりと撫で
ながら、小さな声に耳を澄ます。
「………………だれ……か…」
服の端を強く握られて、エドワードは戸惑った。外そうとしても、指が強く絡みついていて
離れない。はぁ、と小さくため息をついて、彼もまた同じベッドに滑り込んだ。隣の入った
体温に安心したのか、穏やかな寝息を立て始める男を見ながら、つい子供みたいなやつ、と
ほほ笑む。
なんだ、全然似てないじゃないか。
もう一度今までの最高傑作に指を通してから、エドワードもその身体に身を寄せた。温かな
人肌を感じるのはいつぶりだろう。そして、それにこんなに穏やかな気持ちになれたのはい
つが最後だっただろうか。もう少し感じたいと、眠い目を何度か擦っていたが、いつのまに
か彼も眠りの中に落ちて行った。


あれを付き合っていたというのだろうか、と今でも少し思うところはあるけれど、俺たちは
やっぱりそういう関係にあったのだと思う。だがバンドは普通に続いていたし、メンバーの
間でも、その事実は暗黙の了解だった。出会ってから様々なことを教えてくれた彼だが、付
き合い始めてから俺はもっと色々なことを学ぶことになった。人生にはもしかしたらいらな
いかもしれないそのあたりの知識もだ。
「ちょっと、盛り過ぎっ」
チケットをもらって行ったライブがあまりにもつまらなくて、彼は退屈したのか俺をトイレ
の個室に押し込んだ。だがそのときはまだ、俺もどこかこの状況を楽しんでいたように思う。
ときには扉一枚の向こうにバンド仲間がいたこともあった。それすらも面白くて、ついつい
調子に乗った。
「いいだろ。お前だってつまらない顔してたぞ」
すぐ顔に出るなぁ、と頬にキスされる。そのまま扉に手を突かせられ、服を乱された。
いつも男は嬉しそうにあのピアスを触っていた。その度に、所有欲を満たしていたのだと、
今なら分かる。首輪みたいなものだ。自分のものだと手っ取り早く知らしめることのできる
方法の一つである。そんな思惑が詰まっている安物を、まるで家宝のように大事にしていた
自分がどこか滑稽だった。
「もう、最近さ…やりすぎじゃない?」
「そう?足りないくらいだけど」
「うあっ…!」
こら、大きな声出さない。と口を塞がれる。くぐもった声をあげながら、動きについていく
のに必死になる。あとは真白に景色が変わるだけの、男同士では意味のない行為を繰り返す
ばかりなのだ。
「はじめてから大分慣れてきたよね。なかなか居心地いいよ」
「ああ…っや、やだ…ッ」
「いやじゃなくていいだろ?」
素直にならないとだめだろ、と深く入り込まれながら言われて、息を詰まらせるしかない。
言葉も一緒に喉につかえていく。音にならないまま圧迫してくる。
そうして何度、機会を逃しただろう。気がつけばもう、戻れなくなっていた。
「先輩、家では、その、やめてほしいんだけど」
「別にいいじゃん」
「いつ弟が帰ってくるか分かんねぇし」
「それが面白いだろ?」
どきどきしない?と聞かれて、どっちかよくわからない返答をぼそぼそと返す。実際しばら
く会えていなくて、一人でする時間もなくて、どこか冷静じゃなくなっていたから、そのま
ま受け入れてしまったのだと思う。まさか、それを見ている誰かがいるなど知るよしもなく。
「ぅっああっ」
「…はっ、どう?」
「んん!…あっいい…!そこ…もっと…ッ」
いやらしい言葉を重ねる自分にすら興奮した、熱に浮かされていた。
「はぁっあああぁ…ッ」
「うっ…」
どくりどくり。もう熱くて仕方がないのに、もっともっと温度が上がっていく。暴走してい
く。止められない。
「…んっ…こんどは、俺がしてあげる…」
「上に乗るなんて、珍しいな」
「溜まってんの」
ん、と口づけを交わして、男を押し倒してその身体の上に跨った。何度も何度も腰をおろし
て、また上げて、自分が好きなように動いて、達した。熱がいつか下がってしまうことなど
そのころは忘れていたのだ。いつまでもこれが続くものだと。


「なに、してたの…あれ」
冷水を浴びせられた。
「…嘘、だよね…っあははっ!そうだよね…兄さんが、あんなこと、するわけないもんね
…っ」
ばれた。
「…ねっ無理やりされたんでしょ?そうなんだよね?」
そう見えたのか?本当に。
「ねぇ……そうだって言ってよ…」
何を、見た?


大学の正門に、どこかで見たことのある人影を見つけて、アルフォンスは眉をひそめた。あっ
ちもこちらに気づいて、寄りかかっていた壁から離れる。
「…どうも」
「何の用ですか」
ロイは頭を掻きながら、肩をすくめた。
「時間、あるかな」
ロイはここじゃ人目につくから、どこか入ろうか、と柔らかく言った。結局二人して、安い
チェーンの店に入ってそれぞれ飲み物を頼んだ。
「…君が家に帰らないから、心配してるよ。お兄さんが」
「友達のところにいるので、別に気にしなくていいと伝えて下さい」
「その割には、もう帰る気はないように見えるけど」
エドワードと二人で暮らしていたあの家に、もうアルフォンスの私物はほとんど残っていな
かった。実はもう大学で知り合った彼女と別の安いアパートで暮らしていることを、エドワ
ードには話せずにいる。男しかそういうふうに見られないのだと教えられたあのときから、
自分に何一つ反論しなかった兄が、手を振りあげたあのときから。
「…あなたには関係ない」
そんな話をしに来たのなら帰りますよ、というアルフォンスに、ロイは待ってくれと頼んで
椅子に座り直させた。
「隠すことでもないからはっきりと言うが、今君のお兄さんと付き合ってるのは私なんだ」
「…っ…へぇ、じゃあやっぱり兄さんは嘘ついてたんですね。あなたとはそういう関係じゃな
いとあんなに言い張ってたのに」
「あのときはまだ、そうではなかった。…君にああ言われて私も驚いたし…、でも、今は違
う」
ロイがカップの持ち手をその指でなぞる。アルフォンスは、やっぱりあの人に似ているな、
と気分が悪くなり、いらいらと肘をついて窓の外を眺めた。
「…せめて、声だけでも聞かせてやってくれないか。心配してるよ」
「ええ分かりましたよ。兄さんには近いうちに連絡します」
適当にいってまた席をたとうとしたアルフォンスに、ロイも立ち上がりながら言う。
「…君は、一体お兄さんをどう思っているんだ?」
「大事な家族ですよ」
「そうは思えないね」
さりげなく伝票をとりながら、ロイは言う。
「理解できないものは、嫌い?」
何も答えずにいると、ロイが先に苦笑した。
「私もそうだった。実は今も少しそうかな」
その言葉に、アルフォンスは目を伏せたまま小さく囁いた。
「…兄さんは、…僕よりももっと価値のある人間でした」
頭も良かったし、普通にしていれば人気者だったし、バンドでもいちばん目立ってて、と小
さく続ける。
誰よりも身近で、いつだって自分を守ってくれていた。仕事にでている父親の代わりになり、
時には死んだ母親の代わりになり。どんなときも助けて、見守って、手を差し伸べてくれて
いた。そんな大きな存在が、ある日男に蹂躙されているのを見た。そして自ら受け入れて行
く姿を見て、何かが壊れた。
「それなのに…。僕にはわからないし、…あなたのこともよく思っていません」
「それは、そうだね。分かってるよ」
でも、とロイは続ける。
「…どうか、決めつけないでやってくれないか」
嫌いなもの、分からないもの。そうやって押し出したりしないでほしい。
今も、きっとそれに苦しんでいる誰かがいる。
「人間に価値なんてないよ」
ただの生き物なのだ。誰のためでも、きっと自分のためでもなく、ただ生きているだけなの
だ。誰もが同じ天秤に乗って、ゆらゆらと傾くばかり。
ロイは、アルフォンスの横を通り抜ける。よどみない足音が店内に響く。
この足はきっと、今から兄の元へと帰るのだろう。
「あ、そうだ。私が来たことは、エドワードには黙っておいてくれ」
分かったら怒られてしまうからね、と言われて、彼が兄に頼まれてきたわけではないと知っ
て、アルフォンスは目を見開いた。そして苦々しく眉を寄せる。
「君がお兄さんを好きなのは、よく分かるから」
無理に受け入れてくれとはもちろん言わない。人間の世界は寛容でもなければ、厳格でもな
い。時代は変わって、一人一人、何かを選んで生きていく。ただそれの積み重ねが、生きて
いくことだとやっとわかったのだ。
「じゃあまた」
そう言って二人分の会計を済ませて店を出ようとするロイに、今度はアルフォンスが声をか
けた。
「あの!………兄さんは、元気、ですか?」
ロイは振り返って不思議そうに何度か瞬きしたが、すぐにほほ笑んだ。
「ああ、元気だよ」
君も元気で、と言って去っていく背中を見送ってから、アルフォンスも自分の道につま先を
向ける。何が変わったわけでもないのに、先ほどよりも空が澄んでいる気がした。
今はただ、時間が必要なだけだと思いたい。
もう少ししたら、とアルフォンスは、いつかもう一度兄と顔を合わせられる日を見つめて、
そしてロイのことを思い返して、固く閉ざされた心が少しだけほぐれるのを感じた。しっと
りと馴染んでいくような、言葉の数々を思い返す。そして、誰にも聞こえない声で呟いた。
「…なんだ、全然似てないじゃない」


弟に何もかもさらけ出してしばらくたったある日、それは突然のことだった。
「アルに知られたんだって?」
「え?…ああ、まあ…」
もうあの人には絶対に会わないでよ、と言われたものの、そういうわけにもいかなかった。
同じバンドのメンバーなのだし、と自分にどこか言い訳していたが、ついにそれをしなくて
も良い日が来たのだった。
「ちょうどいいから、別れようか」
「…え…?」
「実はさー、彼女できたんだよね」
意味がわからず、何も言わないエドワードに男は楽譜を捲りながらだらだらと話した。
「…別にいいだろ?元々ノリみたいなところあったし」
前までみたいなお友達で、と笑う姿に、冷たい氷が喉を下りていく。
「………そうだね。ついでにさ、俺バンド抜けていい?」
「え?そこまでしなくてもいいんじゃないの?また探すの大変なんだけど」
「もう受験だし。そろそろ頃合いかなって」
ケースを抱えるエドワードの腕を、ちょっと待てって、と掴む。だが、さっと彼はその指を
振り払った。
「エド…?」
「じゃあ先輩、今までお世話になりました」
そう言って扉を閉め、エドワードは歩き出す。数時間何百円で借りられる練習室の入ったビ
ルの階段を下り、すっかり暗くなった繁華街を歩く。何人かとすれ違いながら、あっさりと
終わったな、とおかしく思った。
「…馬鹿だな」
ほんとうに。
どうして涙が出るのだろう。
頬に伝ったそれをぐいっと拭う。泣くな。泣いたらだめだ。何も泣く必要はないだろうが。
それでも、一緒にいた時間は消えない。優しくされた思い出も、楽しかった記憶も、けして
消えることはない。確かに人生は変わったけれど、いい方に変わるなどと誰が言ったのだ。
辛い思い出を増やしただけだ。後から後から滲んでくる涙をその度に袖に吸い取らせる。ど
こにも居場所なんかない。自分は、この社会のはみ出し者だ。そんなこと、分かっていたは
ずなのに。


それでも、どうしても、また同じことを繰り返してしまう。
今度こそ、とみっともなく希望に縋りつくしかない。
「ただいまー」
ロイが帰ってきたのに驚いて、エドワードはごふっと食べかけのパンを詰まらせた。なんと
か水で流しこんでひと息つく。そうこうしているうちに、ロイが何してるんだい、とコート
を脱ぎながら首をかしげた。
「おかえり。研究だよ研究。この髪型とかどうやんのかさっぱりなんだけど」
エドワードの見せてくる写真つきの雑誌は、ロイにとっては暗号書である。わかるわけない
だろう、と肩をすくめる彼に、そうだろうとも、とエドワードは頷く。
「で、どこ行ってきたの?」
「え?ああ、別に…」
「おやぁ?なーに隠してんのかなー、まさか、浮気かなー」
「そ、そんなわけないだろうっ!」
私が君一筋なのを知ってるくせに!とむきになられても困る。エドワードは分かってますよ、
と満足そうに言って、ロイと一緒にソファに座りこんだ。
「そういえば、あれは最近してないんだね」
「あれって?」
寄りかかってくるエドワードの耳の、赤い石のピアスに触れながら、ロイが尋ねた。
「あの羽のピアス。付き合う前につけてただろう?」
「ああ、あれね」
エドワードは口の中で笑って、ロイの首に抱きついた。
「捨てちゃった」
「え、捨てた?」
「もういらないからさ」
「君がいいならいいが…」
今度こそ、と思うのだ。
この人と一緒に。
「それより、休みなのに俺を一人にした罰だ。制裁を受けろ」
「せ、制裁っ!?まっまて!だっやめろ…ああぁっ」
ソファに押し倒して上にのしかかり、上からキスを一つ降らせる。付き合ってから全く照れが
抜けないロイに、エドワードはまだまだこれからだな、とほほ笑んだ。



end




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