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ちゅんちゅん、と鳥の囀る声が聞こえて、ロイは瞼を持ち上げた。
…頭が痛い。
初めて感じるがんがんと頭蓋骨を叩かれる痛みに、うー、と唸って起き上った。
ここは、どこだ。
一応ベッドに横になってはいたが、いつもと違う匂いがする。人の家の匂い。ふいにベッド
の膨らみを見ると、金色の髪のひと房が、そこからはみ出していた。
「…え…っ!?」
まままま、まさか、私は、女性と同衾…っ!?
混乱する頭でわたわたと慌てるが、自分はきちんと服を着ていた。だが自分の服ではなかっ
た。清潔だが絶対に着ることなどないと思っていたロゴ入りのだぼだぼシャツと、スウェッ
トのズボン。見渡すと、昨日きていた私のスーツはきちんとハンガーにかけられ、カーテン
のレールにひっかけてあった。
この子は、誰なのだろう。
恐る恐る布団をめくると、良かったこっちも服は着ているようだ。うーん、と日差しから逃
れるように丸くなる少年。そして、うん良かった。男だ。
透き通るような金色の髪と、睫毛がカーテンの隅から差し込む朝日に照らされて煌めいてい
た。美しい姿だった。
綺麗な子だなぁ…としばらく見つめていると、なんだか頭が軽い。いや、二日酔いで十分に
重いのだが、あるはずの重みがないというか。物理的な話なのだ。
ゆっくりとベッドを下りて、部屋を見渡す。肘掛椅子に理髪店でよく見かける髪よけの布、
鋏や櫛がたくさん刺さったポーチ、見覚えのある黒い髪の毛が、処理されぬまま床に落ちて
いた。
椅子の目の前には大きな鏡。落ちている髪の毛を踏まないように気をつけながら、視力の悪
い目をこすった。
「…だ、れ…?」
穴があくまで見つめて近寄った。
鏡の中には、見たことのない人間がいた。きちんと切り揃えられた前髪。少し鼻の上が長め
になっている。後ろ髪はすっきりと段が入れられて、すうすうする。
これは、誰だ。
「…気に入った?」
後ろからゆっくりと、眼鏡をかけられる。
わっと鮮明になった視界。いつもの数倍だらしない姿で、いつもの数倍、見違えた自分の顔
が映っていた。
「…うそ…」
「ほんと。おはようございます。えーっと…だれさん?」
鏡の中で金髪の少年が笑っている。
「…私は…って君こそ誰だね!?」
「俺?エドワード。あんたは?」
「ロイ・マスタング…じゃない!なんだこの頭は!?」
「だってお客様、いまどき七三分けははやらねーよ」
俺様がばっちり格好良くしてやったぜ、と少年は快活に笑う。
「なんてことをしてくれたんだ…っ」
ロイは茫然と鏡の自分と手を合わせる。ロイがまるまる映るくらいの大きな鏡なので、随分
と値が張ることだろう。だが、ぶち壊したくてたまらない気持ちになった。一晩ですっかり
様変わりしてしまった自分の容姿を、そう簡単に受け入れられるわけがなかった。
「これではどうやっても前の髪型に戻せんではないか!」
「戻さなくていーだろ。…ていうか、あんたいくつなの?その話し方、時代劇にでもはまっ
てんの?」
「私は30だ!馬鹿にするな!」
「三十路!?うっそ、実年齢マイナス5歳だな…その顔」
昨日は入社したてで怒られて自棄になったんだと思ったんだけどな、とエドワードは言った。
つまり、超若造に見られていた。
「どう、責任をとるつもりだね…?」
ロイはわなわなと拳を、肩を震わせている。
「…責任?」
「こんな頭にして!会社にいけないだろう!」
「えー?かっこいいじゃん、ふつーに。ナンパとかできるよ?」
「するかっ!」
ロイは軽くなった頭をかきむしった。うわーっと嘆きながら涙目の顔をあげる。
「こんなんじゃ威厳の欠片もないし、会社に行くのも恥ずかしいし…もういやだ。死にたい
…」
「威厳?なにそれ、食えんの?」
エドワードははあー、とため息をついて、言った。
「あんたさー、昨日から話聞いててあれだけど、威厳とか実績とか形ばっか。中身まったく
ねえよな」
ずばっと言われて、ロイは立ち尽くした。中身がない人間だと。このいかにも、非行少年で
、 人の髪を勝手に切り刻んだ、無礼千万な子供に、どうしてそんなことを言われなければなら
ないのだ。激昂しそうになったロイに、エドワードは昨日と同じ台詞を囁いた。
「なあ、あんたに魔法をかけてあげようか」
「…髪を元に戻す魔法をぜひお願いしたいね」
電池の切れた携帯電話。がっくしきた。時刻は出勤時間間近だ。でもこのままでいくわけに
もいかないし、仕度するために一度家に帰らなければならない。その前に、会社に連絡も。
どこかで公衆電話でも見つけなければ。まったく、何をやっているのだろう。
たった一日で様変わりした人生。これが社会の底辺という奴なのだろうか。
変化しないはずの日常は、安全な未来は、たった一回の酒盛りで全て砕け散った。ああなん
と、私の積み上げてきたものは脆く儚いものなのだろう。
「なーあ?あんたの今日一日を俺にくれよ。絶対よくしてやるって。いろいろと」
「余計なお世話だ。…私は今のままで十分やっていける」
「昨日、なんのために生きてるんだって泣いてたぞ」
「嘘つけ…」
「嘘じゃねえもん」
泣いてたのは嘘だけど。少年は頭の中で一人笑いながら、ロイに電話を差し出した。
「会社大丈夫?俺と行くか行かないかは、あんたに任せるよ」
「だから行かないと…」
「俺と一緒に来てくれたら、後悔させないよ」
その言葉に、その、自信の満ち溢れた言葉に、心が揺れた。
ロイはじっと、エドワードの瞳を見つめた。日本人にはありえない琥珀色。珍しい色。こん
なに美しいものを、今まで見たことがなかった。何しろ、何かを美しいと思ったことさえ、
ロイにとっては曖昧なのだから。
「魔法、最後までかけてあげたいんだ」
あんたを助けたいんだよ。と聞こえた。気のせいかもしれないけど。
でも今日は、昨日の会議で決まった案件について整理しなければいけない。部下たちだって
いきなり休んだりしたらどう思うか。どんな噂が立つだろう。あの鉄壁部長が休みだってよ、
と明るい雰囲気の社内。柔らかな笑顔。…絶対に負けたくない。現実に負けたくない。けれ
ども。
少年の、無邪気な言葉が。きらきらした、その目が。
私を、魔法の世界にいざなうのだ。ああ、なんと抗いがたき力だろう。
ロイはちまちまとボタンをおして、受話器を耳にあてた。その淀みない動作から、エドワー
ドはこりゃだめか、と少し肩を落とした。
「…あー私、マスタングだ…ああ、どうも…風邪がひどくてな…げほげほっ!」
目の前でいきなり演技を始めたロイに、エドワードが目を大きく見開いてぱちぱちと二度瞬
いた。
もう、どうにでもなれ。
こんな髪にした責任を取ってもらうのだ。と、自分に言い訳する。うすっぺらい理屈だ。
そうでもしないと、自分に納得できない。素直に生きることがこんなにも難しくなってしまっ
た。大人になるとは、こういうこと?
迷いのない言葉。差しのべられた手。新しい世界。魔法使い。すべてがロイを引きつけてや
まない。まるで小さな子供のように、冒険に出かけてみたくなる。こんな都会の真ん中で。
「今日一日はゆっくり休みたいのだが…ああすまない。助かるよ…」
今頃オフィスは大喜びだろう。だが、知ったことか。他人の評価とか、もう、本当はどうで
もいいんだ。長年つけていた首輪の鎖を外されたような、爽快感がじわじわとやってくる。
「それでは…よろしく頼む」
ぴ、と電話を切って、エドワードに差し出した。
「…本当に、魔法をかけてくれるのか?」
こんな自分の声は聞いたことがないくらい、私は不安そうだった。どうにも他人事のように
足元がふわふわしている。そんな大人に、少年は。
「ああ。まかせろ。とびっきりの美人にしてやる」
嬉しそうににっこり笑ったものだから。
ああもう、魔法にかかった。そう、感じた。






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