5

オッサンだけどいいの?





今更そんなこと、気にすると思ってんのかよ。


大佐に本命がいるらしい。
という噂は、自然と俺の耳に入ってきた。
嘘、だろ。
あの女たらしが、一人にしぼるわけがない。
だが、彼の一途な夢を追いかけるその真剣さを知っているから、一概にないともいえない。
本当だろうか?
何かの間違いだろうか?
考えれば考えるほど、自分のロイを想う心の深さを思い知ってしまって、エドワードは頭を
抱えた。
「…あきらめ、ようかな…」
ひっそりと呟いてみて、その言葉の重さに沈んだ。
何もかもあきらめてしまおうか。
いや、いや、できるものならとっくに諦めていたことだろう。そうだ。何度も何度も、違う
女性と歩いている姿を見つけては、小さなため息が胸を支配していた。それでも諦めきれな
かったのだ。あるのは痛みだけだと知りながら、何も生みしない恋心を抱えて一人、こんな
場所で泣いている。
先ほど、噂を聞いたばかりのとき、ロイに会った。具合が悪いのか?顔色が悪い、と声をか
けてくれた。
少し舞い上がった心と、すぐに落ちる感情。あんたのせいなのに、と恨みがましく思う自分
が汚く思えてしかたなかった。
ぽたぽたと涙がこぼれていた。嗚咽が漏れそうになるのを耐える。いつ誰が来てもおかしく
ない仮眠室だ。はやく、はやく、泣きやめ。泣きやめ。
きっと、あと少しすれば、俺はいつものように大佐の前にたてるようになる。なにもいらな
い。何も望まない。ただ少し会話も俺にとっては喜びなのだと体にしみこませる。それ以上
を望んではいけない。あの逞しい腕に、広い胸の中に、包まれたいなどと思いあがってはい
けないのだ。
だが、今は。
はじめての失恋。味わう喪失感に、エドワードはただ声もなく涙して耐えたのだった。


「具合はいいのか?」
夕方、資料室の鍵を返すために執務室を訪ねると、心配そうな顔をした大佐が声をかけてく
れた。
扉を開けた瞬間の大佐の顔は、少し驚いたように見えた。目でも腫れていたのだろうか。泣
いていたのだと知ってくれたら、俺に同情でもなんでも、慰めを、温かさをくれるのだろう
か。
そんな女々しさが、子供のような感情が俺は嫌いだった。何もかも嫌になるのだ。嫌になっ
て、でも、大佐とちょっとしかいられない時間を無駄にしたくはなかった。せいいっぱい笑っ
てみせるのがやっとだった。
「大丈夫。ぜーんぜん平気平気!」
大佐、本当に大好きな人がいるって、ほんと?
それは誰なの?おれじゃだめなの?
「…あまり無理はするな。私の前で、気を張る必要はない」
優しい言葉が痛かった。
そんな小さな一瞬の言葉よりも、あんたからの大きな愛がほしい。
欲張りだから、そんなふうに思ってしまう。
あんたのその言葉も、俺は嬉しいんだけど。
もっと、と求める心が強くなる。
「別に…なんでもねえから」
こっちを見て?
「人に言ったら、楽になると言うが…」
「なんでもねえから!!」
強く言ってしまってから、しまったと思った。
優しさをはねつけるなんて、最悪だ。
「…そうか。すまない」
大佐の、少し傷ついたような声がした。うつむいていたから、大佐の表情は見えなかったが、
声の質で分かった。ああ、呆れられた。こんな子供で何も分かってない俺なんか、もう見限っ
てしまった。
ごめんなさい。お願い、違うんだ。
あんたが嫌いとかじゃないんだ。ただ、ただ、俺は、あんたが好きだからこんなにも苦しく
て、あんたのせいだけどそれは俺の勝手で、それがちょっとよくわからなくて、自分でいら
いらして、噂なんか根も葉もないのに、苛立って。
ほんと、餓鬼だ。
どうしようもない子供なのだ。
がた、とロイが立ち上がる気配。
ああ、だめだ。もう。
そんなぼろぼろの俺に、大佐はそっと手を差し出すのだ。
肩にそっとその、大きな手をおいて。
「中尉に書類を出してくる。すぐに戻るよ。温かい飲み物でも持ってこよう」
優しさが憎い。
どうしてそんなふうに声をかけられるのだ?
邪険に振り払われたというのに、どうして俺にそんな声でそう言ってくれるのか。
遠ざかる手の温度。
失いたくない。
誰かのものに、ならないで。
子供のようにすがりつくしか、俺にはできないのだ。
「…たいさ…ッ」
何をしているのだろう。
飛び散った書類。抱きついた軍服越しの温かさ。
ああ、全部全部欲しかったものだ。
「…は…がね…の…?」
ふわりふわりと、宙に舞う書類。
抱きついたのは二度めだ。でも、正面からははじめてだ。
ああ、もう二度と、味わうことはないのだろう。
この体温は、他の誰かのために、俺ではない誰かのためにある。
それが悲しくて悲しくて。エドワードのロイを抱きしめる手が自然に強まった。
「…大佐に、…本命がいんのは知ってる…」
誰かまではわからないけれど、きっと素敵な人だろう。
大人で、綺麗で、あんた好みの女の人が。
ゆっくりと俺の頭をなでる、大佐の大きな手が暖かった。
「でも…俺は…あんたが好きなんだ…ッ」
言ってしまってから、こぼれる涙の熱さを感じながら、俺は後悔した。
もう二度と、彼の体温を感じることはない。
もう二度と、彼が自分に微笑んでくれることもない。
「…ほんと…餓鬼でごめん…ッどうしたらいいのかわからなくて…ッ」
こんなことはいけない。
だめなのだ。
でも、言いだせずにはいられなかった。
好きだなんて大それた言葉を、すんなりと言えたのはそれが真実だから。
あんたが好きだ。
この世界の誰よりも。
「鋼の…」
泣いて泣いて、泣きじゃくって、子供みたいにわめいても、あんたはきっと手に入らない。
俺の気持ちを聞いても、抱きしめてくれる手が変わらないのが嬉しかった。
「あの…私は君より14も年上で…十分オッサンなわけなのだが…」
ロイの口から、混乱したような言葉が飛び出した。エドワードは彼の胸に頭を預けたまま、
はっきりと言った。
「そんなの、全然気にならない」
エドワードはぎゅっとロイを抱きしめる。
歳の差を気にしているのは、むしろ自分ほうなのだ。
「俺こそ…あんたよりも…14も年下だ。…わかんねえことばっかで…迷惑かけて、守られて
ばっかだ…」
エドワードはそう力なく呟くと、ふと首をかしげた。
ロイは、どう思っているのだ?
何故すぐに断らない?
「あのさ…俺の気持ち分かってる?」
「あ?ああ…もちろん。好きなんだろう?」
私のことが、という大佐に、俺は頷いた。すん、と鼻を鳴らし、きっと真っ赤な顔をして。
恥ずかしい。でも、拒絶されていないのが嬉しい。でも、ロイはどう思っているのだ?
答えがほしい。俺の気持ちに、答えが。
あんたには本当に好きな人がいるんじゃなかったのか?
ロイの表情の変化を見て、どくどくとなりだす心臓。
もしかしたら、いや、違うかも。
でも、期待が膨らんでいくのを止められない。
「で、さ。…大佐は…あの、オッサンなわけだけど……俺は、そんなことぜんぜん気になら
ないんだけど…その…餓鬼、でも、いいわけ…?」
そんなとぎれとぎれの言葉をつないで、ロイを見上げた。
「私は…」
ロイはしばらくうろうろと中空を眺めてから、ぎゅっと瞼をつぶった。自分を抱きしめる彼
の腕が少し強くなった。エドワードはこのとき、答えを確信していたのかもしれない。あと
になっては、このとき以上に心臓の鼓動をたしかに感じたのはないと答えられる。期待と不
安と緊張に押しつぶされそうになりながら、ロイの言葉を待つ一秒一秒が、何十年のように
長い気もして。
「…その…実は…あー…私、も…君のことが好きなんだ…」
ずっとずっと欲しかった言葉が舞い降りた。
「……………う、そ…」
たっぷりの沈黙。それから、ふわりとロイに微笑まれた。顔に血が集まっている気がして、
エドワードはロイの顔をまともに見れなくなるのではないかと疑った。
「本当だ。ずっと前からなんだ…こんな形で明かすことになるとは思わなかったが」
抱きしめられると、泣きたくなる。
驚いて、混乱して、自分でもわけが分からないまま、真意ばかりを問いただした。
「…ほんと?ほんとにほんとなのか?嘘だろ…信じられねえ…」
だって大佐は大人で。
俺とは違くて。
女の人が、好きで?
「…まさに、奇跡だな…」
嘘だろう。
こんなことって。
俺はなんのために泣いてたんだろう。
ゆっくりと顔を上げさせられ、ふわりと落ちてくる口づけ。
人生初の経験であった。
胸が詰まったように苦しくて、どうしよう。顔が熱くて、目が涙で痛くて。
どうしようもない俺を見つめる大佐は、とっても優しい笑顔で。
「…最高だ…最高に、幸せだ…っ」
ふわっと抱き上げられ、その場で大佐は一回転してみせた。わああっと大声をあげたが、そ
のまま抱き締められて、俺は大佐が喜びをかみしめてるのが分かった。俺も子供みたいには
しゃぎだしたいような、そんな衝動を抑えていて、唐突に、この人は、本当はとっても、可
愛い人なんだな。と納得した。
「…大佐、子供みてえ…」
こんなふうに言うと、ちょっと機嫌をそこねるんじゃないかと思ったけど。
大佐はただ、さっきと同じように微笑むのだ。
「ああ、子供だとも。そのほうが君と釣り合うというものだ」
ゆっくりと床に下ろされると、頬にキスをされる。恥ずかしい奴だ。
「…じゃあ、仮眠室で泣いてたのは…」
「仮眠室って、まさかいたのかよ…ッ」
「ああ、すまん…」
慌ててわけのわからないことを言ってしまう自分さえ、彼に愛されているのだ。
「あ、あれは!大佐に本命がいるって噂で流れてたからで…」
「失恋したと」
「…う…」
エドワードはロイの腕から逃れてそっぽを向いた。
「だって…あんた特定の相手とつきあってるそぶり、なかったからさ。そりゃ、相手を変え
たりしてるときに傷つかなかったって言えば嘘になるけど…ちょっときつかった」
そう言葉にしてみて、ようやく自分の心が分かる。
そうだ。これは嫉妬と独占欲の塊だ。ロイを俺だけのものにしたくて、そんな自分が嫌で。
どうしようもない心なのだ。
「この先は、絶対にそんなことはない」
そっと後ろから抱きしめてきてくれる。本当にこの人が、俺のことを想ってるなんて、信じ
られない。
「もう何年も君だけを想っていたんだからね。こうして抱きしめられるのが嬉しくてたまら
ないよ」
大人らしい大きな腕に抱きしめられると、心臓が破裂しそうになった。
「好きだよ。ずっとずっと前から。…愛してる」
振り向いたエドワードに、ロイは照れ臭そうな笑顔を見せる。
小さい頃は、こんな表情で笑っていた?
そんな気がして、この人だって、子供だったんだって、改めて思うんだ。
今は俺の前を歩いてくれる。守ってくれる。大事な人。
俺もいつか、あんたを守れるようになれるだろうか。
「…こんなオッサンだが、いいのかね?」
エドワードも、満面の笑みで応えた。
「あったりまえだろ」
好きじゃなければ、あんたみたいな中年は無理だ。
これからずっと、隣を歩くなんて。
信じられない。嬉しくて泣いてしまいそう。
人生二度めのキスが下りてきて、俺はきっと真っ赤になりながら、その柔らかな感触を受け
止めた。


大人なんか、子供なんか。
そんなの全然関係ない。


「結局、噂の出所はどこだったんだろうな」
「さあね。そんなのどうでもいい」
「いや、調べないと。とりつくしまを与えねえようにしねえとな。禿鷹のお姉さんの群れに
は」
「…君、ずいぶん逞しいじゃないか」


これからの長い月日を、ともに。



end

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