5

餓鬼でもいい?




そんな君がすきなんだ。
「好きです!」
「…は、あ…」
ロイは中庭に呼び出されて、若い女性士官の告白を受けていた。
「…大変申し訳ないのだが…」
「あ、はい!あの、分かってます!大佐には、意中の方がいらっしゃるんですよね!」
「はあ?」
「すいません!気持ちを伝えて、すっきりしたかっただけなんです!…ご迷惑おかけしまし
たッ!」
涙ながら去る女性を見送り、ロイは呆然とその場に立ちつくした。


「大佐、本命がいるってほんとですか?」
「貴様で10人目だ。炭になる準備はできているだろうな?」
焔の大佐に本命がいる、という噂は瞬く間に広がっていた。
「一体誰だ。こんな馬鹿げた噂を流したのは」
聞いてきたブレダに文句を言いながら、ロイは頭をかきむしった。本命がいるのは本当だが、
いつ誰にしゃべってしまったのかさっぱりだ。エドワードだと分かるような発言はしていな
いといいが。
「さあ?ここ数日でわっと広がりましたからねぇ…あ、おーい、鋼の大将!」
ロイはぎくりと肩をこわばらせて、前をみた。資料を抱えたエドワードが部屋から出てきた
ところだった。
「ブレダ少尉、と…大佐」
エドワードはどこか暗い顔をしている。具合でも悪いのかと聞こうとしたとき、ブレダが先
に口を開いた。
「どうしたんだ?なんか顔色悪いぞ」
「そう?別に平気」
力なく笑う表情に、ロイは首をかしげた。
「ブレダの言うとおりだぞ。仮眠室を使っていいから休んだらどうだ?」
エドワードはロイを見上げ、なんともいい表わしがたい表情をしたあと、ん、そうする。と
小さくうなづいた。
「大将、元気ないっすね…」
去っていく彼の背中を眺めつつ、ブレダがそう言った。
「そうだな。…失恋でもしたんじゃないか?」
自分の噂は棚にあげ、ロイはにやにやと笑った。エドワードに本命がいたかどうかは知らな
いが、これはもしかしたらチャンスなのでは。
いやいや、失恋につけ込むような大人ではいけない。そんなふうに心どこかで思いつつ、ロ
イにとってこの誘惑は耐えがたかった。エドワードを自分の腕に抱けるのだと思うと、気持
ちを抑えられそうにない。一度だけ抱きしめたコート越しの柔らかさと温かさを、ロイは忘
れたことがなかった。あわよくば、もういちどこの腕に、と思うほどに。
これはチャンスかもしれない。


彼は本当に具合が悪いようだった。副官からの報告によると、本当に仮眠室で休んでいるら
しい。弟が、こっちに帰ってきてから元気がないんです、としょぼくれていた。
ハヤテ号をかまってやりながら、彼は言った。兄さんは僕には話してくれないので、良かっ
たら大佐が話を聞いてくれませんか?
弟からの大義名分も預かり、準備万端。私は意気揚揚と仮眠室に繰り出した。暗い部屋に続
く扉を静かにあけて中に入る。
エドワードの眠っている場所に検討はついた。なにしろひとつだけ、カーテンが引っ張られ
ている。ロイはなるべく足音をたてないように、ベッドに近づいた。しきりの布に手をかけ
ようと右腕を伸ばした、まさにそのとき。
ひっく。
小さな、小さな、嗚咽が聞こえた。
聞き間違いだと耳を疑った。
鋼の錬金術師が、泣いている。
苦汁を飲み、歯をくいしばって大人のむしろに座り続ける彼が、声を殺して泣いていた。
たった一枚のカーテンが、彼を覆い隠している。
その向こうで、小さな体を丸めて、流れる涙を袖で拭っている。
そんな姿が目に見えて、ロイは胸が締め付けられた。
自分は何を考えていた?
弱ったエドワードにつけ込んで、あわよくばと思ったのではないか?
なんて最低な大人なのだ。


とてもとても、声をかけることなどできなかった。


私は最低だ。
経験を経て、うまく立ち回ることが大人になったというならば、私はそれを否定したい。
愛する人を騙して、つけ込んでまで手にいれたいだなんて。
「具合はいいのか?」
夕方、私の執務室を訪れた鋼のに、なんと声をかけていいのか分からなかったのは一瞬だっ
た。
明らかに憔悴しているエドワードの瞼は、少しだけ腫れていた。
「大丈夫。ぜーんぜん平気平気!」
笑ったエドワードが痛々しかった。
こんな顔をさせた誰かがいるなら、殴り飛ばしてやりたい気分だ。
エドワードに片思いの人物がいたかどうかなど知らないが、何かが彼を傷つけたのなら、私
はそれを、完膚なきまでに焼きつくし破壊したかった。
なんでもないように笑うエドワードは、ずいぶん大人になったものだ。
未だ隠し切れてはいないものの、自分の感情を制御するようになってきたのだ。
寂しくも切なくも、私はそれを喜ぶべきなのだろう。
いや、むしろ悲しむべきなのだろうか。彼が感情を吐露してくれればいいと思っているのだ
ろうか。私への想いなど欠片もないと知っておきながら、何を知りたいというのだろう。
そうではない。彼のことがすべて知りたいのだ。何に笑って、何に泣いて、小さな彼が感じ
た感動すべてを共有したかった。彼とともにこれからを歩きたいと、ずっと思っていたでは
ないか。
「…あまり無理はするな。私の前で、気を張る必要はない」
「別に…なんでもねえから」
エドワードの尻すぼみになって行く声が、なんとはかないことか。
「人に言ったら、楽になると言うが…」
「なんでもねえから!!」
相談されたい、という気持ちが裏目でた。
「…そうか。すまない」
大人はなんと馬鹿なのだ。
こんな小さな子供一人、悩みも聞いてやれないなんて。
しかも、チャンスだなんて考えたとは。
甚だしい。
私はなんという愚か者だ。
がた、と立ち上がり、ロイはいくつかの書類を持ってエドワードの横を通り過ぎた。
ぽん、といつものように、極力、いつものように、彼の肩に手をおいた。
「中尉に書類を出してくる。すぐに戻るよ。温かい飲み物でも持ってこよう」
これは逃げだ。
エドワードの態度に、考える時間がほしかった。
その場で返すことなどできない。見当違いのことを言って、彼をもっと傷つけてしまう、そ
んな気がしたからなのだ。
大人は逃げるのが上手い。
すっと遠のいた体温が切なかった。
抱きしめたかったあの体温。
きっと私は、もう二度と。
「…たいさ…ッ」
臆病な自分。
振り返ったとき、書類が飛ぶのが目に見えた。
「…は…がね…の…?」
ふわりふわりと、宙に舞う書類。
ゆっくりと落ちて行くのを眺めてから、ロイは己を見下ろした。
自分の体に体温が伝わってくる。
エドワードに、抱きつかれた。
今も、抱きつかれている。
これは二度めだ。一回目は後ろからだったが、今は、振り返ったときに猛然と突っ込まれた
ので、正面から自分たちは激突した。
状況が飲みこめないロイに変わって、エドワードは囁いた。
「…大佐に、…本命がいんのは知ってる…」
…本命が誰かまで知らないだろうね。
ロイはそっとエドワードの頭に手をやりながら、その柔らかな髪を撫でながら、話の続きを
待った。
「でも…俺は…あんたが好きなんだ…ッ」
エドワードが泣いているのが分かる。
仮眠室のシーツを濡らしていたあの涙が、私の軍服にしみこんでいくのが分かる。
「…ほんと…餓鬼でごめん…ッどうしたらいいのかわからなくて…ッ」
ああ。
ぴたりとやめてしまった、彼の髪を撫でていた手を、そっと腰に。
「鋼の…」
なんと言っていいのか。
どう答えるのがベストなのだ?
泣きながら好きだと乞われるのは初めてなんだ。
「あの…私は君より14も年上で…十分オッサンなわけなのだが…」
ああ。馬鹿だ。大馬鹿だ。なんでそんな言葉が飛び出したのだ。
いちばん気にしていたのが彼との年齢差だからだろうが、私は自分の国家錬金術師の頭脳を
疑った。
「そんなの、全然気にならない」
エドワードはぎゅっとロイを抱きしめながら言った。
「俺こそ…あんたよりも…14も年下だ。…わかんねえことばっかで…迷惑かけて、守られて
ばっかだ…」
エドワードはそう力なく呟くと、ふと首をかしげた。
「あのさ…俺の気持ち分かってる?」
「あ?ああ…もちろん。好きなんだろう?」
私のことが。
そう聞き返すと、彼はすん、と鼻を鳴らして、真っ赤な顔をしながら頷いた。
「で、さ。…大佐は…あの、オッサンなわけだけど……俺は、そんなことぜんぜん気になら
ないんだけど…その…餓鬼、でも、いいわけ…?」
「私は…」
ロイはしばらくうろうろと中空を眺めてから、ぎゅっと瞼をつぶった。エドワードを抱きし
める両腕に少しばかり力がかかる。
「…その…実は…あー…私、も…君のことが好きなんだ…」
「……………う、そ…」
たっぷりの沈黙。まんまるに見開かれた瞳に、ロイはほほ笑んだ。
「本当だ。ずっと前からなんだ…こんな形で明かすことになるとは思わなかったが」
「…ほんと?ほんとにほんとなのか?嘘だろ…信じられねえ…」
た、大佐が俺のこと…エドワードはわたわたしながらどうしたらいいか分からず、ロイの腕
の中で身じろいだ。
「…まさに、奇跡だな…」
ロイはそう言って、エドワードの顔をあげさせた。ゆっくりとその頬に掌を這わせ、そして。
ゆっくりと、その唇に自分のそれを重ねる。
今思えば、舞い上がっていたのだろう。よくこんな大それたことができたものだ。
「…最高だ…最高に、幸せだ…っ」
ロイはエドワードを抱き上げ、くるりとその場で一回転して見せた。わああっ!と驚くエド
ワードをぎゅっと抱きしめる。
「…大佐、子供みてえ…」
涙の跡が光るエドワードを見つめて、ロイはほほ笑んだ。
「ああ、子供だとも。そのほうが君と釣り合うというものだ」
ゆっくりとエドワードをおろして、その頬にキスをした。
「…じゃあ、仮眠室で泣いてたのは…」
「仮眠室って、まさかいたのかよ…ッ」
「ああ、すまん…」
エドワードは真っ赤になりながら、しなくてもいいいい訳をする。
「あ、あれは!大佐に本命がいるって噂で流れてたからで…」
「失恋したと」
「…う…」
エドワードはロイの腕から逃れてそっぽを向いた。
「だって…あんた特定の相手とつきあってるそぶり、なかったからさ。そりゃ、相手を変え
たりしてるときに傷つかなかったって言えば嘘になるけど…ちょっときつかった」
エドワードが、自分のためにこんなにも悩んでくれた。
相変わらずひにくれていると思いながら、ロイはそれが嬉しくてたまらなくなった。エドワ
ードにこんな顔をさせる奴は許せないと思いながら、それが自分だと思うとこんな気持ちに
なってしまう。まったく、大人とは勝手なものだ。
「この先は、絶対そんなことはない」
ロイはそっと、エドワードを後ろから抱きしめる。
「もう何年も君だけを想っていたんだからね。こうして抱きしめられるのが嬉しくてたまら
ないよ」
小さな体を腕のなかに抱きこんで、ロイはつぶやいた。
「好きだよ。ずっとずっと前から。…愛してる」
振り向いたエドワードに、ロイは照れ臭そうに笑った。
「…こんなオッサンだが、いいのかね?」
エドワードも、満面の笑みで応えた。
「あったりまえだろ」
好きじゃなければ、あんたみたいな中年は無理だ。
そんな可愛くないことを言いながら、そんな言葉に軽く笑いながら、ロイはもう一度彼にキ
スを落とした。


「結局、あの噂の出所ってどこなんでしょうね」
ハボックがホークアイに書類を渡しながら言った。彼女は何の噂?とばかりに片眉をあげて
みせる。
「あれっすよ。大佐に本命がいるっていう、あの」
「ああ。あれね」
ホークアイはハボックの書類にぱらぱらと目を通しながら適当に言った。
「さあ、どこでしょうね?」
書類に隠れた口元が、にっこりとほほ笑む。


大人なんか、子供なんか。
そんなの全然関係ない。
これからの長い月日を、ともに。



end




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