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問題の国家錬金術師候補者の家は、イーストシティの外れに位置していた。適当な馬車を捕
まえて、エドワードはその住所へと向かった。
だが外れに行けば行くほど、通りの舗装は荒々しくなり、家々は木材がただ張り付けられた
だけの貧民層居住区へと進んでいく。こんなところにそんなすごい錬金術師が住んでいるの
だろうか、と疑問に思いながら、目的の場所にたどり着いて馬車を降りた。
風できぃ、きぃ、と手入れのしていない庭へ続く戸が揺れている。それを押しあけ、かろう
じて残っている石畳を少し大股で歩き、玄関に立った。こんこん、とノックしてみたが、返
答はかえってこなかった。
「…あのー、ベンジャミンさーん?」
留守ですかー?いないんならいないって言ってくださーい、とエドワードが声を張り上げる
と、ばんっと扉がいきなり開かれた。
「…何の用だ坊主」
そこには写真よりか髪にも髭にも白いものが混じった男がくたびれてだらしないシャツの下
から、腹を掻きながら出てきた。
「病気か?生憎だがもう薬はねぇ、帰ってくれ」
「いえ、エドワード・エルリックと言います。今日は…」
「エルリック…?国家錬金術師の?」
「ええまあ」
ばたーん!とまた扉が閉められた。もう何回目だ。俺はどこにいっても嫌われ者なのか。
どうするべきか、と回りを見ても人っ子一人いない。ここにいても煙たがれるだけだろう。
まあ予想はしてたさ、と肩を落としながら、エドワードはこれじゃあ見込みなしかもなぁ、
とがしがしと髪を掻きまわす。
大体、国家錬金術師になるなんて正気の沙汰ではないことなど知っている。コートを直しな
がら、エドワードは待っていた馬車にまた乗り込んだ。こうして一般の人間の反応を目の当
たりにするのは初めてではないとはいえ、慣れるものではなかった。がたがたとゆれていた
地面が、いつのまにか中心地に近づくにつれて緩やかになっても、エドワードの心情が穏や
かに戻るには少しばかり時間がかかった。
宿に戻って夕食をとっても、風呂を終えても、アルフォンスは帰ってこなかった。一度司令
部に問い合わせてみると、今夜は泊りこむとのことになったとブレダ少尉から伝えられた。
たった一人きりの部屋で、エドワードは明日はどうしよう、とぐるぐると考えながら眠りに
就いた。


次の日は昼ごろに彼の家を訪問した。今度は馬車に乗ってではなく、自分の足で歩いてやっ
てきた。すると、庭先に子供たちが集まっていた。
「いいか。簡単な割り算だぞ。五割る二はいくつだ」
「えーっとえーっと、二あまり一?」
「そうそう。正解だぞ」
よくできたな、と子供の頭を撫でる彼の横顔は、昨日の仏頂面で愛想の悪い男とはまるで違っ
た。どの子供もなんとか服を着ている程度で、靴などない。その様子をしばらく見ていると、
一人の子供がエドワードに気づいて、ぱっと男の影に隠れた。
「…お前か」
「ども…こんにちは」
じっといくつもの目にさらされて、エドワードはたじろぎそうになる自分を励まして、男の
瞳をまっすぐに見返した。なぜかこの男の目には、つかみどころのない何かが渦を巻いてい
る気がするのだ。
「皆はもう帰れ。今日はここまでだ」
子供たちは不服そうな顔をしたものの、エドワードをマジマジと見ながらそそくさと退散し
ていった。裸足で欠けた石畳や土の上を走る彼らは、肌のところどころか汚れ、くすんでい
る。
「お前みたいなのは珍しいのさ…。馬車で来なかったのは正しい判断だ。回りの奴ら、ああ
ここには、軍でお尋ね者になってる奴もいるんでな。お上が来たって昨日もあとで偉い騒ぎ
だった」
「ああ…やっぱり」
昨日の夜ベッドで考えていたことが的中していた。今日は目立つ赤いコートは脱いでいるも
のの、きちんとして清潔な身なりは変わらない。回りの殺気や、雑念のようなものを、旅で
の経験からか肌でエドワードは感じとっていた。
「それで、何の用だ」
男は庭の中に無造作に横たえた丸太の上に腰を下ろしたまま、伸びたままの雑草をぶちりと
むしった。
「あなたが優れた錬金術師と聞いて、勧誘に来ました」
「悪いが軍の狗になる気はない。俺はこのままで十分さ」
「でも、国家資格をとれば今まで以上に進んだ研究もできるし、軍での待遇や身分も保証さ
れたりとか…色々と得が」
「お前はなんで国家錬金術師になったんだ」
ぶち、とまた雑草を引き抜きながら、彼は言った。
「…ここには医者にかかることができない奴らが大勢いる。俺がいなくなったら、すぐにおっ
しんじまうやつばっかりだ」
それとも軍は、そんな奴らは見捨てろって言うのかい?と彼は言った。


為すすべもなく、エドワードはまたイーストシティの中心、駅までの足を捕まえ、そこから
司令部へと歩いた。あの男の資料があればと思ったのだ。門番の軍人二人と挨拶を交わし、
少しばかり落ちついているだろう作戦室に向かう。
「ちわー…エドワードだけど…」
何気なく扉を開けようとしたエドワードを、無数の腕が突き飛ばした。
「のわっ!」
そして倒れそうになったところを、すかさず別の腕が支える。ハボックがなぜか部屋から押
し出され、また扉が固く閉ざされた。
「あー…大将、どうした。悪いんだけど取り込み中でさ」
「あのさ…勧誘に行ってる国家錬金術師候補の人の資料とか、論文とかもっとないの?」
「し、資料室にあるんじゃねぇかなー」
ハボックは早く中の部屋に戻りたくて仕方がないようである。エドワードはハボックの大き
な体躯の後ろに扉を、首を伸ばして覗こうとするが、さっとハボックがそれを隠す。
「まあなんとか自分で探してくれ!じゃ!」
アディオス!と謎の掛け声をあげ、ハボックは部屋へと舞い戻った。ちょっと!と部屋に入
ろうとしたエドワードはまた阻まれ、固く扉が閉ざされた。
…もしかして俺、ハブられてる…?
まさか、そんなばかな、あはは、と顔をひきつらせながら、エドワードは仕方ない、と資料
室へふらふらと歩きだした。
何も考えないように、いくつか資料を抜きだして、徹底的に読み始めた。まずはあの男の経
歴からだった。思えば渡された資料さえ昨日軽く目を通した程度だったが、彼が卒業した学
校や出した論文の名前は覚えていたおかげで、エドワードはなんとか多くの書棚の中から彼
の書いた資料をいくつか見つけ出すことができた。
随分と古いもので、彼がかなり若い頃に書いたものなのか、紙は広い範囲が黄ばんでいた。
時折解読に苦労しながら、半ば投げやりになりながら、エドワードは長い時間そうしていた。
その成果もあって、たくさんのことが分かった。確かに彼は、この論文の説明の荒さを見て
も優秀な研究者とは言えなかったようだが、この時代にしては随分と踏み込んだ内容だった。
彼の論文が後に生体錬成の権威となる人物たちに、何かしらのきっかけを与えたに違いない。
中尉はそれを知っていたのだろうか。
「…いっけね、もうこんな時間か」
読みふけっているうちにすっかり窓の外はすっかり日が落ちていた。エドワードは資料をま
とめ、書類棚に適当に突っ込んだ。アルフォンスはまだ作戦室で何か手伝っているのだろう
か。だとしたら宿まで一緒に帰ればいいだろう、とまた彼はロイの執務室のあるあの廊下へ
と急いだ。
「もしもしー、エドワードだけどー入っていいですかー」
ふざけてそう聞くと、だめですー、といい歳した男どもの合唱が聞こえてきた。そのあと高
いアルフォンスの声が、今日も泊りこみまーす、と伝えてきて、エドワードは一体何してる
んだ、とため息をついた。まあ、何か事情があるのだろう。何気なくまた隣のロイの執務室
を見ると、昨日と変わったことが一つだけあった。
面会謝絶のプレートが外されている。
ロイは今どうしているのだろう、とエドワードは思った。帰って来てから一度も顔を合わせ
てはいないが、こう他の軍人たちにないがしろにされると、顔を見るだけでもいらつく相手
でも姿が見えないと不安になる。迷った末に、エドワードは隣の部屋へと向かった。
一度ノックしてみる。返事はなく、もしかしたらいないのかもしれないな、と思いながらエ
ドワードはその取っ手を回した。
扉は開かれていた。ぎいぃ、と大きな音を立ててしまって、あわててエドワードは部屋にす
べりこみ、そっと戸を元に戻した。後ろを振り返ると、ロイがソファの上に横たわって眠っ
ている。机の上には散乱した書類と飲み干した珈琲のカップが二つ、反対側のソファに散乱
した着替えを見ても、彼が家に帰らず昨日の夜は眠りもせず仕事をしていたのは明らかだっ
た。
疲れてそう、とその顔を覗き子で見ると、眠っていたはずのロイの瞳がぱっちりと開いた。
「おわっ」
「…どうした、鋼の」
ふわぁ、と欠伸と伸びをしながらロイが起き上り、隈の浮いた目の端を擦る。
「ね、寝てたはずじゃ…」
「誰か入ってきたら起きるよ。軍人だからね」
これでも、といいながら寝癖を直すロイに笑って、エドワードは脱いだままのシャツをよけ
て反対側のソファに座った。
「何か用か?」
「え?あー…なんかめぼしい情報でもないかなー、みたいな」
「この状態を見てそれを言うかね」
眠い…と額を抱えているロイに、エドワードはうっと詰まって、はぁ、と肩を落とした。
「悪かったよ。反省してる」
「本当かね」
「してますしてますー」
小さな少年の言い草にロイは頭を抱える手の下でほほ笑んでいたが、残念ながらエドワード
にはその様子は伝わらない。伝わらないことなど山ほどあるのだ。
「あのさー…今回実は、ちょっとやばかったりする?」
「見ての通りだが」
「…っていうと…?」
不遜な態度の割には、声にはありありと不安が見える。ロイは顔を上げ、今度こそ分かるよ
うに笑って見せた。
「もう終わったところさ。いつも通り君の後始末は全て完了した。問題ない」
「…そう、なんだ」
「何か気になることでも?」
エドワードは無意識に右手の機械鎧のネジをいじくっていたが、ふいにこう言った。
「いや…司令部の人に嫌われたのかなって思ってさ」
しかもアルまでグルで。と付け足すと、しゃれか?とロイに首を傾げられる。そんなギャグ
言うか、と反発しながら、エドワードはあーっと頭を掻きむしった。
「そんなこと気にするような君かね」
「らしくねぇのは分かってんの!」
でもなんか秘密にされると気になるんだっ!とロイに怒鳴ると、私に怒っても仕方ないだろ
う。とあたりまえのように返される。
「君には国家錬金術師勧誘の任務が与えられていたはずだろう…今はそれに精一杯に打ち込
みなさい」
私には中尉の考えがなんとなく分かるがね、と口に出さずに一人心の奥にその言葉をしまい
こむ。
「…でも、俺やっぱり説得には向いてないような…」
「そんなことは知ってるよ」
皆分かっているさ、と髪を掻きあげながら言うロイに、じゃあなんで、とエドワードが問い
返す。
「まあ、がんばりなさい」
「もっと大人らしい助言とかしろよ…」
「したとも。与えられた指示にきちんと従うこと」
もう遅い。宿に帰るなり、仮眠室に泊るなりしなさい、といってロイは、私はもう少し寝る
とソファに寝転がってしまったのだった。



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