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いじめ体験 Bullying experience

今日も鎧と少年の二人の兄弟は旅を続けていた。しかし、今回の手がかりが外れたかわりに、
またちょっとした騒動を起こした彼らは、その報告のためと上司に呼び出され東部の中心、
イーストシティへと向かっている最中である。
がたんがたん、とレールがおこす振動に揺られつつ、エドワードは唸りながら報告書を書き
なぐっている。時折汽車の激しい揺れのせいで、字が大きく歪んでいた。備え付けで折りた
たみ式の机の上には、とても読めたものではないミミズが這ったような文字が並んでいる。
「…くっそ…どうしてこんなに揺れるんだ…」
彼の悪態に、弟も仕方ないよ、と相槌を打つ。まだ書類は半分も終わっていないようで、エ
ドワードの座っている座席の横には白紙の紙がまだ何十枚も置いてある。兄は絶対上司の指
定したノルマ分しか書かないので、まだこんなにあるんだ、と弟はこっそり肩を落とした。
いくら過ごしやすい寝台付き二等車両でも、イーストシティまではもう一度乗り換えを経て、
さらに四時間かかる。だが、そこからはこんな山の間をなんとか舗装した線路ではなく、ま
だ作業のしやすいなだらかな経路であるので、それくらいでやめにして、少し寝たら?とア
ルフォンスはエドワードに声をかけた。
「…んー…でももうちょい。切りがよさそうなとこまでなー」
「そんな汚い字で出したら、また大佐に嫌味言われるよ」
「ふん、てめぇの目は節穴どころかついてねぇんじゃねぇのとでもいってやる」
エドワードと上司であるロイ・マスタング大佐は、東部でも有名になるほど仲がよろしくな
い。アルフォンスはどうして仲良くできないのかと、国家錬金術師になりたての頃ははらは
らしたものだが、どうやらそれが二人のスタンスであると最近ほんの少しだが分かってきて
いた。兄にとって大佐はいつか追い越したい目標のようなもので、そしてロイもそう思われ
ているのに薄々気づいている。というのがアルフォンスなりの解釈であった。
「でも、腹へってきたかも…」
「じゃあ僕何か車内販売で買ってくるよ」
先ほど、といっても小一時間ほど前、お菓子やちょっとした食事を売っているカートが通路
を通過していったのを思いだして、アルフォンスは立ち上がった。また時間がたてば来るか
もしれないが、それがいつかは分からない。何でもいいから、という兄から財布を預かって
通路に出ようとした彼だが、突然右足に何かがぶつかった。
「いたっ!」
「うわっとと…」
身長の高い鎧の身体だと、足元にある障害は意外と気がつきにくい。何があたったのかと下
を見れば、小さな男の子がぶつけられた腕をさすっていた。
「ご、ごめんね!大丈夫?」
すかさずかがんで様子を見ようとしたが、大きな鎧が怖くなったのか、みるみる顔を歪めて
その子は泣きだした。うああああん、と大音量のその声に、さすがのエドワードも耳を塞い
だ。
「なんだそいつっ!アルなんとかしろ!」
「そ、そんなこといっても!」
ざわざわと他の客室が顔を出し始めたので、エドワードが慌てて子供を中に入らせた。ぴ
しゃっと横滑りの扉を閉め、アルフォンスを後ろに下がらせる。
「おい、とりあえず泣くな」
自分の腰ほどしかない少年と目線を合わせながら、エドワードが言った。
「泣いてちゃなんにもわかんねぇぞ。あの鎧が怖かったのか?大丈夫悪い奴じゃねぇから」
子供はぶんぶんと首を振った。どうやらアルフォンスを怖がったわけではないようである。
エドワードは首をかしげ、じゃあなんで泣いてんだよ、と小さな彼に問いかけた。
「ぁ…あのねっぼく、ぼく、むしされるのっともだちみんな、しゃべってくれないのっ」
「…はぁ」
べそべそ泣き続ける男の子に、エドワードは心底げんなりした。
「それで、逃げてきたのか?」
「にげてないもん!」
男の子はエドワードの膝をきゅっと握る。変なのに好かれてしまった、と思いながらエドワ
ードは、白紙の紙の山をとりあえず机の上に移動して、少年を椅子に座らせた。怖くない、
という割には反対側の椅子に座っているアルフォンスをちらちら見るので、エドワードはお
前はなんか買ってきて、と弟を送り出した。
「みんなっぼくのママが大人しかはいっちゃいけないところではたらいてるからっきもちわ
るいっていうの!」
「うん」
大人しか入ってはいけない場所、ということは水商売か何かか。エドワードはハンカチを取
り出しながら嘆息した。必死に目をごしごしこすり続けている彼に、そんなに乱暴にこすん
な、と言いながらぐちゃぐちゃな顔を拭いてやる。
「でもママはきもちわるく…ひっないもん!やさしーもん!そういってたら、ぼく…ひとり
にされちゃったの!」
「うん」
「でもぼくわるくないもん!」
そういってどすっとエドワードの腹に頭突きをかまして抱きついてきた彼に、うっと息を詰
まらせながら、彼はその柔らかそうな茶色の髪を、とりあえず左手で撫でてやった。
「ぼく…わるくない…?わるくないよね…おにいちゃん」
「自分でそう思うのに、ここに来たのか?」
そういう商売で稼ぐ人間にとって、子供はただのお荷物でしかない。少年は小さくみつもっ
ても五、六歳。彼の様子を見ても、父親がいるようには思えなかった。この子の少ない言葉
だけでも、母親がこの子を大切に思っているのが感じられる。洋服も少し草臥れてはいるも
のの、清潔で、靴には穴も開いていない。
「あ…ぅ…」
「お前が母ちゃんが悪くないって思ってれば、それでいいんだよ」
他の奴にわざわざ分からせてやることでもねぇ、とエドワードはそう言って、まだしゃっく
りあげる少年の鼻水を拭きとってやる。
「まわりの奴らになんか構うな。そんな暇あったら勉強でもして、母ちゃんに楽させてやり
な」
「…そっか…うんっそうするっ!」
そうこうしているうちに、アルフォンスが買い物を終えて戻ってきた。後ろに若い女性を連
れている。母親かとも思ったが、どうやら違うようだった。
「ジョン君!探したのよ!」
どうやら彼の通っている学校の先生のようだ。隣町に遠足に行った帰りの汽車だったらしい。
ご迷惑をおかけしました、と頭を下げられ、二人はいえいえ、と首を振る。
まだ少し泣いている彼に、アルフォンスが気をきかせて買ってきた飴の包みを握らせてやる。
「ほら、あめちゃんやるから。がんばれよ」
「うん!ばいばい、お兄ちゃん」
先生に手を引かれて通路を戻っていく彼を見送って、ようやく彼らにまた静かな時間が戻っ
てきた。エドワードはやれやれ、とぐっしょりとしたハンカチを持ち上げた。
「で、なんだったの?」
「友達にハブられたんだと」
理由については割愛し、エドワードは簡単にアルフォンスに説明した。
「へぇ…。兄さんと二人にして大丈夫かと思ったけど、うまくやったんだね」
「だってお前のこと怖がってたから、俺がやるしかねぇじゃん」
気だるそうにいった兄だが、小さい頃から面倒見がよいことは確かである。何しろ生まれて
物ごころついたときには、もう弟が横にいたのだから。ほとんど一緒に育ったのと変わらな
い兄弟で、喧嘩も仲直りも相当繰り返してきたものだが、リゼンブールののどかな環境では、
隣村の子供たちと時折衝突するくらいで、些細ないざこざなどすぐに解決していたのだ。兄
弟は錬金術が使えることもあって、周囲の子供たちからは尊敬の的だったのと、エドワード
に関してはちょっとした餓鬼大将のような役割を担っており、その回りから大人も子供も、
人だかりが途切れることはなかったように思う。国家錬金術師になった今でさえも。
「それにしてもさみぃな…」
アルフォンスの買ってきた菓子パンを食べながら、エドワードが言った。
「もう冬だもんね」
「せっかくあったかい南部にいたのに、空気も淀んでてくっそ寒いイーストシティに戻らにゃ
ならんとは…大佐のやつ」
「いや、大佐のせいじゃなくて、兄さんのせいだと思うけど」
「だって仕方ねぇだろ!銀行強盗捕まえんのにはああするしか!」
「もっと慎重にやれば良かったと思うよ。僕は」
運の悪いことに、銀行強盗が逃走経路に使った大通りを変形させ、ロイが電話口で感心する
ほどの大渋滞を引き起こしてしまったのだ。どうも地下に走っている水路も老朽化しており、
専門家に見てもらわなければならないところにまで発展した。
「で、も!俺のおかげで水路の壁が古くなってたってのが分かったんだから、いいじゃん」
「水で浸食された部分を補強すればいい程度だったんだよ。それを壊しちゃったから、全部
取り換える羽目になったんじゃないか」
「う…でも!石材は錬成してやったし、復旧も一日でなんとかなったし…」
「大人の社会では一日の遅れも命取りなんだよ」
なんで無駄に派手好きなのかなぁ、とアルフォンスは大げさに肩をすくめて見せる。ぐうの
音もでないエドワードを楽しそうに眺めながら、大佐にこってり絞られるといいよ、とアル
フォンスは言い添えた。


だが、エドワードはロイにではなく、別に人物によってこってり絞られることになった。
「エドワード君、この前の事件のせいで大佐がほとんど使い物にならないのよ」
執務室のドアノブには、小さなプレートがかかっていた。面会謝絶。急用の者のみ。という
簡素な内容であった。そしてエドワードは、ロイの副官であるこの司令部では誰も逆らえな
い美しい女性に叱られて、仕方なくソファで反省していた。
「大佐が処分受けなかったのは奇跡に近いのよ。聞いてる?」
「はい…」
「それでもこれだけ書類回されてきてて、私たちも人手が足りなくて大変なの」
「はい…」
「それでね、お願いがあるんだけど」
お願いなどと可愛いものではない。もはや有無を言わせぬ命令である。エドワードはぷるぷ
る震えながら、なんでしょう、と小さく呟いた。
「この人、知ってるかしら?」
差し出された紙一枚、エドワードはおずおずと受け取った。いちばん上にミドルネームがや
たらと長い人物の情報が書かれていた。年齢は五六歳。厳めしい面構えに顎髭が特徴の濃い
顔の男だった。
「いや、知らない」
「この人はね、生体錬成を飛躍的に進歩させた錬金術師の一人なの」
エドワードは驚いて彼女を見上げた。そんな人物なら自分が知らないはずはないと思ったの
だ。だが、名前を見てもぴんとこない。さらに、どうして中尉がそんな自分たちに有益な情
報をぽんと出してきたのか分からない。何故って、こんなにも怒っているからである。
「この人に会いにいけってこと?」
「ええ」
「それだけ?」
「だと思う?」
ですよねー、とエドワードはため息をつく。この人物にあって一体何をすればいいかなど検
討もつかないが、しち面倒くさいことには変わらないのだろうなとため息をついた。
「この人を国家錬金術師に勧誘してほしいの」
「ええっ!?」
確かに少しは役に立たなければという思いでいた。だが、そんなことは規格外である。エド
ワードの性格を見れば、どう考えても勧誘には向かないのは一目瞭然であるのに、彼女は笑
み一つ崩さず無言である。嫌でもやれってこと?とエドワードはいつもよりさらに小さくなっ
た。
「三日で、なんとかしてね」
「はぁ?三日なんて無理!ぜーったい無理!」
「こういうのは長引いてもよくないわよ」
しつこい勧誘って苦情がきたらどうするの。適当にがんばってほどほどに帰ってきてね。暴
力禁止。錬金術禁止。と言われ、エドワードは作戦室を追い出された。
「ちょっアルは!?」
「兄さーん僕は皆さんのお仕事手伝うからー」
じゃあねー、と扉の隙間から鎧の大きな手を振っている弟の姿を最後に、ばたん!と鼻さき
で扉を閉められる。どうするよ、とちらっと右隣のロイの執務室を見るが、そこは面会謝絶
のプレートのまま。中尉がここまで怒ってるってことは…とロイの機嫌を考えたが、一気に
口の中がまずくなった。そんな彼の前で、また扉がばたんっ!と開かれた。
「はいこれ。家の場所と資料ね」
胸に封筒を押し付けられ、今度こそ大きな扉はエドワードの目の前で閉められた。かちっと
鍵まで閉められる始末である。今回はちょっと、やりすぎたか、とたった一人の廊下で、エ
ドワードは封筒を片手に歩きだした。



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