Story
甘さ控えめ
市街地の喧騒から少し離れた草野原の一画にて。
少女の治癒術がノウィの体をほの明るい橙色の光で包み込む。痛みに震えていた小さな体が、段々と穏やかな呼吸で上下を始めた。
やがてノウィの傷口が塞がると橙色が消え失せる。
「はい。これでもう大丈夫。
念のため、包帯巻いておきますから、まだ一生懸命走ったりしちゃだめですよ。」
ふふっと笑い、慣れた手つきでノウィの体に包帯を巻く。
キュルルッ。
ご機嫌にノウィが鳴いてみせた。すりすりと体を擦り付けて甘えている。
「あの、もう心配要らないですよ?」
ずっと傍観していたセオンが心配になり、そっと顔を覗き込む。
ぶわぁっと勢いよく顔を上げて、セオンは彼女の肩を掴み口を開いた。
「すっげーな!お前、修道院の人間なのにノウィ助けてくれた!
本当に、ありがとうな。」
にかっと笑うセオン。心なしか目が潤んで見えたのは、彼がそれだけノウィを気にかけているという事が伺えた。
突然、肩を捕まれて驚いたが、自分の治癒術でこれだけ喜んでもらえるのは嬉しいこと。だから、桃色の髪の少女も笑って返事をした。
「修道院は関係ないですよ。私で力になれたのなら、良かったです。」
少し興奮が落ち着き、セオンは手を離す。それから、どことなくむず痒くなったのか、がしがしと頭の後ろを掻く。
「あ、名前まだ聞いてなかったっけ。
俺はセオン=リオデル。
で、こっちが相棒のノウィ。」
セオンの声に対応して、白茶毛玉の四足動物ノウィはセオンの左肩によじ登る。顎の下を撫でるセオンの指にくすぐったそうに身をよじらせた。
微笑ましい光景に自然と頬が緩む。
お前は?と目で促され服の汚れを軽く払い、セオンに返答した。
「私は、レミエル=ロッティンと言います。
先月、このトーヴェのロトメア教修道院に来ました。」
よろしくお願いします、と腰を折ってレミエルはお辞儀してみせる。
それから何となくの沈黙が二人を包み、目を合わせて佇んだ。
グゥゥウウゥゥゥウ。
特大の、雰囲気ぶち壊しの音が静寂な草原に響き渡った。渡ってしまった。
一拍、セオンはレミエルの目を見たまま。その次に徐々に目線を己のお腹の方に移していく。
クスッと笑い声がした。何だか気恥ずかしさで辛かったが、ちろりと目だけ動かしてレミエルの様子を伺う。
どことなく困っているように眉を下げて笑っていた。馬鹿にされてない事への安心感と、どう思ってるのかという不安感。セオンは何も言わずにレミエルの行動に注意して見つめる。
レミエルはずっと携えていたカバー付きのバスケットから、白い布をたんぽぽ色のリボンで結んである包みを取り出してセオンに差し出した。
「これ、修道院で作ったクッキーなんですけど、良かったら。」
そう言ってレミエルはリボンを引っ張って解く。中には程よい焼き色のクッキーが10個前後入っていた。
おぉぉと感激しながらセオンは恐る恐る手を伸ばして一つ取り、口に放り込んだ。
最初にふわ、と独特の香りが口の中に広がった。その後に、落ち着くような優しい甘さ。つんと来る香りが物足りなくも感じる甘さを補っている。
もぐもぐと忙しなかったセオンの口の動きが段々と緩慢になっていく。完全にクッキーを飲み込んでから、ぱあっと目を輝かせた。
「うまっ!コレ普通のクッキーと違うな。優しい味だ。」
セオンの言葉に、レミエルの顔がぱあっと明るくなる。
「本当ですか!?嬉しいですっ…。」
掌で口を覆い、喜びがセオンの方にまで伝わってくるようだ。セオンとノウィの食欲が、両手いっぱいのクッキーを消すまでの時間はおよそ1分もかからなかった。
それから、はっと思い出したようにセオンが斜め上、レミエルの順に視線を動かす。
頭に?を浮かべ、不思議だと意思表示するレミエル。
「レミエルってー事はぁ、レムだな!」
びっ、と人差し指で指差すセオンの発言に、レムことレミエルはまだ理解が及んでない。その反応にセオンまでキョトンとしてしまった。
「愛称だよニックネーム。短い方が呼びやすいじゃん。」
そう言われてなお、レミエルは釈然としていない。何せ生まれてこの方、そんな呼ばれ方をされた事がなかったのだから。
「レム、可愛い…。」
少し慣れるのに時間かかるかも、と擽ったそうにレムは微笑んで見せた。
喜んでくれていると分かり、セオンも同じように笑った。
「これからいっくらでも呼ばれるんだから、すぐに慣れるって!」
誇らしげに同意を求めて来たセオンに、レムはほんの僅かに動揺する。
「これから、いくらでも…?」
今までこんなに、驚いて長く息を止めてしまった事はなかった。
な?と満面の笑顔を向けてくる目の前の彼に、どんな顔をすれば良いのかも分からず硬直してしまう。
と、今度はセオンが慌て始めた。
「ど、どうした?そんなに嫌なら呼ばないから!
泣くなよぉ!」
そう言われて初めて、レムは気付かされた。頬に触れてみると、確かに指が濡れている。
あぁ私は泣いてるんだ。
悲しいからじゃなくて、嬉しいから。
自分の気持ちの居場所の整理が出来たからか、次から次へと涙が溢れてくる。 伝えなきゃ。私の気持ち。
気持ちばかりが先走りして、言葉が出て来てくれない。
頻(しき)りに謝るセオンに、レムは涙を拭いながら首を横に振る。
「もっと、呼ん、でくだ、さいっ」
私が慣れるまで、は言わなかった。ずっと呼んでほしいと思ったから。
でも、ようやく出た嗚咽混じりでひどい声だった。
セオンはため息を一つ。
それから、レムの髪の毛に触れた。不器用だけど、優しく。
「レム、大丈夫だ。大丈夫よ。」
ぽんぽんと心臓の鼓動と同じリズムに安心する。
ゆっくりと涙が引いていくのをレムは感じた。
それからしばらく、レミエルが落ち着くまでセオンは名前を呼び続けた。
甘さ控えめ
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