「きもちわるいです」 「……」 「うぷっ、」 「我慢しろ」 「ちょっと待って、まって、おろして!」
何処につれていくのかと思えば、綺麗なアパートの空室だった。家具も何もなく、空っぽの部屋だ。 ごろん、と床に転がされてすぐ起き上がる。そのまま、ぺたんと冷えた床にお尻をくっつけることになった。二日酔いと同じくらい気持ち悪いのだ。よいしょよいしょと、兎に角離れようと、何とか後ずさり背中を壁にくっつける。他に誰か居るのかと警戒するが、気配は一切感じられない。
「聞きたいことがある」 「ううー……無理……」 「毒が体を回ったか。当然だ。おい、死ぬ前に幾つか吐け」 「吐きそうです」 「吐くな」 「えええ」
言ってること無茶苦茶だよ、と、口に手をあてて蹲る。男は私の様子を見下ろしている。 煩わしいとばかりに、舌打ちが降ってきた。それから、ぐ、と顔を掴まれた。無理やり目を合わせられる。 月明かりに白く塗られた顔と、黒く深く塗られた瞳。 鼻にすっと通る印。 険しい顔つき。 美味しそうなにおい……。 くらくらして、目を瞑りかけると、許さないとばかりに頬にかかった手に力が入る。
「いた、うう、」 「弟を」 「……?」 「弟を殺したのは虎杖なのか」 「おとうと」
弟。おとうと。……あの時、一緒にいた人たちだろうか。
「ふたりとも、殺されたの、」 「……質問に答えろ」 「いっ、……虎杖って、ええ。あの。あの子どもが?」 「子ども」
剣呑な目つき。 爪が立てられて、小さくうめく。
「ああっ、ごめ、ごめんなさ。わたし、本当に知らない」 「嘘だな」 「、子どもって以外、知らないの」
知らないけど。私は高専関係者だよ。 続けて、素直にそう答えた。少し力を抜いて欲しかった。が、正直に答えると、尚のこと爪が食い込むのだった。女の顔に容赦がない。
「貴方たちの敵、なのかな。あの、真人とかいうやつ。敵だよ……」 「ならここで用済みだ」 「そう……」
手が離れる。がくんと頭を落とし、瞳に埃一つ無い床を映す。ぱきぱき、と男の血が固まる音が聞こえる、……。
「……弟くんたちにも、きちんと会ってみたかった」 「オマエが殺したも同然だ」 「そうなの? それは……ごめん」
ゆっくりと目を瞑り。息を整え、覚悟を決めてから、力を振り絞り顔を上げた。
「私のこと、殺すんだよね、貴方」 「ああ」 「じゃあ、もう一度だけお願い。血を吸わせてくれない?」 「断る」 「……賭けだよ。私が貴方の血を吸って、生きていられたら私の勝ち。毒で死ねば貴方の勝ち」
笑いかけてみるが、男は不機嫌な顔をして、「俺に利点がない」などと至極当然なことを言う。
「利点かあ」 「気がすんだか。もう黙れ。今楽に……」 「でも、私、今ここで死んだら。間違いなく高専に連絡がいくよ」 「……」男が眉根を顰めた。
「最近連絡とってたし、突然途絶えたら……高専の事件と関連してるんじゃないかって、相当怪しむだろうね。すぐに調査を開始して、無事、私の死体が見つかる。……見つかったら、死因も特定されるはず。体内に残ってる毒も、前よりもっと詳しく解析される。高専には博識な人多いから、貴方が何者か筒抜けになるでしょう。そしたら、貴方が、貴方たちが何考えてるか知らないけど、いろいろと面倒じゃない?」 「脅しているつもりか知らないが、どうでもいい」 「じゃあ、もう、賭けなんて言い方しないよ。お願い。私、貴方の血がほしい……」
お願いなんかじゃない。 最初に言った通り、賭けだ。
このまま残っている呪力で吹っ飛ばしてみてもいいけれど、この男、相当できるはずだ。 赤血操術だけなら、こっちにも勝ち目もあるかもしれないけれど、恐らくフィジカルも抜群だ。残念ながら、私はばりばり戦闘型で生きてきたわけではないので、一か八か賭けるしかない。 硝子さんが言っていた通り。アナフィラキシーでさよならか。 耐性ができて万々歳。おいしい血で呪力満腹。元気になるか。
まあ、既に凄まじい頭痛と嘔気が襲ってきているのだから、答えなんてわかっているようなもんだけど。 無駄と知りつつ、ポケットに手を突っ込み、スマホで緊急コールをと試みる。警告とばかりに、ばち、と血がすぐ脇に打ち込まれた。
「勝手に動くな」 「……血、吸わせてくれる気になった?」 「此処に同胞がいるといったら」 「!」 「俺が手を染めずとも。死体を残さなければいい話だ。ぐちゃぐちゃにして、しまいだ」 「……」 「この期に及んで逃げられるとでも思っているのか」 「あはは……」
虎杖悠仁くん、アンタ、一体何をしてくれたんだ。 チャンスを手にすることもなく、私は死ぬらしい。
「ただ」 「……ただ?」 「興味がある」 「?」 「人間に俺の毒はどう効くのかが気になる」 「え……こ、こんな風に、効くんじゃないですか……めっちゃ吐きそうだよ今」 「オマエが半端者だということは分かった。が、調べるには便利な体そうだ」 「う、うん……?」
風向きが変わる。希望の光が一筋見えてきた。 あれ、これ、試すことができるのでは?
「どう吸う。俺が直接撃ち込むか」 「……えっと、それは、そのつまり」 「オマエの言うお願いってやつだ」 「!」 「処理ならどうにでもなる。心配しなくとも、死体は上手く消してやる」 「ひぇ」
脅しのつもりだったけど、特に効いていないみたい。 多分、この人、単純に気になるだけかも。私の、変な体のこと。
「さっきみたいに、直接、攻撃されちゃうと、……痛くて死んじゃうから、実験のお役に立てないかと。お腹、今もめちゃくちゃ痛いし」 「貧弱」 「……やってみたい方法があるんです」
頭痛が酷くなってきた。傷も痛いし、だるいし、最悪だ。 どうせ、どうせ息絶える運命なら。
「首から吸ってもいいですか?」 「……信用ならん」 「引かないでくださいよ! あ、ほら、私の首! 手をかけてていいですから。やられそう、って感じたら、首折っちゃって。ね?」 「……」
どうせなら、本当の吸血鬼みたいに、この人の血を味わいたい。めまいがする。しかし、死を目前にしているからか、無性に腹の虫が鳴るのだ。 おいしいご飯を、血を目の前に、もう我慢がきかない。 硝子さんごめん、今まで助けてくれてありがとう。高専の人たち、こんな変な力もった人間に親身に教えてくれてありがとう。五条さんは、……お元気で。伊地知さん七海さん歌姫さん、猪野くん、日下部さん、学長、あと、あと、
「早くしろ」 「え、」 「これでいいか」
どかりと胡坐を組み座り込んで、男は、首元をたぐり、首筋を見せる。
「あ、」 「少しでもおかしい素振りを見せたら殺す」 「は、はい」
何を考えていたんだっけ。ずきずきと頭が痛む。そのまま引き寄せられるように、男の首に近寄って、手を肩に置いて、
「い……」 「あ?」 「いただきます……」 「……」
自分の首を大きな片手が掴んだのを確認してから、唇を寄せた。
ぷつ、
「、」 「んん、」
あ。 これ、まずい。 ぶわり、と身体中に呪力が漲る。男の手に力が入り、首が苦しくなる。けれど、そんなこと気にならないくらい、
「ん……っ」 「おい、」 「おいしい、おいしいっ……」 「ちっ」 「もっと……」 「クソ……離れろ」
言われた通り口を離す。滴のように、歯型から血がぷつりぷつりと浮き上がるのがたまらなくて、舌でゆっくりと舐め上げる。そのまま、もう一度吸いついた。吸いつく。吸いつく、吸いつく、……。 一体、今、わたし、どんな表情をしているだろう。背筋から腰に、冷たいものが走るような、快感に似た、いや……快感と変わりない感覚。
「おいしい……」 「、しつこい」 「ね、名前、教えて……」 「……」 「っ、う」
頸部を圧迫されていることに気づいて、もう一度口を離したけれど、どうやら遅かったらしい。そのまま、男の胸元にもたれるようにして、ブラックアウトしていくのだった。
‐‐‐
吸われる。吸われている。気持ちが悪い。 薄気味悪くて、女の首を絞める。早く離れろと圧をかけたつもりだが、一層強く吸われて、ちくりと肌が痛む。……だけだったらよかった。 (この感覚は、一体)
体がむず痒い。変な術式でも使われているのかと疑うが、そんなことも無いらしい。ただ、女の呪力は満たされていくようだ。女は目をとろんとさせて、ぐったりとした顔で、ちゅうちゅうと赤子が乳を飲むかの如く、吸う。俺の血を。
「はあ、」 「、」
べろり、と首を舐められて、ぞくり、と背に震えが走った。のと同時に、体の芯がずくんと熱に疼く。また、ぢゅう、と吸われて、思わず女の首にかけた手に力が入ってしまう。 これは、なんだ。 この女を今すぐ弾き飛ばして、滅茶苦茶にしたい。 このまま首の骨を折ってしまおうかと思うが、どうにも、体が言う事をきかない。
「……教えて」 「……、…っ」 「う、う」
女は限界を迎えたのか、ぐる、と黒目を上にやったかと思うと、ぐたりと、柔らかく熱に濡れた身を任せるのだった。かけていた手から力を抜いて、また、首の太い血管に手をそっと置いてみる。どくん、と、女の脈が伝わってくる。 窓から捨てようと思ったが。面倒になって、そのまま、仰向けに横になってみると、女の弛緩した体の重さが程よいことに気づく。 朝がきたら、捨てればいいか、と思い直した。
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