幼い頃から呪霊が見えていた。
 その日は、運悪く呪霊に絡まれてしまったのをよく覚えている。目を合わせたらだめだとわかっていたのに、自分より小さな子の腰にぐるりと絡みついていたから。つい離してやろうとして、つついてみたのだ。そのまま私についてきた呪霊に抗う術など一つもなく、どうしようかとしゃがみ込んでいたところを、特級術師の九十九さんが助けてくれたのだった。


「大丈夫? あいてっ。こら」


 たまたま、呪霊の攻撃が九十九さんの指を掠める。ぱっと手を一振りして、呪霊が消える。そのときに零れた九十九さんの血が、唇に触れた瞬間。
 ぶわり、呪力がこの身を包んだのだった。
 暫く経つと、呪力が空っぽになり、うんともすんとも言わなくなった。九十九さんに連れられて、高専の医務室で、今度は彼女のものではない他人の血を含んだ途端。また、呪力量が急増し、自由自在にコントロールすることができるようになった。
 簡単に言えば、他人の血が呪力の元になるという体質だった。

 紹介を受けて、呪術高専に入学した。
 この体質に気づいてからというもの、定期的に他人の血を摂取しないと酷い立ち眩みを起こしたり、体調に異変を起こしてしまうようになった。広義的に見て、縛りの一種ではないかと周囲の人間は言った。
 私のことを良く思ってくれる人間は、先生や同期など、周囲のごく僅かだった。上層部は特に忌み嫌っているようだ。
 こんな体なので、"吸血鬼"と詰られることも多くあった。実際その通りだと、自分でも思う。任務に出るようになってから、呪力を得るために摂取する人の血が、おいしいと、感じられるようになってしまったのだから。
 卒業後、高専所属で呪術師をしようとも考えたのだけれど。面倒事が嫌なこともあり、高専から離れて、フリーで呪術師として活動することにした。
 誰かの血が無いと生きていけない、情けない体だ。せめて、大切な人には迷惑をかけないように、弱音を吐かないように。自立して生きていこうと心に決めて。




‐‐‐


「ここら辺だったけどなあ」


 十月半ば、深夜。
 肌寒さに首を竦めつつ、あの日行き倒れた路地裏に一人佇む。辺りを見渡してみる。人の気配はない。

 硝子さんに止められたにも関わらず、私はどうしても我慢ができなかった。あの血をできるならもう一度、それが叶わなくてもいい。
 そもそも、人ではないかもしれないし、あとあの物騒な言い回しからして、私とは反対の立場にいる人だろうことは間違いない。
 ただ一目でいいから、あの血液が流れる人を拝んでみたかったのだ。


「不審者だよね、こんなの」


 壁に寄りかかり、そわそわと身を捩っている。
 とっくに終電など無い時間だ。
 ……馬鹿らしい。
 ストーカーみたいなもんだし、もし出くわしてしまったらどうするのか。私一人で対応することができるのか。少なくとも一人じゃない、複数いたのだ。男達と、あとおっとりした喋り方の子ども……かな。
 ……やめておこう。帰ろう。
 表通りに出てみる。人も車も通っていなくて、世界はしーんとした音で満ちている。空を見上げてみる。月は遥か遠くで綺麗に光っている。静かで暗くて、いい匂い、……。!!


「いいにおい……!?」


 全身に鳥肌がたった。これ、これだ!
 ぶるりと戦慄き、私は鼻孔に流れ込む匂いの位置を、犬のように嗅いでかいで、は、と息を吐く。血のにおい。
 理性をどろどろに溶かすような、強く脳を痺れさす、言ってしまえば、媚薬のよう。
 ほしい。欲しい、ほしい!
 かくれんぼでもしている気持ちで、どこだどこだと闇雲に足を動かしていたら、
「おい」
 背後から、男の声がした。


「はい? 、あっ、ううっ」


 刹那、腹にずぶりと何かを刺された。
 …のではなく、何かが撃ち込まれだと気付いたときには、膝をついていた。痛い、けれど、……。


「オマエ」
「う、うう」
「死んでなかったのか」
「ああ!」


 ぐい、と髪を掴まれて顔を無理やりに上げさせられる。じわり、じわりと体を何かが駆け巡る感覚。
 間違いない。呪力だ。


「や、やめてください」
「何を嗅ぎまわっている」
「へ……」
「目障りだ。殺す」
「……血を、」
「…は?」
「血を、嗅ぎまわって、ました……」


 貴方の血を。
 撃ち込まれたのは、恐らく男の血液だ。
 加茂家が使うと聞いたことがある、赤血操術の使い手だろうか。
 それにしたって、こんな風になるなんて、知らない。激しく痛むのに、全能感で満たされて。
 目を見開いて、男の顔を見た。男は二つ結いの不思議な髪型で、夜闇のようにどこまでも暗い瞳で私を見下ろして、
「変態」
 と、ぽつり、漏らすのだった。き、聞き捨てならない!


「あの。話、けほ、きいてください」
「煩い」
「ごめんなさ、怒らせて」
「今楽にしてやる」
「、きょうは、あとの二人は、いないの?」
「……」


 自分勝手に質問を続けると、男は顔を歪ませる。


「呪術高専の人間か」
「……?」
「虎杖悠仁を、釘崎野薔薇を知っているか」
「、すくなの、器?」
「俺の弟を知っているのか」
「私は、ええと、あの」
「答えろ」
「あう」


 ぼたぼたと、彼の片手に血液が溢れ始めて。
 私の口の上へ、


「ほら。すぐに答えろ。さもないとこれをオマエに流す」
「あ。あ、あ!」
「今度こそ致死量を流し入れる。殺す」
「ちょ、ちょうだい!」
「……」


 居ても立っても居られない。痛みを無視して、体を捩る。


「ちょうだい! は、早く、勿体ない。それ、ちょうだい」
「……」
「くださいっ」
「変態……」


 ま、また! 今度こそ言いごたえしようとした瞬間、ぱきり、と男の手が鳴った。血液が凝固させたのだ。いよいよ殺される、と頭の裏側は警鐘を鳴らす。抗おうと思えば、とっくに体は動かせる、それだけの呪力が全身に流れているというのに。
 興奮剤を打たれたように、どきどきが止まらない。耐えられない。今すぐ、その血が、ほしい!


「う、わわ、」
「来い」
「あ、やだ、待って」
「黙れ」
「きゃっ」


 髪を引っ張られて、無理やり立ち上がらせると。男は私の腹に腕を回し、そのまま持ち上げるのだった。あれ、これってまずいんじゃないの?
 ばたばた足を動かすと、男は舌打ちをして大股で歩き始めた。どこいくの、と声を出しても、何も答えてくれない。こんな時に限って、誰も、誰も通らない。初めての誘拐だ。
 この後、どうされちゃうんだろう。この人、一体誰なんだろう。もう一口でいいから、血をくれないだろうか。……変態と罵られても仕方ないかもしれない。

title_舌(閉鎖)




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