佐藤 沙都(23)女性
 東京都●●区●●●●在住。
 高専所属無し。フリー。二級呪術師。
 術式無し。
 他人の血を元に呪力を生成。
 
 ‐‐呪術高専進路状況調査より


‐‐‐



「あ、起きた。おはよう! 弱々フリー呪術師さん」


 真っ白い天井だったらどれだけよかっただろう。
 目隠し男−−五条さんの口は、揶揄うように三日月に歪んでいた。
 お久しぶりです五条さん、と声を出そうとする。が、舌が思うように動かない。あれ?


「あ、オマエ今上手く喋れないよ。舌、痺れてるでしょ。どんな毒盛られたんだか」


 毒?
 一体何を言っているんだろう。私は顔を顰めてから、ゆっくりと身を起こした。体がだるい。


「もう吐き気はない?」
「?」
「沙都、此処来る前、げーって吐いちゃったらしいからさ」
「……」


 お酒で失敗したときのような気持ち。薄手の毛布で顔を隠す。五条さんと会話をするのはよしておこうと、無視を決め込むことにした。



「で、何があったの」
「……」
「もしもーし。あ、話せないのか」
「……」
「自分の身守るのも難しいならさあ。沙都、いい加減高専所属になっちゃいなよ。変に意地張ってないでさ」
「はい、そこまで。沙都、どうだ調子は」
「! しょこ、さん」


 ナイチンゲールが来た。毛布を剥がし、上手く回らない舌を無理やり動かして、名前を呼ぶ。
 家入硝子。高専へ向かう目的は、彼女から治療を受けるためが殆どだ。


「五条、悪いけど席を外してもらえる」
「ええ。僕邪魔?」
「ああ。女が裸になるんでね、また呼ぶから」
「僕気にしないよ?」
「私も気にしないが、沙都は気にするみたいだ。出てった出てった」


 五条さんはぶーぶー言いつつも、去り際は爽やかに「また来るね」と小さく手を振って出ていくのだった。扉が閉まるのを待たずに硝子さんは、
「沙都。上、脱いで」と言いつける。彼女に従い、病衣に手をかけた。


「当てるよ。息吸って。……吐いて。……うん。口、開けてごらん」
「あ」
「……はい、いいよ。着て」


 暫く裸で検査でもするのかと思いきや、あっさり終わったので、拍子抜けした。下着も、と、ブラジャーを手渡される。ノーブラで五条さんと話していたんだ、私。げんなりしながら身支度を整えていると、さて、と硝子さんは此方を向き、足を組んだ。


「沙都は三日三晩、寝ては起きて吐いての繰り返しだったんだけど。覚えてる?」
「……いえ」
「うん。そうか。じゃあ、ぶっ倒れる前に何があったかは?」
「なんとなくは……」
「ゆっくりでいいから、話して」


 唇をいじりながら、硝子さんは言った。未だふらつく頭を二回ほど叩いてから、上手く回らない舌を厄介に思いつつ、私はぽつぽつと話し始めた。

 フリーの呪術師とはいえ、駆け出しのようなものだ。自分の元に舞い込んでくる任務は月によってまちまちである。同じフリーの呪術師から任務を流されることもあれば、高専からの依頼、はたまた此方から何かないかと高専に出向くこともある。
 九月後半からは、珍しく任務が立て込んでいた。呪力の消費も激しく、疲労困憊で喘いでいた。この任務を終えたら高専に行って、硝子さんに診てもらって……という算段だったが、残念ながら途中で力が尽きてしまい、路地裏で倒れてしまったのだった。


「そこで……あ!」
「どうした」
「そう、そこで。そこで会ったの」
「誰に?」
「おいしい人……」
「……知らない奴の血を飲んだのか」


 いよいよ吸血鬼だ、と硝子さんは笑った。慌てて弁明する。


「無理やり襲ったりしてないよ。多分同業の人だった。たまたま血が降ってきて、飲んで、それで」


 低級呪霊が破裂する音が聞こえたのは、覚えている。男の足に縋りついたのも、蹴られちゃったのも、思い出せる。でも、男がどんな顔をしていたか、どんな名前をしていたか。そこまで思い出すことができない。そもそも、見ていない、知らないのかもしれない。一つはっきり言えるのは、


「それで?」
「……今までで一番おいしかったの」


 そう、あの血は、生涯口にした血で、一番、一番おいしかったのだ! 舌触りは硬く刺激が強いが、じんわりと甘さと少しの苦み、あれを忘れることができない。脳を支配されるような感覚。ひょっとしたら、呪力が枯渇していたから、やたらおいしく感じただけかもしれない。けれど、あの味を知ってしまったら、もう、戻ることができない。もう一度、いや、叶うならば一生あの血で生きていきたい。


「残念、いつも私が手配してるのじゃ満足してなかったわけだ」 
「そういうわけじゃ」


 少し意地悪な物言いに頬を膨らます。硝子さんは冗談だよ、と笑ってから「でもまあ、」と話を続ける。


「もうそいつの血はよした方がいいだろうね」
「どうして?」
「毒さ。身体中、てっぺんから爪先まで毒が回っていた。もうだめかな、と思ったけど……呪力で持ってるようなもんだった。よっぽど美味しい血だったんだろう、パワフルだな」


 二度と同じ毒は体内に入れない方がいい。アナフィラキシーショック、あれと同じような感じになるかもしれないから。
 硝子さんの言葉に、取り敢えず、うん、と頷いた。頷いてから、


「毒に体が慣れるってことは無いかしら」
「ふっ。耐性をつけたいほどおいしい血だったの」
「……」
「ほら。どちらにせよ、経口摂取はあまりお勧めしないな。血、準備するから、腕出して」


 マスクをつけて、ゴム手袋をぱちんと鳴らす。血は直接触れちゃならない、と、目がにこりと微笑む。
 この瞬間だけ、何時も緊張してしまう。改めて、お前は特異で、忌み嫌われる体質だと指を差されるような気持ちになる(一切そんなつもりはないだろうけど)。
 親しく理解ある人に、私は、なんて失礼なんだろう。自己嫌悪に苛まれつつ、唇をひとなめした。あの血の味はしない。
 あの血、あの人。またどこかで会えるだろうか。
「おなかすいちゃった」冗談めかしく言って、病衣を捲り、白くやわらかな腕を晒した。


‐‐‐



 脹相も初人殺し? やるーう
 愉快愉快と顔を歪めて、真人は笑った。手には大きな箱を抱えている。箱からはがらがらと何かが揺れる音がした。


「人生ゲーム。脹相もやる?」
「人生ゲーム」
「人間の疑似体験さ。面白いよ。馬鹿らしくて」


 無理やり席に座らされる。夏油はこれ、脹相これ、と真人は勝手気ままに駒を配る。


「弟が居なくて寂しいね」夏油が笑う。
「……」
「さ。誰から始める?」
「人を殺したんだって?」
「……俺の血を舐めまわす変な女だった」
「それ絶対変態じゃん。変態ってわかる? 説明いる? あは、変態晒して死んでくとかみじめすぎて笑える。早く始めようよ」
「血を舐めて。それから?」
「知らん。野垂れ死にしただろう」
「ふうん」
「ねえほら。はい株券」


 死んじゃったか、そりゃ、お気の毒だねえ。
 薄ら笑いを浮かべて、夏油は駒を手に取った。つられて、俺も駒を手にのせる。


「誰の人生、どこで終わるか知ったこっちゃないね」


 真人はそう言うと、ルーレットを大きく回し始めた。


title_舌(閉鎖)





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