やってしまった。頭を抱える。どうしてこうなった? 覚醒したのは深夜三時とかだった。少量で酔いすぎじゃないか、と頭をかくと、近くで誰かの呼吸を感じる。胸元がなんだか温くて重い。え、誰。誰……あれ、私、今日どうしてたんだっけ。煤の臭いで、はっとする。脹相だ!
「あれ!?」 「ぐっ」
慌てて身を起こすと、胸元近くにあったのは脹相の頭らしい、突然動かれたもんだからお兄さんは呻いた。一応、身を確認する。下着はつけている。衣服もそのまま。変わった様子はない、そりゃそうだ、お兄さんが私に無体など働く道理がない。
「起きたのか……」 「……おはよございます」 「もう少し寝かせてくれ」 「しょうち、しました。……あ、お兄さん、体痛いよ」
構わん、と唸るのをぐいぐいと押して、無理やり起こす。部屋は暗いが不機嫌な顔をしているのは間違いない。ライトに手を伸ばして、薄明りをつけると、想像以上に不機嫌そうな顔がぬっと現れる。
「眠い……」 「待って。この椅子、ベッドになるの」 「どうでもいい」 「体痛いよそのままじゃ。ほら」
ソファを持ち上げて、引き伸ばす。ベッドというにはあまりにもお粗末だが、仕事でくたびれた日とか、重宝しているのだ。はい、と、クローゼットの下からブランケットを取り出して、脹相にかけた。彼はそれを受け取ると、そのまま、もそもそ横になる。
「……」 「私、えっと、シャワー浴びてくる」 「……」 「……ごゆるりと〜」
別に何をしたわけでもないけど、教え子のお兄さんと、一夜を明かしそうなこと、これは揺るぎのない事実である。 シャワーを浴びてからドライヤーをする。洗面所を出ると、脹相はぐっすり眠りこんでいた。眠っていると案外若く見える。幼さを感じるというか……。彼は実質生まれたばかりの赤ちゃんみたいなもんだと、五条先生が言っていたっけ。 再度襲ってくる眠気に、今日は普通に仕事だしなあと、スマートフォンのアラームを六時に設定した。仮眠にとソファを見やって、流石に駄目だよね、とため息をつく。大人しく自分のベッドに向かい、寝過ごしませんように、と毛布をかけた。
朝、私を起こしたのはアラームではなく脹相だった。「湯を貸してくれ」と言われて、ああ、と寝ぼけまなこで浴室に向かう。お湯の調節が少し難しいから気を付けて、と、あれこれ説明してやる。分かった、と言って、すぐに服を脱ぎはじめようとする。急いで飛び出た。
「突然服脱がないでよ」 「男の裸なんてたいしたもんじゃないだろ。さては生娘か」 「へ、変態」 「へんたい?」
浴室からシャワーの音が聞こえ始めて、脱力した。もう一度洗面所に入り、タオルを準備してやる。鏡を見て、嫌だすっぴん晒してしまったと、げんなりした。今更なんてことないか、酔っぱらって間抜けな寝顔をさらしたところだし、と気を取り直していると、足元に脹相の服が脱ぎ捨てられている。全く、と手にかけて、一体どんな服の構造をしているのだろう、とまじまじ見る。袴なのかしら。上はこれ、どうなってるんだろう。お洗濯かけてもいいけど、生憎、うちには男物の服がない。
「おい」背後でシャワーの音が強くなった。ぎょっとして、振り向くことなく、はい、とか細い声で返す。脹相の服を手にして、顔を上げる。鏡に脹相の顔と上半身がうつっている。髪、下ろすとそんな感じなんだ。あと、良い体してますね。な、何見ちゃってるの自分! ばっ、と俯くと、「変態」と嘲る声と共に水音が止んだ。こんにゃろう!
「何してる」 「タ、タオル、拭くものを準備しにきてやったの。ていうか、カラスの行水? ちゃんとシャンプートリートメントして」 「洗剤は適当につかった」 「髪の毛ちゃんと洗って!」
人の気もしれず、そのまま出てこようとする。あと三回は髪洗って、とか乱暴なことを言って、目を瞑り洗面所から退散した。
‐‐‐
「やるねえ。特級呪物と朝帰り。ウケる」 「だから、たまたま、朝来るときに、出くわしただけなんです!!」
しくじった。にやにや笑いを目の前に、顔を青くするしかない。何故、よりによって、この人に見つかっちゃうんだ。吐き気もしてきた。
学生(と一部職員)は浮ついた話に目が無い。だろうから、一緒に高専にいったら何言われるかわかったもんじゃない。ので、脹相は先に行ってちょうだいと部屋を追い出そうとする。 脹相は「オマエの洗剤で三回洗ったら縛れなくなった」と、下ろしたままのキューティクルな髪を見せつけるのだった。いいから早く、と無理やり二つに結ってやる。いつもより髪がさらさらだからか、キュートな感じになってしまい、ちょっと面白い。 ほらでたでた、とおにぎりを持たせて部屋の外へ追い出す。少し時間差をつけてから部屋を出れば、両手で頬張りながら彼は部屋の外に立っていた。「帰り道がわからない」そりゃそうか。タクシーを呼ぼうか悩んで、仕方なく、二人して電車に揺られることにした。 最寄り駅についてから、ここから脹相はタクシーでいって、とお金を握らせようとしたときだった。おーい!! と、朝のグレーな色をした空気を劈く、黄色い叫びが聞こえた。大変なことだ。なりふり構わず脹相を置いて逃げ出そうとしたのだけれど、首根っこを掴まれて、「おっはよー沙都」揺らされた。ああもう最低、最悪! 最強に掴まれては、もう何もしようがない。本当に、もう、しくじった……。
「な、なんで五条先生がここに」 「出勤中さ。どうして二人がここに?」 「ああ、それは」「ぐ、ぐ、ぐうぜんです、なにもかも」 「偶然?」 「偶然、脹相に会って、やっほう〜なんていってたら、これまた五条先生偶然ですね!」 「あれ、今日いい匂いするね。シャンプー変えた? 髪もさらさらだあ」 「佐藤のを借りた」 「お兄さん!!!!」
そっかあ昨晩はお楽しみでしたかあ。けたけたけた。 なんでこの人こんなに意地悪なんだろう。涙目になりながら、もう消えてしまいたい! ともがくが、五条先生は放してくれない。そのまま猫を捕まえたみたいに、ずるずると引っ張られる。脹相を睨めば、くぁ、と大きな欠伸をしていた。朝日に照らされ天使の輪ができたツインテールが憎らしい。
「沙都も大人になったねえ」 「やめてくださいもうセクハラで訴えますよ」 「それは困る。……首元それ、意外と激しいんだね」 「はっ? えっ? ……お兄さん?」 「首がなんだ」 「冗談ジョーダン」 「うっわきっつきっしょ」
ポケットからいつものハンカチを取り出して、ぶんぶん振りまくる。僕最強なんだよねえ、とせせら笑うので。もう何を言っても無駄だと、四肢を投げ出した。
そんなこんなで高専についた。ついてすぐ、虎杖くんがおーいと窓から手を振ってくれる。私が五条先生に変なこと言うな! と凄んでいると、脹相は悠仁、とふらふら歩いて先に行ってしまった。「世話になった」と余計な一言を残されて、満面の笑みの五条先生とへの字口の私が残されたのだった。そのまま引き摺られ、引き続き職員室で、五条先生から取り調べを受けている。バレバレの嘘つくんじゃないよ沙都、とでこぴんされた。悔しい!
「朝帰り、っていうけど、もう、ほんとうに、やましいことは何もしてないです」 「やましいこと無いの? マジで?」 「あるわけないでしょ。虎杖くんのお兄さんですよ」 「あっても別にいいと思うけど」 「お、お兄さんに失礼です」 「やつも満更でもないって顔してたけどなあ」 「……揶揄うのやめてください!」
もう朝の会始まるから、と、席を立った瞬間、「右手」と五条先生が呟いた。身を固めてから、しまった、と目を向ける。隠しているけれど、確実に目が合っている。
「やましいこと、あるだろ」 「……ないです?」 「資料室の利用届。沙都、珍しいことするなあと思ってさ。何調べようとした?」 「……」 「ああ、その火傷は硝子に診てもらった方がいい。痕になるかもしれないし」 「……ごめんなさい、ええと、一冊。資料をだめにしてしまいました」 「あっそう」
まあ、気になる異性についてもっと知りたい! ってなるのはわかるけどさ。 五条先生は足を組んで、低い机にとん、と乗せた。柄、悪いなあ。怒ってるわけではなさそうで、胸を撫で下ろす。
「沙都」 「はい」 「前に言ってたよな、『呪いみたいなもんですよね』? そうだよ、呪いは呪いだ。痛い目みないように気をつけなよ」 「……はい」
ま、悠仁のこともあるし、強く言えないんだけどさあ。あ、そうそうどこまでいった? B? まさかC? これ完全にセクハラですよね? と、向こうのデスクで飴を舐めている日下部先生に問いかける。話を振られると思わなかったのだろう、はあ、とため息をついてから、もうそこら辺にしておけ、と軽くいなしてくれた。硝子さんと歌姫先生に愚痴っちゃお、と零すと、どうぞお好きに、など手をひらひらされる。
「ほら、早めに診てもらえ」日下部先生もそういって、出席簿で私の頭をはたいた。無断で持ち出したのはやっぱりまずかったようだ。すみません、と反省して、教室へ行く前に硝子さんのところへ行くことにした。 back |
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