資料室は昼間だというのに薄暗く、湿っている。かちかち、とスイッチを鳴らしてみたものの、灯りはとっくにこと切れていた。
 扉は開け放したままにして、外の光を少しでも取り入れておくことにする。懐中電灯を持ってきたのは正解だった。少し奥に行ってから、橙色で足もとを照らしはじめる。
 古臭い書物がぎっしり詰まった埃だらけの一室。背の高い書架には隙間が一切なくて、威圧感がある。普段読まれることは滅多にないけど、この界隈では歴史的価値の高い書物ばかりだという。
 にしても、量が多すぎる。術師たちが出張に行って見つけるごとに、とりあえずとぎゅうぎゅうに押し込んでいく。増えるばかりで減ることがないのだ。呪術関係の司書さんとか、雇うべきじゃないかな。それが無理なら、全部pdfでまとめてしまったらどうだろう。そうすれば整理ができて、……口に出したら最後、私にも余計な仕事が回ってきそう。そもそも、伊地知さんなら既に手をつけているだろうし。こういうのは得意な人にお任せするのが吉だ。

 今日用事があるのは、呪物についての資料だ。特級呪物・呪胎九相図について。学生の頃に座学で話に聞き、書物で調べてノートにまとめた覚えがある。
 お兄さんと出会って、まだまだ気になることが多い。そもそもどんな生い立ちなんだっけ、どうして虎杖くんのお兄ちゃんに……? 彼もかなり不遇な呪いだったことは知っているけど、詳細について自信がない。学生の保護者のことはよく知っておかないと。というのは建前で、単純に知らないことは知りたい性質だった。
 久しぶりに訪れたこの部屋で、彼らについてまとめられた資料を探す。持ち帰って部屋でゆっくり読んで、何か勉強になることがあったら、虎杖くんたちに噛みくだいて説明しよう。やる気に満ち溢れている。
「ここら辺かな?」足を止める。宿儺の指関連の資料を見つけた。辺りを照らすと、その棚は呪物に関する書物で埋まっている。ビンゴだ。


「どれだろう。どの本……あれとか」


 見上げると、上から二番目の棚に特級呪物に関する題名を見つけた。背表紙には赤の札が巻かれている。禁書と似たような扱いだ。よくない表現や記述があるのだろう。呪いか人間、”どちらにとって”よくない表現なのか。読んでみないことにはわからない。
 懐中電灯を足もとに置き、書架の裏に回る。先ほど見つけた脚立を手にとる。古くて重くて、何故か少しべたついている。手袋を持ってくるんだった。嫌な顔をしながら、ずりずりと引き摺る。
 脚立を上って、めあての本に手をかけた。無理やりに詰められていて、なかなか出てこない。足を大きく開いて踏ん張り、思い切り引っ張る。ぽんっ、と、弾けるように抜けた。途端に隣の書物らがばたた、と膨らむようにその隙間を埋める。一冊、押されるように飛び出てくる。戻そうとするが、手にした本が邪魔だ。一先ず下りないと。
 そもそも、禁書扱いの書物は、学生が手にとってはいけないことになっている。私は、良いのかな。もう卒業して二年は経っているけど。部屋に持ち帰るのは、流石にまずいか。日下部先生とかに一言かければよかったかしら。五条先生はちょっと面倒なことになりそうだし……。
 うんうん考えながら、書物を片手にゆっくり下りる。棚にはまだ幾つか、特級呪物に関しての本がありそうだ。欲張って一気にだすと、持つのに苦労しそうだから、とりあえず本を床に置くことにする。
 こつ、と入口の方から足音がした。


「? 誰かきたの?」


 返事がない。ぎい、と音がして扉が閉まった。
 まっ暗闇に、ええ、と声を漏らす。困ったな。光を断つなんて、妙だ。
 学生だろうか。学生なら、担任の許可をとって入ってくるはずだ。資料室利用の記録も、今日は私の名前だけだった。他の先生か、関係者か。そもそも今は授業中のはず。空き時間は、私だけだ。
 こつこつ、と、こちらに近寄ってくる。最近は高専も物騒だし、変な輩だったらと思うと、ぞっとする。床に足をついて、懐中電灯と本を取り換える。


「あのう。どなたですか……」


 灯りで足音のする方を照らすと、足音とは別に妙な音が頭上からした。頭にはてなを浮かべて、光を上に向ける。
「あ、」先ほど飛び出た本が、ぐらり、と揺れた。そのまま、落ちてくる。周囲の本も、雪崩れはじめる。ゆっくりと。タキサイキア、とかいっただろうか。危険が降ってくる。ズボンのポケットに手を伸ばした。ハンカチをとればいいだけだ。一応、頭を守るように電灯を振り被る。同時にハンカチを思い切り振ろうとして、
「うわ!?」
 身体がふわ、と飛んだ。と思ったのは一瞬で、そのまま派手な音と一緒に横に倒れる。ばたばた、と大仰な音が床を鳴らした。考えていたような痛みは来ない。はて、と思って、いつの間にか閉じていた目を開けた。暗い、が、何かが私に覆いかぶさっているのはわかる。男だ。
「ええと」懐中電灯を、こわごわと、向けてみる。
「……」
「お兄さん……」
 下から光に照らされ、ぬっと現れたのは、陰影くっきり際立っていつもより少し不気味な顔。脹相だった。


「い゛、」
 ごん、と、追い打ちのように、もう一冊書物が落ちてお兄さんの背中に当たった。慌てて起き上がろうとすると、お兄さんの手が私の額をおさえた。されるがまま、もう一度横たわる。


「沙都、……先生。怪我は。どこか打っていないか」
「……ないです。や、ちがう。私じゃない。お兄さん大丈夫ですか」
「平気だ。頭をうった」
「それ平気じゃないよ」


 たんこぶになってるんじゃないの。灯りを放して、手を上に伸ばしお兄さんの頭をまさぐった。やめろ、と声をかけられるが無視して触る。ここ? ここかな? と声をかけながら位置を変えると、息を詰める部分があった。ここか。でもこぶにはなってなさそう。
「髪が崩れる」と、もう一度制止の声をかけて、私の手を払い、お兄さんは身を起こした。割と近い位置で喋っていたらしい、息がかからなくなる。ちょっと恥ずかしくなって、
「もともとぼさぼさしてるじゃないですか」と悪態をつく。


「元気そうだな」
「おかげさまで。その。ぴんぴんしてます」


 上体を起こす。今度は何もされなかった。光が照らす先には、私が手に取ったものと、落ちてきただろう数冊の書物。あの高いところから落ちてきたのだ。頑丈だろうけど、打ちどころが悪ければかなり痛むはずだ。申し訳ないのと一緒に、どうしてここにお兄さんが、と疑問がわく。


「あの。なんでここに来たの」
「廊下で、オマエが入っていくのをみかけた」
「はあ。それで?」
「少し驚かしてみようかと」


 本当に、そんなおちゃめな理由で?
 暗闇でも目が利くのだろうか、訝しげな私の視線に気づいたらしい。
「間抜けな声が聞けるかと思った。実際聞こえたのは怯えた声だし、来てみれば罠にかかるし、散々だ」そういって自嘲する。
「だいたい、こんなの私ならかわせるってわかってたでしょ」一番気になるところを訊けば、ああ、とか言って、
「体が動いた」と、さらり、言ってのける。顔に熱が集まっていく。……不覚にも。


「……ありがと」
「たまたまだ」


 それより。と、光の先で、お兄さんが手にしたのは、赤い札のついた本だ。


「何を調べる気だ?」
「え」
「一人でこそこそと。何が書いてある、こんな黴臭い本に」
「……たぶん、お兄さんたちのことかな」
「は」
「お兄さんのこと、気になったから。調べようと思って」


 不快に思われるだろうな。そう思いながら、素直に白状する。誤魔化したところですぐバレることだ。光が動いた。お兄さんが懐中電灯を持ち上げている。本を開いて捲る音が聞こえてきて、暫くしてから、ふん、と鼻で笑う声が聞こえた。


「そんなの」
「……?」
「俺に聞けばいいだろう」
「まあ、そうなんだけど」


 これは二人で読もう、と、お兄さんは本を照らして、ゆらゆらと揺らす。


「ええ? ……いいけど。うーん、じゃあ、お兄さんから先に読んでいいよ。あ、でも赤札ついてるから、持ち出し本当はよくないんだ。内緒にしてもらわないと」
「オマエが持って帰ればいい」
「私ならまあいいかな。でもそしたらお兄さん読めないでしょう」
「オマエは先生だろう」
「?」
「俺一人で読んでもどうせ途中で枕にするだけだ。オマエは解説役、俺はその本の中身が本当か嘘か見極めてやる。だから、二人で読めばいい」


 ああいうの嫌いじゃなさそう。勉強熱心なやつ。
 五条先生の言葉を唐突に思い出した。不服に思うが、的を得ていたというべきか。

 お兄さんからの勉強会のお誘いに、首を縦に振る。
「決まりだな」といって、お兄さんは懐中電灯を私の顔に向ける。
「やめてよ、眩しいって」尖った声を出してから、真っ暗なのに頷いたのがわかったのか、と気づいて感心した。同時に、顔を赤くしていたのもバレていたら嫌だな、なんて思って。灯りから逃げるように俯いた。




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