一万と千。
 昼の教室だ。学生達との鍛錬に付き合えと、五条悟に呼び出されたのだ。ふと気になった数字を読み上げれば、佐藤はきょとん、とした顔で振り返り、首を傾げながら俺を見上げる。その向こうで釘崎野薔薇がだははは、と豪快な笑いをあげる。悠仁も「俺今の今まで気づかなかった」けらけらと笑っていた。


「なんですか」
「オマエは一万千円で買えるのか」
「……は? ……いやいや、もっと高いです! て、いうか、学生の前で何話してるの突然!」


 佐藤は顔を赤くして胸の前で腕を交差させる。自らの体を抱くような仕草だ。何をしているんだこの女は。釘崎がにやにやしながら「五条は二十万したわよ」と声をかけると、佐藤は慌てて、
「野薔薇ちゃん! 発言が不適切! お兄さんなんてこと教えるの! 別室で指導!」
と俺の首周りをぐわしと掴んで引っ張るのだった。大人しく後ろ向きに足を進める。教室を出ていくときに悠仁がひらひらと手を振ってくれた。可愛い弟だ。


「で。なんのつもりですか」
「お前こそなんのつもりだ」



 空き教室で、扉を閉めるや否や佐藤は俺に詰め寄る。顔をぽっぽと赤くしたままだ。何だやるのかと強く睨めば、怖気づいたように目をそらし、もじもじする。手洗いにでもいきたいのだろうか。


「わ。私を買うだとか。子どもの前ではしたないです」
「買うとは言ってない。買えるのかと聞いている」


 はしたないとはなんだ。発言が下品だったのだろうか。買って、何をするでもないだろう。と、ここまで考えて、ああ、と思い当たる。男と女の話をしているのだろうか。初対面からほんの数日のくせに。はしたないのはオマエだろう、と、詰るのは心の中だけに留めておく。
「か、買うとか、買わないとか。だいたい会ってまだ三回目とかだし」同じことを考えていたようだ。自意識過剰め。


「昨日叩いたのまだ怒ってるわけ?」
「ああ、よく寝れたか。隈が無いな」
「顔近い!」


 ぴゃっと遠のかれて、今度はむすっとした顔で腕を組んだ。成程、よくよく見ると、昨日よりも元気そうだ。
 昨晩の彼女は、初めて会ったときの活きの良さがまるで無かった。くたびれた顔で、薄暗い空間に腰をかけていた。疲労の滲む表情とよれた髪の毛には、僅かに色気があった。
 しかし彼女は、俺を見た途端に吃驚してから、快活に振る舞い話をし始めた。よく分からん食べ物をわけ、突然怒り、術式を開示して、おやすみい、と俺を見送ったのだった。悠仁と同じ、根明なんだと思う。
 そうだ、術式。
 彼女の持つ術式についていろいろと思い出す。かわす特化の術式。布切れを振るだけで、相手の攻撃をかわせるとかどうとか。攻撃にもある程度使えそうな術式と、それに合った呪力量。学生に呪術の何たるかを教えるだけのことはある。
 さて、自分の身を自分で守る術を身に着けた女だ。その女が、どこか焦っているような、怯えているような顔でわたわたと体を揺らしている。揶揄うにはちょうどいい。


「お兄さん。困ります」何が困るものか。オマエ、なんか変な勘違いしてないか? そう問いかけて、首元に手を伸ばす。佐藤は、わぁ、と間抜けな声を出して懐から布を取り出そうとし、ぴたりと止まる。


「ここ、高専です」
「ああ」
「隣に虎杖くんたちいます」
「はあ」
「かっ……買うにしても、この場はないでしょ?」
「だから。佐藤先生は売り物なのか?」


 そのまま、めあてのものに触れた。そのままぐ、と引っ張って彼女に見せつける。布は出さなかった。かわす気はないらしい。大人しく従って、視線の先に声を上げた。


「え」
「この札にあるだろう。オマエは一万と千円で買えるのか」
「あ。……あっ。外し忘れてた?」


 佐藤は。顔の色をすっかり元に戻して、俺の持つ札に目を向けている。暫く固まり、再び顔をかっと赤くして、「野薔薇ちゃん! 虎杖くん!」と空き教室を飛び出ていくのだった。


‐‐‐


「疲れてて、でも気分はあげようとおもって、新しい服を着たんだけど。値札を外し忘れるほど疲れてるとは」


 運動場だ。学生たちはやんややんやと声を上げながらとっかえひっかえに体術を学んでいる。飛ばし飛ばされを繰り返す彼らを階段の上からぼんやり見ていると、佐藤がやってきた。そのまま、俺の隣に腰掛ける。


「うっかりでした」
「オマエの値段じゃないのか」
「服の値段だよ世間知らずめ」


 生意気を言うので痛い目を見せようかと目をやれば、今度はきちんとやり返すつもりらしい。べろをべえっと、ハンカチをひらひらと、出して見せた。力には抵抗する自信があるのだろう。仕方ない。そのまま黙っているのも癪なので、言い負かしてやることにする。


「先生は買えないのか」
「買う、買える、ってあのねえ。どう意味で使うかわかってる?」
「オマエはどういう意味で使ってるんだ?」
「え、」
「教えてくれ。センセイ」
「ぐ……」


 それは、人、それぞれと言いますか、人を、女を買うっていうのはですね。困ったように、布切れをぐしゃぐしゃに畳みだす。


「世間知らずだから。知らないんだ。百五十年、瓶の中からは見てきたつもりなんだがな。さあ教えてくれ先生。女を買うっていうのはどういう意味だ?」
「女を買うっていうのは。……あんまりよくないことです」
「よくないこと」
「……」
「買ったらどんなよくないことがあるのか、気になるな。佐藤先生」
「……あのさあ」
「沙都。教えてくれ」
「い、いじめ反対!」


 よくこの女の名前を憶えていたな、と、自分の記憶力の良さに驚いた。名前を呼んだ途端、顔を真っ赤にするもんだから面白い。赤面する癖があるのだろうか。反応に飽きない女だ。



「冗談だ。だいたいどうしてオマエを買うんだ俺が」
「し、知ってて訊くなんて、悪趣味!」
「幾らだ」
「えっ」
「買うとしたら」
「お兄さんは保護者さんでしょう。ダメです! ……幾らなら買う気ですか?」
「俺は一文無しだ」
「買う気ないじゃない」


 金が貯まったら考えよう、と鼻で笑う。佐藤は溜息をついてから、「すぐ売れちゃいますから」と吐き捨てる。
「売れる時まで値札つけっぱなしで笑ってればいい」迂闊な点を指摘すると、ごもっともですと小さくなるのだった。




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