五条悟は悠仁の先生をしているらしい。弟は、最強の術師の教え子だという。 ここ最近は、適当にそこらの空いた部屋で過ごして、呼び出されたら悠仁と任務に向かう。呪霊を祓うのだ。味方するは勿論、繋がりのある家族に決まっている。
その日は朝から悠仁の元へ行くように五条悟から言われた。指図されるのは気に食わないが、悠仁に関することなので何も文句はない。 教室、と呼ばれる部屋に向かうといいらしい。高専に出入りするようになったものの、空き部屋で暇を潰すくらいしかしていない。無駄に広い敷地で迷いつつ、悠仁の気配を頼りになんとか部屋にたどりつく。 扉を開けた途端に、衝撃を受けたので、なんとか流した。 釘崎野薔薇か? と睨みをきかせれば、知らない女が強気な顔をして立っている。部屋を間違えたかと室内を見渡すと、悠仁がきちんと席についている。ここが教室だ。
悠仁から女の説明を受けて、そのまま部屋を出る。女も俺たちについてくるという。好きにすればいい、と、知らん顔をした。 女も、これまた、先生だという。ふくたんにん、と悠仁は言った。 たんにん、が五条悟。たしか佐藤とか言う名前だった。五条悟は先生という感じでもないが、堂々と学生の前に立っている。佐藤は恐らく違う、新米だろう。俺の元の体と、年齢も肉体的にそう変わりない。
少し振り向けば、佐藤は相変わらず強気な顔をして俺たちの後を歩く。 女にしては一歩が大きい。歩く速さを落とすつもりもなくそのまま歩く。 悠仁は何も気にしていないらしく、そのまま駐車場で車に乗りこんだ。 運転手(補助監督とかいう名前だった)の助手席に佐藤が、後部座席に俺と悠仁が乗る。 タブレットとか呼ばれる薄い板が、運転手から悠仁の手に渡る。これから向かう現場についての話だった。二級呪霊、大したことはなさそうだ。他の学生でもなんとかなりそうな任務だが、手堅い弟を信頼して託されたものだろう。流石だ。俺は必要ないんじゃないか、とは言わない。弟と一緒に行動するのは楽しい。 任務先は少し遠いらしい。悠仁が眠くなってきた、と言って、目を瞑る。着いたら起こしてやると言おうとすると、 「着いたら起こすよ」と、佐藤が言った。うん、とかなんとかふわふわ言って、悠仁はそれから無言になった。
「……虎杖くんのお兄さん」 「なんだ」 「佐藤沙都です。高専で、虎杖くんの先生をしてます。」 「さっき悠仁からきいた」 「……私は反対だったんです。特級呪物の受肉体が高専に出入りするなんて」 「ちょっと佐藤さん」
ミラーにうつる運転手は、はらはらした顔で佐藤を見た。運転に集中していてください大丈夫ですから、と佐藤は一息で言った。
「学生に何か危険を及ぼしたらどうするのって。反対でした」 「そうか。くだらん」 「そして今でもそう思ってます。今日行く先で、どういう風に振る舞うかって、監視してますから。虎杖くんに何かあったら許しませんよ」 「何かないように教え導くのが先生だろう」 「……」 「まあ安心していい。俺は悠仁の兄だからな」
悠仁は恐らく、寝たふりをしている。弟のつくりものの寝顔を見ていたら、眠気が襲ってきた。返事をするのに飽きて目を閉じると、佐藤さんってば……と運転手のおどおどした声が聞こえてくる。佐藤も、それ以上何も言わなかった。
‐‐‐
郊外の小さな銭湯、そこに棲みつく呪霊を祓う、それだけの任務だった。封鎖された施設に正面から入り込む。残穢がぼんやりと床を汚している。奥へと足を踏み入れれば、大浴場から呪力がじわじわと漏れ出ていた。 がらり、と扉を大きく開けて、手筈どおりに狩り始める。悠仁が正面きって戦い、俺は取り逃した呪霊を潰すだけだ。
「汚れを落とすところなのに、塵がつもっちゃったのかなあ。水が良くないものを呼び寄せちゃったのか」などと、佐藤は脱衣所の丸椅子に座ってぶつぶつ言っていた。そうかもねえ、と悠仁が風呂桶で呪霊の頭を叩きながら答える。呪霊の元を探るような素振りをしているが、本当はそんなこと気にしちゃいないだろう。 最初から佐藤の視線の先には、俺しかいなかった。椅子にゆったり腰掛けながら、俺のことをずうっと見ている。文字通り、監視だ。 俺が呪霊を一匹いっぴき仕留めるたびに、目を丸くしている。技を繰り出すと、ふんふんと頷く。悠仁の支援をすれば、わあ、と声を出す。 こちらにきて手伝えばいいのに、もっと手の内を見せろとばかりの眼差しが煩わしい。 少し気に食わないのと、佐藤自身の力に興味がわいて、呪霊を取り逃してみる。 大浴場からふらふらと飛び出た呪霊に対して、佐藤は無言で懐から布を出し、ぱっと翻す。そうすると、呪霊がこちらにひらりと返ってくるのだった。
「そーいうこと、わざとするの、やっぱり呪霊と変わらないってこと?」 佐藤がむっとした顔で言う。
「試しただけだ」 「本気だして取り組みなさい」 「二人とも喧嘩すんなって」
悠仁がのびのび動いてるうちに、すっかり呪霊の気配はなくなった。空っぽの浴槽が寒々しい。 戦闘から外に出ると、帳が上がった。さて、と、三人して顔を見合わせる。切り出したのは、悠仁だった。
「なんか。思ったより、低級だったっつーか」 「悠仁が強いんだ」 「いや。よくて二級ね。ほとんどが三級に満たない呪霊ばかりだった。……五条先生の考えることだわ」
佐藤はあーあ、と頭をかく。
「伊地知さん。知ってたでしょ」 「知りませんでした! 本当です。ただ……」 「ただ、なんですか」 「五条さんに『沙都がついてくるだろうから、その時は連れてってやってー』とは言われていたので……」
やっぱそうだ、と佐藤は文句を垂れた。俺と悠仁がなんのことかわからず肩をすくめていると、佐藤は、「ごめん」と謝った。
「多分。お兄さんのこと、高専に出入りするなんてッて、私が反対してたから。お兄さんが……脹相がこっち側だって、協力的ではある、ってことを知らせるために、この任務をあてがったんだと思う。 等級はなんでもよかったのね。一級とか言ってたのは、二人をよこすための言い分で。きっと私なら二人について見に来るだろうって、そういう魂胆でしょう。時間割かせちゃって、申し訳ないことした」 「あ、そういうね。いいって、佐藤先生にも、脹相のこと見てもらいたかったし」 「はなから言ってるだろう。俺は悠仁のお兄ちゃんだ」
悠仁はうーん、と腕を組んで唸った。照れているのかもしれない。
「……虎杖くん、の、味方なわけですね」
佐藤は案外鋭かった。今は、こちら側だということを悟ったのだろう。俺は悠仁の隣に立つだけだ。何度も言わせるな、と溜息をついた。
「最初からそう言ってる」 「でも……あ、そういえば! 私に呪霊一匹とばしてきたし! 小癪なことして」 「見ているだけじゃつまらないかと気を利かせたんだ。先生なら教え子の前に立てばいい」 「いや。そりゃ、そうだけど。でも今日のは虎杖くんの活躍で十分でしょう」
虎杖くんのこと、信じてるんで。佐藤はそう言って、悠仁に親指をたてた。悠仁は鼻をかいて、うす、と小さく言った。
「まあまあ。ひとまず早く終わってよかったよ。午後は二年と合同だって言ってたじゃん、俺そっち出たい。伊地知さん、今から飛ばして高専戻ろ」 「はあ。間に合うかどうか……」 「伏黒くんと野薔薇ちゃん、ちゃんと自習してるかな。はやく戻ろ戻ろ」 「佐藤さんまで」
運転手はくたびれた顔をしている。悠仁はとっつきやすい笑顔で、伊地知さん伊地知さん、と横を回るのだった。俺の弟は誰とでも親しく振る舞うことができて立派だな、と感心していると。
「反対だったんですけど。お兄さんのことも、信じなきゃだな」 佐藤が、ぽつり、そう言った。
「別に信じなくても構わない」 「今後、顔を合わせることもありそうだし。今朝は失礼しました、お兄さん」 「オマエの兄のつもりはない」 「そっかあ、一応、虎杖くんの保護者みたいなもんですよね。家族なんだから」 「保護者」 「改めて。虎杖くんの先生してます、佐藤沙都です。よろしくお願いします」
礼儀正しく、頭を下げられる。そしてから目を合わせて、にこりと微笑んだ。屈託のない笑顔だ。同時に、隙のなさも感じる。術師としては、それなりに力があるのだろう。 しかし。先生というのは先に生きると書くはずだ。悠仁の先をたった数歩生きるだけで、先生。まだ呼ばれ慣れてもいないだろう。つい最近受肉したばかりの自分が言うのもなんだが、まだまだ年端もいかぬ女だ。
「ああ、覚えておこう。先生」 「……貴方の先生のつもりは、ないです」
役職は呼べば呼ぶほど意識づいて、己に定着する。弟たちに兄と呼び親しまれるのと同じである。無関係の高専の職員ならまだしも、悠仁の先生というからには頑張ってもらわなければならない。少しの皮肉と自覚を促すつもりで、佐藤のことを先生と呼ぶことにした。 back |
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