血が繋がっているかいないか。
 関係性などそれだけだった。同じ血をわけた弟のためにここに居る。いつの日か自分達を弄んだ憎きあの男をこの手で葬るため。
 亡くなった弟達のこと、そして今居る弟ーー悠仁を思って行動するのみ。悠仁の友達やら恩師やら先輩など。弟が大切にしている存在なら、兄として加勢する、それだけである。
 沙都は弟の先生だ。女の。血の繋がりも何もないただの女。
 たまたま悠仁のいる教室で教鞭を振るっているに過ぎない、ただの術師だったのに。
 弟達に向ける思いとはまた違う感情を彼女に抱いていると自覚したのは、つい最近のことだ。
 一見負けん気が強く無鉄砲だが、躱すことしか秀でた才能がない。気持ちに任せて行動しがちで、すぐ顔に出る。人をよく見て、自分で答えを出すことのできる女。
 欲求だけで言うならば庇護欲に近いと思う。弟に似て世話が焼けるから。あと、気が良い。話していて心地は悪くない。恐らく、自分に妹が居たならば、こんな感じじゃないのかと一つの答えを出したつもりだったのだが。


「馬鹿か」

 
 遠ざかる背中を見送ってから独り言つ。声に出してから、彼女か自分かどちらに向けた言葉だろうか、わからなくなった。
 恋煩い。
 まさか。自分に限って、しかもあの女にそんな浮ついた情を抱くことがあるだろうか。
 悠仁の先生のことが。沙都のことが気がかりなのは間違いない。いやしかし。
 悠仁に聞きたい、人間の弟なら知っているだろうか。頭は回る方だと思っていたが、自分自身のこととなるとなかなか難しい。この体に受肉してからまだ日は浅い。人心は複雑だと苦々しく思う。

 灯りを持ち去っていったので、暗闇に塗りつぶされる。
 暫く黙って椅子に腰を掛けていたが、はて、これは奇妙だぞと立ち上がる。

 虫の声がない。日が出ている頃にした木々の擦れる音も、しない。風は落ち着いたものの、何も音がないというのは気持ちが悪い。
 沙都に対しての気がかりは一先ず置いて、さっさと呪霊を祓ってしまった方がいい。何か他に気になることはないか、と暗がりの中きょろきょろする。
 夜目がきくので、何かしら見つけられるだろうと高を括っていたのだが、何も変わった様子はない。
 目立つのは、区分けするのに地面に這わせた縄だけだ。
 そういえば。ここに着いてから他の区画も見てきたが。一番奥のこの地は、他よりもやけにだだっ広かった。ここまでは使っていいですよってことね、と、沙都が縄を足先でつんつんしていたのを思い出す。遠くからでも目立つようにするためか、縄が赤く塗られていたのを思い出した。…


「お兄さーーん」
「ん?」


 物思いに耽っていると、無音にひびが入るように、沙都の大きな声が響いた。はあはあと息せき切って、小さな灯りがぐらんぐらんと揺れながら近寄ってくる。どうした、と声を出そうとして、はっと気づく。


「やっつけて! これ! やっつけてー!」
「……全く」


 沙都が帰ってきた。後ろにびっしりと触手のようなものを生やした、毛糸玉のような呪霊を引き連れて。




‐‐‐


「助かった。あは、なんとか避けながら連れてきたかいがありました」
「こいつが」
「多分。二級相当って言ってたし。これでしょう」


 やっぱりお兄さん機転がききますね。沙都は汗を拭いながらにっこり微笑んだ。
 りぃりぃと虫の音が聞こえてくる。

 
 
 あの後。沙都は一度振り向いて、いつもの布切れをかざして。呪霊から身を躱した。
 しかし、呪霊を跳ね飛ばすまではいかず、足止めにしかなっていないのを見て。咄嗟に掴んだのは畳んであったブルーシートだった。


「沙都!」
「! はい」


 血を操り、破れないほどの強さでシートに打ち付ける。ごう、と沙都に向かって青が飛んでいく。
 沙都は器用にそれを受け取り、ばっと大きく開いた。多量の呪力を込めて触手を伸ばす呪霊に対して思い切り振りかざした。
 すると、予想通り、呪霊の体がぐるんとひっくり返り。
 その隙に、区分けに使われた縄を踏み越えて、穿血を呪霊にぶつけると。苦しそうな声と一緒にその身が弾けるのだった。


「ナイスコンビネーションでした」
「俺が合わせただけだ」
「はいはい」


 ありがとうございました、と沙都に頭を下げられる。怪我はないか、と問えば、ぴんぴんしてますよ、とのんびり答える。


「本当か?」
「え。……わ、だ、大丈夫だよ。ほんとに」


 顔を覗きこむと、途端に目をきょときょとさせる。怪しい。


「怪しい」気づくと声に出していた。


「ほんとーに何もないです。トイレから出て帰ろう〜って、そしたら、横からぬうっと、出てきたの。あとは走って、脹相のとこに来て。大丈夫だから」
「なら何でそんなに焦ることがあるんだ」
「……お兄さんってすっとぼけるの、得意なの?」


 沙都は、少し不機嫌そうな顔をしてから。戻りましょう、と大きな声を出した。


「いろいろ片付いたし、早いけど私もう寝ますね。脹相も寝よう……あ」
「同じテントじゃ狭いだろう」


 テントに戻ってすぐ、沙都は固まった。まさかお泊まりまで考えてなかったから、と、困った様子である。


「えっと。テント、意外と広いし、隣に寝るのでも気にならなければ、」
「どうせオマエが気にするだろう。安心しろ、何の気も起こさない」
「何の気もって何よ」
「冗談だ。硬い地面に寝転ぶなら、このまま夜明けになってから車で休む」
「……人の体で贅沢を知っちゃったのね」


 非難がましい顔をしてから、一転して、いいの? と申し訳なさそうに問いかけられる。俺は椅子で構わない、オマエも一緒に椅子に座るというなら夜咄に付き合ってやらんでもない、と投げやりに答える。沙都はお言葉に甘えて、と、テントに入っていく。


「静かでよく眠れそう」
「……虫の音がついさっきまでしていた」
「うん? ああ。この辺り居ないのかな。草っぱらでもないし、地面だし」


 おやすみ、と声を掛けられる。それから響くのは、ごそごそと沙都が寝転ぶ音と、しいん、と返ってうるさいくらいの静寂だった。


「……やっぱりだめだ」
「えっ?」


 テントのジッパーを思い切り下げて、開く。沙都は、入り口に対して背中を向けて、腹にブランケットを掛けていた。靴も脱がずに無理やり入り込めば、沙都は身を起こしてちょっと待ってと慌てだす。


「椅子で寝るって言ったじゃん!」
「気が変わった」
「ええ。じゃあ私出るよ。やっぱり二人は狭いし!」
「違う。先生」
「へ?」


 咎めるように声を出す。ようやく意図があってのものだと気づいたらしい、沙都はぴたりと止まった。そのまま、口元に指を一本やって、黙れと仕草で伝えて見せる。彼女は怪訝な顔をして、口を押さえた。


「……何?」小声で問いかける。
「オマエ、何のためにこのテントを張った」問い返す。
「? 遭遇時と同じ状況にするため。……あ」気づく。
「そうだ。おかしいと思わないか。呪霊はテントの外を這いずって、その後に侵入してくると言ってたのはオマエだろう」木々が唸る。
「……そうでした」外で何か、這いずる音がする。


 先ほどの呪霊は、別モノだ。大きな呪力に惹かれて出てきたのだろう。となると、聞いていた話の呪霊は、まだ、祓われていない。
 恐らく、今外にいるのが。
「いっせーので出ましょう」沙都が耳元で囁く。このまま中にいたら噛まれたり、叩かれたり、嫌ですよ怪我するの。顔を顰めている。


「出たとこ勝負か」
「お兄さんそういうの好きでしょ」
「ふっ。悪くない」
「でしょ。じゃあ。いっせーの、」


 テントを突き破る。
 外にいたのは。……あったのは、地面から生えているような、大木を模した呪いだった。

 すぐに術式で攻撃を仕掛ける。効いているようだが、ただ枝がぽきぽきと折れていくだけだ。
 枝の先は凶器のように鋭い歯がびっしり生えている。噛まれるというのはあれにだろうか。相当痛いだろう。食いちぎられてもおかしくないんじゃないか? 考えながら振り払っていると、
「これ、相当怒ってますよ」沙都は鞭のようにしなる枝葉の攻撃を躱しながら、唸った。


「何に怒ってる?」
「……なんとなくですけど、この木があるってことは、入っちゃいけない場所だったんですよ、ここ」
「音がしない理由はそれか?」
「多分。帳、に似た感じのがあるはずです。進入禁止ってサインが」
「あれか」
「あれです」


 それから、二人で踵を返し、走りだす。伸びてくる枝を沙都の術式で躱しながら、そのサインを越えた。


「やっぱり!」


 赤い縄を踏み越えた瞬間、枝が伸びてくることはなく。あとは、外から叩くだけだった。





‐‐‐


 朝焼けが眩しい。
 あらあらあら。金髪の女は、ぼろぼろの俺たちを見て、口を押さえるのだった。


「お疲れ様っス」
「……一級」
「はい?」
「たぶん神様関係。相当怒らせてたみたいだし、祓っちゃったけど、祓っちゃってよかったのかは知らない!」
「マジっスか? ヤバ…。もっと叩けば何か出てきちゃうっスかね」
「それは明たちに任せる。疲れた……そっちはいろいろと大丈夫だった?」
「おかげさまで! すみませんでした。五条さんから直接の電話だったので逆らえず」
「……五条先生?」
「緊急でーって。あと、沙都さんたち二人きりにしてあげてって。……沙都さん?」
「……明今度飲み行こうね」
「もちっス」


 あーだこーだ女同士でやかましい。さっさと帰ろう、と呼びかけると、はいはい〜と金髪の女は後部座席を開けた。二人で乗り込む。


「眠い……」
「寝ててください。安全運転で行くっス!」
「明も疲れてるのに悪いよ」
「そういう仕事っスよ。お二人の仕事は終わったんですから。体を休めてください」


 山道を下りながら。朝焼けに照らされる車内で、大きく欠伸をした。
 いつの間にか沙都は船を漕いでいる。隣で寝ようかと思い、目を瞑るが、不思議と眠気はなかった。


「ありがとうございました」
「あ?」


 暫くして。金髪の声がして、目を開ける。あ、やっぱり起きてる、と目を丸くするのだった。


「えっと、沙都さん。多分一人で行かせてたら、大変なことになってたっス」
「どうだかな。一人でもなんとかしてただろう」
「でも、今、怪我がない」


 一緒に組んでもらってよかったっス。女は小さな声で話した。とん、と肩に沙都の頭が乗る。どうやら熟睡らしい。


「あはは。沙都さん、かわいいっスね」
「……ああ」
「お?」


 別に同意したわけじゃない。ただ投げやりに返事しただけだ。かわいいんスか、かわいいんスね、と運転席から黄色い声が上げる。


「やー。青春っス」
「だらしない顔だ……」
「こんな気抜いてる沙都さん、学生ぶりかもしれないっス」


 学生の前じゃ多少は気ぃ張ってるだろうし。運転しながら、あっけらかんと金髪は笑う。


「心許してるんですね」
「……」


 世話が焼ける女だ。妹がいたら、こうなのか。……違うか。




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