寝て、起きて、沙都はいつも通りだった。
 おはようございます、とにっこり笑って、三人の前に現れる。
 脹相は、昨日のことを思い、きまりの悪さを感じていた。一緒に過ごしていて、彼女が周囲にあれこれ言いふらす性質ではないとわかっている。いっそ九十九にでもわめき散らして、非難された方がましなようにも思っていた。

 朝(といっても時計があるわけではないので、定かでない)になると、沙都は機械を弄った。機械からは音楽が流れる。ラジオ体操だ。
 沙都と九十九はのびのびと体を動かす。はじめは九十九が暇だからと音楽を流して体操していた。眠気をとばそうと大きくのびをした脹相に、一緒にやろうよ、と、これまた沙都が声をかけたのだった。以来、ここでの習慣となっていた。

 沙都は背を丸くして、小さい機械をぽちぽちと弄っている。髪には寝ぐせがついている。
 音楽が流れだすと明るく口ずさんだ。朝も夜も代り映えもしないこの場所で、朝のうたを歌う。希望を歌う。天元は口を大きくあけた。欠伸でもしているのだろうか。
 脹相は黙って、音楽に合わせ体を動かした。何も考えずに、音にのって流れる元気のいい指示に従い、もくもくと体操する。
 一・二・三・四、と、呼間に合わせて体を前に倒すと、隣から「なあ」と九十九が声をかけた。


「女を泣かせるのが趣味ならまあ文句は言わないが」

 沙都をあんまりいじめてやるなよ、と、天を仰いで言う。泣いたのか、と、知らんふりをする。

 一・二・三・四、
「寝床でさ。しくしく、泣いてたんだ」

 五・六・七・八。
「慰めてやればいい」

 一・二・三・四、
「どうしたの? 話聞こうか? ってね」

 五・六・七・八。
「何を話した」
「脹相には言うなってさ」


 両足で弾みながら、九十九は素っ気なく言った。脹相は棒立ちで、九十九を見た。乳房が揺れている。
 九十九はジャンプしながら「あまりからかうもんじゃないよ」と、言う。不本意な言葉に、からかってなどいない、と言い返す。


「なら。藪蛇だったな、脹相」
「……」
「何を思って沙都に何を話したのか知らないけど。沙都は、人間で、女の子なんでね」


 目の前のことで、いっぱいいっぱいなのさ。
 深呼吸をした。沙都も少し離れた場所で、小さい体を大きく伸ばして、深呼吸をしている。



‐‐‐


 沙都がいない。
 ついさっきまで、ババ引きのババを引いて、あちゃーと言って笑っていた。脹相、顔が変わらないからぜんぜんわからない、と暢気に言って、腕を組んでいた。天元も九十九も口元をゆるめていた。脹相だけが、無表情で過ごしていた。
 手洗いにでも行ったのだろうかと、辺りを見回した。
 同時に、もう、こちらから関わりを持つのはやめた方がいいと思った。また気分を害して、泣かせて、互いに嫌な気になるだけだと。

 今も別にいい気分ではない。気丈に振る舞う沙都をみていると、なんだか哀れに思えてくるのだった。
 昨日は、自分の言葉に傷ついたという顔をして肩を震わせていたのに。周りに気取られないように、相手に気を遣わせないように、何でもないと過ごしているのが気に食わなかった。彼女の脆さに気づいてしまったのだ。
 健気に笑う沙都を見て、出会ったときのことを思う。あの時、抱えてやるんじゃなかった。見て見ぬふりをしてしまえばよかった。そうすれば、もしかしたら今頃兄と。しかし、それは悠仁にとってよくなかった。…

 もうやめだ。沙都について無関心を装えば良い。あちらが昨日のことについて知らぬ存ぜぬなら、自分の言葉に傷つき、呆れているなら、同じように振る舞えばいい。
 ここまで考えて、しまったと唇を抓った。無関心を装おうとしている時点で、もう、沙都が気になって気になって仕方ないのだった。

 そもそも、沙都は自身の兄のことを気に病んでいるのだ。
 沙都の兄を手にかけたかもわからないのに、勝手に想像して、慮ってばかりいる自分が、馬鹿らしく。舌打ちをした。
 沙都がいなくなって、時間がたつ。天元に声をかけられ、あちらを見てきてくれないかと指をさされた。入るときに通ったトンネルだ。
 そのまま出ていかれては困るが……と肩を竦められる。なら自分で見に行けばいいと言いかけて、ぐっと口をつぐんで、脹相は素直に歩きだした。

 トンネルは暗く、今となっては心地良かった。
 沙都はその暗さに自分を隠してしまうように座っていた。本殿に背を向けて、くしくしと顔を擦っている。
 おい、と声をかければ、びく、と肩を大きく震わせて、


「あ、脹相。ごめんね、もう少ししたら、戻るね」


 と、明るく言った。
 拒絶の色をした言葉に、どうしたものかと脹相は靴を鳴らした。沙都はそれにも「ごめんね」と反応する。


「オマエが何に謝っているのかさっぱりわからない」と言い放つと、
「私も、何に謝っているのか、わからないの」と、きっぱり言われてしまう。

 そうか、ならば、しかたない、のか? どうしたものかと頭をかいていると、沙都は鼻を啜って、覚悟を決めたように話し出した。


「脹相ならわかるでしょ。血を分けた家族が死ぬんです。殺されたんです。辛いなんて言葉で、片付かないでしょ」
「……まだ死んだと決まったわけじゃないだろう」
「もし死んでたらの話だよ。……脹相は、自分の弟を殺した本人がわかってるんでしょう。弟を殺した相手、殺そうと手をまわした相手が、仇がわかってるでしょう」


 私とは違う。堰を切るように、話がつづく。


「もし虎杖くんが私のお兄ちゃんを殺した人だったら。それは。虎杖くんの体だけど、虎杖くんじゃないから。
彼の体に巣食う呪いが、宿儺がしたことだから。許せないけれど、虎杖くんのことは責められない。私だって彼に期待して、彼に背負わせた一人だし。
……でも、でもね。知らない、どこかでのうのうと生きている呪いなら。
許さない。兄を。大切な人を奪った恨みを。晴らしてやりたい。
だから自分のために強くなる。呪いをこの手で、……もし、死んでいたらの話だけど」


 お兄ちゃんを守れなかったら、の話。沙都が吐きだす言葉一つ一つ、呪詛と何ら変わりない。脹相は黙って聞く。 


「虎杖くんが心配ですか」
「……当たり前だ」
「彼が幸せになっちゃいけないなんて、思わない。虎杖くんも、奪われてばっかりだから」
「悠仁は強い」
「強いよ。わたしなんかとちがう。でも、奪われて、奪われて、このままじゃ」


 沙都が振り向く。目元を赤らめ、ぐす、ぐすと涙をこぼす。そのまま、脹相の袴にしがみつくのだった。夢と同じだ。脹相はぞっとした。


「脹相」
「……」


 しゃがめば、背中に手をまわされる。胸に顔を擦りつけ、沙都は肩を震わせて泣いた。そのうち、ええんええんと大きい声で泣き出す。
 脹相は悩んでから、沙都の背に手をやって、撫でてやった。沙都は、ぎゅう、と脹相の背中をつかんで、また声をあげて泣いた。「お兄ちゃん」と、泣くのだった。
 そのうち、撫でるのをやめて、あやすように背をぽん、ぽん、と叩く。だんだんと嗚咽が小さくなって、息を整えはじめる。
 沙都の向こうに続くトンネルの先を見る。闇の向こうにぽつんと光が見える。小さくて遠い。手を伸ばしても届かない、親指の爪ほどの光。闇に飲まれないようにと沙都を抱いていると、沙都は腕の中で大きく息を吸った。

「……脹相は」涙ぐんだ声で、何かを一生懸命に伝えようとしている。ああ、と、声をかけて、耳をすませる。


「脹相は」
「なんだ」
「脹相は、真人と一緒にいたんだよね」


 叩く手を止めた。小さな光が、より遠くにいってしまうように思えた。沙都の言葉の意図がわかる。沙都が顔を胸にぐっと当てる。嘘か本当かたしかめるように、ぴったりと。


「じゃあ、人を殺したことは?」
 

 沙都の手が、ぎゅうと背に力をいれる。


「ねえ」
「人を殺したの?」


 背に爪が立つ。


「ああ。殺した」


 目を伏せれば、光はいよいよ無くなった。沙都の丸い頭がすぐそこにある。はあ、と、吐息が熱く胸を濡らす。さあどうなる。オマエは、どんな顔をしている。何を考えている。オマエは、どうする。




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